表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
帰る場所は、ずっとあなたの隣だった~あの頃の私は、優しい人を愛せなかった~  作者: 黒猫と珈琲


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
12/14

第12話 帰る場所

 桜が満開だった。


 花びらが風に乗り、ゆっくりと舞い落ちていく。


 若葉は樹の隣を歩きながら空を見上げた。


 青空の下で揺れる桜は、十年前に見た景色と少しだけ重なる。


 けれどあの頃とは違った。


 今は隣に樹がいる。


 それだけで見える景色まで変わる気がした。


「綺麗だな」


 樹が空を見上げながら言う。


「うん」


 若葉も頷く。


 二人で並んで歩く桜並木。


 それだけなのに胸が温かかった。


 告白をしてから数週間。


 特別なことは何も変わっていない。


 相変わらず店へ行って、コーヒーを飲んで、一緒に話をして、時々こうして散歩をする。


 けれど若葉にとっては十分だった。


 無理をしなくていい。


 背伸びをしなくていい。


 そのままの自分でいられる。


 そんな時間が何より心地良かった。


「若葉」


「うん?」


 樹が足を止める。


 若葉も立ち止まった。


 風が吹く。


 桜の花びらが二人の間を通り過ぎていく。


 樹は少しだけ困ったように笑った。


「一つ聞いていい?」


「何?」


「今、幸せ?」


 若葉は目を瞬く。


 思いがけない質問だった。


 けれど答えはすぐに出た。


「うん」


 若葉は笑う。


「幸せ」


 本当にそうだった。


 昔の自分なら答えられなかった。


 幸せになりたいと思いながら、幸せになることが怖かった。


 誰かに大切にされるたびに不安になった。


 いつか失うと思っていた。


 いつか終わると思っていた。


 だから自分から離れた。


 傷つく前に。


 失う前に。


 でも。


 今は違う。


「俺がいるから?」


 樹が少しだけ茶化すように言った。


「なんてね」


 若葉は思わず笑う。


「それもある」


「それも?」


「うん」


 樹が首を傾げる。


 若葉は空を見上げた。


 青空の向こうまで続いていくような春の景色。


「私ね」


 ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「ずっと帰る場所が欲しかったの」


 樹は黙って聞いている。


「子どもの頃から」


「うん」


「安心できる場所が欲しかった」


 怒鳴り声に怯えなくていい場所。


 顔色をうかがわなくていい場所。


 無理に笑わなくていい場所。


「ずっと探してた」


 若葉は苦笑する。


「でも勘違いしてたんだと思う」


「勘違い?」


「帰る場所って、どこかの家とか町とかだと思ってた」


 樹は静かに頷く。


 若葉はゆっくり樹を見る。


「違った」


 胸の奥が温かくなる。


「帰る場所って、人だったんだね」


 樹の瞳が少しだけ揺れた。


 若葉は笑う。


 泣きそうになるほど優しい気持ちで。


「樹といると安心するの」


「……」


「無理しなくていいし」


「うん」


「怖くない」


 樹は何も言わなかった。


 ただ静かに若葉を見つめている。


 その眼差しが優しかった。


 若葉は続ける。


「だからね」


 少し照れながら笑う。


「やっと見つけたんだと思う」


 樹が小さく息を吐いた。


 そして、そっと若葉の手を握る。


「俺もだよ」


 若葉は目を見開く。


 樹は少し照れたように笑った。


「俺もずっと探してた」


「樹も?」


「うん」


 樹は頷く。


「帰りたいと思える場所」


 そして、握った手に少しだけ力を込めた。


「今は見つかった」


 若葉の目に涙が滲む。


 本当にずるい人だと思う。


 いつも欲しかった言葉をくれる。


 十年前も。


 今も。


 ずっと。


 若葉は涙を拭いながら笑った。


「樹」


「うん」


「私たち、遠回りしたね」


 樹は少しだけ考えるように空を見上げた。


 そして穏やかに笑う。


「そうかな」


「そうだよ」


 若葉は苦笑した。


「十年もかかった」


 もっと早く気づけたかもしれない。


 もっと早く伝えられたかもしれない。


 そんな思いもある。


 けれど樹は首を横に振った。


「十年かかったから、今なんじゃない?」


 若葉は目を瞬く。


「私たち、遠回りしたね」


「そうかな」


「そうだよ」


「十年もかかった」


 本当なら。


 もっと早く気づけたかもしれない。


 もっと早く伝えられたかもしれない。


 そんな思いもある。


 けれど樹は首を横に振った。


「遠回りだったとは思わないよ」


 若葉は目を瞬く。


「きっと、今の若葉だから、ちゃんと自分の気持ちを言えたんだと思う」


 樹の声は優しかった。


「昔の若葉は、きっとまだ自分を許せてなかっただろ」


 胸の奥が静かに震える。


 その通りだった。


 愛されたいくせに。


 愛される価値なんてないと思っていた。


 幸せになりたいくせに。


 幸せになることを恐れていた。


 そんな自分を、今なら少しだけ許せる気がする。


 若葉は空を見上げた。


 桜の花びらが陽射しの中で輝いている。


 綺麗だと思った。


 ただ素直に。


「ねえ、樹」


「うん?」


「改めて、よろしくね」


 樹は少し驚いたように目を瞬く。


 それから照れたように笑った。


「ああ」


 短い返事だった。


 けれど、それで十分だった。


 握られた手が温かい。


 離れないように。


 確かめるように。


 二人はゆっくり歩き出す。


 春の風が吹く。


 桜の花びらが舞う。


 遠回りをした。


 たくさん迷った。


 何度も立ち止まった。


 それでも。


 ようやく辿り着くことができた。


 若葉は樹の隣で微笑む。


 これから先も。


 嬉しいことも、苦しいこともあるだろう。


 それでもきっと大丈夫だと思えた。


 隣に、この人がいるから。


 帰る場所は、ずっとあなたの隣だった。


【完】


面白いと思っていただけましたら、ブックマークや評価(★)をいただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ