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 ウィロウ家に居残ったカイルは、留守番らしいことは何もせず、惰眠を貪ることに専念していた。寝る場所はその時の気分で変わり、今日は食卓に突っ伏してうたた寝している。気持良く寝ていたが、西日が差す時間になると陽光が顔に直撃して、目を覚ますのだった。

 寝ぼけ眼を擦りながら頭を起こしたら、そこにはエイダがいた。


「……すみません。うるさかったですか」


 彼女はこれから一服するつもりなのか、茶器をテーブルに置いたところだった。そういえば丸二日、互いの顔を見ていなかった。


「いや、眩しくて起きただけっす」

「カイルさんも飲みますか?」

「じゃあせっかくなんで、いただきます」


 温かい紅茶を受け取り、カイルは彼女の一服に付き合わせてもらう。自分以外の誰かから飲み物を注いでもらうのは新鮮で、彼はついじっと眺めてしまった。


「どうかしましたか」

「あ、いえ。エイダさん、紅茶淹れるの上手っすね。めっちゃ良い香りです」

「グレース様がティーハニーを入れて飲むのがお好きで、よく淹れていましたから」

「奥様のためですか。優しいっすね」

「……その紅茶をグレース様がわけてくださるんです」

「自分も飲むなら尚のこと、美味いほうが良いってことですか。したたかっすねぇ」


 グレースのことになると、エイダは表情豊かだ。いや、グレースに比べれば乏しいと言わざるをえないけれど、普段の無表情を思うと随分わかりやすくなる。


「エイダさんは奥様のメイドになって長いんですか?」

「十年以上になりますね」

「どうりで仲が良いわけだ」

「カイルさんもこちらは長いのでしょう? 当主様に遠慮がない感じですし」

「いや? 俺はまだ二年っすよ。あれ、そろそろ三年になるか?」

「……意外でした」


 エイダの驚きはもっともだ。働き出して二年目でよくもまあ堂々と、雇い主の目の前で昼寝ができるものである。


「けっこう色んなところを転々としたんで、これでも長続きしてるほうっす。料理人に戻ったのも久しぶりでしたね」

「えっ……料理人を辞めていたんですか?」

「最初の職場がクソだったんで、嫌になったんですよ」


 深刻そうな話題のはずなのに、カイルはへらへらと笑っていた。


「けっこうデカい屋敷の厨房だったんすけど、料理長がまあ最悪で。自分以外が褒められると不機嫌になって、殴ったり蹴ったりしてくるクソ野郎だったんすよ。だからみんな、わざと手抜きしてボコられないようにしてましたね。俺は好きなように料理したかったんで、そうしてたんですけど。あとはお察しの通り、そいつの不興を買っちまってボッコボコにされました」


 とても笑いながら話す内容ではなく、エイダは眉間に皺を寄せた。しかしカイルは依然としてへらへらしている。


「何もかもうんざりしちゃって、そこを辞めた後は料理人以外の仕事で日銭を稼いでました。けどやっぱり……また料理がやりたくなったんすよねぇ。そん時ちょうどここの募集があったって訳です。いやー、でも最初に旦那様を見た時は、やべって思いましたね。顔、怖いっすもん。屋敷は今よりボロかったし、給料も安いし、こりゃあ絶対ワケありだって震えましたよ」

「それでよく、ここで働こうと思いましたね」

「おっ、それ聞きます? だって旦那様に『薄給の理由はなんですか?』って質問したら『貧乏で金が無いからだ』って、馬鹿正直に答えるんですもん。この人、面白いなって思いません?」


 カイルはそのまま勢いで「ひと仕事終えたら寝てもいいっすか」と尋ねたらしい。とんでもない度胸である。けれどもセドリックは全く動じた様子もなく「休憩時間は自由に使ってくれ」と返したそうだ。それがここで働く決め手となったのである。


「いやほんと、良い職場に巡り会うのって運ですよねぇ」


 カイルはしみじみ言った。料理長に殴られていたあの頃を思えば、ウィロウ家は天国だ。確かに給料は格安だし、作れる料理もパンとスープくらいだけれども。厨房は自由に使えるし、給料分の仕事さえきちんとやれば、あとはやりたい放題できる。セドリックも、後からやってきたグレース達も、カイルに言わせれば面白い人ばかりだった。苦労してきた彼はやっと、働き甲斐のある職場を見つけたのだ。


「……そうですね。私も似たようなものでした」

「えっ? エイダさんはずっと奥様のメイドだったんじゃ?」

「違いますよ」


 エイダは少しぬるくなった紅茶を一気に飲み干す。


「私も最初の職場がクソだったもので」


 突如、彼女の口から汚い言葉遣いが聞こえて、カイルはギョッとする。

 今でこそグレースのレディースメイドをしているエイダは、実のところ庶民の出だ。十代前半で両親を突然亡くしたために、ほかの子供達よりはやく働きに出なければならなくなった。


「とある商家の雑用係として、ほぼ無給でこき使われました。他に行く当てもないので辛抱していましたが……」


 やや乱暴にティーカップが置かれる。エイダの目は据わっていた。


「年頃になるにつれ、雇い主から変な目で見られるようになりました。呆れたことに手を出されそうになりまして」

「そういう奴は、ちょん切ったほうが良いっすよマジで」

「ええ。私もそう思います。でも商家の主人に鋏を向けたことで、罪に問われたんです」

「ま、マジでちょん切ったんですか!? それか殺し……」

「未遂ですよ、残念ながら。体格差がありすぎました」

「……牢屋に入ったんですか?」

「はい。この事はグレース様もご存じです」


 エイダはさらりと答えた。初犯だったことと、一応、相手が無理やり触ろうとしてきた事実も調べがついたので、服役したのは短期間である。エイダは今でも正当防衛だと思っているが、商家とみなしご、男と女では不平等に扱われるのが世の常だ。

 釈放後、エイダは職探しに骨を折った。運良く雇ってもらえても、どこからか前科がバレて解雇されてしまうのだ。片っ端から求人に飛び込んでは、すぐお払い箱になることが続いた。頼れる親や親族がいなかったため、食い繋ぐためには何としても働かなければならない。バートルズ家の洗い物係を志望した際は、もう最初から経緯を洗いざらい白状した。自暴自棄になっていたのだろうが、やはり伯爵家という高貴な家柄もあって、渋い顔をされてしまった。それでも採用されたのは、窓の外からひょっこり顔を覗かせていた、グレースのおかげであった。まだ子供だったグレースが「あたらしいメイドさん? よろしくね」と笑顔を向けてくれたから、エイダは就職が叶ったのである。

 当時、バートルズ家には中年の使用人しかおらず、年若いメイドはエイダだけだった。だからなのか、グレースはしょっちゅうエイダに話しかけてきたものだ。周りの目が気になったエイダは、自身が牢屋に入るような人間だったと告げたのだが……グレースの返答は「ろうやから出られるのは、ちゃんと罪をつぐなった人なんでしょう? じゃあもうエイダは何も悪くないわ」というものであった。その時からエイダは、グレースのレディースメイドになることを決心し、必要な知識や心得、相応しい振る舞い等を身につけていった。今のエイダならば、主人よりも巧みに社交界を渡り歩けるに違いない。


「……って事は『牢屋に入ることも辞さない』と言っていたアレは……ガチっすか」

「ええ。グレース様のためとあらば、今度こそ確実にちょん切ってやります」


 そう宣言してエイダは不敵な笑みを見せる。この顔は本当の本当にやりかねない。


「紅茶、お代わりしますか?」

「い、いただきます……」


 カイルは口元を引き攣らせながらティーカップを渡すのだった。

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