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 ラインミュラー侯爵家から届いた招待状によると、行程は三泊四日となっていた。一度食事をご馳走になる程度で、行って帰ってくるだけだと軽く考えていたのは間違いだった。セドリック達は急いで荷造りをしないといけなくなった。


「すぐに荷物をおまとめします」

「あら、エイダは来ないの?」

「私は招待されていませんので」

「あなたとずっと一緒だったから、三日間とはいえ寂しいわね」

「そう言っていただけると光栄です」


 珍しくエイダが少しだけ笑っていた。


「せっかくだから羽を伸ばして、ゆっくりしてね」

「ありがとうございます。グレース様も楽しんできてください」

「ええ! わたしもいつかウィロウ家の女主人として、どなたかご招待することがあるかもしれないもの。その時はセドリック様に飾られる妻として、恥ずかしくないおもてなしをしなければ! 良い機会だから侯爵夫人の働きをしかと観察させていただくわ!」


 お茶会の招待を受けたことがないグレースは、当然、招待する側になったこともない。だから学ぶことがたくさんあるのだと、やる気に燃えていた。エイダはその場にいない夫に、恨みの念を送るのだった。

 セドリックもまた、個人的に招待を受けることなどなかったため、初めて感じる緊張があった。とはいえ、彼が感じた寒気はまた別の要因だろう。

 寒気があろうがなかろうが、期日は時間通りにやってくる。ウィロウ夫妻は立派な馬車に乗せられ、出発していったのだった。


「一気に静かになりましたね。なんか久々っすよ、この感じ」

「カイルさんはこれから昼寝ですか」


 カイルとエイダは休暇を貰っていた。留守番はしてもしなくてもいいと、セドリックから言われている。けれどエイダは最初から居残るつもりだった。旅行するには時間が足りないし、とりたてて行きたい場所もない。ただ何もせず、のんびり過ごそうと思っていた。それもある意味、贅沢な過ごし方だ。


「うーん……どうしよっかな。エイダさん、俺がいると落ち着いて休めないなら出て行くんで、遠慮なく言ってくださいよ」

「なぜ貴方がいると、私が休めないのですか?」

「えっ、だって、ほら……一応、男と女ですし……?」

「別に気にしません。こちらへ来る前も男性の使用人と一緒に働いていましたので」

「あ、そっか」


 ウィロウ家が特殊なだけであることをカイルは失念していた。


「カイルさんこそ、私がいて落ち着かないのであれば、ご実家に戻られては?」

「実家かぁ……色々うるさいんで面倒なんすよね。ここより狭いし」

「そうですか。ではお互い、好きなように過ごしましょう」

「じゃあ食事は作っておくんで、好きに食べてくださいね」

「食事も自分で作りますが」

「一人分だけ作るの、逆に面倒くさいんで。そこは遠慮しないでほしいっす」

「わかりました。ありがとうございます」


 カイルは一階で、エイダは二階で過ごすことになりそうなので、積極的に関わろうとしない限り、顔を合わす機会も少なかろう。


 夫妻を乗せた馬車は隣町に入っていた。明確な境目がある訳ではないのに、がらりと雰囲気が変わるのだから不思議なものだ。街道には買い物を楽しめる店が並び、大勢の人々が行き交う。セドリック達の住む港町には無い、歌劇場やカジノもここにはあるので、中心部は日が暮れても賑やかである。逆に沿岸部は静かで景観が美しく、ラインミュラー侯爵家が別荘地に選ぶのも納得がいく。

 グレースも年頃の女性らしく、建ち並ぶ店に目を奪われている様子だ。ウィロウ家に馬車があれば、隣町へ行くことなんて造作もなかっただろう。楽しげに外を眺める彼女の横で、セドリックは苦しい思いをしていた。彼女に貧乏生活を強要するわけにはいかない、やはり離婚が最善手だと自分に何度も言い聞かせるのだった。

 市街地を抜けた先に侯爵家の別荘はあった。到着するとすぐ、ニーナ嬢と愛犬が駆け寄ってきた。無論、グレースの方へである。


「ごきげんよう、ニーナ様。お出迎えありがとうございます。マロンちゃんも、わたしのことを覚えていてくださったのね」


 ニーナ嬢の口数こそ少ないが、小さな手でグレースのドレスをしっかり掴んでいる。少し遅れて出てきた侯爵夫妻が娘を嗜めるものの、その手が離されることはなかった。


「こらこら、ご挨拶もせずに……娘の無作法をお許しください」

「ちっとも構いませんわ。こちらこそ、この間はお茶も出さずに失礼いたしました」

「お気になさらず。急にお伺いして、急に帰ったのは我々ですから。さあ、どうぞ中へ。ゆっくりお寛ぎください」


 侯爵夫妻は丁重にもてなそうとしたのだが、ニーナ嬢がグレースと遊びたがり、とにかく庭へ連れて行こうとする。何を言っても聞く耳を持たず、しまいには泣き出しそうだった。


「重ね重ねすみません。一人娘なものですから、遊び相手になってくれる者がおらず、こんな我儘を……」


 しかし小さな子供に懐かれたグレースはむしろ嬉しそうである。


「ふふっ、可愛らしい我儘ですわ。一緒に遊ぶ約束でしたもの。ニーナ様、お庭まで案内をお願いできますか?」

「うん」


 グレースとニーナ嬢は仲良く手を繋いで出て行った。そのためセドリックだけが先にお茶を頂くことになる。セドリックは食事も黙々と摂るタイプなので、お茶をしながら雑談するのははっきり言って不得手だ。


「後ほど奥方にも申し上げるつもりですが、この度は娘共々、大変お世話になりました。改めて感謝をお伝えいたします」

「こちらこそ、この身に過ぎたご招待をいただき、感謝申し上げます」

「毎日のように泣いて探し回っていた娘が、おかげさまで元気になりましたわ。わたくしからもお礼を言わせてください」

「いえ、子犬を助けたのも、世話をしたのも妻でして……」


 侯爵夫妻からいたく感謝され、セドリックはむず痒い心地であった。お喋りが得意な彼女が同席してくれたらと、どうしても考えてしまう。


「優しい奥方様ですわね。人見知りの激しい娘が、わたくし達以外に懐くところを初めて見ました。奥方様とはどちらでお知り合いに?」

「サンダーソン伯爵のご紹介です。知り合ったのは結婚した後でした」

「おお、そうでしたか。奥方のご実家はどちらですかな」

「バートルズ伯爵家です」

「バートルズ……? はて、どこかで……」

「嫌ですわ、あなた。もう物忘れが始まったのですか?」


 質問に粛々と答えるだけで、表情も硬いままのセドリックだったが、夫妻は気を悪くすることもなく談笑してくれた。おかげで間が持たずに気まずい思いをする、なんてことは避けられたのだった。


 遊び疲れたニーナ嬢は夕食の途中から船を漕ぎだし、早々に就寝した。幼な子の遊びにずっと付き合っていたグレースは案外けろりとしている。とはいえ、ろくに休憩もとっていなかったので、侯爵夫妻は早めに休むよう勧めてくれた。

 するとここで、セドリックにとって大問題が発生した。案内された客室はグレースと共同で使うもので、そしてあろう事か、部屋にはベッドが一つしかなかったのである。

 二人は夫婦なのだから、あろう事もへったくれもないのだが……セドリックに言わせれば自分達は離婚予定の同居人でしかない。今までずっと寝室をわけてきたのに、ここへきて突然同じベッドなど、由々しき一大事であった。


「……ぼ、僕は図体が大きい。一緒に寝ると窮屈だろうっ、君がベッドを使うといい」


 セドリックは明後日の方へ視線をやり、声を上擦らせながら、何とか窮地を脱しようとする。


「体が大きい方こそ、広いベッドを使うべきでは……? わたしならそこの長椅子でも、余裕がありますもの」


 グレースに正論を説かれ、セドリックはぐうの音も出ない。


「い、いや……しかしだな……共に寝る訳には……」

「並んで休むのに、何か問題があるのですか? とても立派なベッドですし、落っこちることもないと思いますよ?」


 そんな澄んだ瞳で問わないでほしい。セドリックは切実にそう思った。表向きは間違いなく夫婦なのだから、何も問題はないのだけれど、問題がないのが問題というか。戸惑うあまり、彼も色々こんがらがってきた。


「あっ! もしかして、わたしの寝相が心配でしたか? ご安心くださいませ! わたし、眠っている時はお利口らしいですので!」


 セドリックはそんな事、微塵も心配していなかったので何の慰めにもならない。しかしグレースの能天気な台詞により、彼の気持ちはやぶれかぶれの方向へと傾いた。ベッドとは睡眠のための道具。横たわり、目を閉じるだけ。それだけに集中すれば良いのだと。


 全力で睡眠に集中したのが功を奏したのか、二人とも熟睡であった。セドリックはいつもの癖で早起きしてしまったが、素早く着替えて、音を立てることなく部屋を出て行った。妻の無防備な寝顔を盗み見るなどという蛮行を犯さぬよう、細心の注意を払った。朝食の時間になるまで、セドリックは別室で精神統一をしながら待機するのだった。

 二日目は侯爵がセドリックを乗馬に誘い、侯爵夫人がグレースを買い物に誘った。出掛ける前にグレースはセドリックのところにやって来て、耳打ちする。


「余計な出費をしないよう、ちゃんと気をつけます」


 彼女は謎に自信ありげな表情だったが、セドリックの顔は死んでいたことだろう。


「……今日くらい、普通に買い物してきてほしい」

「ハッ……! なるほど、セドリック様が狭量な夫だなんて勘違いされたらいけませんものね」


 セドリックもまた、ハッとなった。自由にお金を使わせないことで「酷い夫」を演出できたかもしれなかったのだ。みすみすチャンスを逃してしまった。

 けれどもセドリックに、当初感じていたような徒労感は無かった。これで彼女が心置きなく買い物できるならそれでいい、そういう気持ちがセドリックの胸の内を占めていたのである。


 男達が馬に跨って出て行った後、グレース達も出発した。街道までは馬車で、そこから先は歩きである。ニーナ嬢を挟む形で、グレースは侯爵夫人と街道を進む。


「グレース様は遠くから嫁いでいらっしゃったとお聞きしました。ご苦労はされていませんか?」

「大丈夫ですわ。セドリック様はとても親切にしてくださいますし、町の方々も皆さん、親切ですから居心地が良いです」

「それは何よりですわ」

「ここは実家がある町と少し似ていますわ。向こうに見えるのが歌劇場ですか? 小耳に挟んだのですが、有名な方が巡回されるそうですね」

「ええ、よくご存知で。でも公演は先月でしたの。次回は半年以上、先になりそうですわ。その際はグレース様もご一緒にいかがでしょう?」

「光栄ですわ! 実はわたし、歌劇場に行ったことがないのです。色々と教えていただきたいですわ!」

「語れるお相手ができて嬉しいですわ。夫は観劇より闘技大会が好きなものですから、誘ってもつまらないのです」

「闘技大会ですか……」


 グレースは不自然に言葉を切ったが、またすぐに話し始めるのだった。


「一度だけ見たことがありますが、わたしは多分、観劇のほうが好きだと思います」

「やっぱりそうですわよね。人と人が闘うところを見るより、美しい音楽や歌声を聴くほうが良いですわ」


 大人同士の会話に混ざれないニーナ嬢が、つまらなそうに手を引いたので歌劇場の話はここまでとなった。美味しいケーキが食べられるカフェに行こうと言えば、ニーナ嬢の機嫌もたちまち直るのだった。

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