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一緒にお散歩してからというもの、グレースは元気を取り戻した。ダンスの特訓にも前向きに取り組み、裁縫や勉強も適度に息抜きしながら努力しているらしい。セドリックはカイルからそう報告を貰って安堵した。食事の席も以前の賑やかさが戻ってきていた。
「今日もお野菜を届けてくださったんですよ!」
「そうか。ありがたいな」
「はい! 明日、エイダとお礼を伝えに行くつもりです」
変わったことと言えば、ウィロウ家の結婚を知った領民が、結婚祝いと称して野菜や魚介類を置いていくようになった事だ。それによりグレースはしょっちゅう外へ出るようになった。散歩が好きだとエイダが話していた通り、屋敷にこもっていた時よりも遥かに楽しそうで、全体的にきらきらしている。
強いて気になることを挙げるなら、大抵の人はセドリックの留守中に来ることだ。強面の夫と、にこやかな妻だったら、どちらに対応してほしいかなんて明白。何となくセドリックは避けられている気がして、その心境は複雑だった。
グレースに快活さが戻り、安堵したのも束の間。
屋敷の周辺を怪しい男がうろついているのをエイダは発見した。そう報告を受けたセドリックは、強面をさらに険しくする。
「いつからだ」
「三日前です」
興味本位でウィロウ家の若奥様を見に来たのか。あるいは贈り物を持ってきたものの、呼び鈴を鳴らす勇気が出ないのか。エイダはしばし泳がせてみたのだが今日、男が帳面に何かメモをとっているのを目撃し、怪しいと判断したのである。
「この三日間、何かと理由をつけて外出は控えておりましたが、グレース様が怯えるような事になっては困ります。早急に解決してくださいませ」
「わかった」
不審者が出没する時間はまちまちらしいが、一日のうちに複数回現れるそうだ。セドリックは休日を返上し、カイルと共に朝から張り込みをすることになった。
「俺、弱っちいですよ。戦えませんて」
「監視しているだけでいい。荒事は僕がやる」
グレースだけが事情を知らされずに二階の部屋にいた。階下で男二人、身を潜めて張り込みをしている様子など見せられない。これでは「酷い夫」どころか「怪しい夫」である。エイダが巧みに足止めして、グレースを部屋から出さないようにしてくれている隙に、問題を片付けなくてはならなかった。
「こういうの向いてないんですけど、俺」
「頑張ってくれ」
「今月の給料、上乗せしてもらえます?」
「……前向きに検討しよう」
「それ、やらないヤツっすね。まあ冗談ですけど。半分」
カイルの辛抱は長続きしなさそうだった。だが問題はなかった。不審者は案外すんなり現れたので、長時間窓の外を見張り続ける必要はなくなった。
「おぉ……見るからに怪しいヤツが来ましたね」
目深に被った帽子、土色でよれよれの上着、ぶ厚い眼鏡にモジャモジャの髭。怪しさ満点の姿で現れた男は、ウィロウ家の庭をじろじろと覗き込んでいる。もう少し怪しまれない格好はなかったのかと、他人事ながら思わざるをえない。
「捕まえる」
「えっ、けっこう距離ありますよ? 逃げられちゃいませんか」
「問題ない」
セドリックは扉を開けて外へ出た。その音に気付いた不審者は逃げ出す。二人の距離は十メートル以上離れていた。しかしセドリックはその程度の距離などものともせず、驚異的な俊足を発揮して不審者に追いつく。毎日、徒歩で移動するだけあって、彼の足腰は強靭だった。そして難なく不審者を捕まえ、鮮やかな手並みで拘束する。
「ひぃぃぃ! すみません! すみません!」
強面のセドリックに追われた不審者は、恐怖で涙目になり、ひたすら謝罪を繰り返す。
「お前は誰だ。この屋敷に何の用だ」
「すみません! すみません! 命だけはご勘弁を……! なにとぞ!!」
「おい。質問に答えろ」
命の脅しなどしていないのに、セドリックの顔がよほど怖いのか。不審者は震えるばかりで話にならない。どうしたものかと困っていると、グレースがエイダを伴って駆け寄ってきた。どうやら彼女の耳にも騒ぎが聞こえしまったようだ。
「急に飛び出していかれるのが見えましたが……その方はどちら様ですか?」
「その、だな……僕もどちら様か、尋ねていたところだ」
関節を極めながら質問するのは、尋問という。だがグレースは不審に思わなかったらしく「変わった握手ですね」と、とぼけた発言をしていた。
「初めてお会いします、よね? わたしはグレースと申します。お名前をうかがっても?」
グレースは不審者相手に自己紹介をし、セドリックを愕然とさせた。しかし結果的には、のんきな彼女のおかげで不審者も落ち着き、ようやく名乗ることができたのである。
「は、初めまして。わたくしはハロルドと申しまして、野鳥研究に生涯を捧げている者です」
この見るからに怪しい男、実は野鳥研究の界隈では名の知れた博士であった。とはいえセドリック達はそのような界隈に詳しくないので、男の言い分が嘘か真か、判断しようがなかった。
「こちらのお屋敷にとても珍しい鳥が飛んでいくのを見つけましてね。不躾なのは承知でしたが、好奇心が抑えきれずつい覗いてしまいました。まことに申し訳ありません」
ハロルドに抵抗の意思がないと見て、セドリックは拘束を解く。
「……用件はドアをノックして話してもらえないか」
「仰るとおりです。夢中になると周りが見えなくなるのが昔からの悪癖で……ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
肩を窄めるハロルドは深く反省しているようだった。奇行に走ることはあっても、悪い人間ではないらしい。庭を荒らされたり、物を盗まれたわけではないので、セドリックはこのまま不問にしようと思った。
ところがグレースの発言が事態を変えるのだった。
「珍しい鳥ってもしかして、青色の小さな鳥ですか?」
「は、はいっ。そうです! 奥様、なにかご存じで?」
「木の洞に巣があるみたいです。そこに二羽、仲良く寄り添っているのが見えますの」
「なんと……! 巣がある! しかも番い! お、奥様、それはどちらに!?」
ハロルドが好奇心の塊となって、彼女にぐいぐい近寄ろうとするので、セドリックは男の首根っこを掴まなければならなかった。
「寝室の窓から眺めていましたわ」
「奥様! お願いでございます! この年寄りにも見せていただけませんか!?」
「お安い御用ですわ。構いませんよね? セドリック様」
正直なところ、セドリックはまだこの男の素性を怪しんでいた。熱心な研究家なのが本当だとしても、屋敷の中をうろつかれるのは話が違う。セドリックは仕事で留守にしていることが多いから、その点も心配だった。
しかしながらグレースが快諾したことを、セドリックが跳ね除けるのも気が引けた。彼女の親切心を無下にしてしまうのは本意ではない。
「お願いいたします。旦那様。この先、わたくしは二度と目にすることはできないかもしれないのです。死ぬ前に一目、あの鳥を観察して、後世に資料を残したいのです!」
「わかった、わかった」
セドリックは根が真面目で善良だ。熱心に頼み込まれたら、なかなか嫌だと言えなかった。
けれどもエイダだけは違った。野鳥研究家だか何だか知らないが、余所者の男にグレースの部屋へ踏み入ってほしくなかった。エイダは一言、断りを入れようとしたものの、セドリックに先を越される。
「だが妻の寝室に入られるのは困る」
「はい。承知しております。極力、皆様方に迷惑をかけないようにいたします」
エイダは密かに瞠目していた。セドリックは女性に対する配慮が足りないというか、そこまで考えが及ばない人間だと思っていたからだ。というか「酷い夫」を目指すくせして、真っ当に妻を守ってこの男は何がしたいのか。
「でもわたしの寝室からが一番よく見えると思いますわ。わたしは部屋を移動しても構いませんよ?」
むしろ危機感が足りないのはグレースの方であった。
「グレース様、だめです。当主様の指示に従いましょう」
「そうね。それが最善だわ」
一階からは巣が観察しにくい。二階はグレースの居住スペースがあるから却下。となると残る選択肢は、屋根裏部屋しかなかった。それでもハロルドは構わないと言った。
「我々は野宿が当たり前ですからね。屋根と壁がある場所なら天国ですよ」
「そ、そうか……過酷なものなんだな」
「本当にありがとうございます。謝礼は必ずいたしますから」
こうしてしばらくの間、屋根裏部屋に野鳥研究家が住みつくことになったのである。
当初は警戒していたセドリックだったが、ハロルドは観察に夢中で朝から晩まで屋根裏部屋にこもっていた。場所を提供していることを忘れるくらい、静かで存在感がなかった。
「知らない間に死んでないか、ちょっと心配になるくらいっすよ」
カイルはそう話した。寝床や食事は自分で調達するからとハロルドは言い、実際、屋根裏部屋を貸すこと以外、セドリックは何もしていない。
けれどもグレースは時々、言葉を交わすことがあるらしい。ある時は双眼鏡を渡されて、ハロルドと一緒に巣の中を観察したそうだ。彼女が嬉々として語る話を聞いていると、野鳥に興味のなかったセドリックも俄然気になり始める。
「卵は四個あって、わたしは見れなかったんですけど、ハロルドさんは雛が卵を割って出てくるところを見たんですって! しかも一匹だけ、色が違ったそうですわ。とんでもなく珍しい個体だって、すごい興奮なさっていましたよ」
「そうか。無事に生まれてよかったな」
「はい! 毎晩、元気な雛が生まれるよう、神様にお祈りした甲斐がありました。あとでセドリック様も一緒に見にいきませんか?」
「ああ。鳥には詳しくないが、それほど珍しいものなら見てみたい」
妙な事にはなったが、新たな生命が誕生するのは素直に喜ばしい。卵からかえった雛は、およそ三週間ほどで巣立つという。巣立ちの瞬間にはセドリックとグレースも立ち会うことができた。それとなくではあるが約一カ月の間、見守ってきたためか、ちょっとした感動を覚える。
「良かったらまた遊びにいらしてね」
巣立っていく若鳥に向かって、グレースは笑顔で手を振る。セドリックは特に何も言わなかったが、彼女にならって片手を挙げた。
「長いことお邪魔いたしました。おかげさまで大変貴重な研究ができました」
思う存分、観察を行うことができたハロルドは、いたく感謝しながらウィロウ家を去っていった。後日、彼からは感謝状と、宿代と称したお金が送られてきた。その額は王都の高級宿にひと月宿泊しても、お釣りが来るような額であった。
「あの爺さん、金持ちだったんすねぇ」
「……そのようだな」
「金があるなら、もうちょっと身なりに気を遣ってくれれば……俺まで張り込みすることなかったのに。頭が良い人って何か変わってますよね」
人を見かけで判断してはならない、という教訓はよく聞くが、ここまで典型的な事例は逆に珍しい。
送られてきたお金は結婚式の資金……セドリックの弁によれば手切れ金として、しっかり貯金されたのだった。




