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 しばらくの間、セドリックは何故かカイルから恨みのこもった目を向けられた。しかし、それを除けばウィロウ家は順風満帆であった。バートルズ夫妻が帰った後も、寝室はそのまま二人で使っているし、グレースも無事に刺繍を完成させた。セドリックが贈った物と違い、イニシャルしか入っていないハンカチ──見ようによっては「C」が「U」にも見える──だったが、最初を思えば立派な出来栄えである。セドリックが優しい顔をしながら受け取ったことは言うまでもない。


 結婚式の後だから、という事でセドリックは休暇をもらっていた。サンダーソン伯爵が問答無用で仕事を取り上げたとも言う。空いた時間を使って遊びに出かけるのではなく、グレースと一緒にお礼の手紙をしたためるあたりが、真面目な彼らしい。


「公爵様へのお礼の品は何が良いでしょう?」

「やはり美術品だろうか? しかし僕はその道に詳しくないからな。消え物のほうが……」

「良い事を思いつきました! セドリック様の刺繍が入ったクッションカバーはどうですか?」

「それはちょっと……遠慮したい」


 刺繍を練習したのはグレースに贈るためであり、彼女以外のために縫うつもりはない。とは、恥ずかしくて言えないセドリックだった。


「お話中すみません。お二人宛に小包が届きました。ハロルド博士からです」

「ありがとう、エイダ。開けてくれる?」

「かしこまりました……どうぞ」

「世界の野鳥図鑑? 博士が監修したのか。結婚祝いに、と書いてあるな」

「住所が違うからって招待状は未開封で戻ってきたのに、どうやってわたし達の結婚式をお知りになったのでしょう?」

「さあ……何はともあれもう一通、手紙を書かなくてはな。ここに記載してある住所も怪しいが」

「新しい便箋をとってきますわ。ちょうど鳥の絵が描かれている便箋があるんです。ハロルドさんにぴったりですわ」


 軽やかな足取りで二階へ上がっていく彼女を見送ってから、セドリックは図鑑をぱらりとめくってみる。図鑑の最初のページには「協力者に感謝を」という文言があり、ウィロウ家の名前が一番上に書いてあった。誇らしいとは若干違うような、嬉しいとも違うような、奇妙な気分である。


「サンダーソン伯爵がお見えになりました。当主様をお呼びです」


 お茶を淹れるために出て行ったはずのエイダが、来客の知らせと共に戻ってきた。


「なんだって? 伯爵が?」

「はい。客間にお通ししました」

「わかった。ありがとう」


 セドリックは急いで書斎を出た。休暇中のセドリックを訪ねてくるということは、それだけ火急の要件かもしれない。


「おお、セドリック。休暇中なのに突然悪かったな」


 ところが伯爵はちっとも慌てていなかったし、なんだか見るからに上機嫌だった。伯爵が先触れもなく訪問するくらいだから何事かと身構えたセドリックだったが、拍子抜けさせられる。


「君に良い報せを持ってきたぞ。一刻も早く報せたくてな。少し無作法をした」


 そう言いながらサンダーソン伯爵が取り出したのは一通の手紙。封蝋を確認したセドリックは瞠目する。その紋章は、国王だけが使える特別なものだったからだ。


「陛下から僕に何用で……!?」

「まあ読んでみなさい」


 セドリックは恐る恐るといった手つきで手紙の封を切る。その内容は、彼にとって間違いなく「良い報せ」であった。


 ──貴殿の名誉は回復された。セドリック・ウィロウ、我が国に忠誠を誓う騎士として、ここに承認する。


 マラキア王直筆の一文を、セドリックはひたすら凝視するだけであった。


 ウィロウ家の先祖を辿ると、貴族ではなく農民に行きつく。平民だった先祖が貴族に成り上がったのは、大昔の戦争で素晴らしい功績をおさめたからだった。以来、ウィロウ家の当主は騎士団に入り、引退する日まで誠実に従事することを家訓としてきたのである。

 ゆえにセドリックの亡き父も立派な騎士だった。セドリックは父に憧れ、尊敬し、必ず自分も父の背を追うと、子供心に決めていた。そうして物心ついた頃から父の訓練を受け、十八歳になると念願の騎士団入りを果たしたのである。

 セドリックは体格に恵まれており、さらに剣術の才能もあったため、驚異的なスピードで昇格していった。だが、堅物の彼が驕ることはなく、むしろ使命感に燃え、より厳しい鍛錬を自身に課した。才能のある者が努力を惜しまなければ無敵である。


 しかし栄光は長続きしなかった。それどころかセドリックは、念願だった騎士の道を断たれてしまうのだ。


 騎士は通常の任務のほか、闘技大会への出場を要請される。闘技大会とは、腕に覚えがある者達が一対一で戦い、頂点を競う大会で、平民も無料で観戦できることから、大衆の娯楽にもなっている。彼は頂点をとることに興味はなかったが、隊長クラスになると主催者側から声がかかる。部下達の士気も上がるだろうと言われては、断る理由はなかった。任務地に闘技場があれば彼は駆り出され、その都度あっさり優勝をもぎとっていった。

 あれが何回目の大会だったか、セドリックは覚えていない。ただあの時は、貴族出身の人間しか参加していなかった。そういうこともあるだろうと、深く考えなかったセドリックは、大会が始まる前に信じられないことを頼まれた。「この大会は◯◯家の令息が出る。彼を勝たせるように」と。露骨な八百長である。

 無論、セドリックは承知しなかった。彼は試合で手を抜くことを良しとせず、決勝戦であたったどこぞの令息を正々堂々倒したのである。

 セドリックは何も間違ったことはしていない。けれども彼が受けたのは賞賛ではなく、罵倒と屈辱だった。上官、同僚、部下、皆んなしてセドリックに食ってかかった。


「なんて事をしたんだ! なんで負けなかった!?」

「◯◯家の怒りを買ったらどうなるか、わかっているのか!?」

「そんなに優勝したかったのか!? こんな地方の大会で勝ったから何だって言うんだ!?」


 つい先刻までセドリックに友好的だった全員が、一斉に掌を返したのだ。友人だと思っていた相手にまで口汚く罵られたセドリックは、胸に痛みを覚えながらも毅然と告げた。


「もしこれが戦争だったとして、敵に『勝たせてくれ』と頭を下げられたら、君達はわざと負けるのか。今できない事が、有事の際にできるのか」


 彼の主張は嘲りと共に一蹴されて終わった。誰からも擁護してもらえず、セドリックは後ろ指をさされながら騎士団を辞めさせられた。

 負けた令息がセドリックを恨み、方々へ圧力をかけたのだ。しかも退団させただけでなく、再び入団試験を受けることができないよう、ご丁寧に根回しまでしていった。改めて一から始めようと考えていたセドリックは、名乗っただけで門前払いされたのである。

 まさに絶望。彼は目の前が真っ暗になった。騎士になること以外に生き甲斐を持たず、一心不乱に邁進きたのに、それが突然断たれてしまったのだ。辛うじて心を折らずに済んだのは、セドリックの父が肯定してくれたからだった。


「項垂れるな。不正に屈しなかったお前が正しい」


 そう背を叩いてくれた父が亡くなったのは、それから一年後だった。セドリックが不興を買った影響は、父にも及んでいた。父までも自主退団に追い込まれたのである。収入がほぼゼロになったウィロウ親子は、新たな仕事探しに奔走しなければならなかった。だが二人とも騎士以外の働き方を知らず、苦労を強いられた。その苦労の最中に父は突然倒れ、帰らぬ人となってしまったのだ。

 父の死は決してセドリックのせいなどではなかったが、それでも彼は自分を責めずにはいられなかった。父が死んだ日を境に、彼は一切笑わなくなった。


 もとから表情が豊かとは言い難い青年だったが、彼を子供の頃から知るサンダーソン伯爵には一目瞭然の変化であったという。

 セドリックは騎士団で起きた事を父にだけは打ち明けたが、その後は固く口を閉ざしてしまった。しかし念願を叶えて騎士になった青年が、理由も言わず港町に戻ってきたので、伯爵は不審に思ったのだ。それで独自に調査し、退団に至る経緯を把握したのである。とはいえサンダーソン伯爵の力でも、令息の悪行を覆すことはできなかった。

 だからウィロウ夫妻が拘留されていた間、伯爵はここぞとばかりに動いたのだ。夫妻の無実を訴えるのは当然として、過去にセドリックが受けた理不尽も、ここで正されるべきだと考えた。伯爵は五年前の出来事を訴える書状を提出し、義憤を覚えた国王により調査が行われた。こうして忌まわしい事件は清算されたのである。


「……感謝の言葉もありません。何と言っていいのか……」

「私がまだ若かった頃、君の父上には世話になってね。その恩を返さぬまま、彼は亡くなってしまったから……せめて君に恩返しさせてくれ」

「ありがとうございます……っ、もう騎士には戻れないと……諦めていました」

「私は自分が知っていることを書き送っただけさ。真の立役者は……おっと、来たみたいだぞ」


 書斎の扉をノックしたのはグレースだ。


「失礼します。領主様がいらしたとお聞きしましたが、今ご挨拶しても大丈夫でしょうか」


「構わないよ。入っておいで」と伯爵が言い終わるか否か、というところでセドリックが床を蹴っていた。グレースの視点から見ると、彼が一直線に突進してきたも同然だった。

 驚いて立ち尽くす彼女を気遣う余裕もなく、セドリックは小柄な体を抱擁するのであった。


「え……!? セドリック様?」


 片足が浮きそうになるくらい強く抱き寄せられたグレースは戸惑うばかりだ。伯爵の目もあるし、持ってきた便箋も取り落してしまったが、セドリックは放してくれそうにない。


「……」

「セドリック様……?」

「グレース……君が、来てくれたから……」

「そんなに鳥の便箋が重要だったとは思いませんでしたわ。でもお役に立てたのなら何よりです」


 グレースはまったく見当違いなことを口にする。いつもなら大真面目に返答をするところだが、セドリックは彼女を腕に抱いたまま黙りこくっていた。

 騎士であることが全てだったセドリック。それを奪われた日、暗闇の底に突き落とされる絶望感を味わった。立て続けに父までも喪い、どん底から這い上がることができないまま、ひっそりと日々を浪費するだけだった。でも、そんな時にグレースが来てくれた。

 彼女も辛い過去を抱え、心に深い傷を負っていた。だがセドリックと違ったのは、彼女はいつも笑顔に溢れていた事だ。それがいかに難しいことか、当事者にならなければ分かるまい。彼女と出会っていなかったら、セドリックが再び笑うことはなかっただろう。

 騎士への復帰を褒美として願うなんて思いつかなかったのは、きっと……グレースとの暮らしが充実していて、幸せを感じていたからだ。

 セドリックが小さく鼻をすする音を、サンダーソン伯爵は聞いていた。


「グレース殿。彼はしゃっくりが止まらなくて恥ずかしいようだ。おさまるまで、背中をさすってやってはもらえないかね」


 好いた女性の前で鼻水を垂らしては格好がつかない。セドリックの尊厳を慮った伯爵は、下手な芝居を打ってやった。しかしそう言うサンダーソン伯爵の目尻にも涙が浮かんでいた。不遇に苦しめられ、もがきながら生きてきた彼を知っているからこそ、自分のことのように喜ばしいのだ。


「お任せください! 包帯や湿布はぐちゃぐちゃにしてしまいますが、背中をさするくらいならお安いご用ですわ!」


 グレースは自分がもたらした幸運なんてちっとも知らず、出てもいない彼のしゃっくりが止まるよう祈るのであった。

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いえ、そうではなく包帯とシップぐちゃぐちゃで大変だなと思いまして。
ぐちゃぐちゃ……
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