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 亡国の王子に救いの手を差し伸べたとして、ウィロウ子爵家には国王から褒章が授けられる──という報せは、少し遅れて辺境の港町にも届いた。

 屋敷で留守番をしていたエイダが手紙を受け取った。確かに驚きの内容だったが、エイダにとっての朗報は、グレース達の無実が認められたことである。


「あの海賊みたいな人が王子様だったなんて、信じられないっすね。奥様はとんでもない方を連れて来たもんだ。これじゃあこの先、何を連れて来られても、文句は言えないですね」

「ご実家にいなくて良いんですか、カイルさん」


 カイルは実家で静養するはずが、たった一日でウィロウ家に戻ってきた。彼の怪我は見た目ほど酷くなく、順調に快方へ向かっているので動く事は構わない。だが、こういう時こそ実家でのんびり寝ているべきではなかろうか。エイダがそれを指摘すると、カイルは首を横に振るのだった。


「心配してくれるのはありがたいんですけど、うるさくてゆっくり寝られないですよ。大した怪我じゃないってわかった途端、こき使われましたし。ここの方がよっぽど静かで休めます」


 セドリック達が戻るのは、褒章の授与式を終えてからになるので、しばらくこの屋敷は静かだ。横になれる場所もたくさんあるし、静養するには向いているのかもしれない。

 さっそく大あくびをするカイルへ、何を思ったかエイダは頭を下げるのだった。


「……あの時、カイルさんの意思も聞かず、勝手なことを言って申し訳ありませんでした」

「えっ? な、何の話ですか? あの時って、まさか……」


 セドリックがグレースを連れて逃亡していたら、人質の命は間違いなく無かった。エイダは咄嗟に叫んでいたが、あの瞬間、自分の命だけでなく、カイルの命も危険に晒していたのだ。


「いやいや、あれが正解っす! あんなクソ親父に奥様が連れていかれたら一貫の終わりでしたって! エイダさんが言わなかったら、俺が言ってましたし! 多分! なんなら『エイダさん格好いいなぁ』とか思ってましたし!」

「格好いいって……なんですかそれ」


 らしくもなく必死な様子のカイルに、エイダはくすりと笑ってしまうのだった。


「と、とにかく気にしないでください。そんな風に言われなきゃ、思い当たらないような事です」

「私の気持ちの問題ですので」

「じゃあこの件はもう終わりで。それにしても、おっとりした奥様が人をぶっ叩くとは思いませんでしたよ。あんな風に怒ることもあるんすねぇ」

「グレース様の怒鳴り声なんて、私も初めて聞きました」

「やっぱりそうですか? 怒りとは無縁そうですもんね、奥様。あのクソ親父でさえ、キョトンとしちゃってましたよ」

「今頃、地団駄でも踏んでいるんじゃないですか。存在しなかったことにした娘が、国王陛下のお褒めにあずかったのですから。社交界でも肩身が狭いでしょう」

「後悔しても後の祭りっすね」

「いい気味です」


 悪口を好まないグレースの前で悪態はつけないので、二人はここぞとばかりに言いたい放題である。胸のすく話というのは、お茶請けに最適だ。


「あなたも災難でしたけれど、その分これから良い事がありますよ」


 紅茶のお代わりを注ぎながら、エイダはそんな事を言った。辛辣な物言いが多い彼女にしては、随分と優しい口調だった。


「……じゃあ、結婚してくださいって俺がお願いしたら『はい』って、言ってもらえるんですか?」


 エイダはティーカップをゆっくりと置いた。


「……それは私に言っています?」

「エイダさんに言ってます」


 鋭い視線で相手を観察したエイダは、彼に緊張の色がなく、いつもの眠そうな顔をしていると結論付ける。とはいえカイルが、こういう事を冗談で言ってくる人間とも思えず、たちまち結論が揺らぐ。つまるところ、エイダも真顔の下で混乱していた。美人と褒められることはあっても、彼女の冷淡な言動は敬遠され、求婚してくる男などいなかったのだ。


「私に結婚を申し込むに至った理由は何ですか」

「え、面接ですか? 年取って引退した後、こうやってダラダラお茶を飲む時にエイダさんがいてくれたらいいなって、思ったからです」

「茶飲み相手がほしいなら友人でも良いでしょう」

「エイダさんが別の男と結婚したら、気軽に誘えなくなるじゃないですか」

「私が独身を貫けば可能です」

「友人をもてなすためのお茶もいいですけど、俺は何てことのない日常の一杯が良いんです」


 カイルは巧妙に隠していただけで、本当は死ぬほど緊張している。見えないところは汗びっしょりだ。いい加減そうに見える彼だが、意外にも女性関係は清らかである。お付き合いした事もなければ、女友達と呼べる相手もいない。つまりカイルにとっては、一世一代の求婚なのだ。


「あと俺、エイダさんの尻に敷かれるなら、全然オッケーです。財布の紐も握ってもらって構わないっす。万に一つもないですけど俺が浮気したら、ちょん切られる覚悟もできてます」

「……」


 じとっとした視線を向けられ、カイルは心臓が破れそうだった。

 エイダは小さな吐息をつく。


「私はカイルさんのことをそういう対象として見たことがありません」


 これは脈無しかとカイルは肩を落としかけた。そう見えないだけで実は本気も本気だった分、落胆は大きい。しかしエイダが「ただ……」と言葉を続けたので、彼の目に微かな希望の火が灯る。


「本日よりそういう対象として、カイルさんを査定させていただこうと思います」

「査定? じゃあエイダさんのお眼鏡に叶えば……」

「今後のご活躍をお祈りします」

「それ、断る時のヤツっすね」


 声は素っ気ないものの、髪に隠れたエイダの耳は赤く染まっていた。

 暇さえあれば惰眠を貪るカイルは、その姿とは裏腹に、料理人という仕事に対してはいつも真剣だ。常日頃から工夫を凝らし、研究も怠らない。気怠げな顔が料理をする時だけは生き生きと輝く事。グレース達が美味しそうに食べる姿を、陰からこっそり眺めて喜んでいる事も、エイダは知っている。

 そして何より……土壇場での彼の勇気を見た。詳しい事は知らなかったはずなのに、グレース達のために命を張った。誰にでもできることではない。だからエイダは結婚について考えてあげない事もないのだ。


「とりあえず今夜は、エイダさんの好物を作りますよ。まずは胃袋から掴みます! 何が食べたいですか?」


 エイダは間髪入れずに「お肉です」と答える。彼女は結構がっつり食べる女性だった。料理人のカイルにとって、すこぶる作り甲斐のある相手と言えよう。


 その頃、遠く離れた王宮では、セドリックとグレースが国王から褒章を受け取ったところだった。緊張で息も絶え絶えな夫の隣には、ぎゅっと手を握って微笑む頼もしい妻の姿があったそうだ。


 ウィロウ家の住人が揃った日は、それはもう賑やかであった。

 グレースは土産話をどっさり持ち帰ってきたし、セドリックには褒美として強制的に持たされた土産が、これまたどっさりあった。


「馬!? もらったんすか!? はぁ、すごいっすね。でも馬小屋はどうするんすか」

「職人が同行してきているから、これから建てるらしい。馬車も一台、下賜された」

「職人て……国王陛下は太っ腹っすねぇ。ついでにお屋敷の修繕もお願いしたらどうですか」

「それもそうだな。あとで相談しよう」

「この荷物は何ですか?」

「絨毯とテーブルクロスだ」

「えぇ……どんだけあるんすか……」


 これでも遠慮してきたのだが、国王陛下の気持ちをあまり無下にはできず、褒美の品々を持ち帰ることになったのだ。


「両陛下にお会いできただけでも名誉ですのに、義に篤い方でいらっしゃるんだわ。あっ、これはエイダにあげるわね。王都で流行っている布地なんですって」

「すごく良い品ですが、私が頂いていいのですか?」

「わたしのお裁縫の腕前は知ってるでしょう? だからエイダに押し付けているの」

「ではありがたく押し付けられるとします」

「それでね、王宮思いがけない名前を聞いたのよ。誰だかわかる?」

「さあ……どなたですか?」

「ハロルドさんよ! 王妃様は動物がお好きで、ハロルドさんが執筆した論文は全部目を通しておられると仰っていたわ。それで最新の論文に『ウィロウ家の寛大なご協力に感謝を』って書いてあったから、わたし達のことを少し前からご存知だったそうなの。王妃様も驚いたと仰っていたけれど、わたしもびっくりしたわ!」

「著名な方だったんですね……いまだに信じられない自分がいますが」

「式典にはエバーハート公爵もいらっしゃったのよ。御前での礼儀作法や、式典の流れとか、色々と親切に助言してくださったおかげで、大きな粗相もせずに済んだわ。正装も快く貸してくださったの。今度、茶器をお貸しする時は割引きして差し上げないといけないわね」

「そうですね」

「ヴァレリアン殿下がまたここを訪ねたいと、お話しされていたわ。船員の皆様と一緒に来てくださると嬉しいわね。とても楽しかったもの。船の旅はしばらくお休みだそうよ。二十年も波に揺られていたから、そろそろ固い地面が恋しいのですって。でも陸地にいれば、お野菜が手に入らなくて困ることはないわね」


 国王から直々にお褒めの言葉を頂戴したというのに、セドリックもグレースも普段通りだ。むしろ、港町のほうが落ち着くなんて言い、王宮での贅沢なひと時を自慢する気はさらさら無いらしい。


「ねぇ、エイダ。セドリック様とわたし、両陛下から『素敵な夫婦だ』って言われたのよ! わたしは国王陛下公認の『お飾りの妻』になれたってことかしら! 万年落第点のわたしにしては快挙じゃない?」


 グレースが明るく笑う横では、使用人達から白い目を向けられ、セドリックが項垂れていた。ウィロウ家の日常が戻ってきた証拠である。

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