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 グレースが想像していた牢屋とは、石畳みの冷たい壁と床に小さな窓、それから鉄格子だ。でも彼女がいる部屋は窓こそ小さめだが、石畳みでもなければ鉄格子もなかった。

 彼女が牢屋だと勘違いしているこの場所は、騎士団の詰め所の一室である。田舎の港町に監獄なんか無いため、罪人は一時的にここで拘留されるのだ。もちろんセドリックも別の部屋にいる。

 捕まった日の夜遅く、サンダーソン伯爵が面会に訪れた。セドリックが着替えの服をとりに帰ったまま戻ってこないので、探しに来てくれたらしい。真面目なセドリックが途中で仕事を投げ出すなんて、よほどの事があったに違いないと思ったという。それで発見したは良いものの、夫婦仲良くお縄になっているのだから、伯爵は仰天してひっくり返りそうになった。事情を聞いた伯爵は「何とかする」と請け負ってくれたが、相手はあのフォルトナト侯爵家だ。一筋縄ではいかないだろう。


 グレースが部屋から出されたのは、それから一週間後だった。見張りの騎士に連れられ、詰め所の出口まで歩く。そこには黒い馬車が停まっていた。


「グレース!」


 同じように連れて来られたセドリックに呼ばれ、グレースは顔を輝かせる。


「セドリック様!」


 今にも駆け出しそうだった彼女を、セドリックは「走ると危ない」と言い、急いで停止させた。運動音痴が拘束された状態で走ったりしたら、顔面から転ぶ未来しか見えない。彼の方から足早に近付いていく。


「眠れていたか? 食事はちゃんと摂れたか?」

「はい! わたし、どこでも眠ることができますし、何でも食べます!」

「口に入れるものは、よく見た方がいい」


 彼はグレースがやつれていないか、無理をしていないか、つぶさに観察した。彼女の元気は失われていない事を確認から、セドリックは小さく息を吐くのだった。


「それでわたし達はこれからどこへ行くのでしょう?」

「どこかの町の監獄へ護送されるのだろう」


 馬車を見回したセドリックは怪訝な表情になった。護送用の馬車にしてはやけに立派なような。これでも貴族の端くれだから、騎士団が気を遣ってくれたのだろうか。

 不可解なことは続いた。セドリック達は馬車に乗る前に、拘束を解かれて両手が自由になったのだ。非力なグレースはまだしも、セドリックの縄を外すのはあり得ない。彼は素手で騎士を昏倒させるほどの腕力があり、足腰も強靭だ。これではどうぞ脱走してくださいと言っているようなものである。


「馬車に乗る時は外してもらえるのですね」

「いや、そんなはずはない」


 グレースは疑問にさえ感じないようだが、セドリックは強い違和感を覚えた。何かがおかしい。絶対におかしいと異変を感じながらも、抵抗はできなかった。彼女を残してセドリックが脱走することはない、と見透かされているのだろうか。ともかく二人を収容した馬車はつつがなく出発した。


「馬車にも檻がついているのかと思っていましたけど、案外普通ですね」

「……普通は窓に囲いがついているし、手枷や足枷が外されることもない」

「えっ? そうなのですか? わたし達、模範囚だったのでしょうか」

「模範を示せる機会があったか……?」


 最初は訝しんでいたセドリックも、グレースの能天気さにかかると感覚が麻痺してきた。徐々に馬車旅を楽しむ雰囲気へと流されていく。


「あれはお祭りかしら。楽しそうですね」

「収穫祭はもう少し先だが、この辺りは早めに開催するのかもな」

「セドリック様はお祭りに参加されるのですか?」

「ああ。サンダーソン伯が取り仕切る催事には、顔を出すようにしている」

「では主催者側ですね。わたしは参加者として伯父様達に連れていってもらいましたわ。実家の近くだけじゃなくて、少し遠出して大きなお祭りにも行ったことがあります。楽しかったですわ」

「そうか。良い思い出だな」

「はい! 一度、迷子になってからは絶対に手を離さないよう厳命されていました」

「……うん」

「でも当時のわたしは、手を繋ぐ理由ができて嬉しかったんですよ。そう話したら『繋ぎたいと思ったらいつでも繋いだらいい、家族なんだから』って言ってくださって……それが何よりも嬉しかったのを覚えています」

「……僕も繋いでいいか?」


 セドリックが控えめに許しを求めると、彼女はひと瞬きした後、可憐に顔を綻ばせるのだった。


「はい! いつでもどうぞ! わたし達は夫婦ですもの!」

「ありがとう」

「あっ、『お飾りの』が抜けていましたわ! すみません、わたしったら」

「……」


 華奢な手を握りながらセドリックは天を仰ぐしかなかった。


 二人は護送という名目で移動させられたはずだ。しかしグレースに言わせると五日間に及ぶ移動は「旅行みたいでしたわ」との事である。確かに、休憩は必要かこまめに尋ねられたし、夜は宿で休ませてもらえた。率直に言って快適であった。セドリックは違和感を強めながらも、騎士を下手に刺激しないよう、黙ってグレースのそばにいた。

 そして二人が降り立った場所には、監獄なんて存在しなかったのである。


「まあ……近頃の監獄は、お城のような造りなのですね。知らなかったです」


 彼女の眼はちゃんと「城」だと捉えているのに、頭では何故か監獄だと思い込んでいる。


「いや……どう見ても城だろう、これは……」


 眼前に聳え立つのは、紛うことなき王宮だ。間近で目にするのは初めてだった。辺境で暮らすセドリックは言わずもがな。グレースも遠目にちらりと見たことがあるだけだ。当然、中へ入ったことなどある訳ない。王宮に入ることができる人間はごく限られている。

 やがて親衛隊が二人を迎えに出てきたのだが、とても捕縛されるような雰囲気ではない。「さあ、どうぞ」と入場を穏やかに促される。二人は訳もわからず、歩き始めた。人間は何も考えられないほど混乱すると、簡単に他人の言いなりになるらしい。


 いったいどこまで歩かされるのか。セドリックは謎を抱えたまま、ひたすら足を動かすしかなかった。片やグレースは視線を忙しく動かしている。王宮の内部なんて滅多にお目にかかれるものではない。すでに彼女は動揺より、好奇心が勝っていた。

 セドリックの思考はこんがらがっていたが、隣にいる彼女のことはきちんと心に留めていた。観察に夢中な彼女が転ばないよう、優しく手を取ることを忘れていなかったのだ。


 先導していた親衛隊は、ある部屋の前で止まり「お連れいたしました」と、室内にいるであろう人物へ取り次ぐ。そのあとで入室するよう言われた二人は、大人しく部屋の中へと入っていくのだった。


「また二人に会えて嬉しいですよ」


 なんとそこに座っていたのは、あのヴァンであった。思わぬ場所での再会もさることながら、ヴァンのいでたちが見違えるようだった。異国の装いであるが、見るからに高貴な作りである。この格好ならばたとえ「頭領」と呼ばれても、海賊に間違われることはないだろう。

 二人が仲良く手を繋ぎながら、同じように目をまん丸にする様子が面白かったのか、ヴァンはくすりと笑う。


「驚かせようとは思っていましたが、それほどびっくりしてもらえるとは」

「どうして、こちらに……いえ、それより僕達は今……」

「少々強引になってしまったのはお詫びします。とりあえず話をさせてもらえませんか」


 ふかふかの長椅子に腰掛けた二人は、依然として目を瞬かせている。


「まずはきちんと自己紹介をさせてください。私は名をヴァレリアン・ギロ・ジェレマイアと言います。二十二年前に滅んだギロ国の……最後の王族です」


 ヴァンことヴァレリアンが生まれ育ったギロ国は、海の上に浮かぶ小さな島国だった。しかし二十二年前、何の前触れもなく突然に、彼は帰る国を失ったのである。


 ギロ国は地理的にさして価値のない国と見られていた。軍事力も弱く、列国から脅威と見なされることはなかった。だが上質な真珠や珊瑚がとれる事に目をつけた他国の王が、宣戦布告も無しに大軍を送り込んできたのである。

 あれは一夜の出来事だった。老若男女を問わず、見つかった者は例外なく殺された。家の中は隅々まで荒らされ、仕舞ってあった財宝は根こそぎ奪われた。ヴァレリアン達になす術はなかった。一方的に強奪され、惨殺されていくだけだった。

 ヴァレリアンの命を繋いだのは彼の姉であった。両親はすでに殺された後だった。姉は命がけでヴァレリアンを島から逃がしてくれたのである。意識を失いかけながら真っ暗な海を漂っていた彼は、やがて無人島に漂着し、助かることとなった。同じように漂流し、辛うじて助かった人間は彼を含めて八人であった。


「帰る故郷も、迎えてくれる家族や民も、私にはもういません。共に死んでいればと何度思ったことか……だが姉の犠牲を思うと、この命を粗末に扱うことはできなかった。それで生き残った八人で旅に出たのです。残酷な世の中にはうんざりしました。極力関わりたくありませんでした」


 あまりに悲惨で、壮絶な体験だった。静かな話ぶりが余計に痛ましく、セドリックとグレースは口を噤んで聞き入るしかない。


「二十年以上、世間を遠ざけて生きてきました。あなた方に出会わなければ、私はまだ海の上にいたことでしょう」


 ヴァレリアンはウィロウ家をお暇した後、これまで近寄ろうともしなかった故郷へ行ったと言う。


「あなた方の姿が遠い昔に見た姉と、その婚約者に似ている気がして……本当に久方ぶりに故郷が懐かしくなったんです。目を背け続けてきた現実と向き合うのは今しかないと決心しました。行ったところで取り残された骸を見るだけだろうと覚悟していましたが……違いました」


 セドリック達が暮らすマラキア国は、何代も続くギロ国の交易相手であった。特にヴァレリアンの父と、現マラキア王は友人と呼び合う仲だった。

 マラキア王が報せを受けたのは、ギロ国は滅亡した後だ。国王は嘆き悲しみながらも、放置されたままの亡骸を丁重に埋葬するよう手を尽くし、慰霊碑を建てさせた。そして亡き友人と民が安らかに眠ることができるよう、海上の防衛を強化し、現在に至るまで島の静寂を守ってきたのだ。

 静かな穏やかさだけが満ちる島で、ヴァレリアンはマラキア王が「消えた王子の行方を今も探している」と知った。


「その瞬間、グレース殿の言葉が不意に蘇ったのです。私にも、私を助けようと力を尽くしてくれた方がいると……絶望して諦めるのは早かったんです。どんなに辛い世の中でも必ず希望は残っている。ならば私がすべき事は、すぐにでも名乗り出て感謝を伝えることでした。それで、ここへ来たのです」


 ふらりと現れたヴァレリアンに対し、マラキア王は感涙を流して、友人の忘れ形見を抱擁したそうだ。復位を勧められたヴァレリアンであったが、それは辞退した。滅んだ国の王子が今さら名乗り出たところで、無用な混乱を招くだけだ。この国で暮らせるよう、便宜をはかってもらう以上のことは望まなかった。


「今後の身の振り方が決まったゆえ、改めてウィロウ夫妻に会いたいと思っていたら……何やら大変なことになっていたようですね」


 彼自身の話から、ウィロウ家の話に移った直後、ヴァレリアンは愉快そうな表情に変わった。これは事の全貌を知っている顔である。


「ついこの間、共に食事を囲んだ夫妻が、犯罪者として捕まっていると聞いた時は耳を疑いました。ああ、その事ならもう心配はいりません。マラキア王が介入され、二人の潔白は証明されています。監獄送りになることはありませんよ」


 父親を引っ叩いた程度でいちいち捕まえていたら、牢屋がいくつあっても足りない。セドリックのほうも正当防衛が認められた。


「こっ、国王陛下が!?」

「それならどうして、わたし達は王宮へ?」

「王子と明かしたからには、私も以前のようにフラフラできませんから。その点、王宮なら二人と話すにも色々と都合も良かったんです」

「い、色々……とは?」

「今回の功績を讃えてウィロウ家に褒章を授与する、とマラキア王は仰せでしたよ。ついでですし、このまま式典に出席してください」

「ほっ、褒章!?」

「まあ! とびきりの名誉ですわね! すごい事ですわセドリック様!」


 冷静沈着そうなセドリックは慌てふためき、感情豊かなグレースが意外にも堂々としている。それが可笑しくてヴァレリアンはとうとう声に出して笑ってしまう。

 しかしヴァレリアンはこれでも相当憤っていたのである。自分達に親切にしてくれた夫妻が危機に陥れられたと聞けば、とても穏やかではいられなかった。共に話を聞いていた船員達など、詰め所に乗り込もうと息巻く始末だった。二人を助けるべく国王と共に事態の解決を急いだが、拘留を解くのに時間がかかってしまった。仮にセドリックとグレースが憔悴でもしていようものなら、彼の怒りは倍増したに違いない。だが二人の様子に変わりはなく……むしろ仲睦まじく寄り添っていたので、ヴァレリアンは溜飲を下げることができたのである。


「国王陛下の御前に出る……? 僕達が……?」

「エイダ達に詰め所にはもういないって報せなくてはいけませんね。知らずに差し入れを持ってきたら、もぬけの殻でびっくりしてしまいますもの」

「心配するところが違う」

「あっ! そうですわね。わたし達、正装をお借りしなければいけませんわ」

「そうじゃなくてだな……いや、それもそうか」


 二人に渡した珊瑚のお守りは、結婚を目前に控えていた亡き姉の手作りである。だが今それを教えたら、セドリックが失神してしまいそうだ。ヴァレリアンは秘密を胸にしまい、若き夫婦を見守りながら目を細めたのだった。

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王宮から馬車で昼寝するぐらいの距離?辺境と言うには近過ぎでは?
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