1 貧血少年・冷血少女①
さて。ここに、今にも倒れそうな少年が1人。
大きな二重の目。小作りな鼻。赤く形のよい小さな口。
高2にもなって、中学生と間違われる童顔である。
当たり前のように、背も低かった。
名前は赤羽 牙。17歳。
その10人中く10人が「かわいー」とハートマークつきで言いそうな童顔を青白くし、彼はへばっていた。
先程からずっと、街路灯に手を当ててしゃがみ込んでいる。
街路灯とラブシーンできそうなくらいだ。
胸に手を当て、動悸と戦い、必死に息切れを抑えようとしている。
「はぁはぁはぁ……」
このまま放っておくと死んでしまうかもしれない。
━━と心配になるほどに時が経って、牙はやっと立ち上がった。
重い頭を押さえ、めまいのせいでおぼつかない足取りで、健気に歩を進める。
頭上には痛いくらい眩しい太陽。
━━夏。
彼には一番辛い季節だ。
「はぁ……ふぅ……あと少し、あと少し歩けば学校だ……。
あぁ、これで1週間連続で遅刻だぁ……」
言ってるそばから、大きな黒目がちの瞳から、透明な涙が落ちてくる。
それを半袖のワイシャツで拭い、ブルーのスラックスと黒のスポーツシューズを動かし、彼はただ懸命に歩き続ける。
「はぁはぁはぁ」
しばし休憩。
「ちきしょー。負けないぞぉ……‼︎」
また、泣きながら歩く。
「はぁはぁはぁはぁ。なんで、うちの学校、坂の上にあるんだぁ」
っていうか、丘の上の学校なのである。
緑豊かで、それは素晴らしいのだが、毎朝毎朝登っていくのは大変なのだ。
「はぁはぁはぁ。もう、死にそう……」
すでに辺りには、こいつ以外の生徒はいない。
完璧に遅刻だ。
早くしないと、1時限目終了のチャイムが鳴ってしまうかも。
「ちきしょおぉぉ。あ、あとちょい……」
――それを何度か繰り返す。
やっと、開かれた正門が鼻先に迫る距離になった。
「あぁやったぜえええ!」
正門横の壁にもたれかかって座り込み、牙は相変わらず色の悪い顔に、一仕事終わった人のさわやかな笑顔なんか浮かべたりする。
しばらく、そのさわやか気分に浸ってから、
「はっ! なにやってんだ僕は‼︎ まだ何もやってないじゃないか」
そう、これから彼には授業という、つら~い拘束タイムが待っているのである。
本当にコイツ大丈夫か? 授業中ぶっ倒れて保健室運ばれんじゃないかって顔のまま、青い鞄を抱え直して起き上がった牙は――しかぁし、校舎に近づくに連れ、なんでだかちょっと元気になった。
背筋がなにげに伸び、頬にも心なしか朱が差し、目なんか、なんと! ハートマークにチェンジしている。
「双葉さん双葉さん双葉さん」
謎の呪文ならぬ、名前を繰り返し、牙は、心は意気揚々と━━でも足取りはまだまだ危なげに、目指す2年F組の教室に向かった。
無情なチャイムが鳴った。
牙が教室に入ったか入れなかったか本当は永遠の謎なんじゃってくらいほんとにほんのちょこ~っとの差だった。
だが、異常な程に時間を守る数学教師(35歳、独身。お嫁さん募集中)は、授業を打ち切り、号令と共にクラスメートが立ち上がり、先生にお別れなんかを言って、授業は終了してしまった。
「はぅ! また1時間目に間に合わなかった」
教室に一歩踏み込んだまま、頭を抱えて途方に暮れる牙に、数学教師の松井ちゃんが赤いポロシャツも鮮やかに、笑顔で近づいて、
「おぅ、赤羽。また遅刻だな。このままだと、今年の夏休みも補習でつぶれるな」
牙のハートにキューピッド真っ青な毒矢を刺して去っていった。
「あぁあ、補習はいやだ~」
小学校低学年の子みたいに大声上げて泣きそうな牙に、気のいいクラスメートたちが声をかけてきた。
実際、寄ってきたヤツもいた。
「よっ、赤羽。おはよう」
「大丈夫かよ、また貧血でヤバかったんだろ?
保健室で寝てたほうがいいんじゃねぇ?」
「牙って、朝弱いんだろ?」
「あ、あたし、鞄持ってあげよっか」
「ほら、これ。さっきの松井ちゃんの数学、ノートとっといてやったぜ」
牙は済まなそうに微笑んだ。
「あ、ありがと……」
なぜか、白いブラウスに青いベストとスカートの女子たちに、鞄持ってもらったり支えてもらったりしつつ、牙は川に流されるように自分の席に連れていかれてく。
血が登らず頭真っ白な牙には彼女らに抗えるはずもない。
眠そうな、惚けた顔の牙の目がなんとなく泳いだ。
その先には机に頬杖をついてこちらを見上げるクールな少女がいた。
━━その瞬間、牙の背筋が6センチばかり伸びた。
(双葉さん!!)
貧血とは違う理由で、牙の心臓が跳ねた。
女子たちに席に着かされ囲まれた牙は、その隙間から、「双葉さん」を見つめた。
彼女はすぐ興味なさそうに牙から目を逸らし、彼女の隣にいる某女の子の話に耳を傾けた。
「でも、ほんと、牙くんって、体弱いよね」
「今日の体育大丈夫?」
「牙くんってほんと、いつ見てもかわいー」
「――違うよっ‼︎」
周りの少女たちの言葉に、牙が声を荒らげた。
っても、高くってかわいい声なんだけど。
「ぼ、僕、弱くなんかない‼︎ かわいくなんかないもんっ‼︎」
牙はそう言って、また彼女――双葉をかいま見た。
要するに、彼女のそばでそう言われたのが、嫌だったんだろうな。
しかし、少女らは声を上げて笑った。
「やだー、牙くんたら、かわいー」
「かっ、かわいくなんかないってば‼︎」
だが、それに頷くヤツはいなかった……。




