3 秘密と嘘(結末)
「……い、おい!」
「んー? ……はっ⁈」
ビーチィーな声と、腹にこれでもかってくらい受けた衝撃に、牙は大きな黒瞳を開けた。
頭上に、相変わらず冷静な顔で自分を見つめる、彼女がいた。
牙は飛び起きた。
「ふっ、双葉さん⁈ な、なぜ⁈ これって夢?
あぁっ⁈ それとも天国⁈
父さん母さんついでに姉ちゃん、先立ってしまった親不孝な僕をお許し……うげっ⁈」
「やかましい!!」
牙の腹に右ストレートが炸裂した。
牙は再びダウンした。
「宇宙人もびっくりな声を上げといて何をボケたことを言う。
いくら『冷血双葉』だって心配するでしょう」
冷たい――一瞬で人類を滅亡させそうな声だった。
でも牙は、めちゃくちゃ感動した‼︎
「ふっ、双葉さんが、僕のこと、心配してくれたぁ‼︎」
牙の涙が、虹を作った。やっぱりここは天国かもしれない。
にしては、見慣れた学校の丘だけど。
「うるさいな。ほら、立って。歩くよ。
早くしないと、本日入荷の五つ星新作ビデオ『星と映画と私とあなた』と、『誰も知らないほんとの私』『むかつくから宇宙全部クラッシャー』借りられなくなる」
「は、はぁ……?」
牙は双葉と、丘を下っていくことになった。
その手に引きずられて、ギネスに載るスキーヤーも叶わぬ滑りで、一気に丘下りさせれるかと思われたが、言葉とは裏腹に、牙に合わせ、双葉は歩調を緩やかにしてくれている。
あぁ憧れの双葉さんの腕が、僕の肩にかかってる。
こんなこと、初めてだ。
双葉さんって柔らかいなぁ。それにいい香り……。
瞳閉じて、幸せ噛み締める牙。
とろろ芋もとろろ昆布も真っ青に、とろけてまう。
あれ? でも、待てよ。確かおとといもこんなことあった。
確かアレは、どっかの階段で━━。
それにこの、柑橘類の香りは……。
幸せボケした牙の頭がやっと回り始めた。
夢にまで見た双葉のドアップを見つめる。
「……若木?」
双葉のブラウスの下の肩が跳ねた。足まで止まった。
「…………」
「…………」
沈黙のまま、日が暮れるかと思われた。
でも、双葉は何事もなかったように、牙を支え、再び歩きだした。
牙は大きく息を吸い込んだ。
「双葉さん……。僕、吸血鬼、なんだ……」
双葉の体が震えた。
「でも、吸血鬼っていってもさ、近頃のはさ、必死に人類と共存しようと……生き残ろうとしてさ、血だって極力吸わないようにして、吸ったって、相手殺すとかしもべにしたりとか、しないようにしてさ、この人間社会に順応して生きていこうとしてるんだ」
「…………」
「あ、でもさ、なんでだか、僕は昔っから、男の人の血じゃないとだめでさ……。
変わってんだ、僕」
双葉は微笑した。
「赤羽って、好き嫌い多そうだもんな」
「え……?」
「なんで赤羽が貧血少年の名を欲しいままにしてるのか、どうしてあんなにあの映画の吸血鬼の肩を持つのか、よーくわかったぜ」
双葉の可憐なヴォイスが、いつもとは違う口調で言葉を奏でる。
でも不思議とあんま違和感はなかった。逡巡の後、牙はこう言った。
「怖くないの……?」
「なにが?」
「だって僕、それでも、吸血鬼なんだよ?」
「そりゃ、怖いけど……」
双葉は束の間、黄昏には少し早い空を見上げ、
「でも、赤羽は赤羽じゃん?」
牙の黒い瞳に向けてそう言った。
「ありがと……」
牙は泣いた。でも目は嬉しそうに笑ってる。
「でさ……あのさ」
すごく訊きづらそうに、牙は訊いた。
「ってことは、もしかして……双葉さんは、二重人格?」
海山双葉と海山若木。二人は一つの体を共同する二重人格者だった‼︎
事件のナゾを説いた吸血貧血少年探偵。高鳴るBGM。泣き崩れる犯人。探偵のかっこいいアップを最後に、幕が閉じられる。読めないけどかっこいい英語のテロップ。流れるスタッフロール。
エンディングテーマはもちろん大ヒット間違いなしの、超感動的なヤツ‼︎
「ちげーよボケ」
牙の妄想を、双葉はその一言で、一刀両断に粉砕した。
「えっ⁈ 違うのぉ⁈」
牙は、月のウサギと仲良くなって餅もらえそうな勢いで飛び上がって驚いた。
「二重人格はおまえのほうだろ」
「えー? そぉかなぁ?
僕はただ血が足りなくなると、そんで特に夜だと、なんか意識飛んじゃって、でも、それだけなのになぁ?
その間やってることは覚えてないけどさぁ?」
「自覚症状なし。……末期かな。あと半年の命だな」
双葉はクールにジョークを飛ばした。
「俺の場合はさ、正真正銘、人格は一つだよ。変わんのはさ、性別だけ」
「えー⁈ マジ⁈」
「じゃあさ、おまえ、今の女の双葉の姿と、男の若木んときの俺、全く同じに見えるか?」
考えた。若木は細いけど、双葉さんより背は高い。肩幅だってもっとあるし、あれとかこれとかもきっと違うし、若木の胸は双葉さんみたいに膨らんでいない‼︎(当たり前だ)
「じゃあさ、人格と一緒に性別も変わる?」
あくまで二重人格説にこだわる貧血探偵。
「フッ。笑わすなよ迷探偵。ってか、ちゃんと人の話を聞け。違うっていってんだろーが。
……じゃあさ、いつものいい子ちゃんのクール双葉が、こんなふうに『俺』とかいうか?」
言わない。双葉の一人称のトップは「あたし」だ。対抗が「私」。あるいは「わたし」。少なくても「あっし」ってのは聞いた覚えがない。
「俺」……? それこそ笑わせんな。んなの絶対聞いたことない。……今までは。
でも、こうして目の前で言われると、「俺」ってのもクールな彼女にはナイスマッチだ。
「━━いい子ちゃん?」
初耳だ。そんなふうに双葉を評すヤツはいない……。
たぶん、本人だけだ。
「うっせぇな。少なくとも、俺はそう思ってんだよ」
「……そうですか」
「俺さ、捨て子だったんだ」
いきなりハードな話題だった。ギャグもボケも瞬く間もなく新種のウィルスに感染させて全滅させないといけないかもしれない。
牙はとりあえず息殺して、若木を見つめた。
……酸素が足りなくなったから、すぐやめた。
「赤ん坊のとき、捨てられて、『青空園』って児童福祉施設の前に置き去りにされてた。
それを園長先生とか先生方なんかが見つけてくれて、俺はそこで━━小3の夏まで過ごした」
「……そうだったんだ」
それ以外言えなかった。
「捨てられる前はどうだったかは知らないけど、少なくとも、そこで過ごした間、俺はずっと男だった。……だから、俺は自分のこと、今でも本当は男だと思ってる」
「え……」
それは困ることだった。どこからどう見ても━━、今だってこんな間近にいて、こんな話題じゃなかったら、気絶しそうなくらい動悸息切れさせて牙をときめかす「双葉さん」が━━、胸だってちゃんと豊かに膨らんでる「双葉さん」が━━、自分のこと男だと思ってるなんて……。
「ガキの頃だから、いつもちゃんづけで呼ばれててさ、『双葉ちゃん、双葉ちゃん』って。よく女と間違われてたけど」
「え⁈ あれ⁈ 双葉って――男なのに?」
「そ。双葉が本名。若木が偽名。
園長先生がつけてくれたんだけどさ。男に双葉はねーよな。
ってか、俺疑ってんだけどさ、先生も女と間違って名前つけたんじゃねーかな」
「……なんか、わかる」
「でさ、まー、ありがちな話。ある子供に恵まれない夫婦がさ、ある日『青空園』を訪ねてきたわけ。
そう。 誰か子供を引き取って、自分たちの養子にするためにさ。
それが俺の養父と養母……。海山ってのは、父さんと母さんからもらった苗字な」
「……うん……」
「俺はさ、そりゃあ反抗したりもしたけど、ガキだったからさ、やっぱ両親いるってのは嬉しくてさ、結構すぐ親になついちまった。
家ん中に自分だけの部屋もらって、服とかおもちゃとかいっぱい買ってもらった。
でも、俺はそんなのより、父さんと母さんが笑ってくれればそれで幸せだった」
「う、うん……」
いい話だ。牙は涙をこらえた。
「けど、あのクソ親━━‼︎」
「へ?」
「間違えたんだ。
俺を女と間違いやがって引き取ったんだ。
昔から、あいつら俺がいないと3日でのたれ死ぬほど抜けてたからな。
あいつら、女の子が死ぬほど欲しかったとかぼざきやがったんだ‼︎
俺そんなこと全然知らなかった。ある日星があんまり綺麗だから夜更かししてたら、両親がんなこと言ってるの聞いちまって――で、家を飛び出した!
最悪だった。ロリコン変態男につけ回されるわ、補導されそうになるわ、犬に噛まれるわ! ━━そう、あの犬のせいだよ! 俺、なんかに噛みつかれるの死ぬほど――泣くほどヤなんだよっ‼︎」
「……すみません」
牙は謝った。血も涙もなく、絶対泣かないと評判の双葉の、おとといの涙の謎が解けた。
「俺もう、悔しくってさ、悲しくってさ、すげー泣いた。
泣かない子って評判だったのに、その株大暴落させて、泣きに泣いた。
俺ってこんな泣けるのかって、自分でも驚いたくらい。
━━捨てられるって思ったんだ。また捨てられるって……。
女じゃないから、俺なんていらないんだって思った」
「そんな……」
「今思うと、女ってだけで――俺だからってんじゃなくて、女ってだけで要るなんてのも、癪に障るけど。
とにかく俺は女にならなきゃいけないんだと思った。で、泣いて泣いて気づいたら、女になってた。
でも、そんなすぐ帰れねーしよ。結局、他に行くとこなくて『青空園』行ったら、すぐ親が飛んできて亜光速で家に連れ戻された。
━━それ以来、俺は、泣くと性別が入れ替わるマンガチックな体になっちまった」
「――そ、それだけ……?」
「それだけってなんだよ? ノアの箱船だって沈める涙々のマイメモリーを‼︎
てっめー、泣き虫のくせに、このとっときトップシークレットな俺の話でなぜ泣かんっ⁈」
「いや、その、だって……」
うーむ。海山双葉(またの名を若木)。マッドサイエンティストに知れたら、嬉々として人体解剖されること間違いなしの、貴重な逸材だ。
「む・か・つ・く。なんだその疑わしげな目⁈
おまえのほうが、吸血鬼なんてホラーチックで胡散臭いぞ‼︎」
「胡散臭くなんかないっ‼︎ 僕は吸血鬼の知り合い一杯いるもん!
実は家族も全員そうなんだけど。みんないいヤツだもんっ‼︎」
「悪かったな〜。どうせ俺はオンリーロンリーな性転換施術代いらずヤローだよっ‼︎ でも、人様の、それも男の血しか吸わんホモ吸血鬼には言われたかないね」
「だれがホモだぁぁぁぁぁっ‼︎」
しばらく不毛な争いが続いた。
先に息切らしてへばったのは、言うまでもなく牙だった。
「はぁはぁ……。で……、なんだっけ?」
そろそろ丘の下のコンビニが見えてきた。
二人は誘うコンビニを無視し、太陽公園へ足を向けた。
丘が終わったので、牙は支えてもらうのはやめ、一人で歩くことにした。
「だから、あのタコ親たちのせいで、俺はその後だな、表向き、女として生きてきたわけ」
「なんで? 海山……じゃない双葉さん。なんか口調がその――若木なのに姿が双葉さんだから、わけわかんなくなってきた」
「若木でいいよ。
だって俺、園長先生には悪いけど、双葉って名前、女みたいでイヤだからさ。……悪い名前ではないと思うけど」
「いや、ビューティーでミルキー(?)な、いい名前だと思うよ。うん。
━━じゃさ、若木。若木がさ、自分で男だと思ってるなら、なんで男として生きなかったんだよ?
そのせいで僕……双葉さんのこと……くぅぅぅぅ〜。
親に女じゃないと育ててやらないとかっていわれたのか⁈
ちっ、なんて親だ……‼︎」
「いや、違うんだ。選んだのは、俺だから。
父さんたちは、男でも女でもいいって、俺たちはもう家族だからって、そういってくれた。
━━自分で言ったんだ。女として生きるって」
「……」
「赤羽の言うとおり。俺、男として生きればよかった。
俺、ほんとは弱虫なんだ……。言えなかったんだ。父さんたちをがっかりさせたくないとか、捨てられたくないとかそんなんじゃなくて━━ただ━━ 勇気が、なかったんだ」
「若木……」
「俺はばかだからさ、学校でも家でもできる限り女として過ごして、できるだけいい子になろうとした。
勉強もスポーツも――特に走んのなんかがんばって……けど、なんか息苦しくて。
ばかだよな。誰にそうしろっていわれたんじゃない。自分で勝手にやっただけなのに。
けど、いい子の冷血双葉ってイメージが定着しちまってさ、なんかほんとはそうじゃないのに、今さら変えらんなくって、やんなって……。
映画観てるときだけ、そういうの全部忘れられた。
星見てるときは、昔のまんまの俺に戻れた。
あ、実は走んのとかも結構好きなんだけどな。
――だから、言えなかったけど、ほんとはバイト始めたのはさ、誰も俺のこと知らないトコなら、俺は俺になれると思ったからなんだ。
男のまんまでいいしさ!
いい子双葉でもない。名前だって変えてさ。まーあんまちゃんとしたトコだとバレるかもしんないけど、バイトならそういうの調べねートコ結構あるしさ!
━━夢みたいでさ。楽しくってさ。男の友だちもできたしさ。
男のまんまでいれる行きつけの店もできた。
そりゃ、バイトだから指示に従ったりまじめにやんなきゃいけないけどさ、いいじゃん、そういうの。
新しいことできて、なんか俺は俺のままで、すっげー生きてるって気がした」
牙は思わず笑った。
「なんだ。似てるじゃん。僕たち。
僕もさ、自分変えたくって、バイト始めたんだ」
緑の木々を横に、牙と並んで歩いていた双葉――若木は、目を見張った。
「……そっか。あははは、俺さ、今度できたらどっか夜も働こうかな〜」
「えー? いいけど、双葉さんの姿ではやめてよ。
変な奴に目ぇつけられたら大変だよ」
「吸血鬼とか?」
さわやかな笑い声を上げる二人。なにげに、おととい星を見た小さな丘が見えてきた。
「ちょっくら寄ってくか」
「うん」
で、おとといと同じポジション(ベンチの上)についた。
2人とも背負ってた鞄を下ろした。




