第84話
今回の依頼は病院だ。
今朝届いたばかりの依頼。病院や保育園、学校などは優先度が高いので、私たちもすぐに向かう。
神藤さんは情報が少ないと怒り気味だ。確かに、私もその意見には同意する。
今回の依頼で分かっていることは一つだけ。危険度Aであるということ。それだけだ。
どんな能力なのかも分かっていないし、具体的に被害がどの程度なのかも分かっていない。
なんでも、病院付近で危険度Aの反応があったものの、病院含め近隣で特に行方不明者などはおらず……。
故に、手がかりゼロ。手探りで探していくしかない。
確かに病院の中にいると、背筋にピリピリとした感覚が走る。大きさからしても、危険度Aで間違いないだろう。
だが、危険度Aがどこにいるのか、いまいち分からない。なんとなく地面から離れている印象があるので、多分二階か三階。
「とりあえず私は三階を見てくる。君は二階を見ろ」
「分かりました」
私は頷いて神藤さんと別れた。
謎は多いが、とりあえず空のような能力ではないというのが幸いだ。あとは、以前の紙の中に入れるエミュレイターのような敵だと厄介だが、今回はそういうものでもなさそうだし。
ただ、どんな能力か分からないので、警戒しなければ。
二階に転移すると、病室が並んでいた。殺風景で、なんとなく落ち着かない。
もし戦闘になれば、病室の人も危険にさらしてしまうだろう。
かといって、病院から避難させることもできない。どんなエミュレイターか分からないのだ。もし人型だった場合、一緒に逃げられたら困る。
気配からして、この辺にいるはずなんだけどな……でも、周りを見ても、特に怪しい気配はない。
うーん、地面から近いって感じでもないけど、かといって遠いわけでもない。三階なような、二階なような。
変だなあと思いつつも、気配を追いかける。移動しているのだろうが、周りを見ても、エミュレイターと同じ動きをしていそうな人はいない。
不思議に思っていると、気配がすぐ真横を通った気がした。
驚いて目を見開く。そんな馬鹿な。だって、私の横を通った人も生き物もいなかった。
周囲を見回すが、特に何も見当たらない。どういうことだろう。
嫌な予感がした。
例えば、透明化……あるいは、小型化。どちらかの可能性が高いが、どちらにせよ厄介極まりない。特に透明化。見えないなら感触だけを頼りにするしかない。
でも、私はさっき、横を何かが通った感覚がなかった。透明化のような能力なら、感覚はあるはず。
ということは、小型化か。
私が思案している間にも、エミュレイターの気配はどんどん動く。
でも、まだすぐ近くにいる。
私は気配のする場所を見た。そこには、大きな絵画が飾られている。この裏か?
小さいなら、すぐに長い距離は移動できない。それなら……!
「転移」
瞬間、私の手の中に何かが入ってきた。チロルチョコくらいの大きさ。
私は素早くそれを潰そうとする。しかし、それは不意に手の中から消えた。
な……っ!
驚いて手を広げると、地面に何かが落ちる。
それは私の目の前でぐんぐん大きくなり、すさまじい逃げ足で逃げていく。
しかし私だって負けてはいない。
すぐに追いつくと、私はエミュレイターを捕まえた。
だが、また気配が消える。それでも手を握ったままでいる。しかし、いくら待ってみても中で何かが動く気配はない。
仕方なく手を少し開けてみる。だが、何もない。空っぽだ。小さなクズみたいなのもない。
どういうことだろう。
そのとき、すぐ横の病室の扉が開いた。
中から出てきたのは、疲れた顔をした女の人。そのとき、開いた扉の隙間に、黒い影が入っていくのが見えた。
こいつ……!
「すみません、少し入らせてもらいます」
「えっ!?なんですか!?」
女の人は悲鳴を上げて、私が入るのをなんとかして阻止しようとする。しかも、手に握られた謎の哺乳瓶で殴られる。
なんでこの人哺乳瓶なんか持ってるんだ。いやまあ、色んな事情の人がいるんだろうけども!
私は哺乳瓶を奪ってそのまま中に押し入った。
病室の中には、大きなベッドと、もう一つ小さな木組みが。木組みの中には赤ん坊がいる。
なるほど、と合点がいった。
「とりあえず、赤ちゃんの避難を……」
その瞬間、目に映ったのは、赤ん坊の手に握られた黒い何か。いや、エミュレイター。
まさか、赤ん坊を狙って……!
私が転移と叫ぼうとした、そのとき。
突如、エミュレイターの姿が消えた。と、同時に、赤ん坊の手には哺乳瓶が握られている。
しかも、哺乳瓶を持っていたはずの私の手に何か変な感触がする。
私は驚いて、咄嗟に手の中の何かを握りつぶした。
その途端、エミュレイターの反応が消える。
女の人……もとい赤ん坊の母親は、私を後ろから強めに殴ってきたが、そんなことも気にならなかった。
恐る恐る手の中を見ると、そこには、ちょっと口にすることもはばかられる姿になったエミュレイターが。どうやらこのエミュレイター、人型だったらしい。普通にグロい。いやまあ、血の色が黒なのでまだマシだが。
私は呆然と赤ん坊を見た。赤ん坊は哺乳瓶を持ったは良いものの、重さに耐えかねたのか哺乳瓶を落として泣き始めた。
その声にハッとして、赤ん坊の側に近づく。
……と、母親が私の前に鬼の形相で立ちはだかった。
「こ、この子に手を出したら、殺す!」
な、なんか、滅茶苦茶誤解されている。
私は慌てて母親に事情を説明しようとした。しかし、母親は錯乱しているらしく、全然話を聞いてくれない。
「まず、一旦落ち着きましょうか」
「そう言って、この子に何かするつもりなんでしょ!許さないわよ!こ、このっ、小娘!」
なんとか引っ張り出したらしい悪口が小娘って。この人、もしかしなくてもいい人だな。
仕方ない。私はゆっくりと赤ん坊、そして母親から距離を取った。刺激しないようにしよう。手負いの熊を相手にする気持ちで行くんだ。
「すみません、とりあえず、私は外に出ますね」
「もう二度と来ないで!」
母親は無我夢中で叫ぶ。
まあ、無理ないよな。知らない人がいきなり病室に押し入って赤ん坊に近づいてるんだもんな。今回は完全に私が悪い。本当に申し訳ない。
そうして、私がドアの側に行ったときだった。
開け放たれたドアの向こうから、声がした。
「……それで、これは一体どういう状況なのか、説明してくれるか?」
冷静かつ厳かな口調。低く撫でるようない声は普通に声優並みなのが怖い。この人にないものってなんだ。あ、常識か。
間違いなく、その声は神藤さんのものだった。
これって、状況マシになったのか?




