第90話
転移した先は、訓練所。
今日は平日ということもあって、人気は少ない。がらんとした落ち着いた場所の中で、私だけが焦って騒々しく歩く。
玄関を進み、真っ直ぐ受付の緑沢さんの元へ行った。
訓練生は必ず一度ここへ来たことを伝えなければならない。その際、緑沢さんに名簿にチェックを入れてもらう。つまり、この人は後で空と会うのだ。
幸い、緑沢さんは普段通りそこにいた。
私は安堵して胸をなで下ろす。そして、緑沢さんに近づいた。
「あれ、三浦さん。珍しいね。来ることもそうだけど、こんな時間に来るなんて」
緑沢さんは私に気づくと、相変わらずの気安さで話しかけてくれた。
今年70歳になると聞くが、まだまだハキハキしゃべっていて、周りからはおじいと言われて好かれている。好々爺という様子だ。
「あの、頼みたいことがありまして」
「珍しいね。三浦さんがそんなことを言うとは。なんだい?」
途端に、緑沢さんの目が輝いて私を見つめる。
この人の唯一の欠点は、何かと好奇心旺盛なところだ。面白いことがあるとすぐ飛びつく。もちろん頼めば話したことなどは黙っていてくれるが、何かと詮索してくるのが困ったところだった。
私は単刀直入に言った。
「久坂冬真という子が来たら、私に連絡してほしいんです」
「久坂くんかい?彼、三浦さんと仲良かったっけ?」
緑沢さんは不思議そうに尋ねた。
まあそうだよね。私が空と会うのは夜の訓練所前。その頃には、よい子の子供たちは皆とっくに家に帰っている。
私はなんと言い訳しようか、頭の中で考えた。
「特に仲良くはないのですが、この前、強さの秘訣を聞かれまして。本を読むと良いと言ったら、本を貸してと頼まれたので、貸したんです。ただ、そろそろ返してほしいので、来たらそのことを話そうかと」
我ながら適当な嘘である。
確かに強さの秘訣は聞かれたのだが、本を読むとかの下りは全部嘘だ。強い人と会えばいいとか、そういうことを言った。
私は良くも悪くも最年少戦闘隊員ということで注目されているので、初対面でそういうことを聞く人もいる。だから、これも別におかしな話ではないはずだ。
「なるほど。でも、大抵あの子は学校が終わったらすぐ来るから、そのときに来れば良いと思うよ」
なるほど……そうなのか。
「今日はいつ学校が終わるか分かりますか?」
「いつもだと……金曜日は、だいたい4時くらいかな」
「分かりました。ありがとうございます」
私はぺこりと頭を下げた。
緑沢さんはにかっと笑う。
「全然。お役に立てたならいいよ」
相変わらず、いい人だな……。私は緑沢さんの優しい態度に少しだけ心が安らいだ。
そのまま訓練所を後にしようとして、大事なことを思い出して立ち止まる。
私は振り返って言った。
「あの、私が久坂くんのことを聞いたこと、他の人には内緒にしてください。ひいきだとかって思われることもあるので」
適当な理由をつけて、保険をかけた。
もし誰かが探りに来たときの為だ。
緑沢さんは確かにね、と言って頷いた。
「分かったよ」
私はその言葉を聞いて満足して、今度こそ本当に訓練所を後にした。
今は10時半頃なので、まだ時間はある。
ただ、それは向こうにとっても同じ。
もし、空が学校にいる間に何かあれば大変だ。
しかし流石に小学校に入るとなると、私は不審者扱いされること請け合いである。
私は仕方なく家に帰った。
午後からは任務を入れていたけど、今日はキャンセルしよう。正直この任務たちはキャンセルしても問題ない任務ばかりなので、罪悪感もない。
部屋の中で時間が過ぎるのを待つ。こんなにも緊張したのはいつぶりだろうか。
ご飯を作って食べ、分かっている範囲の明日の任務のことなどをまとめつつ、時間を潰した。
そして、ついに4時になった。
転移、と呟くと、視界が切り替わる。
訓練所のすぐ前に突然現れた私に、周囲の子供たちは驚いたように目を丸くしていた。
「三浦さんだ……!」
「三浦さんがいる!」
「話しかける?」
「無理……」
何やらざわざわされてしまったが、今はそれどころではないを
私は訓練所の前のベンチに座り、子供たちを見つめた。空はどこだろう。
ベンチに座っている私に、子供たちは好奇の視線をよこしながらも続々と訓練所へ入っていく。
いない。いない。……いない。
5分、10分、15分、20分。時間が経っていくごとに、どんどん焦りが募っていく。
私はとうとう立ちあがって訓練所へ入った。
その頃には大抵の子供たちは入ってしまっていて、人通りはまばらだった。
受付の緑沢さんのところへ行く。
「午前ぶりだね、三浦さん」
「久坂くんは来てませんか?」
「あれ、そういえば来てないな。珍しい」
そんな……一体どうしたというのだろう。
何かの補講でもあったのだろうか。そうなら良いが、嫌な予感がする。心臓がずっとさざ波だっている。
「今日、何か、変なこととか、ありませんでしたか?」
「いや、特には……あ」
突然はっとした顔をする緑沢さんに、私は不安になって尋ねる。
「何かあったんですか?」
「11時くらいかな。若い女の人がやってきて、ここに三浦史詩夏さんは来てませんかって聞いてきたんだよ」
……!
間違いない。絶対に空の件だ。
嫌な予感がどんどん膨らんでいく。
「そ、それで、なんて答えたんですか?」
私は真剣な表情で緑沢さんを見た。
緑沢さんはちょっともごつきながらも答える。
「いっ、いや、来たことは伝えたけど、誰か探してませんでしたかって聞かれたから、それについては適当にごまかしておいたよ」
良かった……それなら、まだ希望はある。
緑沢さんが約束を守ってくれたことにホッとする。
それなら、まだ向こうは空のことを完全に掴んでいるわけではなさそうだ。私の動きが完全に読まれていたのは痛いけど……。
きっと、空は何かたまたま用事があって遅れているだけだろう。
「分かりました。ありがとうございます」
「いや、いいよ」
緑沢さんは手をひらひらさせて言った。
私は礼を伝えて、早足にその場を去る。
早く空に会わなければ。
そのとき、私はひどく胸がざわめくのを感じた。何か引っかかる。何か見落としている気がする。なんだろう。
……待て、さっき、緑沢さんはなんて言っていた?
脳内で緑沢さんの声を再生する。
『若い女の人がやってきて~……』
若い女の人。別に、そんな特徴の人いっぱいいる。
だけど、カウンセラーの彼女の特徴にも一致している。これが偶然と言えるのか?
ここから訓練所まではそれほど遠くない。来ようと思えば来られる距離だ。
それに、彼女がスパイだとしたら、確実に情報を掴むため、自分で更に動くことも、十分あり得るのではないだろうか。
もし、カウンセラーの彼女が、ここへ来ていたのだとしたら。
彼女には嘘が通じない。全てバレてしまっている。
……空が危ない!
私は気づけば駆けだしていた。目的地はただ一つ。空がいた学校だ。




