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第7怪 呪いの人形編④

謎の怪異による激しい襲撃が突如として止んだ後、部屋を支配したのは耳が痛くなるほどの沈黙だった。


窓の外では、夜の濃紫がゆっくりと薄い群青へと溶け出し、住宅街に冷ややかな朝の気配が忍び寄ってくる。


佐々木さんは、心身ともに限界を超えていたのだろうか。赤ちゃんの無事を確認した後、赤ちゃんを連れて糸が切れた人形のように寝室で深い眠りに落ちた。


僕はその様子を横目にした後、リビングのソファの隅で、徹夜でスマートフォンの画面と格闘していた。


眼球が熱を帯び、奥の方がじりじりと焼けるようにヒリつく。ブルーライトが網膜を刺す痛みさえ、あの時の恐怖とか比べれば心地よい刺激だった。


隣では、杏子さんが所在《しょざい》なさげにソファに背を預け、ミントタブレットのプラスチック容器を指先でカシャカシャと弄んでいた。


その規則的な音だけが、この異常な空間を日常に繋ぎ止めている。


「……杏子さん。例のスレッド、最後まで読み込みました」


僕の声は、自分で思う以上に掠れていた。


「当たりかもしれません。いや、これしか考えられません」

「ほう、聞かせてえな。ネットの暇人共は、どんな事を書いてるんや?」


杏子さんはミントタブレットを弄るのを止めて、興味深げに身を乗り出した。僕はスマートフォンの画面を彼女にも見えるように傾け、震える指先でそのスレッドを指し示した。


「怪異の名は、『アンブレス』。13chのオカルト板に、数年前から不定期に立つスレッドで語られていた存在です」


タイトルは『乳幼児突然死の真相を考察する』。


一見すれば医学的な議論に見えるが、その中身はあまりにも禍々しい実体験と仮説で塗り固められていた。 スレッドの会話はかなり伸びており、あくまで関係がありそうなところだけを杏子さんに見せる。


「これです」


155:名無しさん

実は乳幼児突然死の原因のいくつかは、アンブレス(Un-breath)って呼ばれている怪物によるものだ。こいつは単独で現れるんじゃない。育児の孤独感、閉塞感、そして何よりーー子供に対する親の無意識の『負の感情』に同調して発生する。

こいつは肉体を壊したり、物理的な外傷を与えたりはしない。ただ、赤ん坊の『呼吸』だけをピンポイントで止めるんだ。



杏子さんが不快そうに顔をしかめる。


「アンブレス……『無呼吸』、か。趣味の悪い名前やな」

「……それと杏子さん、これも見てください。アンブレスの件じゃないですけど、怪異の『変質』について語ってるスレを見つけました」


僕は熱を持ったスマートフォンの画面を、さらにスクロールして杏子さんの前に差し出した。


【悲報】座敷わらしが「呪いのポルターガイスト」に化ける条件がエグすぎる件

1:名無しさん

昔から「座敷わらし」って幸運を運ぶ守護霊だろ? でも実は、住人が「こいつは不気味だ」「何か悪いことをされる」って強く、心の底から思い込むだけで、その守護の力がまるごと「呪い」に反転するらしい。

2:名無しさん

>>1

それマ?

12:名無しさん

>>2

マジ。それを『認識の上書き』って言えば伝わるかな。怪異自体の意志より、人間の「認識」が優先されるんだ。

守護霊が「追い出したい対象」に設定されちゃうと、守るための力が住人を攻撃するエネルギーに自動変換されるシステム上のバグ。これまじで詰むぞ。





杏子さんはミントタブレットを噛み砕く手を止め、髪を耳にかけながら、鋭い眼光で画面を見つめた。彼女の口元から、微かにミントの清涼な香りが漂う。


「……『認識の上書き』、やて?」

「はい。もしかするとアリスもこれと似た状況なんじゃないかなって思います。アリスは最初から、佐々木さんの赤ちゃんを守ろうとしてた。でも、佐々木さんは育児のストレスで余裕がなくて……極め付きは、あの金髪が赤ちゃんに巻き付いているのを見て『不気味、呪いの人形だ』と強く……心の底から、恐怖してしまった」


僕は喉を鳴らし、考えた推論を畳み掛ける。


「その母親の『恐怖』という感情がフィルターになり、アリスを『守護者』から『呪いの人形』という怪異へと上書きしてしまったんです。本来の力を出そうとすればするほど、呪いに阻まれて弱体化する……アンブレスがそこまで読み切って佐々木さんの心を利用しているとしたら、相当にずる賢く質が悪いです」

「……なるほどな。アリスは本当は『味方』のはずやのに、佐々木さんの心の中では『呪い』として認識されてしもたんか。そら、自分の主《あるじ》から『お前は呪いの人形や』って思われとったら、守護の力もまともに振るわれへんわな」


杏子さんが「バキリ」と、タブレットを力強く噛み砕いた。その瞳には、もはや迷いはない。獲物の急所を見定めた「狩人」の光が宿っていた。


「蓮、上出来や……なら、やることは一つしかないわな」


杏子さんは不敵に口角を上げる。そして寝室で憔悴しきり、眠る佐々木さんが起きてくるのを待つ。

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