第2怪 ひとりかくれんぼ編② 完
深夜の国道沿い、眩しい黄色の看板が闇を切り裂いている。二十四時間営業のファミレス。僕たちは逃げ込むように、その一番奥、煙漂う喫煙席へと陣取った。
「……はぁ、はぁ……っ、杏子さん、あれ、一体何なんですか……!」
テーブルに突っ伏し、肺を焼くような、酸素を求める僕の向かいで、杏子さんは平然とした顔でタバコに火をつけた。
立ち昇る煙。それは先程のように「乱れて」いない。かといって「静止」したでもない。
窓の外ーー僕たちが来た道を指し示すように、風がある訳でもないのに関わらず微かに、けれど執拗に横へとなびく動きを見せていた。
「あれは怪異や。理屈も通じん、話もできん。今のままやと、なんぼ痛めつけても暖簾に腕押しや」
杏子さんは煙を吐き出し、鋭い眼光で僕を射抜いた。
「蓮、自分がやった手順をもう一度、最初から一言一句漏らさず洗え。スマホの履歴でも何でもええ、お前の記憶との『ズレ』を探すんや」
「は…はい」
僕は震える手でスマートフォンを取り出し、あの日見た掲示板のスレッドを必死にスクロールした。綿を抜き、米と爪を詰め、赤い糸で縫う。刃物で刺し、浴槽へ沈める。
手順に間違いはないはずだ。けれど、ある一文に目が留まった瞬間、僕の指先が凍りついた。
> 『※注意:人形には必ず、自分以外の名前をつけること』
「……あ」
「何や、分かったんか?」
喉の奥がカラカラに乾く。僕は血の気が引いていくのを感じながら、掠れた声で白状した。
「名前、です……。僕、あの熊のぬいぐるみに……『蓮』って、自分の名前を付けちゃいました」
ファミレスの喧騒が、一瞬だけ遠のいた。杏子さんは短くなったタバコを灰皿に押し付け、低く唸るような声を漏らす。
「自分と同じ名前……なるほど『同一性の重複』か。そら最悪のミスーーバグやな」
杏子さんはテーブルに身を乗り出した。その顔は、まるで事件を追う冷徹な刑事のような表情に見える。
「ええか、蓮。本来『ひとりかくれんぼ』は、人形を依代にした霊と追いかけっこをする遊びや。でも、鬼と逃げ手に同じ名前を付けたことで、あいつの認識がバグっとる。今のあいつは『自分こそが本物の嬉野蓮や』と思い込んどるし、同時にお前を『自分を騙る偽物』として消そうとしてんねん。正常な手順やないから儀式は終わらへんかったんや」
「じゃあ、さっきの攻撃が効かなかったのは……」
「あぁ。あいつは今、お前の存在を乗っ取ろうとしとる『現象』そのものや。儀式に守られとるうちは、ただの暴力じゃあいつを止められへん」
絶望に打ちひしがれる僕の頭上で、杏子さんは不敵に唇を吊り上げた。
「でもな、バグがあるっちゅうのは、そこに『穴』があるっちゅうことや。あいつが『自分は蓮や』と言い張るんなら、その根拠を完膚なきまでに叩き潰して、ただの殴れる『怪異』に引きずり下ろしたればええだけや」
彼女はテーブルに置いてあった塩の小瓶を掴み取ると、伝票をひったくって立ち上がった。
「行くで、蓮。深夜の公園やったら、人もおらん。そこであいつに『現実』を突きつけたる」
@
深夜の静寂に包まれた公園。常夜灯の下で、ついに決着の刻が訪れた。
「ま、まって…僕…れ蓮だよ…」
ペタペタと濡れた足音を響かせながら『あいつ』はやって来た。常夜灯に照らされるぬいぐるみはより一層不気味さを増していた。
「蓮、びびんな。ああいう奴らは怖がってる心が好物なんや。むしろあいつを怖がらせたったらええねん。人間様を舐めんなってな」
「そ…そんなこと言われたって…」
杏子さんは乱れている煙を出しているタバコを咥えながら、人形を見下ろす様に睨む。
「さぁ、始めるで」
杏子さんがそう言い放つと同時にぬいぐるみは包丁を振りかざし、物理法則を無視した加速で土煙を撒きながら迫ってくる。だが、彼女の瞳はすでにその「軌道」を読み切っていた。
「そこやっ!」
先程も見た彼女の格闘術が炸裂した。飛び上がり月を背に杏子さんを刺そうとする、その包丁を持つ手を正確に蹴りで弾き、そして流れるように空中でぬいぐるみの腕を捕らえると、そのまま地面へ叩きつけ完璧な関節技で包丁を持つ腕を抑え込み、動きを封じた。
「蓮、鏡や! こいつに自分のツラ拝ませたれ!」
指示通り、僕は震える手で百均であらかじめ買っておいた化粧用の鏡を差し出し、ぬいぐるみに鏡を見せる。その横で、杏子さんはぬいぐるみの背中を裂き、真っ赤な糸を力任せに引き抜いた。
「ええか、よう見ろ。お前の『血管』はただの糸。お前の『内臓』はただの米つぶや。これでも……この鏡に映ったボロ雑巾が、『嬉野蓮』やと、そう言えるんか!」
「ア、ガ……ギギギギッ!」
杏子さん曰く、古来より鏡は真実を映すと云われている。故に呪術的な存在には、効くだろうとのこと。そしてまさに杏子さんの読みは正しく、真実を映し出す鏡が怪異の矛盾を暴いた。「自分は蓮である」という虚構の認識が、「米と布」で出来たぬいぐるみという真実によって上書きされていく。
「……ようやく、ただの『怪異』に成り下がったな」
儀式継続中という特権を剥ぎ取られ、泥を被ったように不格好な残骸へと変貌したぬいぐるみに対し、杏子さんは容赦のない眼光を向ける。
彼女は一切の躊躇なく、トドメの一撃を放つべくぬいぐるみを解放し、塩の小瓶を握り締めた拳を振りかぶる。
「お前の罪状は身分詐称、そして殺人未遂の現行犯……あの世で反省せぇ!」
鋭い正拳突きが、熊のぬいぐるみの胴体を貫いた。
その拳は、体の中に潜んでいた目に見えない『核』を正確に捉えたのか、「パリン」という音が鳴り響き完膚なきまでに粉砕された。
「俺は、嬉野、蓮……? 僕は……だ……れ……?」
最期にそう掠れた声を残し、ぬいぐるみはダラリと動かなくなった。
先ほどまで漂っていたねっとりとした殺意が、嘘のように霧散していく。
「終わった……んですか?」
「あぁ。煙、見てみ」
杏子さんが再び火をつけたタバコの先を見つめる。先ほどまでのたうち回っていた煙は、今は何の揺らぎもなく、夜の静寂の中を真っ直ぐに天へと昇っていた。
「これは『凪』。怪異がおらへんっていう証拠や」
その瞬間、数日間の緊張と極限の疲労が、一気に足元へとなだれ込んできた。膝から崩れ落ちようとした僕の背中を、杏子さんが「バシッ!」と豪快に叩く。
「情けない顔すんな。自分を取り戻したんやろ? 報酬第一号、おめでとさん。でもな、遊び半分で降霊術なんか、もう二度としたらあかんで。あのぬいぐるみに入ってしもた霊は、訳も分からんと呼び出されて、そしていきなり自分が偽物やと言われた。混乱すんのも怒んのも無理ないわ、可哀想なのはあいつの方やねん」
「はい…もう二度としません」
「分かったらええ」
そのまま地面に座り込んだまま、僕は深く息を吐いた。驚くほど澄んだ夜の空気が、僕が「本物の自分」として生きている実感を運んできた。
杏子さんは、動かなくなったぬいぐるみに手を合わせ、火がついているタバコを人形の前に置く。
「……線香の変わりや無いけど、これで堪忍な」
小さく何かを呟いた後、僕に再び向き直った。
「あー、体動かしたら腹減ったなぁ。よっしゃ、飯でも行こか。自分、顔色悪いねんから、食べて力つけなあかんわ」
杏子さんは適当な笑みを浮かべて歩き出した。その後ろ姿は、僕にとっての確かな「救い」そのものだった。
「居酒屋でもええか? 近くにええ店あんねん」
「……どこへでも付いていきます、杏子さん」
僕はふらつく足取りで、彼女ーー笹原杏子さんの背中を追いかける。
『怪異探偵事務所 』
そこは僕が足を踏み入れた、恐ろしくも頼もしい非日常の入り口だった。
「今更やけど、ようこそ怪異探偵事務所へ」




