06 魔王、村へ行く
トリスの温かい胸に抱かれ、黒子猫の魔王アルデルヴィオンは人間たちの村へとやってきた。
そこは、麦畑と粗末な家々が点在する寂れた田舎村だった。
トリスは預かっていたヤギを村人たちのもとへ返しながら、首輪の文字について尋ねて回ったが、誰一人としてその文字を理解できる者はいなかった。
自宅へ戻ったトリスがヤギを家畜小屋へ収め、家の戸を開けた瞬間——雷のような怒鳴り声が響き渡った。
「遅いぞトリス! どこをほっつき歩いていた! 暗くなる前に帰れと言っているだろう!」
「ごめんなさい叔父さん……子猫を拾って……」
目の前には、いかつい中年の男女が立ちはだかっていた。
女が眉をひそめ、子猫の首根っこを無造作にガシッと掴み上げた。
(だからそのガサツな持ち方はクレームが来るぞと……!)
「にゃあ……(脱力)」
女は子猫の顔を見るやいなや、化け物でも見るような顔で悲鳴を上げた。
「嫌だわ! 黒猫じゃないの! おまけに気味の悪い金の瞳! まるで伝説の魔王みたいじゃないのさ!」
(正解!! その通り魔王アルデルヴィオン様だ!!)
「にゃあ!(褒めて遣わす!)」
「トリス、黒猫なんて不吉だよ! さっさと森に捨てておいで!」
トリスは慌てて子猫を取り返すと、守るように胸に抱きしめた。
「叔父さん、叔母さん! 一晩だけ置かせてください! ほら、すごく立派な首輪をしてるから、絶対にどこかのお金持ちの飼い猫なんです! 飼い主を見つけて届けたら、お礼がもらえるかもしれません!」
「お礼……!?」
叔父夫婦は顔を見合わせた。
「……いいだろう。ただし明日中に飼い主を見つけてこい! 見つけられなきゃ元いた場所へ捨ててくるんだ!」
「は、はい!」
「ならさっさと飯を食え!」
食卓についたトリスの前に出されたのは、ヤギの乳で炊いた麦の粥。
子猫は少年の膝の上で立ち上がり、テーブルにちょこんと前足を乗せた。
(な、なんだこの粗末すぎる飯は……! これでは、いくら子供でも腹いっぱいにならんではないか!)
トリスは木匙で冷ました粥を自分の手の平にのせると、子猫の口元へそっと差し出した。
(……おい。こんな雀の涙ほどの量で他人に分け与えてどうする。余は猫だぞ?)
子猫は「フンッ」と憤慨するように鼻を鳴らすと、嫌々ながら粥を舐めた。
そうしなければ、この少年はいつまでも自分の食事に手をつけようとしないからだ。
子猫が完食したのを見届けると、トリスは嬉しそうに自分の口へ粥を運んだ。
◇
夜、家畜小屋の屋根裏。
藁が敷き詰められた狭い空間に、屋根の隙間から月光が差し込んでいる。
トリスは子猫を抱いたまま、藁の中へ仰向けに倒れ込んだ。子猫は少年の腹の上で丸くなる。
ぐぅ〜……と、トリスの小さな腹が鳴った。
少年がそのまま眠りに落ちた後、魔王はそっと這い出し眠った顔を覗き込んだ。
その頬には、月明かりに照らされて一筋の涙が光っていた。
(……やれやれ。このままでは、余まで飢え死にするわ)
子猫の魔王は小屋を脱出し、夜の静寂へと消えていった。
◇
翌朝、空が白み始める頃。
目を覚ましたトリスは、足元で行儀よくお座りしている子猫を見つけた。
なぜか子猫の体には木の葉や小枝が絡みついている。
「にゃ!(起きたか少年よ!)」
「うわ、どうしたの!? ボロボロじゃないか!」
(ふふん、野生のキツネどもと追いかけっこになってな。見事逃げ切ってやったわ! さすが余!)
「にゃー(ドヤ顔)」
トリスが手際よく毛に絡んだ木の葉や小枝を取ってあげていると、足元でカチャンと金属音が響いた。
拾い上げたトリスが目を丸くする。
「こ、これ……金貨!?」
(フッ……余からの施しだ。受け取るがいい)
「にゃあ!(取っておけ!)」
かつて人間界を侵攻した際、魔界に持ち帰るのが面倒でその辺に埋めておいた戦利品。それを昨夜、わざわざ掘り起こしてきたのだ。
しかし、トリスは真っ青な顔で子猫を見つめた。
「これ……どこから盗ってきたの!? ダメだよ、早く返しに行かないと……!」
(なんだとおぉぉ!? 人を泥棒扱いするな! これは、三百年前に余が倒した人間から奪った正当な戦利品だ!!)
「にゃ! にゃ、にゃあーーっ!(冤罪だ!!)」
その時、下から怒声が飛んできた。
「おいトリス! いつまで寝てるんだ! さっさとヤギを追いに行け!」
「は、はい!」
トリスは慌てて金貨を藁の下に隠すと、帽子を被り、子猫を抱えてはしごを駆け下りた。
やがて二人は、昨日と同じ荒れ地へやってきた。
魔王は再びトリスの帽子の中に入れられ、ぽかぽかの日差しの中で丸くなっていた。
「……結局、君の首輪の文字を読める人はいなかったよ。どこか遠い外国の言葉じゃないかって。……君の飼い主さん、どこにいるんだろう」
帽子の中からすっくと立ち上がる黒子猫。
(余に飼い主などおらぬ! 余こそが魔界の君主アルデルヴィオンである!)
「にゃーっ!(失礼な!)」
「きっと心配してるよね。どうやって探せばいいのかな……。君を連れて帰ったら、叔父さんたち怒るよね」
(冗談ではない! いもしない飼い主など探す必要がどこにある!)
「にゃーにゃー!」と説教する子猫を、トリスは優しく抱き上げた。
「ふふっ。なんだか怒られているみたい」
夕暮れ時、ヤギを連れて少年と子猫の魔王は村へ戻った。
だが、家の前では——両拳を握りしめ、怒りに顔を赤黒くした叔父が立ちはだかっていた。
次回、第07話 「魔王、冤罪を晴らす」 10月10日(土)16:10更新予定




