03 魔王、追放される
黒子猫の魔王は、背筋を刺すような気配に顔を上げた。
赤い月明かりに浮かんだのは老いた男の顔——四大魔族の一人セルヴェディオ。
冷酷な眼光で子猫を見下ろし、低い声を響かせる。
「このような薄汚い猫が玉座に座るとは……片腹痛い」
ピクッと子猫の耳が立ち、尻尾がピンと跳ね上がった。
(……薄汚いだと!? この至高のツヤツヤ毛並みと、ぷにぷにのピンク肉球が目に入らんのか、たわけが!!)
「にゃーッ!(無礼者!)」
威嚇も虚しく、セルヴェディオの長い腕が伸び、首根っこを無造作にひょいと持ち上げられた。魔王の手足が宙でぶらぶらと虚しく揺れる。
(おい! 今時そんな持ち方をしたら猫好きからクレームが殺到するぞ!)
セルヴェディオは子猫をぶら下げたまま窓辺へ移動した。
窓の外は切り立った断崖絶壁。遥か眼下には雲が広がっている。
「さて、この不届きな害獣はどう処分してくれようか」
セルヴェディオは何の感情も浮かべず、子猫を窓の外へ突き出した。
そして、そのまま指を離した。
(——って、おいっ……!?)
「にゃあぁぁぁーーーっ!?」
身体が真下へ落ち、ヒュンッと耳元で風が鳴る。
断崖へ吸い込まれる寸前、首根っこを再びガシッと掴み上げられた。セルヴェディオの目の前にぶら下がる子猫の魔王は、怒りで全身の毛をボフッと逆立てる。
(……性格が悪すぎる! いたいけな子猫を虐めて楽しいか、この悪趣味男!!)
その時、石造りの廊下から音もなく小さな影が現れた。
「にゃああん……」
さっきの白猫だ。
セルヴェディオの冷徹な顔が、途端に緩む。
「おお、オルネシア。おいで」
白猫は優雅に歩み寄り、一歩踏み出すごとに輪郭を変えていく。やがてそこに立っていたのは、妖艶な美女の魔族だった。
「お父様、首尾はいかが?」
オルネシアが自身の首から赤い首輪を外した瞬間、ドッと禍々しい魔力が溢れ出す。
彼女は首輪を廊下へ投げ捨てると、ぶら下げられた子猫の顔を覗き込んできた。
「あらあら、魔王様……なんと可愛らしく哀れなお姿に」
(……貴様らか!!)
「にゃーっ!(謀ったな!)」
オルネシアは子猫を胸に抱き上げると、顎の下をフニフニとあざとくくすぐってきた。
「ですが、これは魔王様ご自身が口にされた『猫になりたい』という願い。強大すぎる魔力が、自らを縛る最強の呪いになるとは……皮肉なものですね」
彼女の手の中から、新しい青い首輪が現れる。
「さあ魔王様、これをどうぞ。『魔族の気配を遮断する首輪』です」
窓辺に置かれ、首輪を嵌められそうになった瞬間、魔王の脳内に警鐘が鳴り響く。
(気配を完全に消されたら、二度と魔鏡にも捉えられん。永久に見つけてもらえなくなるではないか!!)
間一髪で手をすり抜け、魔王は決死の覚悟で窓から飛び降り……るフリをして、室内へ回れ右!
小さな四肢をフル回転させ、廊下を全力疾走した。
「フッ、逃がすか」
セルヴェディオがパチンと指を鳴らす。
(——くそ、使い魔か!!)
灰色の空が裂け、巨大な『双頭の大鳥』が旋風と共に飛来する。吹きさらしの回廊で大鳥は子猫を目掛けて急降下した。
すんでのところで爪をかわすが、その羽ばたきで子猫の軽い身体は石床の上を転がった。
「きゃにゃっ!?」
鋭い爪にガッシリと捕獲され、宙に吊るし上げられる。
(くっ……こんな雑魚使い魔一匹に捕まるなど……っ!)
大鳥の爪が喰い込む痛みに耐えていると、オルネシアが優しく微笑みながら、逃げ場のない魔王の首にカチリと青い首輪を装着した。
「さあ、その子猫を人間界へ捨ててこい。できるだけ……魔界から遠く離れた場所にな」
セルヴェディオの命令を受け、双頭の大鳥は「ピギャアアア!」とけたたましい雄叫びをあげて魔界の灰色の空へ羽ばたいた。
魔王アルデルヴィオンは、自分の城が小さくなっていくのを、ただ見つめることしかできなかった。
◇
一方その頃、ネヴィルの執務室。
イゼルナが試作の『棺桶最中』をサクサクと幸せそうに頬張っていた。
「ネヴィル様ー、鏡さん治りました〜?」
「おかしいですね……門番、厨房、宝物庫、大浴場……どこも完璧に映るのに、なぜか魔王様だけが捉えられません」
「全裸だから恥ずかしくて映りたくないんじゃないですかぁ?」
こし餡と粒餡を交互に頬張りながら、適当な推理を述べるイゼルナ。
ネヴィルは眉をひそめ、真剣な顔で鏡に触れた。
「魔王様であれば魔鏡に映らないように気配を絶つことも可能でしょうが……」
「温泉は映らないんですかぁ?」
「あそこは湯気しか映りません。……それよりイゼルナ、さっきの黒い子猫はどこへ行きました?」
「え? 猫ちゃんですか? なんで急に?」
服にこぼれた最中の皮をパッパッと払いながら首を傾げる。
「……あの子猫から魔王様の気配を感じたのです」
「あー、魔王様がモフモフキャッキャしたんじゃないですかぁ?」
「そうも思ったのですが……」
顎に手を当てて深く思案するネヴィルに、イゼルナはパンパンに膨らませた頬をさすりながら言った。
「ネヴィル様、それよりお茶ください! 最中の皮が上顎にペッタリ張り付いて取れません!」
「……そこのポットに『悪魔の髭茶』がありますから勝手に飲みなさい」
「結構庶民的なもの飲むんですね! ……ネヴィル様も飲みます?」
ネヴィルはスッと立ち上がり、首を振った。
「いえ、私は温泉へ魔王様を探しに行ってきます」
「心配性ですねぇ。あ、念のため服持っていってください!」
イゼルナは髑髏模様の風呂敷に魔王の漆黒の衣装を手際よく包むと、ネヴィルに押し付けた。
ネヴィルはそれを背中にくくりつけると、窓から火山に向けて凄まじいスピードで飛び立っていく。
「さすが高位魔族〜。羽もないのに超スピードで飛ぶんですねぇ」
イゼルナはカップになみなみと注いだ温かいお茶を豪快に呷り、上顎に張り付いた皮をゴクリと飲み干した。
次回、第04話 「魔王、人間界に落とされる」 10月3日(土)16:10更新予定




