02 魔王、おもちゃにされる
「わぁ、かわいい~! 猫だ、猫だー! でも首輪がついてませんねぇ? 猫ちゃん、どこから来たのかなぁ?」
(イゼルナー! 余だ! アルデルヴィオンだぞ!)
叫んだはずだった。しかし、廊下に響いたのは甲高い「にゃあ!」という鳴き声。
(……待て。もしかして余……本当に猫になっているのか……!?)
恐る恐る自分の手元を見つめる。
そこにあったのは、ツヤツヤの黒い毛並みと、ぷにぷにとしたピンク色の肉球。
——肉球!!
さらに小さな爪、キュートに揺れるしっぽ。どこからどう見ても、完全に子猫(黒)である。
イゼルナは無邪気な笑顔で子猫をひょいと抱き上げ、至近距離で覗き込んできた。背中のコウモリの羽が嬉しそうにパタパタと揺れている。
(イゼルナ! 正気を保て! 余だ! 汝の主君、アルデルヴィオン様だぞ!)
「にゃあ! にゃ、にゃあーーっ!」
「んも〜、猫ちゃん大興奮じゃないですか〜! かわいー!」
(駄目だ通じない。ポンコツ掃除係に理解しろというのが無理だった!)
魔王が絶望に打ちひしがれていると、足音と共にネヴィルが現れた。
「イゼルナ、騒々しいですね。どうかしましたか?」
イゼルナは黒子猫を両手で抱え、ネヴィルの眼前へ差し出した。
「見てくださいネヴィル様! この猫、黒い毛並みに金の瞳……まるで魔王様みたいですよ!」
ネヴィルは眼鏡を持ち上げ、わずかに眉を寄せた。
(そうだ、眼鏡! 気づけ、ネヴィル!)
「にゃあ!(助けろ!)」
だが、ネヴィルは子猫など視界に入っていないかのようにスルーし、足元に落ちていた漆黒の布地を取り上げた。
「……これは、魔王様の衣装。なぜこんなところに……?」
「えぇっ!? じゃあ魔王様、今全裸ですかぁ!?」
「……ッ!」
ネヴィルは服を抱えたまま、珍しく顔を引きつらせた。
「……まさか、温泉に入ろうとして……?」
「えー? ここで脱いでいったんですかぁ? 気が早すぎません? っていうか魔王様、全裸で温泉まで飛んでいったんですかぁ!?」
(全裸全裸と連呼するな! 余はここにいる! 抱っこされている!)
「にゃあ!(抗議!)」
ネヴィルはハァと深く重いため息を吐いた。
「……そこまで精神的に追い詰められておいでだったとは。もう少し早くお休みを勧めるべきでした」
(分かればよろしい。まあ、全裸疑惑は不服だが)
「——ですが、全裸で逃げ出されるなど尋常ではありません。イゼルナ、魔王様を捜しましょう」
(……納得いかんが捜してくれるなら、もうそれでいいや……)
子猫の魔王はイゼルナの胸に抱えられたまま、ネヴィルの執務室へと運ばれていった。
◇
部屋の中は甘い香りが充満していた。
隅にある簡易厨房には、作りかけの菓子が置かれている。イゼルナの瞳が鋭く光った。
「ネヴィル様、あれ新作のお菓子ですか!?」
「ええ。『棺桶最中』の試作品です。棺桶型の皮に餡を込めようと思うのですが、こし餡か粒餡かで悩んでいましてね」
「魔王様はこし餡派ですもんねー。でも最中といえばやっぱり粒餡かなぁ。ねえ猫ちゃん、どう思う?」
(粒餡……? 豆の皮が歯に挟まるから嫌なのだ……)
「にゃあ……(テンション低め)」
「あ、粒餡がいいみたいです!」
(このポンコツ、何も分かっておらん……やっぱりこいつは掃除係のままでいいな)
イゼルナは部屋を見回すと、本題を思い出したように首を傾げた。
「ところでネヴィル様、どうやって魔王様を捜すんですか?」
「フッ……そこに魔鏡があるでしょう」
(探し物を映す鏡……! さすがネヴィル、いい判断だ!)
イゼルナは子猫を抱いたまま鏡の前に立った。
鏡には、子猫を抱いて真剣な顔で見つめるイゼルナが映っている。
「鏡さん鏡さん、魔王様はどこですかー?」
次の瞬間、鏡の中のイゼルナの姿がスッと消え、抱えられていた黒い子猫だけがポツンと鏡の中央に写された。
(よし! 偉いぞ魔鏡! そうだ、余の姿がそこに——)
イゼルナは鏡を覗き込み、心底不思議そうに首をひねった。
「ネヴィル様ー。この鏡、壊れてますよ」
「えっ? そんなはずは……」
「ほら、猫ちゃんしか映りません」
二人は鏡の前で並んで立ち尽くした。
「本当ですね」
「鏡さん……ポンコツになっちゃった?」
(違う!! 鏡は完璧に仕事をこなしている!! ポンコツはお前たちだ!!)
「……まあ、魔王様のことです。そのうち全裸に飽きて帰ってくるでしょう」
(見捨てるな! 探せ! 全裸で話を進めるな!)
「にゃあぁぁぁん!」
必死に抗議する子猫を、イゼルナがひょいと持ち替えた。
「そういえばこの猫ちゃん、男の子かな? 女の子かな? ——よいしょ!」
パタパタと羽を動かしながら、無造作に子猫のお腹を探り始めるイゼルナ。
(やめろ! やめんか無礼者! やめろーーっ!)
「にゃ! にゃあ! にゃーーーっ!」
「——男の子でしたー!」
(……もう嫌だ。家に帰りたい。ここ余の城だけど)
ぐったりと脱力する子猫を見て、イゼルナが「あ」と声を上げた。
「なんか急に大人しくなりましたね。お腹減ってるのかな?」
「子猫に魔牛のミルクは毒でしょう。猫族の配下に貰い乳でもしに行きますか」
その言葉に、子猫の全身の毛がゾワッと逆立ち、イゼルナの腕から飛び降りた。
(無理無理無理無理! 貰い乳とか絶対に無理!! こいつらの近くにいたら命と尊厳がいくらあっても足りん!)
勢いよく駆け出したが——扉の前でピタリと足が止まる。
(……くそっ! 扉が開かん? この身体では魔法も使えんのか……!?)
「あれ? 猫ちゃん、外に出たいの?」
「にゃーっ!」
絶望的な表情で振り返る子猫を見て、イゼルナが親切に扉をそっと開けてくれた。
子猫は開いた隙間から、目にも留まらぬスピードで逃げ出した。
「あーあ、行っちゃいました。あの猫、誰のでしょうね」
「首輪もなかったし、野良猫でしょうかねぇ」
◇
やっとのことでネヴィルの部屋を脱出した子猫の魔王は、トボトボと廊下を歩き、自分の玉座へと戻ってきた。
なんとか玉座の上によじ登り、ふかふかの座面で丸くなる。耳も尻尾も力なく垂れ下がっていた。
(なんだ、これは……? 魔法も使えんし、言葉も通じぬ。普段の変化とはまるで違う……)
子猫の魔王は、ガバッと四本の脚で立ち上がった。
(——もしかして、猫にされたとでもいうのか? 魔界の王たる余が?)
その時。
玉座の影から、不気味な黒い影がスーッと忍び寄ってきた——。
次回、第03話 「魔王、追放される」 10月1日(木)19:15更新予定




