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11 魔王、男に出会う

 数日後、トリスは宿を出発することにした。しっかり食事を摂ったおかげで顔色は格段に良くなり、声にも瑞々しい張りが戻っていた。

 出発の間際、宿の女将が小さな革袋を差し出した。


「何日も引き留めて悪かったね。これ、少しだけど」


 トリスは革袋を受け取るやいなや、慌てて押し返そうとした。手に伝わるずっしりとした重みで、中身が硬貨だとすぐにわかった。


「いえ、受け取れません! 宿も食事もお世話になったのに……!」


「何言ってんだい。これはあんたと猫ちゃんの正当な報酬だよ」


 トリスの背負い袋から、小さな黒猫が誇らしげに顔を覗かせる。この数日で、宿の屋根裏を巣窟にしていたネズミの一団を残らず退治したのだった。


(狩りは王の嗜みである。その辺の子猫ならばこうはいくまい。さすが余である)


「……ありがとうございます」


「あんた、これからどこへ行くんだい?」


「王都へ行ってみようかと。そこなら、この子の首輪の文字を読める人がいるかもしれないので」


「そうだねぇ、偉い学者さんもいるだろうしね。……それで、王都に知り合いはいるのかい?」


 トリスは慌てて顔を伏せた。


「いえ……」


「なら、あたしの妹が王都にいるからさ。着いたら訪ねてごらん」


「いいんですか?」


「ああ。あんたみたいな良い子なら、妹も喜ぶさ」


 女将から手紙を渡され、トリスは王都へ向けて歩き出した。

 遠ざかる少年の背中を、近所の老人が目を細めて眺めていた。


「なんじゃ、また子供を拾ったのか。お前さんも物好きじゃのう」


「そんなんじゃないよ。あたしも昔、あちこちの旅先で世話になったからねぇ」


「ほっほっ! 元冒険者が、今や宿屋の女将じゃからのう」


 女将は目を細め、トリスの小さな後ろ姿をいつまでも見守っていた。


◇


 王都へ通じる街道沿いの土手。

 黄色い花が一面に咲き誇り、その下にはサラサラと清らかな川が流れている。

 背負い袋に収まる子猫の目の前を、ひらひらと一匹の蝶が舞った。右から左へ、左から右へ。やがて子猫の鼻先に止まり、羽を休める。


(この虫けらが……ひらひらと鬱陶しい!)


 両前足をパチンと合わせて捕らえようとするが、蝶はすんでのところでひらりと舞い上がった。


 子猫は背負い袋から飛び出した。


(ちょこざいな。色のついた蛾の分際で!)

 

 飛びかかる前足を巧みに避けるように、右へ左へ飛んでいく蝶。子猫は必死で蝶を追いかけ、とうとう土手の縁から決死の大ジャンプを繰り出した。

 ——かと思った瞬間、子猫は土手の下に転がっていた『何か』の上へ飛び込んだ。


「ぐはっ……!? た、痛ってぇ……!」


 黄色い花々の間から、若い男が体を起こした。目尻の垂れた、どこか人懐っこそうな顔立ちの男だ。

 トリスが慌てて土手を駆け下りてくる。


「すみません……!」


 男は蝶を咥えた子猫の首根っこをひょいとつまみ上げた。

 子猫は不機嫌そうに鼻へ皺を寄せる。


(どいつもこいつも首根っこを持ちおって!)


「……これ、お前の猫か?」


「あの、僕……飼い主を探していて……」


「めっちゃ俺のみぞおちにダイブしてきたんだけど」


「本当にすみません!」


 男はトリスの手に子猫を戻すと、面倒くさそうに立ち上がった。


「……まあ、猫飼ってるとよくあるよな」


 それだけ言い捨てると、男は振り返りもせず去っていった。

 子猫の魔王は咥えていた蝶をポトリと地面へ落とし、つまらなさそうに鼻を鳴らす。


(ふん。下等な人間など、余の着地の踏み台にしかならんわ)

「にゃあ!(ドヤ顔)」


 トリスは子猫を両手で抱き上げ、顔の前で「めっ!」と短く叱ると、背負い袋を地面に降ろして口を開けた。子猫がひょいとみずから入ると、トリスは再び袋を背負って歩き出した。


◇


 夕暮れ時、二人は次の町へ到着した。

 子供一人と猫一匹の客に、宿屋の主人はあからさまに眉をひそめたが、「屋根裏で構いません」と言うと渋々頷いた。

 屋根裏に荷物を置き、トリスは子猫を抱えて一階の食堂へ降りていく。

 店内は混み合い、大人たちが大声で笑いながら酒を酌み交わしていた。

 少々気圧されるトリスの前に、スープとパンが運ばれる。足元にはヤギ乳の皿。

 子猫が皿に顔を突っ込んでいると、目の前にすっと男の靴が現れた。

 子猫が見上げると、そこに立っていたのは昼間の男だった。


「よお坊主、奇遇だな」


「あ、昼間の……」


 男は店の奥で食事を注文すると、躊躇もなくトリスの正面に腰掛けた。

 やがて男の前に、豪勢な肉料理とエールが運ばれてくる。男は腸詰めとパンを口に押し込み、エールで一気に流し込んだ。


「ぷはぁっ! 久しぶりのまともな飯だ!」


 男は見る間に皿を空にしていく。

 子猫の魔王は目を細め、足元から男の様子をじっと見つめていた。


「お前、名前はなんていうんだ?」


「トリスです」


「へえ、俺はフェルク。お前、一人旅か?」


「はい」


「そうか。世の中には悪い大人がたくさんいるから、気をつけろよ」


「……はい」


 フェルクと名乗った男はエールを飲み干すと、サッと立ち上がり、そのまま風のように宿を出て行った。

 トリスが再び自分の皿に向かおうとしたその時、険しい顔をした宿の主人がやってきた。


「おい、さっきの男……あんたの親戚だって?」


「え? 違いますけど……ここに来る途中で少し話しただけで」


「なんだって!? ……くそっ、やられた! 食い逃げだ! あいつ『代金はあのガキに渡してある』と言いやがったぞ!」


「えっ……!? そんな……!」


 青ざめるトリスを横目に、子猫の魔王はすっと姿を消した。

 雑踏の中に消えていく男の後ろを、小さな影が音もなく追っていた。

次回、第12話 「魔王、迷子になる」 10月22日(木)19:15更新予定

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