10 魔王、発見される
町の宿へ到着すると、恰幅のいい女将が扉を開けた。痩せこけたトリスを頭から足元までジロジロと見つめ、眉をひそめる。
「あんた、村の子かい。うちに何の用だい?」
「あの……一晩、泊めてほしくて」
トリスはポケットからなけなしの小銭を取り出し、掌に広げた。女将はその痩せた指をじっと見つめる。
「これじゃ宿代にはまるで足りないよ」
「あのっ、物置でも構いませんから!」
「物置なんか貸せないね。……そうだねぇ。明日一日しっかり働いてくれるなら、屋根裏くらいは貸してやるよ」
「本当ですか!? お願いします!」
厨房へ案内されると、隣の食堂からは大人たちの賑やかな談笑が聞こえてきた。女将はトリスを隅のテーブルへ座らせると、具がゴロゴロ入ったスープと顔ほどもあるパンをドスンと置いた。
トリスは目を丸くする。
「あの……これは?」
「あんた、この先の村から来たんだろ? あそこは最近、魔族に襲われたって聞いたよ」
「はい。食べ物がなくなっちゃって……」
「行くあてはあるのかい?」
「いえ……でも、この子の飼い主さんを探しているんです」
トリスが背負い袋を開けると、黒猫がぴょんと飛び降りた。
ツヤツヤの毛並みを誇示するように尻尾をピンと立て、優雅に歩き出す。
「立派な首輪だね。飼い猫かい?」
「そうだと思うんです。カラスに襲われていて……」
女将は木の椀を取り出すと、桶からミルクを注いで床に置いた。
「ヤギの乳だよ。これでいいかい?」
「ありがとうございます!」
女将が食堂へ戻ると、子猫はミルクの前に腰を下ろした。
(床に置かれるのは不愉快だが、今の余はただの猫に見えるのだろうから目をつぶってやる)
木の椀に顔を突っ込み、舌をペロペロと動かす。
(ふむ。やはり村で飲んだ搾りたての方が美味かったな。不味くはないが香りが落ちる)
髭についたミルクを前足で拭っていると、壁の隙間から妖しく光る二つの目。魔王は気づかぬフリをして、顔を洗い続けた。
◇
夜半。屋根裏で眠るトリスの枕元で、子猫の魔王は丸くなっていた。
そこへ、外から静かな声が届く。
「魔王様、魔王様……」
ネヴィルだ。
子猫はわずかに開いた天窓から外へ出た。月明かりの差す藁葺き屋根の上に、ネヴィルが佇んでいる。子猫の姿を認めると、すっと膝をついた。
とことこと歩み寄る子猫の前で、ネヴィルは懐から何かを取り出した。
「『棺桶最中』でございます。こちらが粒餡でこちらがこし餡となっております」
子猫はフンフンと匂いを嗅ぐと、前足をひょいと片方の最中に乗せた。
——こし餡だ。
「間違いない。魔王様……!」
(そんなもので判別するなバカ者!)
「にゃーっ!(失礼な!)」
威嚇するように毛を逆立てる子猫を無視し、ネヴィルは淡々と報告を始めた。
「魔王様。魔界では今、メルシェラ様が『魔族会議』の招集を要求されました。もしそこで魔王様の不在が明らかになれば……玉座を巡り、戦争となります」
ネヴィルは顔色一つ変えず、子猫の耳元で囁いた。
「——魔界大戦、です」
子猫は前足を揃え、じっと耳を傾ける。
ネヴィルは魔王城の廊下に捨てられていた赤い首輪を子猫の前に差し出した。
「魔王様、こちらがお姿を猫に変えた術式でございます。元のお姿へ戻す方法はまだわかりません。しかし、無力な子猫の状態で魔界へ戻るのも危険に思われます」
子猫の魔王は首輪に書かれた魔法陣に目を凝らした。
(『成り済ましの魔法』……余の言葉と魔力をあたかも己のもののように術に取り込んだか。セルヴェディオらしい、実に姑息な術だ)
「私は、魔界で魔族会議への対応をいたします。幸い、優しげな少年とご一緒の様子。魔王様はこちらで術を解けそうな魔術師を探してはいただけないでしょうか」
——かつて、勇者と共に魔王軍へ挑んできた、恐ろしいほどの魔力を持つ人間の魔術師。
(今、魔王城に攻め込んでくる奴はポンコツばかりだが……昔の人間には確かに余に匹敵するような化け物がいたな。奴らを利用できれば……)
「にゃっ!(承知した!)」
ネヴィルは小さく頷き、立ち上がった。
「では、私は一度魔界へ戻ります。会議まで極力引き延ばしますので」
「にゃ!(良きに計らえ!)」
闇の中へ消えていくネヴィルを見送り、子猫は天窓から屋根裏へ戻った。
トリスの枕元で身体を伏せ、ふと顔を上げると、部屋の隅に再び怪しい眼光。
——ネズミだ。
(ふん、ネズミか。下等生物め)
前足の上に顎を乗せ、目を閉じる。尻尾だけがゆらゆらと揺れていた。
——カリカリ。
壁の奥で柱を齧る音が響く。子猫の耳がピクリと跳ねた。
——カサリ。
床を踏む、小さな足音。
直後、子猫はバッと飛び起きた!
逃げ惑うネズミを猛スピードで追い回す!
(このドブネズミめ! 余の安眠を妨げるとは何事だ! カリカリとうるさいわ!!)
「にゃーーーっ!」
子猫がピタッと止まると、ネズミも止まる。
再び猛追!
屋根裏で攻防が繰り広げられる。
「にゃーーーっ!」
幾度かの死闘の末、ついにネズミは「チュッ!」と悲鳴を上げて捕まった。
首根っこを咥え、熟睡するトリスの枕元にポイと置く。これでようやく、魔王は眠りにつくことができた。
◇
翌朝。少年の情けない悲鳴で目が覚めた。
「ひぁっ!? ネ、ネズミ……!?」
驚くトリスの前で、子猫は捕獲したネズミを前足で押さえつけ、どや顔で甲高い声を上げた。
(見よ、我が戦利品を! 害獣を見事討ち取ってやったぞ! 余を敬い、讃えるがよい!)
「にゃあーっ!(どうだ!)」
そこへ、はしごを登ってきた女将が顔を出した。
「そろそろ起きな。朝飯が終わったら仕事だよ——って、ひっ!?」
女将が引きつった声を上げる。
子猫がネズミを咥え、とことこと歩いてくる。
「な、ネズミ!? やだねぇ、そんな汚いもの早く外へ捨てておいで!」
ぽとり、と子猫の口からネズミが落ちた。
(……解せぬ)
女将がはしごを下りていくと、子猫は全身の毛を逆立てた。
(無能な人間どもには出来ぬ害獣駆除をやってやったというのに、感謝の言葉一つないとはどういうことだ!)
「にゃあ! にゃあ! にゃあ!」
おかんむりの子猫の背中を、トリスがそっと撫でた。
「僕が寝ている間に捕まえてくれたんだね。ありがとう」
(ふん。貴様のためではないが……まあ、感謝するなら許してやろう)
「でもね、みんなネズミは苦手だから外に捨てようね」
トリスはネズミの尻尾を指先でつまむと、天窓から屋根の上へポイと投げ捨てた。そして不機嫌な表情の子猫を優しく抱き上げる。
「さあ、ご飯を食べに行こう。僕も君に負けないように働かなくちゃ」
次回、第11話 「魔王、男に出会う」 10月20日(火)19:15更新予定




