1章 第7話 ギルド職員電話をかけた
ルナ・リングハートとの話し合いを終えて。
ついでにもう数杯ほど酒を飲み、ムクロは『輝ける太陽亭』をあとにした。
酒精の強い琥珀酒を合計で十杯ほども飲んだが、彼の思考に曇りはない。
酒場を出てすぐは気楽な表情を浮かべていたが、一歩、また一歩と彼に割り当てられた宿舎に近づくたびに、その顔からは表情が抜け落ちていく。
ムクロ・スパルダに割り当てられた宿舎は、ほかの寮住まいのギルド職員のそれとは違った。
書類上は、アルノーにダンジョンが発生し、ギルド支部が設立された初期に建てられた旧・ギルド宿舎ということになっている。
出向してきたムクロのために、現用の寮の部屋を空ける余裕が無かったから、彼は一人だけこの古い宿舎に押し込められた――そういうことになっている。
鍵を差し込み、宿舎の扉を開こうとしてムクロは顔に緊張を走らせる。
(鍵が、かかっていない?)
警戒と共に、音を殺して室内へと入り込む。
宿舎の中では、確かに消したはずの明かりが灯っていた。
更には、《《人の気配》》。
ムクロは腰の剣に手をかけて、そして。
「先輩おっかえりなさーい! ワタシにします? ワタシにしますよね? ワタシにするって言えやコノヤロー!」
ドタバタと足音を立てて、部屋の奥から現れた流墨色の髪をした女を見て、ムクロは緊張を解く。
代わりにげんなりとした表情を浮かべた。
「レイテ、お前が来たのか……」
「はい! 罷り越しました!」
その女は、レイテ・レノというムクロの同僚であった。いつの頃からか彼のことを先輩と呼び、なにかにつけてまとわりついてくる。
ムクロはレイテの格好を見て顔をしかめた。
「お前その格好でここまで来たのか?」
「良いですね! 女の子の服装を褒めるところから入る! 得点高いですよ!」
「褒め要素なかったろ……」
レイテはひどく少女趣味な、波打った飾り布が多用された服を着ていた。
ダンジョンでのドロップアイテムに見られる造形で、ダンジョン様式と呼ばれるものだ。
付与効果を目当てにした女性冒険者と一部の若い女性に人気があるが。
世間一般的な視線では、私服でその意匠の服を着る者はいわゆる《《イタい女》》か《《春をひさぐ女》》と見られがちだった。
「オレがそういう店の女を呼んだと勘違いされるだろうが」
「えー! ……じゃあ、勘違いを無くすために、《《そういうこと》》、しちゃいます?」
スススとムクロに近寄り、その腕に身を擦り寄せてくるレイテ。
無言でそれを軽く引き剥がして、ムクロは歩を進めた。
向かう先は地下。そこに目当ての道具があった。
引き剥がされてもめげずについて来るレイテへと尋ねる。
「それで修理は済んだのか? そのために来たんだろ?」
「あー。修理ですか……」
「まさかしてないのか?」
流石にそれは怠惰が過ぎると、ムクロはレイテを睨む。
故障すると様々な不都合の出る重要な『機械』。それをどうにかするために連絡員に無理を言って修理が出来る者を呼んだのだ。
対して、レイテは苦笑を返した。
「単に電源が繋がってないだけでしたよ」
「……そうか、スマン」
「んもー先輩のオッチョコチョイ! 機械に弱いのもカワイイ!」
わざわざ連絡員を使い、人を呼びつけた結果、単なる自分の確認漏れだったことに、ムクロは流石に申し訳なく思った。
だが気を取り直し、椅子に座ると電源が繋がれたそれを手に取る。
それは、連絡のための道具だった。
しかし、ギルドや国家機関で広く使われている魔具、共有の書字版ではない。
電流を振動に換え、振動を電流に換える鉱石を用いて作られたそれ。
《《電話機という機械》》であった。
誰に知られることもなく、大陸中に電話機とそれをつなぐ電話網は張り巡らされ、大陸中でただ数人だけが、それを使っている。
「申します。申します」
「|ただいま聞こえております《ヌンク・アウディラ・エスト》」
ムクロの呼びかけに、電話の向こうで若い女が答える。
それは電話連絡をする際の常の呼びかけだった。
続けて、符牒を口にする。
「|偽銀は銀にあらざれど、銀より真に世を映す《ニヴァシル・ノン・ヴァルシル・エスト・セド・ヴァレルム・ムンディ・プロフレク》。――オレだ。ギルド長に代わってくれ」
「承りました」
交換手が目当ての相手を呼び出すのをムクロは待つ。
そのとき、そばに立っていたレイテが椅子に座るムクロへとしなだれかかって来た。
「おい」
「電話機が故障だーはやくなおしてくれー! 大変大変! レイテちゃん走る! 先輩のためにえっほえっほ! あれれー? おかしいなー? 単に電源が繋がってないだけだぞー? 頑張って走ってきたのになー。こんなことで呼び出されてレイテちゃんはかわいそうだなー。健気なレイテちゃんを邪険にするなんてそんな酷い人いるのかなー?」
ムクロは黙って、受話器を握ったのとは逆の手でしなだれかかるレイテの身体を支えてやった。
レイテは嬉しそうに、ムクロの首に腕を回してその身体をすりよせる。
そんなひどく緊張感の欠けたやりとりをしている間に、受話器から声が響く。
とても澄んだ声。
「申します。申します。――どうやら電話機の故障は直ったみたいね、ムクロ」
「いまは故障の件には触れないでくれ……」
声の主は、本来の要件の相手。
ファラキア・エルフ。
冒険者ギルドの頂点に立つギルド長であり。
ギルド長であるとは《《知られていない》》女だった。
察するところがあったのか、ムクロの沈んだ声にクスクスという笑い声のみで応じて、ファラキアは本題へと入った。
「それで、どうだったのかしら? ルナ・リングハートとの取引は」
「無事に済んだ。とりあえず、明日は魔力回復につとめて、明後日から冒険者連中の動きを探ってもらう」
ムクロは先程のルナ・リングハートとのやりとりをファラキアへと説明する。
聞き終えて、ファラキアは嘆息する。
電話越しでも聞こえるように、ひどくわざとらしく。
「やれやれ。面倒事を増やすものね。……出会ったのはダンジョンの下層なんだから、始末してしまえば楽だったのに」
それは冗談めかした口調だったが、ムクロには彼女が本気でそう思っていると分かった。
《《人類全体への奉仕者》》たるファラキア・エルフは、平然とその判断をする。
だがムクロは内心で感じた小さな反発を表にだすことはしなかった。
冗談めいた言葉に対するのにふさわしく、げんなりとした調子で答える。
「出来るかよ。調べてみればレベル65でそこそこの有名人じゃねーか。消えたら騒ぎになる」
「確かに。直前にもう一人『本命』が死んでいるから多少の騒ぎにはなるかもしれないけれど。それくらいどうにでもなるわ」
「それこそ、だ。本命が消えた以上、ここで見つけた『候補者』を軽々に消したくはない」
ルナ・リングハートという一個人を切り捨てる判断は、反発を覚えても看過できた。ムクロ・スパルダにもそういう側面はある。あるいはそういう側面を《《得ざるをえなかった》》。
だが、ルナ・リングハートがもつ『素養』を失うこと。それはムクロには看過し得なかった。
「それにファラキア。お前は把握してたんじゃないか? ルナ・リングハートが《《使える》》と」
「まあ、ね。とはいえあなたが言ったように、彼女は表でまあまあの有名人だもの。『候補者』の中では優先順位は低いわ。まさかあなたから接触することになるなんてね」
「どうせ表からいなくなるなら、死なせるより『候補者』として迎え入れたほうが良いだろうよ。……接触したのはアレだ。そもそもの本命がこっちに着いたころには死んじまってたからな」
ムクロがここアルノーのギルドへ出向したのは、『候補者』との接触が目的だった。
そしてそれはルナ・リングハートではなかった。
『候補者』の名前はイガーニア・ドロスという。ムクロが出向を装ってアルノーのギルドを訪れる数日前、下層へと単独で赴き、そして帰らなかった。
アルノーギルドは彼に死亡認定を出した。
「イガーニア・ドロス。アルノーの街が誇る有望株。単独での躍進っぷりは、まぁ、まず間違いなくなにか《《使って》》いたんでしょうね」
「その死因調査……もしくは死んでいない場合に備えての調査過程でルナ・リングハートに出くわしちまったんだ。不幸な……いや、幸運な事故だった」
イガーニアの死因調査は必要だった。
単に、下層でうまく力が扱えず、モンスターに殺されたのならば《《よし》》。
もしも、《《モンスター以外》》に殺されたのならば、《《悪し》》。
《《死んでいなかった》》としたら。《《なおさらに悪し》》。
後者ふたつの『悪い想定』の場合。
ムクロは、彼が何度も繰り返してきた、彼にしかできない役割を果たす必要があった。
「幸運、ねぇ。それで。あなたは彼女を『候補』として考えているのかしら?」
イガーニアの死因調査は、ムクロにとって予想外の形で頓挫した。
ルナ・リングハートを見つけてしまった。
(もしかしたら⋯⋯)
ムクロは思った。
涙を浮かべた黄玉色の瞳さえ見なければ。
ムクロもまたファラキアと同様に、ルナを見捨てるという判断をしたかもしれない。
少なくとも。あの場、あのとき、あの形での接触の仕方は合理性を欠いていた。
ムクロは追憶に潜ろうとする自分の思考を引き戻した。
ファラキアとの会話を続ける。
「あいつが『候補』かどうかは、これから見極める。ルナ・リングハートがどんな人間かを」
「とりあえず、あまり頭は良くないんじゃないかしら? あなたの穴だらけの言い訳で納得してしまうあたり」
「頭が悪くても使える奴はいる。レイテだってそうだろ」
「あら、あの子は機械の扱いはあなたより上手よ。現に助かったでしょう?」
ムクロとファラキアの通話を身を寄せて聞いていたレイテが「ワタシなんかめっちゃ褒められてます?」と小声で囁く。
ムクロはそれを無視した。
「まあ、な。とりあえず、ルナ・リングハートについてはこないだの『残業』の件を使って、どんな奴なのかを観察させてもらう」
「そう。他ならぬあなたが決めたのなら、好きなようにしなさいな」
ルナ・リングハートがどんな人間なのかを確かめる。きっとファラキアに任せたほうが、それは簡単に済むのだろうとムクロも感じてはいた。
だがムクロより遥かに謀略向きの女であるファラキアは、ムクロの計画を止めなかった。
そして、口にする。彼ら共通の目的を。
「|我らが世界を支配せんために《ウト・レガルス・オルベム・ノルストム》」
「|我らが世界を支配せんために《ウト・レガルス・オルベム・ノルストム》」
電話越しに、二人の間に張り詰めた空気が生まれる。身を寄せていたレイテもまた、その瞬間だけは表情を真面目なものとしていた。
しかし、その緊迫した空気もすぐに消え失せる。
クスクスと笑って、ファラキアは艶やかに囁いた。
「でも、早めに済ませて帰ってきてちょうだいね? そろそろワタシも独り寝が寂しくなってきてしまったから」
その囁きにムクロが面食らっていると、すぐそばにいたレイテが叫ぶ。
「どういうことですか今の!? 寝てるんですか!? いつもは!? ギルド長と先輩が!? そんな! 脳が! 破壊される!!!」
「あら、男女の睦言を盗み聞きしてる人がいたようね。じゃあね、ムクロ。続きは二人きりのときに」
「おい、お前……」
おそらくとっくに、そばでレイテが聞いていることに気づいてのファラキアのからかい。
それに一言いってやろうとする前に通話が切れる。
「どういうことですか先輩! 寝とるんか!? 寝とるんですか先輩!? 私というものがありながら!?」
「オマエというものは一体なんなんだよ」
「幼妻!」
「三十超えて幼妻は無理があるだろ」
「まだ二十九! まだ二十九だから! それに相対的には——」
「はいはい。わかったよ」
騒ぎ立てるレイテをあしらいながら。
ムクロは明日からの『茶番劇』の予定について思いを馳せた。




