1章 第5話 上級冒険者、無能職員に出会う
扉をくぐって降りた先に広がっていたのは、別世界であった。
下層。
中層までのダンジョンが、床こそ土に覆われているものの、天井や壁は破壊を受け付けないレンガ調だったのに対して、下層はまさしくの洞窟。
ところどころに埋め込まれた光を放つ鉱石のみが光源で、不気味な薄暗さに包まれていた。
数多いる冒険者たちの中でも、ほんの一握りしか降り立つことの許されない世界。
それは、ギルドによる規制以上に、必要とされる強さが異なるからであった。
下層に降り立ってしばしして、ルナの『探魔の銀盤』に反応が現れる。幾つもの赤い光点。
間もなく、通路からわらわらと湧き出てきたモンスターたちを見て、ルナは緊張を高める。
黒鎧蟻。黒い装甲をまとった巨大な蟻である。
その身に纏う装甲は、先程戦った階層主のそれと同様のもの。
物理攻撃および、下位の属性攻撃をほぼ無効化する装甲。
ギルドで見た資料によれば、下層の魔物はそのすべてが同様の装甲をまとっているという。
生半可な攻撃では、傷をつけることすら叶わない。
そんな敵が、五体。
「 風裂刃!」
ルナが放ったのは、風属性の下位剣技であった。
道理からすれば、それは大したダメージを与えることはできない。
だが。
「——!!」
振り抜いた剣の軌跡に沿って飛んだ緑の光刃は、なんらの抵抗すら感じさせずに黒鎧蟻たちをまとめて切り裂いた。
「装備で威力を底上げすれば、下位剣技でも通じるようね」
ルナは満足気に呟く。
ルナ・リングハートのスキル構成は、自身の得意属性である風属性を徹底的に強化する形で成り立っている。
特二等武器・緑柱剣サーガルドをはじめとして、まとった鎧、手甲、脚甲、身につけた装飾品。そのほとんどが風属性攻撃力上昇の効果を持っていた。
それに加えてルナ自身の基礎ステータスも高い。
下層の魔物には下位の属性攻撃は通じないという常識が、ルナ・リングハートには通じない。
モンスターからすれば実に恐るべきことで、ルナ自身にとってはありがたいことだった。
(中位や上位の技を連発する羽目にならずに良かった)
純粋に、燃費の面からありがたいことだった。
どんなにレベルの高い冒険者であっても、魔力量という制約からは逃れられない。
地上で時間をかけて休むことでしか魔力は回復しないのだ。
その魔力を節約する方法は、ルナがここに来るまでにそうしたように、他の冒険者に代わりに戦ってもらうか。
あるいは魔力なしでも攻撃が可能な道具である魔具を使うしか無い。
しかし、魔具は便利であるが、その運用には様々な制約がある。
そういった観点から。魔力消費の少ない下位属性攻撃で下層のモンスターが倒せると確認できたことはルナにとって実にありがたいことだった。
下層での戦闘の感触を掴んだルナのそれからの進撃は早かった。
「風裂刃・連撃!」
現れるモンスターを次々となぎ倒し、そのドロップアイテムを確認する。
そのほとんどは指輪。魔力を込めて発動句を唱えることで光属性の攻撃を放つレアアイテムであった。
しかし、ルナの今回の本命は、更にレアな『転光の指輪』というドロップアイテムだった。
その効果は、発動すると放たれた属性攻撃の威力をそのままに、光属性攻撃へと変換してくれるというものだ。
風属性を極めつつあるルナが、光属性の強力な攻撃をその手札に加えることができる。
下層のモンスターに光属性弱点の個体が多いことを考えるならば、今後のダンジョン攻略に必須とも言えるアイテムであった。
『転光の指輪』の獲得報告は少ない。
だが、ルナがギルドの資料を調べた結果、このアルノーのダンジョン下層で出現する黒鎧蟻の上位種、黒鎧兵長蟻からのレアドロップとして獲得報告が記録されていた。
他のダンジョンの他の魔物からドロップが報告されていないわけではなかった、そのいずれも遭遇難度も討伐難度も高いモンスターであり、効率の面からはアルノーのダンジョンで黒鎧兵長蟻狩りをするのが最も良いとルナは判断して、今回の遠征を実施したのだった。
(とはいえ、ギルドの資料によれば黒鎧兵長蟻は難敵……)
黒鎧蟻は強化した下位属性攻撃で倒せるが、黒鎧兵長蟻は攻撃力・防御力・そして機動力のすべてが黒鎧蟻を上回っているという。
威力の高い中位や上位の属性攻撃を使えば倒せるは倒せるだろうが、魔力消費量が増加してしまう。
レアドロップ狙いとなれば、1体や2体倒した程度で目的のものが得られるとは思えない。
継戦能力を維持するには、的確に弱点部位を攻撃する立ち回りが求められるだろう。
(ここらでひとつ、「おまじない」をしておきましょうか)
ルナは、ひとつの決断をした。
それは、ルナ・リングハートが冒険者登録から7年という短期間でレベル65まで駆け上がることができたちょっとした《《裏技》》であった。
『探魔の銀盤』で周りに魔物の気配が無いことを確認すると、ルナは目をつぶり、精神を集中させる。
そして集中の対象を周囲から、己の内側へと転じる。
(己の内の、ゆらぎを捉え、全身を巡る管へとそれを通す感覚……)
それは、農夫であった父から教わった「おまじない」。
父は、祖父から、祖父は曽祖父から。ルナの一族に伝わってきた「身体強化のおまじない」であった。
ダンジョンでのレベルアップで手に入る「魔法」や「スキル」とは違う、ステータスに載らない「おまじない」。格好をつけた言い方をするならば『ステータス外魔法』とでも呼ぶべきもの。
詠唱と発動句だけで使える魔法やスキルとは違って、極度の集中を要し、発動まで長い時間がかかる上に、たまに失敗もする。
だが、成功すれば「おまじない」で向上した身体能力に対して通常の身体能力強化スキルが乗る。
極めて強力な「裏技」であった。
(よし! 発動した!)
成功確率は、3回に1回といったところだったが、今回は1回目ですんなりと成功した。
身体に力が満ちていく感覚は、不思議と、通常の身体強化魔法よりも実感に満ちている。
閉じていた目を開き、周囲を確認する。
ルナがおまじないをほどこすのを待っていたかのように、『探魔の銀盤』にひとつの反応。
やがて通路の奥からモンスターが姿を表した。
「また黒鎧蟻ね……風裂刃!」
現れた魔物は黒鎧蟻。下層に踏み込んでから何度も倒した敵に、これまでと同じように風裂刃を叩き込む。
だがしかし。
「なんでっ!?」
発動した風裂刃を食らっても、黒鎧蟻はなんらの痛打を感じたふうもなくルナに向かって突き進んできた。
(当たりどころが悪かったの? それとも特殊個体?)
ルナは後方に向かって大きく跳躍して黒鎧蟻の突進を避けると、別の魔法を発動する。
「鑑定!」
発動が成功し、ステータスウィンドウが開く。
そこに記された情報は、その魔物が間違いなく通常の黒鎧蟻であることを示していた。
「どういうこと……? 風裂刃・強撃!」
中位の風属性剣技を試す。効かない。
「風の巨槍!」
中位の風属性魔法を試す。効かない。
「発動せよ!光の礫弾!」
獲得したばかりドロップアイテムによる、光属性の魔法。効かない。
そうこうしているうちに距離を詰められる。黒鎧蟻の大顎が迫る。
「くっ!らああっ!」
それを撃ち落とすように、ルナは剣戟を放つ。
大顎と剣がかち合い、拮抗する。
「くっ、跳ね除けることも、できない……?」
身体強化のおまじないをしたうえで、身体強化魔法を使っている。さらには物理攻撃強化のスキルも発動しているはず。
だが、ルナの剣は相手を切り裂くどころか、どうにか自分が噛み殺されないように耐えることしかできなかった。
黒鎧蟻の脚がガサガサと動き、徐々にルナを押し込んでいく。
ギチギチと、短刀のように鋭い大顎が剣ごと食い破らんばかりの勢いで激しく蠢く。
殺害という行為を淡々と実行する、感情の無い複眼に覗き込まれ、ルナの胸中についぞ感じたことのない恐怖が芽生える。
「威力極大強化! 風裂刃・極の構え!」
何らかの異常事態。それを感じ取り、ルナは自身の切り札の一枚を切ることを決めた。
ここで極の構えを発動すれば、風の刃の攻撃はルナ自身を巻き込むかもしれないが、風属性特化構成のルナは抵抗力も高い。耐えられるはずだった。
「吹き飛べ!」
階層主の動きを止め、散々に切り裂いた風の刃がただ一体の黒鎧蟻へと殺到する。
直撃と同時に展開されるであろう竜巻に備えて、ルナは踏ん張りを強めた。
しかし、風の刃は黒鎧蟻にぶつかると同時、まるで元から存在しなかったかのように掻き消えた。
「なんでっ!?」
その動揺のせいか、黒鎧蟻の噛みつきを防ぐ手元が狂う。
どうにか拮抗していたルナの剣が押し込まれ、ギチギチと蠢く大顎が間近に迫る。
ステータス的には、黒鎧蟻の一撃を受けたとして、耐えられるはずだ。
ルナの物理防御力は高い。鎧の防御力もある。
体力値がゼロになるまで、冒険者は魔物の攻撃で傷つかない。
だから、押し込まれ、大顎の一撃を食らっても大丈夫。その後に立て直せば良い。
そのはずだ。
今まで冒険者をしてきた常識からすれば、《《そのはず》》である。
だが、どうしてもルナにはそう思えない。
この大顎の一撃は、容易に鎧をひしゃげさせ、ルナの骨を割り、肉を断つ。
そんな予感があった。
そしてその予感の先に待っているのは、死。
絶たれた肉から血が流れ出し、命が溢れる。
死。
常に身近にあると自分に言い聞かせ戒めにしていたはずのそれ。
ここにいたり、物理的に、現実として迫ってきた死の気配。
「くぅ……」
気づけば、ルナの瞳からは涙がこぼれていた。
ルナは必死で剣を支え、大顎の攻撃を防ぎつつも、思考をまとめることすらできずにいた。
怖くてならない。
どうしてこんなことに。死ぬ。なぜ攻撃が効かない。剣を手放して後退? 死にたくない。距離をとって魔法。最適か? 死ぬのか? 可能か? 死。死。死! 死が迫っている!
「泣くんじゃねぇよ。そんな顔で」
どこからか、男の声が聞こえた。
次の瞬間に、自分を殺さんとする大顎の力が、ふと消えた。
「おわっ!」
自分は間抜けな声を上げていると、ルナの中の妙に冷静な部分が感想をもらし、そのままたたらを踏んで転んだ。
黒鎧蟻が斬り殺されて力を失い、にも関わらず剣を押し込んでいたからそうなったのだと、ルナはあとから気づいた。
無様に転んだルナは、起き上がりながら、転ぶ直前の情景を思い起こしていた。
リン、と。鉄と鉄が触れ合ったような音が響いた。
剣閃の輝きが確かに見えた。
それまで傷つけること叶わぬように思えた黒鎧蟻が、いとも容易く切り裂かれた。
そして。それを成した者が、すぐそばに佇んでいた。
黒猫色の髪に、同色の瞳。顔立ちは整っている。だが表情から姿勢から全身から放たれるやる気の無さのせいで、美男という印象は全く受けない。
身にまとうのは、事務員服。
異彩を放つのは、その右手に握られた一振りの剣。
地味で無骨な、なんの魔法効果も無いであろう地上産の片刃剣。
「あなたは……」
ルナはその男を知っていた。ギルドの受付で出会った、不真面目で、やる気のなく、決して有能とは思えないギルド職員。
彼はルナの言葉に何も返さず、頭をガリガリとかきながら「あー、しくじった……」とうなだれていた。
だが、しばしして。
ひどくバツの悪そうな顔をして、こう言った。
「ものは相談なんだが。オレがここにいたこと、黙っててくれない?」
振り返った男に胸元には、ギルド職員であることを示す名札がある。
記された名前は、ムクロ・スパルダ。




