1章 第14話 暗い森の中を行く
馬車が、アルノーの街から続く舗装路を進む。
ちょうど森のそばに差し掛かったところだった。
これから先しばらく、窓から見える光景は木々ばかりとなることだろう。
アルノーに限られた話ではない。大陸世界において街と街の間は、鬱蒼とした森が広がっていることが多い。
かつては薪を得るために伐採され、森はその面積を減らしていたが、ダンジョンから熱石をはじめとした様々な物品が産出するようになり、薪の需要がほぼ消滅したことで、街と街をつなぐ街道を除き、多くの森が手つかずのまま残されることとなった。
いずれ人口が増加し都市が拡大すれば、それらの森も切り拓かれることになるのだろうが、今日明日の話ではない。
とりあえず。ルナ・リングハートにとって。目前の森の行く末よりも先に、自分の行く末のほうが大事だった。
だが、しかし。
「でね?まあ、その上司ってのが嫌な女で!ワタシがそばで聞いてるの知ってて関係匂わせとかしてくるんですよ! そんなもん脳破壊ですよ脳破壊! ちくしょうあのアマ人間じゃねえ!」
「脳が破壊されるのは、大変ね……」
ムクロ・スパルダに挑み、そして無様に打ち倒されたルナ。
武器を破壊され、昏倒させられ、気付いたときには馬車の中だった。
ムクロは「詳しい話はコイツに聞け」との言葉と共に去り、そして今こうしている。
ルナに抵抗の意思はなかった。というより、抵抗の手段をことごとく奪われ、その意思をくじかれたというべきか。
主力武装である剣は折られ、ステータスは出せなくなり、強化された力は失われた。
今は命をつなぎ、そして知ることから始めるべき。そう判断して言われるがまま馬車に乗り、「詳しい話」を聞く心づもりだったのだが。
レイテ・レノと名乗った目の前の女性。
ダンジョン調の衣装をまとった彼女は、自己紹介以降、自分と先輩——ムクロのことだろう——にまつわる恋愛話と愚痴話を繰り広げるばかりで、なんらの重要な話をしてくれなかった。
「そもそもギルド長と先輩との恋愛なんて無し寄りの無しですよ。権力勾配を背景にした愛なんて邪道も邪道! やっぱり?先輩みたいな人に? お似合いなのは? ワタシみたいな? かつて危機から救った可憐な美少女! コレよコレ!」
「あー、それだと私も対象になっちゃうんじゃないの……?」
とりあえず、一方的にレイテだけが話し続ける状況を変えようと軽く反論じみたものをする。
瞬間、レイテはガシリとルナの肩を掴んできた。
「寝たんか!? お前先輩と寝たんか!? 何も知らないか弱い美少女であるのを良いことに庇護欲あおって褥を濡らしたんか!?」
「ね、寝ても濡らしてもないわよ!」
ルナは肩を掴んだ腕を引きはがしながら即座に否定する。
対してレイテは額の汗をぬぐう仕草をしながら大きく息を吐いて見せた。
「はあ、良かった……また寝取られかと。また脳破壊かと。伝説の巨竜でも脳破壊攻撃を二回も食らったら死ぬんです。気を付けてください」
「わかったわ——って!そんなことより! 一体いつになったら詳しい話ってやつを聞かせてくれるのよ!」
「え。ワタシと先輩の詳しい関係性については現在進行形で懇切丁寧、おっと時系列! 確かにワタシと先輩の馴れ初めの場面から始めた方がよかったですねレイテ反省! そうそれは雪の降る夜あの町で当時は美少女ならぬ美幼女だったワタシは」
「そうじゃなくて!あんた達は結局何者なのかとか! ムクロが使ってた力はなんなのかとか! 私をどうするつもりなのかとか! そういうことよ!」
レイテの調子に付き合っていたらいつまで経ってもまともな話ができないと悟り。ルナはその語りを断ち切るようにして叫んだ。
「詳しい説明ってそっちのことですか。先輩からはどこまで聞きました?」
「どこまでも何も。ギルド戦力ってことだけはアイツ自身が認めたけど、それ以外はなにも」
「あー。とことん丸投げされっちゃたワケですねワタシは……」
呆れたようにひとつため息をついて、レイテは表情をあらためた。
「先輩にお願いされましたから。ここからは真面目に話しますね」
そこにこれまでにない真剣さを感じ取り、ルナもまた背筋を正す。
「じゃあルナさん。まずお聞きしますけど、魔法ってなんです?」
「それは……」
あまりにも端的な問いかけに、逆にルナはどう答えていいものか迷ってしまう。
それを読み取ったのだろう、レイテは苦笑して言う。
「別に凝った答えでなくとも良いですよ。思ったまま答えてみてください」
「魔法は、レベルアップすることで手に入る超常の力よ。ステータス画面で確認できる詠唱文を唱えてから、発動を念じつつ発動句を唱えることで行使できて、使用すると魔力が消費される。魔法には火・水・風・土・闇・光の六属性があって、個人によって得意相性と苦手相性がある。モンスター側にも属性が—―」
「あー。魔法に関してはそんな感じで良いです。ありがとうございました。じゃあ、レベルアップってなんです?」
再びの、極めて基本的な常識に関する質問。
意図を測りかねながらもルナは答えた。
「ダンジョンに出現するモンスターを倒して、経験値を得ることによるステータス向上。攻撃力や体力値、敏捷性といったステータスが向上して、たまに新しい魔法やスキルが得られるわ。最初は簡単にレベルアップできるけど、レベルが高くなるにつれて必要な経験値は多なって、更に同じモンスターを倒したときの経験値も減るからだんだんレベルアップは難しくなる」
「要点をまとめた良い説明ですねー。じゃあ、モンスターを倒すことで得られる恩恵はレベルアップだけですか?」
一般常識以前の問いかけに、いい加減もどかしくなってくるがそれでもルナは辛抱強く答えた。
「モンスターを倒すとドロップアイテムが手に入るわ。武器や防具をはじめとした色々な魔具に、魔石や食料、日用品まで。倒したモンスターが強いほどレアリティの高いアイテムが――」
「ああ。そこまでで良いですよ。出そろいました」
ルナの答えを遮って。レイテは真剣な表情を作った。
否。
そこにあるのは単なる真摯さだけでは無かった。
ルナの見る目に間違いがないのであれば。
レイテの表情に真摯さと共に混じるのは憐憫と、《《そして暗い愉悦》》。
そうしてレイテ・レノは言い放った。
「レベル、ステータス、属性、経験値、スキル、モンスターにドロップアイテム。それらは《《全部》》、《《嘘なんです》》」
レイテの口にした端的な言葉。
『嘘』。
その極めて単純な一言は、しかし、全く理解しがたいものだった。
「は? 嘘? 何をいってるのよアナタ」
「そういう反応になりますよねぇ」
レイテは困ったように苦笑して、言い直す。
「全部が嘘っていうのは、確かちょっとに違いますね。ダンジョンにはモンスターがいるし、モンスターを倒せばドロップアイテムは手に入ります」
ルナは頷く。現にその通りだからだ。それこそがこの社会の常識であり、根幹だ。
そんなルナを見て、レイテは薄く笑って言った。なんとも取り難い笑だった。嘲笑のような、自嘲のような。
「でもね――ルナさんも、他の冒険者の皆さんも。一切強くなっていませんし、魔法を覚えてもいません。それは《《全部見せかけ》》です」
何を言っているんだ。この女は。
現にルナは魔法が放てる。
現にルナの身体能力は上がっている。
ステータス画面に獲得経験値は表示されるし。
レベルや能力、使える魔法にスキルの一覧も表示される。
《《今は》》、《《なぜだか》》使えないが。
「《《演出なんです》》よ。全部。強い魔法で強いモンスターを倒して強くなった? そんなことは起こっていません。強そうに見える魔法っぽい光やら風やらが出る演出があって、強そうに見えるモンスターの形をしたハリボテが、強い攻撃を受けた素振りをして壊れるだけです。そしてステータスとかいう数字が上がったのを見て喜んでいる。冒険者は単にそういう遊戯をしているだけです」
自分たちの努力や鍛錬を遊戯と断じられ、ルナは思わず反論したくなった。
だが同時に、思い当たるフシもあった。
例えば下層で、急に自分が弱くなり、相手のモンスターが強くなった様に感じたあの現象。
そしてついさきほど、ムクロと対峙して以降。
《《今だけ》》。《《何故か》》。《《不思議なことに》》。ステータスを開けず、魔法も使えず、力も弱くなった有り様。
それがおかしくなったのではなく、単に元に戻っただけだとしたら。
《《その状態こそが本来の姿》》なのだとしたら。
それでもやはり、弱々しくはあれど反論せずにはいられなかった。
「でも、でも現に、レベルアップした冒険者は力も強いし、体力値や防御力だって……」
「それはアレですね。皆さん馴染みの言葉で言うとバフです。ダンジョンが強くなった錯覚を与えるために一時的に与えただけの力。《《素の力はなんにも変わってない》》です。だからダンジョンから出てしばらくすると弱体化するでしょ?」
それでまた皆さんダンジョンに潜っちゃうんですよねー、と仕方無さそうにレイテは笑った。
「そして与えられる、ドロップアイテムというご褒美。だから人はダンジョンに潜る。何度も何度も。ダンジョンで戦うことが生活の根幹になる。——でも、ワタシたちは《《何も生み出していない》》」
『ダンジョン依存社会』。先日ふと思い出した言葉が、ルナの脳裏をよぎる。
「全部が全部、ダンジョンの罠で、エサです。ワタシたちの成長を妨げるための。発展させる必要を無くすための。欲するものはダンジョンが与えてくれる。そのせいで、ワタシたちは『《《本当の魔法》》』の解明も進んでいないし、なんなら製鉄技術すら失いかけています。だってダンジョンが全部与えてくれるから」
レイテは続ける。
「それらの動力源になっているのは、皆さんの魔力。ダンジョンに入る度に徴収されたそれで、ステータスという幻想や、モンスターという適度な試練、ドロップアイテムというご褒美は作られている」
ダンジョンによって、ひどく大掛かりな詐術がかけられている。この大陸世界に住まううもの、誰も彼もが全員。
レイテの言っているのはそういうことだった。
そう言いたいということは、ルナにもかろうじて分かった。
「ルナさんがそうであるように。魔法とはレベルアップして覚えるものだ、戦えば強くなるんだと誤解させて、《《魔法への理解を遠ざける》》。コレがダンジョンのひとつめの目的。ふたつめの目的は便利な道具をポコポコ与えて、科学や技術の発展を妨げつつも、《《社会だけは発展させて人間の数を増やす》》こと。みっつめの目的は、そうして《《増やした人類から魔力を奪う》》こと」
信じがたい話だった。同時に否定できるだけの材料をルナは持たない。
「そんな、それが本当だとして、誰が? なんのため、どうやって……」
ルナは、震える声でそう尋ねる。
ちょうどそのとき、馬車の中に影がさす。
道が《《暗い森》》の中への差し掛かったのだった。
「この地上にそんなことが出来る存在はいません。それは、《《暗い空の先》》から来ました」
レイテは指を上に向ける。
「この恒星系の遥か彼方から放たれた魔法の波。《《恒星間侵略魔法》》」
それがダンジョンの正体です、とレイテは言う。
ルナは混乱する。かろうじて何を言っているか意味だけは分かっていた彼女の言葉だったが、いよいよもって単語の意味すらわからなくなってくる。
「何万光年も離れた、高度に発展した魔法文明による魔法攻撃。目的は魔法使用が可能な知的生命体の発展を防ぎ、同時にその生命体の数を増やすこと。自分たちの脅威となる魔法文明が生まれることを防ぎ、同時に、魔力の貯蔵庫として養殖すること」
恒星? 光年? それはどういう意味の言葉だ。
「端的に言うと。ワタシたちは戦った実感すら無く負けて、成長していないのに成長した気分にされて、搾取されている実感すらなく搾取されて、この惑星に来たことすら無い連中に支配されてるってことです」
混乱するルナの様子を見て取ったのか、レイテは要約を口にする。だがその言葉の中にも理解できない単語が混じっている。惑星とは何だ。
それともそもそも、ルナの理解を待ってすらいないのか。
レイテの言葉には独言めいた響きが強くなっていた。
「でもそのままじゃ終われない。だから、ごくごく一部の人間が抗っている。|我らが世界を支配せんために《ウト・レガルス・オルベム・ノルストム》」
|我らが世界を支配せんために《ウト・レガルス・オルベム・ノルストム》。
その言葉にルナはハッとした。それはムクロもまた口にしていた言葉。
その時は漠然と、ギルドによる世界支配を目論むものだと感じたが、実際には違う。
いま《《現在》》、《《我々のものではない世界》》を、取り戻そうとする決意表明。
「あなたやムクロがその抗っている人間ってこと?」
「ええ。ギルド戦力。ダンジョンの見せる偽りの魔法ではなく、本当の魔法を用いて戦う、この世界で唯一戦力と呼べる者たち」
全ては理解できないが、ルナにもいくつか、分かってきたことがあった。
そして予測できることも。
「ムクロが使った、私のステータスを消したのが本当の魔法」
「ええ。実は最も簡単なやつなんですよね。魔法妨害の魔法」
「そして、私がときどき使っていた『おまじない』、ステータスに載らない身体強化も……」
「そう。細々と残ってるんですよ。効果の小さい、ちょっとした、でも本当の魔法が使える人が」
レイテの語った内容の全てが理解できたわけではなかった。
分からないこともあり、容易には飲み込めないこともあり、新たな疑問もいくつも浮かんだ。
だが、ムクロやレイテ達が何者なのかは分かった。
彼らはギルド戦力。今のこの世界に抗う者たち。
ムクロが使ってた力がなんなのかも分かった。
それは本物の魔法。世界から忘れられながらも、確かに残り、そしてルナにもその片鱗が残る力。
そして。ムクロ達がルナをどうするつもりなのかは。
「私も、ギルド戦力の候補ってこと?」
「先輩はそのつもりですね。一から育てるより効率が良いからって言ってました」
「断ったらどうなるの?」
「ここまで話して、そのままで済むと思います?」
言外に、ギルド戦力に加わらなければ殺すと言われてルナは大きく息を吐く。
数日前とは人生の様相が大きく変わってしまった。どころか、信じていた世界の屋台骨すら揺らいでいる。
「まあ、例えそのまま冒険者に戻ったとしても、もう大成はできませんけどね」
「えっ?」
聞き返すルナにレイテは答える。
「まず、先輩にステータス消されちゃったじゃないですか。今のルナさんはステータス無し。レベル0。冒険者としては最初からやり直しです」
「それは、だいぶ衝撃ね……」
冒険者のステータスなど偽りだと説明はされたが、今まで積み上げたレベル65が0になってしまったというのは衝撃を受ける話だった。
強くなりたいと思っていた。でもその強さは偽りだった。
更にはその偽りの強さすら、今は無い。
だが、レイテにとっては「次に」と継いで話し出した後半が本当に言いたいことらしかった。声に宿るのは真剣さと、恐れ。
「そしてなにより。『本当の魔法』を使える人間を見つけると、ダンジョンはそういう人間を殺してしまうか―—『端末』に変えてしまう」
下層は特に危険です。深層から他の『端末』が登ってきますから。




