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「失礼します」
カウザが入室すると父シュトルツはカウザから見て左側の本棚の前に立っていた。帰ってきてすぐなのか騎士服のまま分厚い本を手に取って読んでいる。その左手には赤い指輪がはまっている。カウザが父と会うのは約半年ぶりであった。
「ご無沙汰しております。父上」
カウザは緊張した面持ちでシュトルツへと近づいた。シュトルツは一瞬だけ顔を上げ、すぐに本へと視線を戻した。
「ああ、お前から私を訪ねてくるなど珍しいな」
「はい。お忙しい中、時間をとっていただきありがとうございます」
「…それで、何の用だ」
「父上にお渡ししたいものがありまして」
ぺらぺらと紙をめくる音がする。シュトルツは本から目を離さない。カウザはシュトルツのこの態度が苦手だった。それは否が応でも自分はみじめだと言われているようだからだ。カウザは父から厳しい教育を受けた。だが、兄や弟のように上手くは成果を出せなかった。いつからか父はカウザに期待することを辞めた。カウザは父の期待に応えられなかった自分への落胆と、兄弟に対するひどい劣等感を持つようになった。
「ならば机の上に置いておけ。あとで確認する」
「いえ、これとともに父上に確認したいことがありますので」
カウザは人を信じられなかった。自分に期待されることが怖かった。他人に期待することが嫌だった。だが、それは違うと、勝手に想像するのではなく、しっかり話し合うことが必要だと教えてもらった。人を信じ、人から信じてもらうには話し合いが必要なのだと。だからこそカウザは父の元を訪れた。
「父上はシン・アンダーウッドという人物を覚えていらっしゃいますか?」
「アンダーウッド家の次期当主であろう?一時期だが、様子を見ていた。彼がどうしたのだ」
「父上は現在も彼と交流をされているのですか?」
「なぜおまえがそんなことを気にする」
カウザは手のひらを開きシュトルツへカフスボタンを見せた。
「私は昨日、彼と魔女の店で会いました。これはそこで拾ったものです。父上のものですよね」
シュトルツは本を閉じ、怪訝そうな顔でカウザの方を向いた。
「驚かれないということは彼にこのカフスボタンを渡してはいたのですね」
「ああ。そういえばアンダーウッド家に行かせる前に1つ手渡したと思ってな。落とすとはあいつも不用心なものだ。受け取っておこう」
シュトルツはカウザからカフスボタンを受け取ると執務机の方に向かった。その後ろでカウザは月の剣を取り出し、シュトルツへと振り下ろした。
「…っ!」
「いきなり剣を下ろすとは、騎士の心得はどうした。まあ、こうでもしないとお前は私に指一本も触れることはできないだろうがな」
その剣を軽々とよけ、シュトルツはカウザの首へ剣を向けていた。あと数センチで届くという距離である。
「なぜ剣を向けた。相応の理由がなければお前でも斬る」
「あなたが嘘をついているから」
「嘘だと…?」
「あなたはそのカフスボタンの意味を分かっていない。それは特別製のカフスボタンだ」
「なに?」
シュトルツは分からないようだが、カウザはそのカフスボタンの意味を知っていた。
「母上、何をしているの?」
ある時、カウザの母アモルは庭にでてスケッチブックを広げていた。いつもは剣を持っているその手には、ペンが握られている。
「うん?これはねデザインをしているのよ」
ぎこちない動きでペンを動かしながらアモルは不思議な模様を描いていた。
「これは何の絵?ミミズさん?」
「ミミ…んんっ、カウザ。これはね炎の絵よ」
「炎?」
「そう、炎」
シュトルツのそれまでのカフスボタンは先代の当主と同じデザインのものだった。だがその炎はギラギラとしており、シュトルツには似合わないとアモルは思ったらしい。なので彼に似合うデザインを考えてスケッチしていたのだという。
「炎は炎でも、これは太陽の炎よ。優しくて、温かな炎。私たちを包み込んでくれる嬉しくなるような炎」
「父上はそんなんじゃないよ」
「確かにあなたには厳しく接してしまうときもあるけれど、それはあなたに強く立派になってほしいから。愛情の裏返しなのよ」
「そうなのかな?」
「ふふ、そうね。カウザには花のデザインを考えてあげましょうか。太陽のもとですくすくと成長し、たくましく育つ花の絵を」
「やったー!」
「母上がそのデザインを細工師に依頼したのはシンがこの家を離れた後だ。それ以前に渡すことなど出来ないのですよ」
「くくっ。そうか。あの女がな…。はっ、つくづく邪魔な女だ」
シュトルツは吐き捨てるようにそう呟いた。そうしてカウザへと憎悪のまなざしを向けた。
「お前は母親によく似ているよ。何事にも熱心で、決断したことはすぐに行動しようとする。その結果、どうなるかも考えもせずに」
「っ!」
シュトルツが剣を振るとその風圧でカウザの体は吹き飛ばされ本棚へとぶつかった。その衝撃に耐えきれず、カウザは月の剣を手放してしまった。
「忌々しい過去の遺物が」
「なっ…」
シュトルツは思い切り月の剣を踏み潰した。月の剣はキラキラと光をこぼしながらいとも簡単に粉々になってしまった。




