43:精霊とはじめて遭遇しました?
「エルドアさんっ!」
洞窟から出ると、大きな声と共にリアンが飛び出してきた。いつもは淡々とした幼い顔も、今は驚くほど青ざめて不安げだ。
エルドアは一瞬目を見開いたものの、すぐに冗談っぽく苦笑すると安心させるようにウィンクをして見せた。
「心配ないわよ。怪我もないし、リアンちゃんがくれたポーションも飲まずに済んだから」
「そうですか…良かったです」
リアンはエルドアの言葉が真実だとわかると、ほうと深い息を吐いて胸を抑えた。
自分より何十倍も強いとされる竜であってもこうして心配してみせるのが、人間の不思議なところだとエルドアは思う。時に愚かで先ほど戦った巨人より醜悪な人間も中にはいるが、リアンは他の世界から来たせいか、種族に対する感覚が特に鈍い。
そういうところがエルドアだけでなく、ラスやルシア達の興味を惹くのだろうか。
「でも、たまには心配されるのも悪くないものね」
「ほぇ?」
「なんでもないわ」
エルドアは、そういえばリアンといるようになってから自分はよく笑うようになった、と感じた。
そして思う。やはり友人を持つのは良いことだと。…例えそれが、短い一時のことであったとしても。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「さて、無事『イグニートディリル』も手に入ったことだし、残るは『ランブルハート』と『フォレストグリーンサファイア』ね」
「そういえば、エルドアさん」
「ん?」
「フォレストグリーンサファイアって風の属性石のことですよね? なんて魔物が落とすんです? 確かナザックさんも、それについては教えてくれなかった気が…」
「あー」
エルドアはすっかり忘れていたように声を上げると、「あれはモンスターが落とすわけではないの」と言った。
「フォレストグリーンサファイアは、別名『エメラルディアの至宝』。樹海の主である精霊ドライアドが長い年月をかけて育てた、属性石の特大結晶のことを言うのよ。たぶんあのドワーフは知らなかったんじゃないかしら」
「精霊、ドライアド…?」
「そ。ここにも迷宮のように主がいるのよ」
「ほぁ…」
ドワーフときて次は精霊。
魔法のある世界なのだからそろそろ動じなくなってはきたものの、それでもこの樹海にも主と呼ばれる精霊がいることは驚きだ。ここが地上の迷宮と呼ばれる所以は、そのあたりにあるのかもしれない。
精霊ドライアドのいる泉までは距離があるとのことで、2人はウルフェン達に騎乗することにした。リアンが結界で足場を作ることにより、フェンリル達は風よりも速く樹海の中を駆けていく。それでも2時間程はかかっただろうか。
「見えてきたわ。あれが泉よ」
エルドアの言葉に風を避けて薄く目を開けると、そこは木々よりもまだ深い緑。
巨大な大木の隙間から、泉と呼ぶにはあまりにも広大な湖面が姿を現す。
「わぁ…」
フェン達が宙に形成した結界の上で足を止める。
リアンは眼下に広がる泉の景色に、思わず感嘆の声を上げた。
その奥底は吸い込まれそうなほど暗いはずなのに、まるでガラスのかけらを内包しているかのように煌めいている。あれも魔素の影響でそう見えるのだろうか。時刻はまだ昼間。辺りはまだ明るいのに、外界と切り離されたような奇妙な感覚を覚えた。リアンはフェンとエルドアを乗せたマルガに、自分達をほとりに下すよう頼む。
「ここに、精霊がいるんですか?」
「いるわよ。そうよね? ドライアド」
―――全く…。
(…え?)
ざわり、とリアンの肌が総毛立つ。
エルドアの言葉に答えるように急に太陽が陰り、湖面が音を立ててさざめく。それと同時に辺りに響く声。
(これが、樹海の主…)
魔物と対峙した時とはまた別の恐怖。
旧知の友人にでも話しかけるかのようなエルドアの口調とは逆に、リアンは酷く自身が緊張しているのを感じた。足元から静かにせりあがってくる、圧倒的な緑の気配。心臓を柔らかく握り込まれるような圧迫感に、知らずごくりと喉が鳴った。
―――火竜がここになんの用なのだ。また前回みたいに炎を使ったら、今度こそタダじゃおかないが…。
「前回は仕方なかったのよ。それは貴女だってわかっているでしょ?」
―――…。
声は一瞬不満げに唸りを上げたが、やがて怒気を収めると沈黙した。
すると湖面が再びさざめき始める。いや、湖面だけではない。地面までもがかすかだが何かに呼応するように揺れている。
「何……」
「大丈夫よ」
リアンはフェンの首に手を回すと、一歩後ずさった。何かが泉の中から現れようとしている。
そうしていよいよ大地の揺れが真っ直ぐ立てなくなるほど大きくなったその時、リアンとエルドアが見つめる前で水面が大きく膨れ上がった。
「―――っ!」
もはや声も出ない。
水中からあらわれたのは、巨大な人の頭。…それも髪の毛から顔まで、全てが緑色に染まった女性の姿だったのだ。
(こ、これが…精霊…!?)
魔物とも竜とも違うその威圧感に、リアンの足が竦む。
ただの恐怖ではない。これは畏れ…、自分よりも明らかに上位の威厳ある存在に対する、畏怖の念だ。
ドライアドはそんなリアンの様子を気にする風もなく、その巨大な上半身を水面から出すとほとりに肘をつきそれをそのまま頬杖とした。
「久しいな、火竜の子」
「久しぶりね、偉大なる精霊」
「思ってもいない世辞は止めろ」
その姿は女性に見えるものの、声は複数人のものが入り交ざったような奇妙な響きだった。水の中から聞こえているかのような、直接耳元で響いているかのような…。
「何年ぶりだ? しばらく姿を見せていなかったが」
ドライアドは、どこかけだるげな様子でエルドアに尋ねた。
「いつもの冬眠期間に入ってたのよ。50年ほどね」
「では互いに寝起きか。…なんだ、今日は人の子も一緒か。食うのか?」
「違うわよ」
2人は本気か冗談かよくわからない掛け合いをすると、束の間互いの近況を報告しあった。
エルドアは最近眠りから目覚めたこと。そしてドライアドはこの樹海は数百年前から全く変わっていないこと。エルドアも竜として長寿だが、ドライアドはそれ以上に長生きらしかった。いや、もしかしたら精霊には時間の感覚というものすらないのかもしれない。
だがそんな2人の穏やかそうに見える会話も、次のエルドアの一言までだった。
「それで本題なのだけど、ドライアド。今日はちょっとお願いがあって来たの。――貴女の持っているフォレストグリーンサファイアをひとつ譲ってもらえないかしら?」
「…わざわざ我等の眠りを妨げてまで呼び出したのは、そのためか」
「ええ」
ドライアドは喉の奥で低いうなり声を上げると、そこで初めてちらとリアンに視線を寄越した。
「その娘が使うのか」
「そうよ」
そうして再びの沈黙。
リアンはその眼差しの強さと耳が痛くなるほどの静けさに、この場から逃げ去ってしまいたい衝動に駆られた。
だがエルドアが自分のために骨を折ってくれているのだ。ここまで来て、無責任に投げ出すことは出来ない。
ドライアドはそんな真っ青な顔で固まっているリアンをしばしの間見つめていたが、やがて瞼を伏せると「ふむ」と一言呟いた。
「まぁそこまで厄介事にまみれていれば、肩入れする気持ちもわからなくはないが…」
「…が?」
「無論、タダでやるわけにはいかん。アレを手放すことはやぶさかではないが、人の子には分不相応というものだ」
「あら、そう? 前はいらないって言ってたのに、勿体付けちゃって」
「煩い。兎に角そうなのだ」
ドライアドは揶揄するようなエルドアの言葉にふんと鼻を鳴らすと、リアンに向かって「おい娘」と声をかけた。
「は、はい…」
「今この森の入り口に人の軍勢が来ている。そいつらを一人で追い返せば、我が宝をやらんでもない」
「えっ…軍…?」
「彼等の目的も、お前と同様のようだ。どうだ、やるか?」
(これは…)
どうだ、と問われたものの、もはやこの状況でリアンに選択肢など存在しない。
リアンは唇に指を当ててしばし思案すると、上目使いでその大きな緑色の瞳を見つめた。
「その人達を追い返したら、ホントにその宝石をいただけますか?」
「くどい。我は約束をたがえることはない。…人と違ってな」
「わかりました」
ならばリアンの取れる行動はただひとつだ。
「エルドアさん、なるはやで行ってきます。ちょっと待っててくださいね」
「リアンちゃん、くれぐれも無茶はダメよ」
「はい、どうしようもない時は戻ってきます」
リアンはフェンの背に乗ると、結界をらせん状に張り巡らせ上空へと駆け上がった。
巨木のさらに上であれば、障害物が少ないため直線距離を移動できる。
「軍勢がいるのはここより南だ。彼等はそこで野営地を作っている」
「わかりました」
ドライアドの言葉にリアンは頷いて、南へとフェンの鼻先を向けた。
話を聞いて引いてもらうか、無理やり引かせるか。方法は決めかねるが、いずれ実際に状況を見ないことには始まらない。
リアンはフェンの身体にしがみつくと、全速力で駆けるよう指示を出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「どうしてリアンちゃん一人で行かせたの? 別に私がついて行ってもかまわなかったでしょう?」
「何をそう焦る必要がある。『紐』はつけているのだろう?」
「それはそうだけど…」
風よりも速く飛び去っていったリアンの後ろ姿が消えると、エルドアは不満そうにドライアドを睨んだ。
だがドライアドは心外だとでも言いたげに眉を上げると、顎でエルドアの背後を示した。
「お前を残したのは、あの者にお前が会いたいのではないかと思ったからだ。むしろ気を利かせたと褒めてもらいたいくらいだが…」
「あの者…?」
エルドアはつられるように後ろを振り向くと、そしてそこに現れた予想だにしない姿を見つけて思わず声を上げた。
「ラス…!?」
「…エルドア…? なんでお前がここに…」
それきり、しばしの沈黙。
リュート村で別れた2人は、互いに行先を伝えてあった。だが、そこからよもや遠く離れたこの樹海の地で出会うとは。
予想だにしない偶然の出会いに、両者が声を失うのも無理はなかった。
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