無
「……家宅捜索の令状がないなら」
男は静かに言った。
「明日にして欲しいです」
穏やかな声だった。
まるで、
本当に面倒な来客対応をしているみたいに。
「今日は休みなんで」
若い刑事が言葉を失う。
廊下の奥では、
微かに女の嗚咽が聞こえている。
それでも男は、
淡々としていた。
「急に来られると困ります」
困ったように笑う。
「部屋も散らかってるし」
藤堂は無表情のまま男を見る。
「奥で泣いてる女はなんだ」
男は少し黙る。
それから。
「喧嘩しました」
自然に答えた。
若い刑事が顔を歪める。
「ふざけ――」
藤堂が手で制した。
男は続ける。
「怖がらせちゃって」
小さく目を伏せる。
「本当はあんな風にしたくなかったんです」
その声には、
本当に後悔しているみたいな響きがあった。
だから余計に異常だった。
「……でも」
男がゆっくり顔を上げる。
「警察だからって、勝手に入るのは違うでしょう」
静かな目。
穏やかな笑顔。
そこには、
確かな理屈があった。
法を理解している。
境界線を知っている。
その上で、
平然と越えている。
「令状取ってきてください」
男は柔らかく笑う。
「そしたらちゃんと協力します」
廊下が静まり返る。
若い刑事の拳が震えていた。
今すぐ扉を壊したい。
今すぐこの男を殴り倒したい。
そんな空気が滲んでいる。
だが。
藤堂だけは静かだった。
男を見る。
その穏やかな顔。
少しだけ昂った目。
追い詰められているのに、
どこか満たされている表情。
藤堂は低く呟く。
「……お前、自分が勝ってると思ってるだろ」
男は一瞬だけ目を細めた。
その沈黙が、
答えだった。




