はぁ
「ちょっと、ごめん」
彼が小さく笑う。
「コーヒー淹れ直してくる」
彼女はぎこちなく頷いた。
「……うん」
彼は静かに部屋を出る。
足音。
遠ざかる気配。
キッチンで湯を沸かす音が聞こえ始める。
彼女はその場から動けなかった。
心臓が妙に速い。
さっき掴まれた手首が、
まだ熱を持っている気がする。
「……何、今の」
小さく呟く。
静かな部屋。
並ぶアタッシュケース。
無数の四角が、
暗闇の中で沈黙している。
彼女はゆっくり振り返る。
一番近くのケース。
黒い革。
磨かれた金具。
綺麗だった。
異常なくらい。
彼女は唾を飲み込む。
「……見るだけ」
自分へ言い聞かせるみたいに。
しゃがみ込む。
ケースへ手を伸ばす。
今度は慎重に。
触れる。
冷たい。
彼女は小さく息を吐く。
さっきの彼を思い出す。
冷たい目。
強い力。
“触るな”。
その声。
彼女の指先が、
金具へ伸びる。
カチ。
小さな音。
彼女の呼吸が止まる。
キッチンからは、
まだ湯の沸く音が聞こえていた。
彼女はゆっくり、
蓋を開ける。
ほんの数センチだけ。
暗い隙間。
その奥。
白い布。
長い黒髪。
そして。
閉じた瞼。
彼女の身体が凍る。
「――っ」
声にならない。
ケースの中。
女が眠っていた。
白い肌。
整えられた髪。
静かな顔。
まるで、
大切に保存された人形みたいに。
彼女は後ずさる。
呼吸が浅くなる。
視界が揺れる。
その瞬間。
後ろで、
静かに声がした。
「……開けたんだ」
彼女の全身から、
血の気が引いた。




