君たちの笑顔が好き
部屋の灯りは落としてあった。
薄暗い廊下。
時計の針だけが小さく音を立てている。
彼は静かに立ち上がる。
スマホの画面はまだ光っていた。
『また会いたい』
その文字をしばらく見つめたあと、
彼は画面を伏せる。
廊下の奥へ歩く。
白い壁。
閉ざされた扉。
銀色の鍵。
指先が慣れた動きで鍵を回す。
カチリ。
静かな音。
扉がゆっくり開く。
冷たい空気が流れ出た。
そこには無数のアタッシュケースが並んでいる。
黒。
銀。
革張り。
棚のように整然と積み重なり、
部屋の奥まで続いていた。
彼はゆっくり中へ入る。
足音が小さく響く。
ケースたちは静かだった。
眠っているみたいに。
彼は一つのケースの前でしゃがみ込む。
指先で金具を撫でる。
「……ただいま」
小さく、愛おしむような声だった。
彼はそっとケースを抱き寄せる。
「今日はね、ちゃんと帰ってきたよ」
返事はない。
それでも彼は満足そうに目を細める。
「いい子にしてた?」
まるで恋人に話しかけるみたいに。
彼はケースへ額を寄せる。
冷たい感触。
けれどその冷たさすら、
彼には愛しかった。
「寂しくなかった?」
静かな声だった。
彼はゆっくり目を閉じる。
思い出している。
レストランで笑っていた顔。
照れた顔。
雨の中で振り返った顔。
その全部を。
「……でも、やっぱり落ち着く」
その言葉は、
安心したみたいにも、
狂気じみた執着にも聞こえた。
彼は立ち上がる。
部屋の奥へ視線を向ける。
並ぶケース。
名前のシール。
古い傷。
磨かれた金具。
全部、
大切に愛されているものだった。
彼はその中央へ座り込む。
囲まれるみたいに。
守られるみたいに。
「みんな、ただいま」
静かな部屋へ声が落ちる。
彼は小さく笑った。
けれどその目だけは、
どこか壊れた幸福に浸っていた。




