ただいま
雨は夜の間に止んでいた。
窓の外。
濡れた道路へ街灯の光が滲んでいる。
彼はソファへ座ったまま、
スマホの画面を見ていた。
『今日はありがとう!』
女からのメッセージ。
その下には笑顔の絵文字。
彼はしばらくそれを見つめる。
静かな部屋だった。
時計の針の音だけが響いている。
彼は画面を指でなぞる。
送られてきた写真。
レストランのテーブル。
ワイン。
笑っている女。
少し酔って、
頬が赤くなっていた。
彼はその顔を見つめる。
笑っている。
楽しそうに。
安心したみたいに。
彼は小さく目を伏せた。
「……よかった」
静かな声だった。
あの女は、
帰った。
ちゃんと笑ったまま。
苦しそうな顔にならずに。
泣かずに。
怯えずに。
彼はソファへ深く背を預ける。
閉ざされた部屋。
白い壁。
整いすぎた棚。
その奥。
廊下の先にある扉へ、
彼の視線が向く。
静かに立ち上がる。
鍵を開ける。
カチリ。
薄暗い部屋。
並ぶアタッシュケース。
黒。
銀。
革張り。
整然と。
彼はその中のひとつへ触れた。
「……今日はね」
優しく話しかける。
「帰れたんだよ、あの子」
静かな沈黙。
彼はケースへ背を預けて座り込む。
「笑ってた」
小さく笑う。
「ちゃんと、楽しそうだった」
指先がケースを撫でる。
愛おしむみたいに。
「だから、よかった」
彼は目を閉じる。
思い出すのは、
レストランで笑っていた顔。
水を飲む時の横顔。
困ったような笑い方。
帰り際、
振り返って手を振った姿。
その全部。
「……綺麗だったな」
部屋の中には、
何も返事がない。
けれど彼は安心したように、
静かに笑っていた。
まるで、
誰かに許されたみたいに。




