無
その日、結局何も起きなかった。
女は帰宅した。
防犯カメラにも映っている。
駅前。
改札。
コンビニ。
午前〇時十一分、自宅マンションへ入る姿まで確認された。
「……は?」
若い刑事が映像を見返す。
「帰ってるじゃないですか」
捜査室の空気が妙に緩む。
誰かが小さく息を吐いた。
張り詰めていた糸が、
一瞬だけ緩んだみたいだった。
「じゃあ別人か?」
「いや、顔は一致してます」
藤堂は無言で映像を見る。
女は笑っていた。
店を出る時も。
駅へ向かう時も。
別れる瞬間も。
男は傘を差したまま、
静かに女を見送っていた。
追いかける様子もない。
引き止める様子もない。
ただ、
雨の中で立っていた。
「……何なんだよ」
若い刑事が椅子へ倒れ込む。
「今までの失踪と違うじゃないですか」
誰も答えなかった。
藤堂は映像を止める。
別れ際。
女が笑いながら何かを言う。
男も少し笑う。
そのあと、
女は背を向ける。
男はその後ろ姿を見ていた。
ずっと。
姿が見えなくなるまで。
藤堂は目を細める。
「……変だな」
「何がです?」
「今までなら消えてる」
部屋が静かになる。
若い刑事がゆっくり顔を上げた。
「つまり」
「気に入らなかったのか」
低い声だった。
藤堂は再び映像を見る。
雨。
傘。
女の笑顔。
それを見つめる男。
感情の読めない目。
「……違う」
藤堂が小さく呟く。
「これは」
そこで言葉が止まる。
映像の中。
女が去ったあと、
男はしばらく動かなかった。
雨に濡れる路地。
静かな横顔。
その口元が、
ほんの少しだけ笑っている。
まるで。
安心したみたいに。




