第75話 七人が作った遊びで、お父さんが本気で負けました
熱が下がってから、さらに一日が過ぎた。
喉にはまだ少し違和感が残っているものの、頭の重さはなくなり、飯も普段通り食べられる。体を起こしてもふらつかないので、そろそろいつもの仕事へ戻ろうとしたのだが、七人からは「今日は軽い仕事だけ」と言い渡されていた。
もっとも、娘たちに言われなくても無理をする気はない。風邪がぶり返して、また寝床の周りを七人に囲まれるのは勘弁してほしかった。あれは看病というより、寝床へ押し込められた父親を七人で交代しながら見張る何かだった気がする。
そんなわけで、朝の仕事を少し手伝ったあとは、家の中で冬服の補修を進めることにした。
ところが居間へ入ると、いつも俺が使っている机が占領されていた。
セレスとリシェルが向かい合って座り、その横からラグナとフェルナが身を乗り出している。ミレアは机の端で何かを並べ、ノエルは少し離れたところから四人の手元を観察していた。ユラに至っては椅子の上へ膝立ちになり、全員の真ん中へ顔を突っ込んでいる。
俺が入ってきたことにも気づかないほど真剣だった。
「……何してるんだ、お前ら」
声をかけると、フェルナが勢いよく振り返った。
「お父さん! もう元気!?」
「昨日よりはな。それより、俺の机で何やってる?」
「遊び!」
机の中央には一枚の平たい板が置かれていた。表面には丸が九つ、三つずつ整列して描かれている。その周囲には白っぽい小石と黒い小石が分けて積まれていた。
見たところ、何かの遊び道具らしい。
「それ、俺が寝ている間に作ったのか?」
「うん。お父さんが寝てる時、あんまり騒いじゃ駄目だったから」
セレスが答える。
「最初は石を積んでたんだけど、ラグナが全部高く積もうとして崩しちゃって。それで、あまり音のしない遊びを考えたの」
「ラグナだけじゃない! フェルナも崩した!」
「フェルナは最初から崩そうとしてたでしょ」
「だって倒したら面白い!」
元気な反論に、セレスは呆れたように笑った。
俺はもう一度板を見た。
丸の大きさは揃っていないし、線も少し曲がっている。それでも石を置く場所としては十分だった。端には何かを書き直した跡もあり、一度作って終わりではなく、何度か遊びながら形を変えたのだと分かる。
「それで、どうやって遊ぶんだ?」
尋ねた途端、七人の顔が明るくなった。
どうやら俺がそう聞くのを待っていたらしい。
「先に三つ並べた方が勝ちなの」
リシェルが板をこちらへ向け、丸の上へ白い石を三つ置いてみせた。横一列に並べたあと、今度は縦へ、最後には斜めへ並べ直す。
「最初は一人三つずつ石を持って、順番に置いていくんだよ。三つ並んだら勝ち。どっちも並ばなかったら、自分の石を一つずつ空いている丸へ動かして続けるの」
「なるほど。相手の石が置いてあるところには置けないわけだな」
「うん。それから、石を動かす時も一回に一つだけ。ラグナが全部まとめて動かそうとしたから決めたの」
「だって、まとめて動かしたら一気に三つ並ぶ!」
ラグナは少しも悪びれていなかった。
「それを許したら遊びにならないだろ」
「だから駄目になった!」
「そりゃそうだ」
どうやら何度か揉めながら決めたらしい。他にも、石を強く叩きつけないこと、相手の石を勝手に動かさないこと、手を離した石は置き直さないことなど、七人で考えた約束があるという。
最初から全部決めたわけではなく、遊んでいるうちに困ったことが起こり、そのたび話し合って増やしたそうだ。
「ちゃんと遊びになってるじゃないか」
感心していると、フェルナが俺の袖を引っ張った。
「お父さんもやる?」
「俺もか?」
「そう! 今ならお父さん、あんまり動かなくていいから!」
なるほど。風邪が治りきっていない俺でも、座ったまま遊べるというわけか。
そこまで考えて作ったのか、それとも作ってみたら都合がよかっただけなのか。どちらでもよかったが、せっかく娘たちが考えた遊びなのだから、一度くらい付き合ってみるのも悪くない。
「じゃあ一回だけな」
「やった! フェルナ最初!」
言うが早いか、フェルナが黒い石を三つ握った。
どうやら順番を決めるところから勝負は始まっているらしい。
◇
最初の勝負は、俺が勝った。
フェルナは迷わず石を置く。最初の一つを左端へ置くと、次もすぐに別の場所へ置き、三つ目もほとんど考えずに手を伸ばした。
ところが、石を三つ置いた時点では並ばない。
「おかしい!」
「何がおかしいんだ」
「フェルナ、三つ置いた!」
「置くだけじゃ駄目なんだろ。並べないと」
「お父さんが真ん中取った!」
「先に取れるところへ置いただけだ」
フェルナは唇を尖らせながら、俺の石をじっと見つめた。走る時には誰よりも早く道を見つけるくせに、こうして動ける場所が九つしかないと、かえって迷ってしまうらしい。
何度か石を動かしたあと、俺の白い石が横一列に並んだ。
「ほら、三つ」
「うわあっ! いつの間に!?」
「さっきから一つずつ置いてただろ」
「もう一回!」
「一回だけって言ったんだけどな」
「今のは練習!」
「負けた途端に練習にするな」
フェルナは笑いながら石を集め直そうとしたが、横からラグナが割って入った。
「次ラグナ!」
「フェルナまだ勝ってない!」
「ラグナも勝ちたい!」
「順番にしようよ」
セレスが二人の間へ手を入れ、散らばりかけた石を元の場所へ戻した。
俺はその様子を見ながら、ふと気づいた。
「そういえば、お前ら同士でやった時は誰が一番勝ったんだ?」
「リシェル!」
フェルナとラグナが同時に答えた。
意外ではなかったが、当のリシェルは首を横へ振った。
「最初は私が多かったけど、今はノエルも結構勝つよ。ミレアも、一回覚えたところは間違えないし」
「セレスは?」
「私は……みんなが困ってると、つい教えちゃうから」
セレスが苦笑する。
「勝負中に教えたら、自分が負けるだろ」
「うん。昨日それで三回負けた」
「それは勝負になってるのか?」
「でも、分かってなかったから」
「セレス姉、途中で『そこ置いたら負けるよ』って教えてくれた!」
ラグナが嬉しそうに報告した。
長女らしいというか、何というか。
まあ、勝ち負けだけを楽しむ遊びでもないのだろう。
◇
ラグナとの勝負は、思っていたより時間がかかった。
最初は石を置く時に音を立てるので、机が揺れた。本人は気合いを入れているだけのつもりらしいが、木の板に小さな石を打ちつける必要はない。
「石は強く置いても勝てないぞ」
「分かってる! でも勝ちたい!」
「気持ちは分かるけど、板を割ったらそこで終わりだ」
ラグナは慌てて手の力を抜いた。
そこからは意外にも慎重だった。俺が二つ並べると、ちゃんと三つ目を塞ぎに来る。フェルナが見逃した斜めの線にも気づき、何度か俺の狙いを崩してみせた。
「お、そこへ置くか」
「だって、ここ置かれたらお父さん勝つ!」
「その通り」
褒めると、ラグナは嬉しそうに笑った。ただし、その直後に自分が作りかけていた列を忘れてしまい、結局は俺が先に三つ並べることになった。
「惜しかったな」
「もうちょっとだった!」
「ああ。俺も途中で負けるかと思ったぞ」
「本当!?」
「本当だ」
ラグナは少し考えてから、自分の石を眺めた。
「ラグナ、もっと強くなったら勝てる?」
「この遊びなら、もっと考えた方が勝てるんじゃないか」
「じゃあ考える!」
元気よく宣言したあと、今度は石の並びを真剣に見直し始めた。
それを見ていたリシェルが、ようやく俺の向かいへ座った。
「じゃあ次、私でいい?」
「いいぞ。今のところ父さんは二回勝ってるからな」
「知ってる」
リシェルは落ち着いた顔で白い石を三つ取った。
「お父さん、最初の二回は同じところに置いたね」
「……見てたのか?」
「うん」
妙なことを言い始めた。
◇
リシェルは最初、俺の予想した場所には石を置かなかった。
普通なら真ん中を取りたくなるところだが、彼女は端の丸を選び、俺の手元を見てから二つ目の石を置いた。
俺も相手に三つ並べさせないよう、空いている場所を塞いでいく。
ところが、互いに三つずつ置いたところで勝負はつかなかった。そこから石を動かし始めると、リシェルの狙いが少しずつ見えてきた。
彼女は三つ目を置こうとしているのではない。
二つの並びを同時に作ろうとしている。
「……お前、これを考えてたのか?」
「まだ分からない」
「いや、分かってる顔だぞ」
リシェルは何も答えず、自分の石を一つ動かした。
俺は慌てて、その先にできそうな列を塞いだ。
すると彼女は、別の場所へ石を移した。
三つ並んだ。
「あ」
俺の声を聞いて、フェルナが板へ顔を近づける。
「お父さん負けた!?」
「……負けたな」
「やったあ!」
なぜかフェルナが一番喜んだ。
ラグナまで両手を挙げている。
「リシェル勝った!」
「強い!」
「もう一回やろう」
俺が言うと、七人が一斉にこちらを見た。
「え?」
セレスが驚いた顔をする。
「お父さん、さっき一回だけって言ってなかった?」
「……今のは、もう一度確かめたい」
「負けたから?」
ミレアが笑いを堪えながら聞いてくる。
「そうだよ」
正直に答えた。
娘が考えた遊びだからといって、負けても何とも思わないほど俺はできた人間ではない。
リシェルが嬉しそうに石を並べ直す。
「じゃあ、もう一回」
「今度は同じ手は食わないぞ」
「同じにするとは言ってないよ」
その返事で、さらに負けたくなくなった。
◇
結局、昼飯の支度を始めるまでに、俺は五回勝って三回負けた。
負けのうち二回はリシェルだった。
残りの一回は、意外にもミレアだ。
ミレアは石を置くまでが長い。周りが騒いでいても急がず、何度も板を眺めてから静かに指を伸ばす。
こちらが次の手を考えているうちに、彼女の石がいつの間にか二つ並んでいた。
「ミレア、そこへ置いたら勝ちだろ」
「うん」
「何で教えた?」
「お父さん、気づいてないみたいだったから」
「教えなくていいんだよ、勝負中は」
「そうなの?」
ミレアは少し困ったように笑った。
その横でノエルが、ずっと俺の手元を見ている。
「お父さん、負けそうになると石を持つのが遅くなる」
「そんなことまで見なくていい」
「あと、リシェルが二つ並べた時、口閉じた」
「いつも閉じてるだろ」
「その前は喋ってた」
どうやら俺の癖まで観察されていたらしい。
相手の石だけでなく、相手の顔や仕草も見ている。七人がこの遊びに慣れたら、俺が勝てる相手はあまり残らないかもしれない。
そんなことを考えながら板を片づけようとすると、フェルナが慌てて手を伸ばした。
「まだ!」
「昼飯だぞ」
「じゃあ昼飯のあと!」
「俺にもやることがあるんだが」
「今日は軽い仕事だけ!」
「石を並べるのだって、ずいぶん頭を使うぞ」
「じゃあ休みながら!」
結局、俺が前に教えたことを都合よく持ち出される。
最近この家では、父親の言葉が少しずつ父親の逃げ道を塞ぐために使われ始めている気がする。
◇
昼飯の間も、七人は遊びの話をしていた。
ラグナは次こそリシェルに勝つと言い張り、フェルナは最初の三回をもっと速く置く練習をすると宣言している。リシェルはそれでは意味がないと説明しようとしていたが、フェルナは「速く置いて、速く考えればいい」と譲らなかった。
セレスはそんな二人を笑いながら眺め、時々ユラの器が空になっていないか確認している。
だが、ユラはいつもより静かだった。
「ユラ、どうした?」
俺が聞くと、匙を持ったまま顔を上げた。
「ユラ、まだしてない」
「ああ、遊びか」
「うん」
「昼からやろう」
そう答えると、ユラは少しだけ嬉しそうになった。
しかし、そのあとで思いがけないことを言った。
「おとうさん、つよい?」
「この遊びのことなら、まあまあかな」
「ユラ、かてる?」
「やってみないと分からないな」
ユラはしばらく考え、自分の器へ視線を戻した。
「ユラ、かちたい」
珍しい言葉だった。
何かを一人でできるようになりたいとはよく言うが、姉たちや俺に勝ちたいとまで言うことは少ない。
「じゃあ、ちゃんと勝負するか」
「うん」
「父さんも手加減しないぞ」
「てかげん?」
「わざと負けたりしないってことだ」
するとユラは、驚くほど真剣に頷いた。
「それがいい」
その返事を聞いて、セレスが少し笑った。
「ユラ、さっきリシェルが勝ったの見てたもんね」
「みてた」
「何か覚えた?」
「ないしょ」
ユラはそう言って、また食事を始めた。
何やら秘密があるらしい。
◇
午後の勝負は、ユラから始まった。
黒い石を三つ持ち、俺の向かいへ座る。椅子に深く腰を下ろすと机が少し高いので、セレスが畳んだ布を敷いて座りやすくしてやった。
「これなら届く?」
「とどく」
「じゃあ、頑張って」
セレスが離れると、ユラは板をじっと見つめた。
俺は白い石を手元に置き、先にどうぞと手で示す。
ユラは最初の石を隅へ置いた。
二つ目も別の隅。
ここまでは、特に変わったところはない。
俺も石を置き、相手が三つ並べられないようにする。
ところが、ユラは三つ目を置くまで、ほとんど迷わなかった。
「お前、結構覚えてるな」
「みてた」
「ずっと?」
「うん」
石を置くところ。
相手がどこを塞ぐか。
勝った時に何が並んでいるか。
姉たちが遊んでいる間、ユラは思っていた以上に真剣に見ていたのだろう。
三つずつ石を置き終えても勝負はつかなかった。
ここからは、一回につき一つだけ石を動かしていく。
ユラは一度、自分の石を動かそうとして手を止めた。
俺を見る。
「どうした?」
「こっち、いい?」
「空いてるならいいぞ。ただし、決めるのはユラだからな」
「うん」
ユラは少し考えたあと、最初に触ろうとした石ではなく、別の石を動かした。
その置き方が、妙に嫌だった。
俺が一列を塞ぐと、反対側に二つ並ぶ。
そちらを警戒すれば、別の場所が空く。
リシェルの時と似ている。
「……お前、誰かに教えてもらったか?」
思わず聞いてしまった。
ユラは首を横へ振る。
「みてた」
それだけだった。
横で見ていたリシェルも何も言わない。ただ、ユラが石を動かすたび、少しだけ嬉しそうにしている。
俺は次の一手を考えた。
ここを塞がないと、次に三つ並べられる。
だから白い石を動かす。
すると。
ユラの手が、ゆっくり伸びた。
黒い石を一つ持ち上げ、俺が警戒していなかった場所へ置く。
横に三つ。
きれいに並んだ。
「……あ」
また同じ声が出た。
ユラが俺を見る。
「おとうさん」
「……負けた」
「ユラ?」
「ユラの勝ちだよ」
一瞬、何が起きたのか分からないような顔をしたあと、ユラは両手を握りしめた。
「かった!」
その声で、周りにいた六人が一斉に板を覗き込んだ。
「本当だ!」
「ユラ、三つ並んでる!」
「すごい!」
フェルナが椅子の横で跳ね、ラグナはユラの肩を両手で掴んだ。勢いが強すぎて揺さぶりそうになり、セレスに止められている。
リシェルは板を見ながら笑っていた。
「ユラ、ちゃんと覚えてたんだ」
「うん!」
「最後、そこに置くと思わなかった」
「ユラも」
「自分でも思わなかったのかよ」
俺が言うと、全員が笑い始めた。
どうやら完全に計算していたわけではないらしい。
それでも、勝ったことに変わりはない。
「お父さん、本気だった?」
セレスが確認する。
「本気だったよ。途中で負けそうだと思ったけど、最後の方を見落とした」
「わざとじゃない?」
「違う」
ユラが、それを聞いて嬉しそうに笑った。
「おとうさんに、かった」
「ああ。負けたよ」
もう一度はっきり言うと、ユラは椅子から降りて俺のところへ来た。
両腕を広げる。
「だっこ」
「勝ったら抱っこなのか?」
「かったから」
「負けても抱っこって言うだろ、お前」
「うん」
「じゃあ勝負関係ないな」
抱き上げると、ユラは首へ腕を回し、俺の肩へ頬を押しつけた。
「ユラ、つよい?」
「強いというより、よく見てたな」
「おとうさんのも?」
「ああ。父さんの負け方までよく見てた」
少し悔しいが、本当のことだ。
◇
そこからは、もう収拾がつかなかった。
フェルナが再戦を要求し、ラグナもユラが勝てたなら自分だって勝てると言い始めた。ノエルは俺の石の置き方を観察していたから今度は勝てると言い、ミレアは新しい並べ方を思いついたらしい。
セレスまで「私も今度は自分で考えてやってみたい」と言い出したので、結局また順番を決めることになった。
「お前ら、今日はここまでにしないか。そろそろ夕飯の支度もあるだろ」
「まだ明るい!」
フェルナが窓の外を指差す。
「明るいからって、ずっと遊んでいいわけじゃないぞ」
「お父さん、さっきもう一回って言った!」
「……言ったな」
「リシェルに負けたから!」
「そこまで覚えてなくていい」
娘たちに笑われながら、俺は椅子へ座り直した。
正直に言えば、もう少しやりたかった。
最初は子供たちが考えた簡単な遊びだと思っていたのに、何度か勝負してみると案外奥が深い。置く場所が九つしかないからこそ、少しの違いで勝負が変わってしまう。
何より、相手が七人とも違う。
フェルナは思いついた場所へすぐ置く。ラグナは最初こそ勢い任せだが、一度危ない目に遭ったところは覚える。リシェルは何手か先まで考え、ミレアは急がず確かな一手を選ぶ。ノエルは石と同じくらい相手の仕草を見ていて、セレスはどうしても周りを気にしてしまう。
そしてユラは、姉たちの勝負を黙って眺めているうちに、思いがけない一手を覚えていた。
同じ遊びなのに、七人と向かい合うと七通りの勝負になる。
それが面白かった。
◇
夕飯の支度へ移る前に、リシェルが小さな板をもう一枚持ってきた。
「お父さん、今日の勝った回数、書いていい?」
「何でそんなものを書くんだ」
「次やる時に分かるから」
「何が?」
「誰が強くなったか」
なるほど。
それなら悪くない。
ただし、今日の結果を全部残されるのは少し嫌だった。
「書くなら全員の分だぞ」
「うん」
リシェルが板へ名前を書き始める。
セレス。
ラグナ。
フェルナ。
リシェル。
ミレア。
ノエル。
ユラ。
そして、少し離れたところへ。
『おとうさん』
と書いた。
「……俺だけ名前じゃないんだな」
「お父さんはお父さんでしょ?」
セレスが不思議そうに言う。
「いや、アルドって名前があるんだけどな」
「知ってるよ」
「じゃあ書いてくれても」
「でも、お父さんの方がいい」
七人が当然のように頷いた。
仕方ない。
今さら名前で呼ばせようとも思わない。
「じゃあ、それでいいよ」
リシェルは俺の名前の横へ勝った回数を記録し始めた。
ところが途中でフェルナが覗き込み、「お父さんの負けた回数も書こう」と余計な提案をした。
「勝った回数だけでいいだろ」
「負けたのも大事!」
「何が大事なんだ」
「今度もっと勝ったら分かる!」
そう言われると、反対もしにくい。
俺が渋々了承すると、ユラが隣から一つだけ頼んだ。
「ユラの、かいた?」
「書いたよ。お父さんに一回勝ったって」
「おおきくかいて」
「ええ?」
「おおきく」
結局、ユラの勝った回数だけ、妙に大きな文字で書かれることになった。
その隣には、小さな丸が一つ描かれている。
今日の一勝を、本人が忘れないためらしい。
◇
夕飯を終えたあと、七人は机の上をきれいに片づけた。
石は布袋へ入れ、遊びに使った板は棚の下へしまう。何度も勝負したせいで丸の周りには小さな傷が増えていたが、まだ十分使えそうだった。
「明日もやる?」
フェルナが聞く。
「仕事が終わったらな」
「お父さんも?」
「時間があれば」
「明日は勝つ!」
「さっきから何回言ってるんだ、それ」
「勝つまで!」
「じゃあ明日も長くなりそうだな」
フェルナは笑っていた。
その横でラグナが、リシェルへ何か尋ねている。
どうやら勝つために、さっそく次の作戦を教えてもらおうとしているらしい。
リシェルは最初、説明しようとしていたが、途中で手を止めた。
「実際に並べてみた方が早いかも」
「じゃあ今!」
「今日はもう片づけたよ」
「明日!」
「うん。明日ね」
そのやり取りを聞いていたノエルが、袋へしまわれた石をじっと見つめていた。
「ノエルは?」
俺が聞くと、少し考えてから答えた。
「次は、お父さんの手を見る」
「石を見ろよ」
「両方」
「……参ったな」
どうやら次も簡単には勝てそうにない。
◇
夜、七人がそれぞれの寝床へ入ってからも、しばらくは今日の勝負の話が続いた。
フェルナは「明日は最初に真ん中を取る」と宣言し、ラグナは「じゃあラグナも」と言ってセレスに笑われている。二人とも先に真ん中へ置きたいらしいが、勝負である以上、一つの丸へ同時に置けるわけではない。
ミレアは、あまり同じところばかり使わない方がいいと考えているようだった。リシェルは違う置き方を試したいと言い、ノエルはそれぞれの癖を覚えるつもりらしい。
そんな声を聞きながら、俺は横になった。
体はもうほとんど元通りだった。明日になれば薪を運び、畑を見て、冬へ向けた支度を続けることになるだろう。
今日のように、午後の大半を石遊びで過ごす日はそう多くないかもしれない。
だが、それも悪くなかった。
七人に飯を食わせることは、ずっとやってきた。
服を作り、寝床を用意し、危ないことを教え、できる仕事を増やしてきた。
そのうち、七人は自分たちで遊びを考えるようになった。
そして今日は、その遊びを俺に教えてくれた。
「お父さん」
寝床の方から、ユラが呼んだ。
「何だ?」
「きょう、ユラかったね」
「ああ。勝ったな」
「お父さん、まけたね」
「何回も言わなくていいよ」
小さな笑い声がした。
ユラは布団から少しだけ顔を出し、暗い部屋の中でも分かるくらい嬉しそうにしている。
「また、かてる?」
「それは父さんも負けないように考えるからな」
「ユラもかんがえる」
「じゃあ、明日も勝負だ」
「うん」
満足したらしく、ユラは布団へ潜った。
少しして、セレスが静かな声で言った。
「お父さん、今日は楽しかった?」
「ああ。楽しかったよ」
「よかった」
「何で?」
「私たち、お父さんが病気の間に作ったけど、お父さんも一緒に遊べたらいいなって思ってたから」
そういうことだったらしい。
七人だけで遊ぶものを作ったつもりだったが、最初から俺の場所も残してくれていたわけだ。
「じゃあ、また混ぜてくれ」
俺が言うと、すぐに返事があった。
「もちろん!」
フェルナだった。
「でも次は負けないから!」
「分かったよ」
今度こそ部屋が静かになった。
机の下には、九つの丸が描かれた小さな板がある。
物置には七人が使い方を覚えた道具が増え、棚には七人が書いた記録が増え、家のあちこちには昔から少しずつ積み重ねてきたものが残っている。
そこへ今日、新しく遊び道具が一つ加わった。
飯を作るためでも、寒さをしのぐためでもない。仕事に使うわけでもなく、何かを直すためでもない。
ただ、八人で遊ぶためのものだ。
そういうものが家に増えるのも、案外いい。
俺は明日の勝負でリシェルへどうやって勝とうかと少しだけ考え、途中でやめた。
病み上がりの父親が、寝る前まで娘との石遊びの作戦を考えている。
我ながらどうかと思う。
けれど、最後にユラが勝った時の顔を思い出すと、どうしても笑ってしまった。
明日は、もう少し本気でやろう。
そう決めて、俺は目を閉じた。




