第74話 お父さんが熱を出したので、七人で寝床から出さないことにしました
朝、目を覚ました時。
喉が痛かった。
最初は、寝ている間に口でも開いていたのだと思った。だが体を起こしてみると、頭が妙に重い。寒くなってきたから布団から出たくない、という感じとも少し違っていた。
「……風邪か?」
独り言にすると、声まで少し掠れている。
昨日までは何ともなかった。雛の様子を見て、薪を運び、冬服の続きを直して、夕飯を食べた。七人が寝たあとも普段と変わらなかったはずだ。
とりあえず起きる。
朝飯を作らなければならないし、鶏にも餌がいる。雛たちの水も確認したい。
そう思って立ち上がったところで。
「お父さん」
ノエルがこちらを見ていた。
「おはよう」
「変」
「朝一番に父親へ言う言葉じゃないぞ」
「声」
「ああ。ちょっと喉が痛い」
それだけ答えて歩こうとしたが、ノエルは動かなかった。
じっと俺の顔を見ている。
「何だ?」
「顔も違う」
「寝起きだからじゃないか?」
「いつもの寝起きと違う」
そこまで見ているのか。
俺自身より先に何か見つけそうな目だった。
◇
結局。
朝飯を作り始める前に、七人全員へ知られた。
「お父さん病気!?」
フェルナが寝床から飛び起きた。
「大声出すほどじゃない。たぶん軽い風邪だよ」
「熱!?」
「まだ測ってない」
「測る!」
ラグナまで起き上がる。
「何でお前ら急に元気なんだ」
「お父さんが元気ないから!」
理由になっているような、なっていないような。
セレスは俺のところまで来ると、少し迷ってから額へ手を当てた。
「熱い……気がする」
「手だけじゃ分かりにくいぞ」
「でもいつもより熱い」
次にラグナも触ろうとしたので止める。
「七人全員で額を触る必要はない」
「ラグナも分かる!」
「お前の手の方が熱そうだ」
「じゃあ冷たくする!」
「しなくていい」
朝から疲れる。
とはいえ。
少し熱があるのは間違いなさそうだった。
体が重い。
節々も少し痛い。
「今日は少し仕事を減らすか」
俺がそう言うと。
七人が一斉にこちらを見た。
「少し?」
セレス。
「寝るんだよ」
リシェル。
「仕事しない」
ミレア。
「お父さん、休み」
ノエル。
「寝床!」
フェルナ。
「ラグナ運ぶ!」
「何を?」
「お父さん!」
「やめろ」
最後に。
ユラが俺の服を掴んだ。
「おとうさん、ねる」
どうやら。
俺に決定権はあまりないらしい。
◇
「朝飯くらい作るよ」
「だめ」
セレスが即答した。
「昨日、お父さん言ったよね。元気な時に休んでもいいって」
「今日は元気じゃないから、なおさらって?」
「うん」
「自分で言ったことが返ってきたな……」
七人は覚えている。
妙なところで。
「でも飯は必要だろ」
「私たちで作る」
セレスが言った。
「できるのか?」
聞いてから。
しまったと思った。
七人の顔が変わる。
「できる!」
ラグナ。
「前にも手伝った!」
フェルナ。
「全部一人ではやってないけど」
リシェル。
「じゃあ分ければいい」
ミレア。
俺は何も言えなくなった。
できる奴が、できることをやる。
ずっと教えてきたことだ。
「火だけ気をつけろよ」
「うん」
「刃物も――」
「気をつける」
「鶏の――」
「餌もやる」
「雛の水は浅い方を――」
「昨日見た」
「薪は――」
「必要なだけ!」
「お前ら、俺が言うことなくなるだろ」
七人が笑った。
◇
寝床へ戻された。
正確には、自分で歩いたのだが。
左右と後ろを七人に囲まれたせいで、気分としては連行に近かった。
「ここ」
ユラが布団を持ち上げる。
「俺の寝床だから分かってるよ」
「ねる」
「分かった」
横になる。
すると。
七人はその場から動かない。
「……朝飯作るんじゃなかったのか?」
「あ」
セレスが気づいた。
「行ってくる」
「何かあったら呼んでね」
「寝てるだけだから大丈夫だよ」
「呼んで」
「分かった」
セレス、ラグナ、フェルナ、リシェル、ミレア、ノエルが出ていく。
ユラだけ残った。
「ユラは?」
「ここいる」
「飯は?」
「あとで」
「腹減るぞ」
「おとうさん、ひとりになる」
「寝るだけだって」
「いる」
頑固だった。
仕方なく。
「じゃあ、静かにな」
「うん」
ユラは俺の寝床の横へ座った。
そのまま。
本当に何もしない。
俺を見ている。
「そんなに見られると寝にくいな」
「め、つぶる」
ユラが目を閉じた。
「お前が閉じるのかよ」
「これならみない」
「そういう問題か?」
返事はない。
目を閉じたまま。
本人なりに考えた結果らしい。
◇
台所から。
妙な音がした。
がたん。
「大丈夫ー!?」
フェルナの声。
「お前が聞く側なのか?」
思わず起き上がる。
するとユラが目を開けた。
「おとうさん、ねる」
「今、何か落ちたぞ」
「セレスいる」
「そうだけど」
「ねる」
小さな手で。
俺の肩を押す。
力などほとんどない。
それでも。
俺はまた横になった。
しばらくすると。
今度は。
「ラグナ! それ多い!」
「でも八人分!」
「今日はお父さんあんまり食べられないかも!」
「じゃあ七人とちょっと!」
「ちょっとって何!?」
丸聞こえだった。
「……大丈夫かな」
「だいじょうぶ」
「ユラが言うと妙に不安だな」
「だいじょうぶ」
二回言われた。
◇
朝飯は。
普段より少し遅くなった。
それでも。
ちゃんと出てきた。
「お父さん、起きて」
セレスに呼ばれ。
体を起こす。
目の前へ。
小さな器が置かれた。
中には。
柔らかく煮た穀物と。
細かくした野菜。
普段の朝飯よりずっと軽い。
「これ作ったのか?」
「みんなで」
「味見した?」
「した」
フェルナが答えた。
「三回!」
「何で三回?」
「一回目薄かった。二回目濃かった。三回目ちょうど!」
「途中で何があったんだ」
「塩入れすぎた」
リシェルが申し訳なさそうに言う。
「水足した」
「なるほど」
食べてみる。
少し柔らかすぎる。
野菜の大きさも揃っていない。
俺なら。
もう少し違う作り方をしたと思う。
でも。
「うまいよ」
そう言うと。
七人が一斉に笑った。
「本当!?」
「本当に」
「全部食べる?」
ラグナが聞く。
「食える分だけな」
「いっぱい食べたら元気になる!」
「病気の時に無理して食わせるな」
「必要なだけ?」
「そう」
「分かった!」
便利な言葉が。
完全に家の中へ定着している。
◇
飯を食べ終えたあと。
俺は起きようとした。
「じゃあ鶏だけ見て――」
「だめ」
今度は。
七人全員だった。
「餌は?」
「やった」
セレス。
「雛の水」
「見た」
ノエル。
「薪」
「持ってきた!」
ラグナ。
「畑」
「今日は急がない!」
フェルナ。
「昨日の記録」
「それは私が見る」
リシェル。
「服」
「今日は後でもいい」
ミレア。
そして。
ユラが。
「おとうさん、ねる」
「……分かったよ」
ここまで揃うと。
抵抗する方が疲れる。
◇
午前中。
俺は。
久しぶりに。
本当に何もしなかった。
眠って。
目を覚まして。
水を飲んで。
また横になる。
途中。
ノエルが何度か見に来た。
「どうした?」
「見る」
「何を?」
「顔」
「変わった?」
「朝より少しいい」
「分かるのか?」
「たぶん」
「たぶんか」
「声も少し違う」
そう言われると。
喉の痛みも。
朝よりは少し楽な気がする。
「ノエル」
「なに?」
「雛ばっかり見てなくていいのか?」
「見た」
「元気?」
「五羽いる。残りの卵はまだ」
「そうか」
「お父さんもまだ」
「俺も卵と一緒か?」
「待つ」
「ああ、そういうことか」
今は。
良くなるのを待つ。
ノエルの中では。
同じらしい。
◇
次に来たのは。
リシェルだった。
板を持っている。
「まさか」
「記録」
「何の?」
「お父さん」
「やめろ」
「どうして?」
「何を書くんだ」
リシェルは板を見る。
「朝、声変。体熱い。朝ご飯は食べた。寝た。水飲んだ」
「鶏の観察みたいになってるぞ」
「違う?」
「そんなに違わないのが嫌だな」
「でも、あとで何したか分かる」
「俺の風邪を未来に残してどうする」
「次にお父さん風邪引いた時」
言われて。
少し黙る。
「前どうしたか分かる」
「……それは役に立つかもな」
「じゃあ書く」
「好きにしろ」
「熱は?」
「測ってない」
「触る?」
「手だけじゃ分からないって朝言っただろ」
「じゃあ『まだ熱い気がする』」
「曖昧な記録だな」
「分からないから」
それは。
正しかった。
◇
昼前には。
ラグナが来た。
両手に。
薪を一本ずつ持っている。
「何で寝床へ薪持ってくるんだ」
「見せる!」
「何を?」
「今日の分!」
「そこに置くなよ」
「置かない!」
ラグナは。
誇らしそうに薪を見せる。
「一回でいっぱい持たなかった!」
「偉い」
「二本ずつ!」
「足元見えた?」
「見えた!」
「崩さなかった?」
「崩してない!」
「じゃあ十分だ」
褒めると。
満足して戻っていった。
何をしに来たのか。
最後までよく分からなかった。
◇
フェルナは。
もっと分かりやすかった。
「お父さん!」
「今度は何だ?」
「元気になるもの取ってくる!」
「何を?」
「分かんない!」
「行くな」
「山にあるかも!」
「分からないものを薬みたいに持ってくるな」
「じゃあ知ってるの!」
「今はいらないよ」
「でも何かしたい!」
そこで。
俺は少し考えた。
「じゃあ水頼めるか」
「水?」
「ああ。飲み終わった」
「分かった!」
ものすごい勢いで走ろうとして。
戸口の前で止まる。
「こぼれる」
「気づいたな」
「歩く!」
しばらくして。
両手で器を持ち。
今度は慎重に戻ってきた。
一滴もこぼしていない。
「はい!」
「ありがとう」
受け取る。
フェルナは。
それだけで。
ずいぶん満足そうだった。
◇
ミレアは。
何も持ってこなかった。
寝床の横へ座る。
「どうした?」
「静かな方がいいかなって」
「まあ、騒がしいよりは」
「じゃあいる」
「何で?」
「静かにいる」
「それは看病なのか?」
「たぶん」
ミレアは。
少し笑った。
以前。
二人で沢へ行った時と同じだ。
喋らなくても。
ただ近くにいる。
しばらくすると。
本当に。
眠くなった。
「ミレア」
「なに?」
「少し寝る」
「うん」
「みんなに、何かあったら起こしてくれって」
「何もなかったら?」
「起こさなくていい」
「分かった」
目を閉じる。
近くに。
誰かがいる気配だけが残る。
悪くなかった。
◇
次に目を覚ました時。
かなり時間が経っていた。
頭の重さが。
少し抜けている。
喉はまだ痛い。
だが。
朝よりは楽だ。
そして。
俺の右手が。
動かない。
「……何だ?」
見る。
ユラだった。
いつ来たのか。
俺の手を両手で握ったまま。
寝床の横で眠っている。
座ったまま。
頭だけ布団へ載せて。
眠っていた。
近くには。
ミレアもいる。
「いつから?」
小声で聞く。
「お昼のあと」
「ずっと?」
「うん」
「こいつも寝たのか」
「お父さんが寝たら、ユラも眠くなったみたい」
「寝床へ運んでやればよかったのに」
「起こしたら、お父さんも起きるかと思って」
「そうか」
俺は。
握られた手を見る。
汗ばんでいる。
ユラの小さな手は。
しっかり俺を掴んでいた。
「心配してた?」
聞くと。
ミレアは少し迷ってから頷いた。
「みんな」
「そんな大した風邪じゃないと思うけどな」
「お父さん、いつも元気だから」
その言葉で。
少し分かった。
◇
七人にとって。
俺が寝込むのは。
たぶん。
珍しい。
七人の誰かが熱を出したことはある。
腹を壊したことも。
転んで怪我をしたことも。
夜中に泣いたことも。
眠れなかったことも。
そのたび。
俺はそばにいた。
だから。
七人の中では。
俺は。
世話をする側なのだろう。
飯を作る。
薬草を探す。
濡れた布を取り替える。
夜中に様子を見る。
抱いて寝かせる。
その俺が。
今日は寝床から出ない。
それだけで。
七人には。
俺が思うより大きなことだったのかもしれない。
◇
ユラが目を覚ました。
「……おとうさん」
「起きたか」
「いる?」
「いるよ」
寝ぼけている。
それでも。
俺の手を離さない。
「おとうさん、なおった?」
「朝よりは」
「もうだいじょうぶ?」
「明日にはもっと良くなるかもな」
「ほんと?」
「たぶん」
ユラは。
少しだけ安心した顔をした。
だが。
「おとうさん」
「何だ?」
「いなくならない?」
小さな声だった。
俺は。
やっと。
ユラが一番心配していたことを知った。
「風邪くらいでいなくならないよ」
「でも、ねてた」
「眠かったからな」
「ずっと」
「体が休みたかったんだよ」
「げんきになる?」
「ああ。たぶんな」
「たぶん?」
「絶対って言えることじゃない。でも今は朝より良くなってる」
ユラは。
少し考える。
「じゃあ、まつ」
「ああ」
「ユラ、ここいる」
「好きにしろ」
また。
俺の手を握った。
◇
夕飯は。
朝より上手くなっていた。
少なくとも。
見た目は。
「今日は何作った?」
「お父さん用と、みんな用」
セレスが答える。
俺には。
朝と似た柔らかい飯。
七人は。
もう少し普通の食事だ。
「分けたのか」
「ラグナが、お父さんも同じだけ食べるって言ったから」
「いっぱい食べた方がいい!」
ラグナが言う。
「でも食べられる量違うでしょ」
セレス。
「だから分けた」
「なるほど」
食べる。
朝より。
少し味が安定している。
「うまくなったな」
「本当!?」
七人の顔が明るくなる。
「朝より」
「明日はもっと!」
フェルナが言う。
「明日も俺の病人飯作る前提なのか?」
「あ」
止まる。
「治ったら?」
「普通のご飯!」
「じゃあそっちを期待してくれ」
◇
夕飯のあと。
俺は。
一度だけ起きた。
「お父さん!」
七人が。
ほとんど同時に反応する。
「便所くらい行かせろ」
「あ」
「一人で?」
セレスが聞く。
「一人で行ける」
「手伝う?」
「いらない」
「分かった」
前なら。
心配だからとついてきたかもしれない。
今日は。
ちゃんと聞いて。
いらないと言えば。
任せてくれる。
ただし。
戻ってくると。
七人全員。
まだこちらを見ていた。
「何だよ」
「ちゃんと戻ってきた」
フェルナが言う。
「便所へ行っただけだぞ」
「でも戻った!」
「そりゃ戻るよ」
どうやら。
まだ心配は。
完全には消えていない。
◇
寝る前。
俺は。
明日のことを考えようとした。
薪。
鶏。
雛。
畑。
冬服。
やることはいくつかある。
「お父さん」
セレスが。
すぐに気づいた。
「何だ?」
「明日の仕事考えてる?」
「何で分かった?」
「顔」
「ノエルみたいになってきたな」
「明日も熱あったら寝ててね」
「分かってるよ」
「本当?」
「本当」
「仕事は?」
「お前らに頼む」
七人が。
少し静かになる。
「全部?」
ラグナが聞く。
「できることだけ」
「できないのは?」
「明後日でもいいなら待つ。急ぐなら俺が良くなってから考える」
「お父さんいなくてもできる?」
フェルナが聞いた。
「今日できただろ」
「ご飯も?」
「食えた」
「鶏も?」
「元気だったんだろ?」
「うん!」
「じゃあできてる」
七人が。
顔を見合わせた。
少しずつ。
嬉しそうになった。
◇
「でも」
俺は続けた。
「今日できたからって、明日から俺はいらないって話じゃないぞ」
「いらないって言わない!」
ユラが。
一番強く否定した。
「分かってるよ」
「おとうさん、いる」
「ああ」
「ずっと」
「できるだけな」
「ずっと!」
「分かった分かった」
布団の中から。
小さな手が伸びてくる。
仕方なく。
握る。
「ユラだけずるい」
フェルナが言った。
「何が?」
「お父さんの手!」
「両手しかないぞ」
「もう一個!」
「増えない」
「じゃあフェルナ反対!」
反対側の手も。
取られた。
「ラグナは!?」
「もうない」
「腕!」
「何でそこまでして掴むんだ」
「看病!」
「違うと思うぞ」
結局。
少しの間。
寝床の周りが。
七人でいっぱいになった。
◇
今日は。
俺は。
ほとんど何もしなかった。
飯を作っていない。
鶏へ餌もやっていない。
雛の水も替えていない。
薪も運んでいない。
畑も見ていない。
服も直していない。
それでも。
家は。
ちゃんと一日を終えた。
飯は出た。
火は消えなかった。
鶏も雛も無事だった。
七人も。
喧嘩らしい喧嘩をせず。
自分たちで仕事を分けた。
俺がいなければ。
何もできなかった七人ではない。
いつの間にか。
父親が一日寝込んでも。
家を回せるくらいにはなっていた。
そのことは。
嬉しい。
少し。
妙な気分でもある。
◇
けれど。
俺が必要なくなったわけではないらしい。
「おとうさん」
眠る直前。
ユラが。
また呼んだ。
「何だ?」
「て、はなさないで」
「寝にくいぞ」
「ちょっとだけ」
「分かった」
反対側では。
フェルナも。
俺の手を握ったままだ。
セレスは。
みんなを寝床へ戻そうか迷っている。
ラグナは。
明日何を運ぶか話している。
リシェルは。
俺の風邪の記録板を枕元へ置いた。
ミレアは。
静かにこちらを見ている。
ノエルは。
「朝より顔いい」
と。
最後まで観察していた。
七人は。
俺が何もしなくても。
一日を過ごせるようになった。
でも。
何もしなくても。
そばにいてほしいとは思ってくれるらしい。
それなら。
今日は。
それで十分だ。
俺は。
七人に看病されながら。
もう一度。
目を閉じた。




