第66話 手伝ったのに、ラグナは怒りました
朝から空はよく晴れていた。
昨日まで沢の近くにはまだ湿った土が残っていたが、家の周りはだいぶ乾いている。こういう日は、雨の間にできなかった仕事をいくつか片づけておきたい。
朝飯のあと、俺は七人と一緒に今日やることを確認した。
「薪を少し移す。畑の草を見る。乾かしてた籠も戻す。それから鶏小屋の敷き藁を替える」
「ラグナ、薪!」
予想通り、真っ先に手を挙げた。
「全部一人で運ぶ気じゃないだろうな」
「違う!」
「本当か?」
「今日は必要なだけ!」
胸を張っている。
以前なら「一番いっぱい運ぶ」と言っていたところなので、それだけでも進歩ではある。
「じゃあラグナは薪。セレス、最初だけ一緒に場所を決めてやってくれ。積み方を間違えると崩れるからな」
「分かった」
「場所決めたら、あとはラグナに任せていい」
「うん」
俺は他の仕事も振り分けた。
フェルナとノエルは畑。走り回るフェルナと、小さな変化によく気づくノエルなら、片方だけよりちょうどいい。
リシェルとミレアには、乾かしていた籠と道具の確認を頼む。ユラは俺と一緒に鶏小屋だ。
「ユラ、わらする」
「古いのを外へ出す方な。鶏を追いかけるなよ」
「おいかけない」
「昨日も似たこと言って追いかけただろ」
「あれは、むこうがはしった」
「鶏は大体走るんだよ」
ユラは少し考えてから、「きょうは、みる」と方針を変えた。
それならたぶん大丈夫だ。
◇
薪置き場では、ラグナとセレスが新しい場所を決めていた。
雨の跳ね返りを受けにくく、風が通る場所に二本の木を渡し、その上へ薪を積んでいく。
「下から大きいの?」
ラグナが聞く。
「大きいというより、転がりにくいのを下にした方がいいよ」
「じゃあこれ?」
「うん。それなら大丈夫そう」
セレスが一本置いてみせると、ラグナも真似をした。
一段。
二段。
左右がずれないように交互に置いていく。
「もう分かった!」
「本当に?」
「ここ同じにして、こっち倒れないようにする!」
ラグナが指差したところは合っている。
セレスも確認して頷いた。
「じゃあ私は向こうを手伝ってくるね。崩れそうになったら呼んで」
「呼ぶ!」
そこでセレスは薪置き場から離れた。
俺は鶏小屋の古い藁を集めながら、その様子を横目で見ていた。
ラグナは最初こそ勢いよく運んでいたが、今日はちゃんと一度に抱える量を減らしている。
両腕いっぱいではない。
足元が見えるくらい。
運んだあとも投げず、一つずつ積む。
時々少し離れて全体を眺め、傾いていないか確かめていた。
「お父さん!」
「何だ?」
「見て!」
呼ばれたので顔を向ける。
まだ半分ほどだが、ずいぶんきれいに積めている。
「いいじゃないか」
「崩れてない!」
「そこが一番大事だな」
「ラグナ、強くしなくてもできる!」
「薪積みに強さはいらないからな」
「必要なだけ!」
「そう、それだ」
褒めると、ラグナは満足そうに次の薪を取りに行った。
その後ろ姿を見ながら、俺も少し嬉しくなった。
◇
昼前になった頃。
鶏小屋の仕事は終わり、ユラは新しい藁の上で座り込もうとして俺に止められた。
「ここ、ふわふわ」
「鶏の寝るところだ」
「ユラもねれる」
「家にもっといい寝床がある」
「いっかいだけ」
「駄目」
そんなやり取りをしていると、家の裏からフェルナの声がした。
「お父さーん! 虫いたー!」
「畑なら虫くらいいる!」
「大きい!」
「ノエルに見せろ!」
「もう見てる!」
どうやら急ぐ必要はなさそうだ。
俺は使った道具を片づけ、昼飯の準備を始めることにした。
その途中で薪置き場を見る。
ラグナはいなかった。
代わりに、セレスが一人で薪を積んでいる。
「セレス?」
「ん?」
「ラグナは?」
「縄を取りに行ったよ。端を結んでおけばもっと崩れにくいんじゃないかって」
「そうか」
ラグナなりに考えたらしい。
俺はそのまま家へ入ろうとした。
だが、何となく気になって振り返る。
セレスは残っていた薪を次々と運び、空いている場所へ積んでいた。
「それ、セレスがやるのか?」
「もう少しだったから。終わらせておいたら喜ぶかなって」
悪気はない。
むしろ完全に善意だ。
「そうか」
俺はそれ以上言わなかった。
喜ぶかどうかは。
たぶん俺が決めることではない。
◇
少しして。
「縄あった!」
ラグナが物置から戻ってきた。
手には短い縄を持っている。
その顔は嬉しそうだった。
だが。
薪置き場を見た瞬間。
足が止まった。
さっきまで残っていた薪がない。
全部きれいに積み終わっている。
セレスは最後の一本を置き、手についた木屑を払った。
「ラグナ、ちょうど終わったよ」
ラグナは答えなかった。
「どうしたの?」
「……何で?」
「え?」
「何でやったの?」
声が。
少し低かった。
「もうちょっとだったから。ラグナもずっとやって疲れたと思って――」
「ラグナがやるって言った!」
大きな声が響いた。
畑の方からフェルナとノエルが顔を出す。
物置にいたリシェルとミレアもこちらを見る。
セレス自身が一番驚いていた。
「でも、手伝っただけだよ」
「いらない!」
「ラグナ」
「ラグナがやったのに!」
「だから途中まではラグナが――」
「途中じゃない!」
ラグナは縄を握ったまま、積み終わった薪を見る。
「最後までやるって決めた!」
「知らなかったよ」
「聞けばいい!」
その言葉で。
セレスが黙った。
ラグナも。
自分で言ったあと、少しだけ驚いた顔をした。
たぶん。
前に何度も俺から言われていた言葉が、自分の口から出たのだろう。
知らないなら聞く。
分からないなら決めつけない。
けれど。
今の二人にとっては。
正しい言葉だからといって、すぐ喧嘩が終わるわけではなかった。
「もういい!」
ラグナは縄を地面へ置き、家の裏へ走っていった。
「ラグナ!」
セレスが追おうとする。
俺は止めなかった。
だが。
先にフェルナがセレスの服を掴んだ。
「待った方がいいかも」
セレスが振り返る。
「でも――」
「今行ったら、また怒るかも」
珍しく。
フェルナが先に止まった。
◇
俺は昼飯を作り始めた。
七人の方を見ると。
セレスは薪置き場の前に立ったままだ。
リシェルたちも集まっている。
誰かが俺へ助けを求めてくるかと思ったが。
来なかった。
なら。
今は任せてみてもいい。
「お父さん、行かないの?」
隣で野菜を洗っていたユラが聞いた。
「どこへ?」
「ラグナ」
「今は行かない」
「おこってる」
「ああ」
「セレス、かなしい」
「そうだな」
「じゃあ、お父さんいく?」
「二人がどうするか見てからでも遅くないよ」
ユラはしばらく俺を見たあと。
小さく頷いた。
「ユラも、まつ」
「そうしてくれ」
◇
「セレス姉、何でやったの?」
リシェルが聞いた。
「手伝おうと思って」
「ラグナが困ってた?」
「……困ってはなかった」
「疲れてた?」
「たぶん」
「たぶん?」
「ずっと運んでたから」
リシェルは少し考える。
その横でミレアが、積み終わった薪を見た。
「きれい」
「ほとんどラグナがやったんだよ」
セレスが言う。
「じゃあ最後もやりたかったのかも」
「でも、ほんの少しだったし……」
「少しだからじゃない?」
ミレアの言葉に。
セレスが顔を上げる。
「もうすぐ全部自分でできたのに、最後だけなくなったから」
「……そうかな」
「私だったら、ちょっと嫌かも」
ミレアは昨日。
一人だけ俺と沢へ行った。
みんなと分けなくてもいい時間があると知ったばかりだ。
だからなのか。
今日のラグナの気持ちにも、何か思うところがあるらしい。
「でもセレス姉は助けたかったんだよね」
ノエルが言った。
「うん」
「ラグナも、それは知ってると思う」
「じゃあ何であんなに怒るの?」
「嬉しいと怒らないは、同じじゃないから?」
少し変な言い方だった。
だが。
意味は分かったらしい。
セレスは自分の手を見る。
「私、勝手にやった」
「うん」
「悪いことしたのかな」
フェルナが首を傾げる。
「薪積んだだけだから、悪いことじゃない?」
「でもラグナ怒った」
「じゃあ悪い?」
「分かんない」
四人で悩み始める。
そこへユラが、とことこと近づいていった。
「セレス」
「なに?」
「ラグナにきく?」
全員がユラを見る。
「……そうだね」
セレスが小さく笑った。
「本人に聞かないと分からないね」
「うん」
◇
すぐに追いかけるのではなく。
少し待った。
それを決めたのも七人だった。
ラグナが怒ったままなら。
話してもまた大きな声になるかもしれない。
だから昼飯ができる少し前まで待ち。
セレスだけで行こうとしたところを。
「一人で大丈夫?」
フェルナが聞いた。
「たぶん」
「駄目だったら呼んで」
「うん」
「でも最初は一人?」
「うん」
セレスは家の裏へ向かった。
誰もついていかなかった。
俺も行かなかった。
◇
ラグナは。
家から少し離れた木の根元に座っていた。
腕を膝の上に置き。
地面を見ている。
セレスが近づいても、すぐには顔を上げなかった。
「ラグナ」
「……なに」
「隣、座っていい?」
ラグナは少し迷って。
「いい」
セレスが隣へ座る。
しばらく。
二人とも喋らなかった。
「ごめん」
先に言ったのはセレスだった。
「勝手にやった」
「……うん」
「手伝ったら喜ぶと思った」
「喜ばない」
「そうみたい」
「ラグナ、一人でできた」
「うん」
「崩れなかった」
「見てたよ。すごくきれいだった」
「最後までできた」
「うん」
「できたのに」
そこで。
ラグナの声が少し震えた。
「最後まで、ラグナがやりたかった」
セレスは答えずに聞いた。
「前はいっぱい持ったら、お父さんに止められた。強くしすぎたら駄目って言われた。今日はちゃんと少しずつやった」
「うん」
「置くところも見た」
「うん」
「縄も考えた」
「うん」
「全部やったら、お父さんに見せたかった」
やっと。
セレスにも分かった。
薪を積むこと自体が大事だったのではない。
ラグナは。
今まで教わったことを使って。
一人で最初から最後までやってみたかったのだ。
「知らなかった」
「聞けばよかった」
「うん。聞けばよかった」
セレスは否定しなかった。
「私、妹が大変そうだと、すぐ手伝いたくなる」
「知ってる」
「でも、大変そうと困ってるは違うね」
ラグナがようやくセレスを見る。
「ラグナ、大変だった」
「うん」
「でも困ってなかった」
「そっか」
「疲れたけど、できた」
「うん」
「だから、手伝いいらなかった」
「分かった」
セレスは頷いた。
「次から聞く」
「うん」
「手伝っていい? って」
「うん」
「嫌って言われたら?」
「やらない!」
「分かった」
そこで。
ラグナの顔から少し力が抜けた。
◇
だが。
まだ終わりではなかった。
「ラグナも」
セレスが言う。
「何?」
「ごめんって言ってほしい」
ラグナの眉が寄る。
「何で?」
「私に『いらない』って大きな声で言ったから。手伝ったことを怒るのはいいけど、私までいらないって言われたみたいで、ちょっと悲しかった」
ラグナの目が丸くなる。
「セレス姉、いらないって言ってない」
「分かってる。でも聞いた時はそう感じた」
「……薪の手伝いがいらないって言った」
「うん」
「セレス姉はいらないじゃない」
「うん」
「いる」
「ありがとう」
「……ごめん」
「うん」
今度は。
セレスが笑った。
ラグナも少しだけ笑う。
「じゃあ帰る?」
「待って」
「何?」
「薪」
「薪?」
「最後、やり直す」
◇
二人が戻ってきた頃。
昼飯はほとんどできていた。
フェルナたちがすぐに集まる。
「仲直りした!?」
「した」
ラグナが答える。
「何話した!?」
「内緒」
セレスが言った。
「また内緒!?」
昨日のことを思い出したらしい。
フェルナが本気で驚いている。
ミレアが少しだけ笑った。
「二人で話したから?」
「全部は言わなくていいかなって」
「増えた!」
何が増えたのかは分からない。
そんな中。
ラグナは積んである薪の前へ行った。
「セレス姉」
「うん」
「これ、最後のところだけ一回下ろして」
「私が?」
「一緒に」
「分かった」
二人で。
セレスが積んだ部分だけを一度下ろす。
かなり無駄な作業ではある。
だが。
俺は止めなかった。
最後の何本かが地面へ戻った。
ラグナはさっき持ってきた縄を確認し、積み方を考える。
「ここ、これでいい?」
今度はセレスへ聞いた。
「私はいいと思う。でもラグナの仕事だから、最後は自分で決めて」
「じゃあ、これにする」
一つ。
一つ。
ゆっくり積む。
最後の一本を。
ラグナ自身の手で置いた。
少し離れる。
崩れない。
傾いてもいない。
「できた!」
今朝よりずっと大きな声だった。
「お父さん!」
「見てるよ」
「全部できた!」
「ああ」
「最後も!」
「見てた」
「どう!?」
「上手くできてる。最初の頃よりずっと力加減もいい」
ラグナは満面の笑みになった。
その横で。
セレスも笑っている。
「セレス姉も見て!」
「見てたよ」
「ラグナ一人でできた!」
「うん。すごいね」
今度は。
その言葉を素直に受け取れたらしい。
◇
昼飯の途中。
フェルナが聞いた。
「じゃあ、これから手伝っちゃ駄目?」
「何でそうなる」
俺が答える前に。
セレスが苦笑した。
「手伝っちゃ駄目じゃないよ。先に聞けばいいんだと思う」
「毎回?」
「たぶん」
リシェルが少し考えてから口を開く。
「でも、危ない時は聞いてる暇ないかも」
「それは助けていいんじゃない?」
セレスが答える。
「屋根から落ちそうな人に、助けていいって聞かないでしょ」
「じゃあ困ってたら?」
「それも……すごく困ってたら先に手伝う時あるかも」
「どうやって分かる?」
「聞けばいいんじゃない?」
結局。
そこへ戻ってきた。
「『手伝う?』って?」
「うん」
「『いらない』って言われたら?」
「危なくなければ任せる」
ラグナが大きく頷く。
「それ!」
どうやら今日一番大事なところらしい。
「ラグナが『手伝って』って言ったら?」
「その時は手伝うよ」
「いっぱい?」
「必要なだけ」
「それ!」
今度はさらに嬉しそうだった。
◇
午後。
俺は一人で割った薪を束ねていた。
すると。
セレスがやってくる。
「お父さん」
「ん?」
「何か手伝う?」
昨日までなら。
たぶん「手伝うね」と言いながら、もう薪へ手を伸ばしていた。
今日は。
先に聞いた。
「じゃあ、その縄を取ってくれるか?」
「うん」
縄を渡してくれる。
「他は?」
「今は大丈夫」
「分かった」
セレスはそれだけで離れようとした。
「セレス」
「なに?」
「手伝おうとするのが悪いわけじゃないぞ」
「分かってる」
「ならいい」
「でも」
セレスは少し笑った。
「私、妹たちができるようになったことまで、まだ小さい時みたいに手伝おうとしてるのかも」
「そういう時はあるかもな」
「お父さんも?」
「あるよ」
「本当?」
「ユラなんて、まだ飯を食わせてやった方が早いと思う時あるぞ」
「ユラ、自分で食べるよ」
「だからやらない」
セレスは笑った。
「同じ?」
「たぶんな」
子供ができることは。
毎日少しずつ増えていく。
昨日まで必要だった手助けが。
今日は余計になることもある。
その境目を。
親だから分かるわけでも。
姉だから分かるわけでもない。
「聞かないと分からないね」
セレスが言う。
「ああ」
「じゃあ聞く」
「それでいい」
◇
夕方になると。
今度はラグナが畑の方で困っていた。
「これ持っていい!?」
大きな籠だ。
中には抜いた草や枯れた葉がかなり入っている。
「一人で?」
フェルナが聞く。
「持てる!」
「聞いてない。手伝う?」
ラグナは籠を持ち上げようとして。
一度止まった。
量を見る。
距離を見る。
自分の腕を見る。
「……半分手伝って」
「いいよ!」
二人で左右を持つ。
簡単に持ち上がった。
「軽い!」
「二人だから!」
「でもラグナ一人でも――」
言いかけて。
ラグナは止まる。
「……今日はこれでいい」
「うん!」
二人で運んでいった。
それを見ていたセレスが。
少しだけ嬉しそうにしていた。
◇
夜。
寝床へ入ったあと。
今日の話はもう終わったと思っていた。
だが。
「お父さん」
暗闇からセレスが呼ぶ。
「何だ?」
「手伝う?」
「何を?」
「寝るの」
「どうやってだよ」
「分からない」
「じゃあ寝ろ」
少し笑い声がする。
そのあと。
ラグナが言った。
「お父さん」
「今度は何だ?」
「だっこ、手伝う?」
「誰を?」
「ラグナ」
「それは手伝うって言わない」
「じゃあ、だっこする?」
「もう寝床にいるだろ」
「聞いただけ!」
また笑い声が増えた。
すると。
ユラが。
「ユラは、いる」
「何が?」
「だっこ」
「必要なのか?」
「ひつよう」
即答だった。
「じゃあ来い」
小さな足音が近づいてくる。
結局。
しばらく抱いてから寝床へ戻すことになった。
誰かを助けること。
手を貸すこと。
守ること。
どれも悪いことではない。
ただ。
相手が今。
本当にそれを必要としているかは。
見ているだけでは分からないこともある。
だから。
聞けばいい。
そして。
いらないと言われた時に。
自分が必要とされなくなったのだと勘違いしなくてもいい。
できることが増えた娘を。
自分でやらせてやることも。
たぶん。
手伝うことの一つなのだろう。
暗い部屋で。
七人分の寝息が少しずつ揃っていく。
明日になれば。
また誰かが。
「手伝う?」
と聞くのだろう。
その時。
必要なら頼ればいい。
必要なければ。
「大丈夫」
と言えばいい。
それくらいの方が。
この家には合っている気がした。




