第65話 今日はミレアだけ、お父さんと山へ行きました
朝飯を終えたあと。
俺は物置から籠を一つ出した。
それを見つけたフェルナが、すぐに寄ってくる。
「お父さん、どこ行くの?」
「少し上の沢」
「フェルナも行く!」
「今日は一人だけでいい」
そう答えると。
近くにいたラグナまで振り返った。
「一人?」
「ああ。沢のそばに生えてる薬草を少し採ってくる。ついでに水の流れも見たい」
「ラグナ行く!」
「フェルナが先に言った!」
「言った順じゃない!」
「じゃあ何順!?」
まだ誰を連れていくとも言っていないのに、二人で争い始めた。
俺は籠の紐を確認しながら言う。
「今日はミレアに頼もうと思ってる」
静かになった。
「……ミレア?」
フェルナが聞き返す。
「ああ」
部屋の隅で布を畳んでいたミレアも、自分の名前が出ると思っていなかったらしい。
「私?」
「嫌なら別の奴に頼むけど」
「嫌じゃない」
ミレアは畳みかけていた布を置いた。
「行く」
「じゃあ支度してくれ」
「うん」
返事はいつものように静かだった。
だが。
少しだけ。
嬉しそうだった。
◇
「どうしてミレアなの?」
家を出る準備をしていると。
セレスが聞いてきた。
責めるような言い方ではない。
ただ、純粋に気になるらしい。
「今日採りたい草は、葉の裏をよく見ないと似た草と間違えやすいんだ。ミレアは急がず見るから向いてる」
「リシェルも見るよ?」
リシェル本人が言った。
「見るな」
「ノエルも」
「ああ」
「セレス姉もできる」
フェルナが数え始める。
「ラグナも見る!」
「お前は見たあと勢いよく抜くだろ」
「ちゃんと見る!」
「根ごといらない草なんだよ」
「じゃあ優しく抜く!」
「今日はミレア」
「むう」
ラグナが頬を膨らませた。
俺は少し首を傾げる。
「そんなに薬草採りたいのか?」
「違う!」
今度はフェルナが答えた。
「お父さんと行きたい!」
「ああ、そっちか」
「二人?」
「二人だな」
「ずるい!」
何がずるいのかは分からない。
以前なら。
俺が山へ出ると言っても、仕事の内容の方を気にしていた気がする。
最近は少し違うらしい。
「お前らとは別の日に行くだろ」
「いつ?」
「必要があれば」
「必要ないと行かない!?」
「遊びで山歩く日もあるだろ」
「二人で?」
「二人の時もある」
「フェルナとも?」
「あるだろ。そのうちな」
すると。
今度はユラが俺の服の裾を掴んだ。
「ユラは?」
「お前もな」
「きょう?」
「今日はミレア」
「……そっか」
ユラはミレアを見る。
ミレアもユラを見る。
少しだけ気まずそうな顔をした。
「ユラも来る?」
ミレアが聞いた。
「いや」
俺が先に止めた。
「今日は二人で行こう」
ミレアが俺を見る。
「いいの?」
「ああ。二人で足りる仕事だからな」
「……うん」
今度の返事は。
さっきより少しだけ嬉しそうだった。
◇
沢までは。
家から歩いてそれほど遠くない。
ただし途中から道が細くなる。
昨日までの雨でぬかるんでいるところもあるため、急がず進んだ。
ミレアは俺の少し後ろを歩いている。
普段なら。
七人で山を歩くと、もっと賑やかだ。
先へ行きたがるフェルナを呼び戻し。
ラグナが何か持ち上げ。
リシェルが質問し。
ノエルが途中で何か見つけ。
ユラの歩幅に合わせ。
セレスが妹たちを気にする。
ミレアもその中にいる。
だが。
今日は二人だけだ。
「静かだな」
俺が言うと。
ミレアが少し笑った。
「私しかいないから?」
「俺もいる」
「お父さんも静か」
「そうか?」
「うん」
しばらく歩く。
鳥の声がする。
葉から落ちる水滴の音も聞こえる。
沢へ近づくにつれて、水音が少しずつ大きくなってきた。
「こういうの好き?」
ミレアが聞いた。
「何が?」
「静かな山」
「嫌いじゃないよ」
「昨日、好きなもの探したから」
「ああ」
まだ続いているらしい。
「ミレアも好き」
「静かなのが?」
「うん。でも」
少し間を置いて。
「家が静かすぎるのは、あんまり好きじゃない」
「分かる気がする」
「山は静かでいい」
「家は?」
「みんながいる音がする方がいい」
ミレアらしい答えだった。
騒ぎの中心へ入ることは少ない。
だからといって。
一人でいたいわけでもない。
静かにしながら。
七人の中にいる。
それがミレアなのだろう。
◇
沢へ着く。
水は少し増えていたが、危ないほどではない。
「ここから先は石が滑る。足元を先に見ろよ」
「うん」
ミレアは俺が言う前から、一歩ずつ足場を確かめていた。
沢の縁に沿って少し進むと。
目当ての草が生えている。
「これ?」
ミレアがしゃがむ。
「たぶんな。葉の裏見てみろ」
指で葉を返す。
細かな白い筋がある。
「白い」
「それなら採っていい。似てる方は裏が赤っぽい」
「赤い方はだめ?」
「毒があるわけじゃない。ただ薬にはならない」
「食べられる?」
「食べてもまずい」
「じゃあ採らない」
「そうしてくれ」
ミレアは一本ずつ。
葉を確認してから摘んでいく。
急がない。
見つけてもすぐ手を出さず。
似た草と並んでいれば、両方を比べる。
「これ」
「どっちだと思う?」
「白いけど、さっきより薄い」
「じゃあ?」
「分からないから採らない」
「それでいい」
ミレアは頷く。
分からないものを無理に決めない。
こういう仕事なら。
やっぱり今日連れてきたのは正解だった。
◇
籠の底が少し隠れるくらい集まったところで。
休憩することにした。
沢から少し離れた乾いた岩へ座る。
持ってきた水を飲む。
ミレアも隣へ座った。
しばらく。
何も喋らなかった。
「お父さん」
「ん?」
「一人ずつ連れてくるの、困る?」
「何で?」
「みんな行きたいって言うから」
「別に困らないよ」
「でも七人いる」
「いるな」
「七回?」
「何が?」
「一人ずつなら」
そこで。
ようやく意味が分かった。
「別に七回同じところへ行かなくてもいいだろ」
「違う場所?」
「フェルナなら走り回っても危なくないところがいいし、ラグナなら何か運ぶ時に頼むかもしれない。リシェルなら知らないものを調べる時に連れていくのもいい。ノエルなら夜でもいいな」
「セレスは?」
「何でもできるから逆に難しいな」
「ユラ」
「近いところ」
「私」
「今日来てるだろ」
ミレアが笑った。
「うん」
それから。
少し俯く。
「今日、私でよかった?」
「ああ」
「一人だけ?」
「一人だけでよかったよ」
「……そっか」
不思議な聞き方だった。
「どうした?」
「みんなも来たいって言ったから」
「ああ」
「ユラも」
「言ってたな」
「一緒に来た方がよかったかなって」
「ミレアはどうしたかった?」
聞くと。
返事が少し遅れた。
沢の水を見ながら。
小さな声で答える。
「二人で来たかった」
「ならそれでいいだろ」
「いいの?」
「何が?」
「私だけ、お父さんと二人」
「駄目な理由あるか?」
「みんなもお父さん好き」
「知ってる」
「私も好き」
「それも知ってる」
「だから……」
言葉を探している。
「私だけだと、みんなの分が減る気がした」
なるほど。
ようやく分かった。
七人でいることに慣れすぎている。
食べ物なら。
七人で分ける。
仕事なら。
できる奴で分ける。
場所なら譲る。
足りなければ相談する。
だが。
何でも七等分しなければならないわけではない。
「今日ミレアと二人で来たからって、明日から他の六人と話せなくなるわけじゃないぞ」
「うん」
「抱っこも減らない」
「ユラの?」
「特にユラのな」
ミレアがまた笑う。
「じゃあ、いい?」
「ああ」
「二人がよかったって思っても?」
「いいよ」
「わがままじゃない?」
「誰かを追い出してまで独り占めしようとしたなら話は別だけどな。今日みたいなのは別にいいだろ」
「そっか」
ミレアは膝の上へ両手を置いた。
そして。
本当に小さな声で。
「よかった」
と言った。
◇
家へ帰る途中。
ミレアは行きより少し話した。
「お父さん」
「ん?」
「昔、一人だった時もこの沢来た?」
「来たよ」
「誰と?」
「一人」
「あ」
「昨日も似たこと聞かれたな」
「七人いなかったから」
「そうだな」
「寂しくなかった?」
「毎日寂しいとは思ってなかったよ」
「今、一人で来たら?」
「それも別に平気だと思う」
「じゃあ二人と一人、どっちが好き?」
「また好きなものの話か」
「うん」
少し考える。
「一人で歩きたい日もあるし、誰かと歩きたい日もある」
「今日どっち?」
「今日はミレアと来てよかったよ」
ミレアは前を向いたまま。
少しだけ歩幅を小さくした。
「私も」
それ以上は言わなかった。
別に。
それ以上言う必要もなかった。
◇
家が見えてくると。
最初にこちらへ気づいたのはフェルナだった。
「帰ってきたー!」
走ってくる。
その後ろからラグナ。
さらにユラまで。
「どうだった!?」
「何した!?」
「ミレア、だっこした?」
質問が一度に飛んでくる。
「薬草採ってきただけだよ」
俺が答える。
「ミレアに聞いてる!」
「そうか」
フェルナたちはミレアを囲む。
「何あった?」
「沢行った」
「知ってる!」
「薬草採った」
「それも見れば分かる!」
「何話した!?」
ミレアが少し困ったように俺を見る。
俺は口を出さない。
話したければ話せばいいし。
話したくなければ。
全部話す必要もない。
ミレアは少し考えてから言った。
「内緒」
六人が止まった。
俺まで少し驚いた。
「内緒!?」
フェルナが聞き返す。
「うん」
「何で!?」
「お父さんと二人で話したから」
フェルナが口を開ける。
ラグナも驚いている。
ユラはもっと分かりやすく。
「ずるい」
と言った。
やっぱりそうなるか。
◇
俺が何か言う前に。
セレスが家から出てきた。
「どうしたの?」
「ミレア、お父さんと内緒ある!」
フェルナが訴える。
「内緒?」
セレスがミレアを見る。
「うん」
「言えないこと?」
「言えないんじゃなくて、言わない」
いつもよりはっきりした返事だった。
「二人で話したから」
少し。
空気が変わった。
「私たちには?」
ラグナが聞く。
「言わない」
「姉妹なのに?」
「うん」
ミレアがそう言い切るのは珍しい。
だからなのか。
誰もすぐには次の言葉を出さなかった。
俺が間に入ろうか迷っていると。
リシェルが先に口を開いた。
「でも、全部話さなくていいんじゃない?」
フェルナが振り返る。
「何で?」
「フェルナも、私たちに言ってないことあるでしょ」
「ない!」
「本当に?」
「……たぶん!」
「じゃあ、前にお父さんに怒られたあと、一人で何話してた?」
「それは……」
フェルナが止まった。
「言わなかったでしょ」
「……うん」
「セレス姉もあるよね」
セレスが少し考えて。
「ある」
「ノエルも?」
「ある」
「ラグナは?」
「……あるかも」
ラグナまで少し声が小さくなる。
ユラだけが。
「ユラ、ない」
胸を張った。
「ユラは大体その場で全部言うからね」
セレスが笑う。
「いう」
「それはそれでいいんじゃない?」
姉妹だけで話が進んでいく。
俺は。
黙って見ていることにした。
◇
「でも」
フェルナがまだ少し不満そうに言う。
「ミレアだけ今日二人だった」
「うん」
ミレアは否定しない。
「フェルナも行きたかった」
「うん」
「だからちょっとずるい」
「うん」
「……怒らないの?」
「フェルナがそう思っただけだから」
ミレアの答えに。
フェルナが困った。
「ミレアは?」
「嬉しかった」
「二人が?」
「うん」
「フェルナたちいない方がよかった?」
今度は。
ミレアがすぐに首を横へ振った。
「違う」
「じゃあ?」
「今日は二人がよかった」
「同じじゃない?」
「違うよ」
セレスが横から言った。
「みんなが嫌だから二人がいいのと、みんなも好きだけど今日は二人がいいのは、違うと思う」
「そうなの?」
「たぶん」
フェルナが考え込む。
ラグナも。
リシェルも。
それぞれ考えている。
「じゃあ」
ユラが俺を見た。
「ユラも、おとうさんとふたりする」
「するのか?」
「する」
「いつ?」
「きょう」
「今日はもう山から帰ってきたよ」
「じゃあ、いま」
「何するんだ」
ユラは考える。
「だっこ」
「それは普段と同じだろ」
「ふたりでだっこ」
「難しい条件を追加するな」
みんなが笑った。
少しだけ残っていた変な空気も。
そこでなくなった。
◇
夕方。
採ってきた薬草をミレアと一緒に仕分けた。
「これは?」
「白い筋ある」
「じゃあこっち」
「これは薄い」
「どうする?」
「分からないところ」
ミレアが別の籠へ置く。
沢で見た時と同じだ。
迷ったものを混ぜていなかった。
「ちゃんと覚えてたな」
「うん」
「助かったよ」
褒めると。
ミレアは少し笑った。
そこへ。
フェルナがやってくる。
「ミレア」
「なに?」
「今日よかった?」
「うん」
「すごく?」
ミレアは少しだけ考えた。
「すごく」
「そっか」
フェルナはまた少し考え。
「じゃあいい」
「いいの?」
「今度フェルナもお父さんと二人するから」
「うん」
「その時、内緒作る」
「作るものなの?」
「作る!」
妙な目的が増えた。
◇
その夜。
寝る前。
珍しく。
ミレアが俺のところへ来た。
「お父さん」
「どうした?」
「今日」
「ああ」
「ありがとう」
「薬草採りを手伝ってもらったのは俺だけどな」
「違う」
「何が?」
「二人で連れていってくれたから」
「それか」
ミレアは頷く。
「七人でいるの、好き」
「ああ」
「一人でいるのも好き」
「知ってる」
「お父さんと二人も好き」
「今日分かったな」
「うん」
そして。
少し迷ってから。
俺の袖を摘んだ。
「また行っていい?」
「もちろん」
「私だけでも?」
「ああ」
「みんなとでも?」
「それもいい」
ミレアは安心したように頷いた。
「じゃあいい」
それだけ言って。
自分の寝床へ戻ろうとする。
「ミレア」
「なに?」
「今日の話、全部内緒にしなくてもいいんだぞ」
「分かってる」
「ならいい」
「でも」
ミレアは振り返った。
「一個だけ内緒にする」
「何を?」
「それも内緒」
「俺にも?」
少し考えてから。
ミレアは笑った。
「お父さんは知ってる」
それで。
何のことか分かった。
沢で。
二人でよかったと言ったこと。
たぶん。
あれだ。
「そうか」
「うん」
ミレアは今度こそ寝床へ戻った。
◇
七人は姉妹だ。
毎日一緒に飯を食い。
一緒に仕事をし。
喧嘩して。
助け合って。
同じ家へ帰る。
だから俺も。
七人まとめて考えることが増えていた。
七人分の飯。
七人分の服。
七人分の寝床。
七人が安全か。
七人が困っていないか。
けれど。
七人という一つの塊が。
俺の娘なのではない。
セレスがいて。
ラグナがいて。
フェルナがいて。
リシェルがいて。
ミレアがいて。
ノエルがいて。
ユラがいる。
七人全員を大事にすることと。
いつでも何でも七人一緒にすることは。
同じではないらしい。
その夜。
寝る直前。
暗闇からフェルナの声がした。
「お父さん」
「何だ?」
「フェルナと二人の日、いつ?」
「まだ起きてたのか」
「いつ?」
「そのうち」
「明日?」
「寝ろ」
「明後日?」
「寝ろ」
「三日後?」
「フェルナ」
「はい」
ようやく静かになった。
と思ったら。
今度はラグナが。
「ラグナも予約!」
「予約制じゃない」
リシェルまで。
「順番決めた方が喧嘩しないかも」
「何の順番だよ」
ノエルが。
「夜なら私がいい」
セレスが。
「みんな一度落ち着いて」
ユラが。
「ユラ、いま」
「お前は寝ろ」
結局。
七人全員が喋り始めた。
今日一日。
ミレアと二人で静かな山を歩いていたせいか。
いつも以上にうるさく感じる。
俺は布団の中で目を閉じた。
静かな時間も。
こういう時間も。
どちらも。
今の俺の暮らしだった。




