第57話 寝坊した日の仕事は、できる人がやればいい
自分の寝床を自分で整えるようになってから、朝の家は以前より少しだけ静かになった。
起きた者から布団を畳み、顔を洗い、朝の仕事へ向かう。誰かが毛布をぐちゃぐちゃにしたままなら、それも本人が直す。ユラのように一人では難しいところがあれば、俺や姉妹の誰かが手を貸す。
まだ毎朝完璧というわけではない。
フェルナは布団を畳みながら別のことへ興味を移して、途中のまま外へ飛び出しそうになるし、ラグナは相変わらず必要以上に小さく畳もうとする。それでも、俺が一つずつ指示しなくても朝が進むようになった。
その日も、いつもと同じだと思っていた。
「お父さん」
鶏小屋へ向かおうとしていたユラが、家の入口で立ち止まった。
「どうした?」
「ノエル、こない」
「ああ?」
そう言われて初めて気づいた。
朝飯の支度を始めてから、ノエルの姿を見ていない。
普段ならユラと一緒に鶏の世話へ行く時間だ。家の中へ戻って寝床を見ると、壁際に置かれた布団が一つだけ残っている。
しかも。
中身入りだった。
◇
「ノエル」
声をかけても動かない。
近づいてみると、布団の中で丸くなり、すっかり眠り込んでいる。熱があるような様子はなく、呼吸も普通だ。
「珍しいな」
ノエルは早起きというほどではないが、朝の物音が増えれば大抵は自分で起きる。
肩を軽く揺すると、ようやく目が少し開いた。
「……お父さん」
「ああ。朝だぞ」
「…………」
「起きられるか?」
ノエルは一度体を起こしかけたものの、すぐ布団へ戻った。
「ねむい」
「見れば分かる」
「まだ夜?」
「とっくに朝だ」
窓から入る光を見せると、ノエルはしばらく眩しそうに目を細めた。
「昨日、遅くまで起きてたか?」
「……ちょっと」
「何してた?」
「音」
「音?」
「鳥。あと虫。風も」
ああ。
それで壁際を選んだのだった。
自分の寝床ができて、夜の外の音を好きなだけ聞けるのが嬉しかったのだろう。
「どのくらい聞いてた?」
「分からない」
「眠くなってからも?」
「もう一回鳴くかなって」
「それで待ってたのか」
「うん」
本人に悪気はない。
ただ、興味が勝って寝るのが遅くなったらしい。
「今日はまだ眠い?」
「うん」
「じゃあ少し寝ろ」
そう言うと、ノエルの目が少しだけ開いた。
「鶏」
「ユラが待ってるな」
「行く」
起きようとする。
だが、まだかなり眠そうだ。
「その状態で行っても、足元ふらつくだろ」
「でもノエルの仕事」
「仕事は逃げない」
「鶏、おなかすく」
「だから誰かがやればいい」
ノエルは少し考えるように俺を見る。
「誰?」
「それを今から決める」
◇
外へ出ると、ユラが鶏小屋の前で待っていた。
「ノエル?」
「まだ眠いみたいだ。今日は少し休ませる」
「びょうき?」
「そういう感じじゃない。昨日遅くまで起きてたらしい」
説明すると、ユラは家の方を見て、それから餌の入った籠へ目を落とした。
「じゃあ、わたしする」
「一人でできる?」
「えさ、できる。でも」
籠を持ち上げてみる。
持てないわけではないが、いつもノエルと分けている分だけ少し重い。
「みず、おもい」
「そうだな」
そこへ、薪を運び終えたラグナとフェルナが戻ってきた。
「ノエルどうしたの?」
フェルナがすぐ聞く。
「寝坊」
「寝坊!?」
なぜか嬉しそうだ。
「フェルナもしたことある!」
「自慢することじゃない」
「ノエルもするんだ!」
「人なんだからするだろ」
ラグナは鶏小屋とユラを見て、すぐ事情を察したらしい。
「ノエルの分、誰やる?」
「それを決めようとしてた」
「ラグナ水持てる!」
「じゃあお願いしていい?」
ユラが頼むと、ラグナはすぐ頷いた。
「いいよ!」
「フェルナは!?」
当然のように自分も混ざろうとする。
「フェルナは何ができる?」
俺が聞くと、鶏小屋をじっと見る。
「……鶏に話す!」
「仕事になってない」
「餌!」
「ユラがやる」
「じゃあ卵見る!」
「それなら頼む」
「やった!」
こうして。
いつもはユラとノエルの二人でやる朝の仕事を。
今日は。
ユラ。
ラグナ。
フェルナ。
三人で分けることになった。
◇
そこへセレスもやってきた。
「ノエル、どうしたの?」
「昨日夜更かしして寝坊だ」
「起こさなくていい?」
「少し寝かせる」
「じゃあ私、鶏手伝う」
「もう足りてる」
「でも」
言いかけて。
止まる。
鶏小屋では、ラグナが水を運び、ユラが餌を分け、フェルナが産み箱を覗いている。
少し騒がしいが。
ちゃんと回っている。
「……ほんとだ」
「何が?」
「私いなくても大丈夫」
「最初からそう言ってるだろ」
「分かってるんだけど」
セレスは少し笑った。
「すぐ手伝おうとするの、まだ残ってる」
「悪いことじゃない。ただ、必要か見てからでいい」
「うん。じゃあ私は畑行く」
「その方が助かる」
◇
朝飯の時間になっても、ノエルはまだ起きてこなかった。
俺は一度様子を見に行ったが、さっきより穏やかに眠っている。
「食べない?」
ミレアが聞く。
「起きたら食わせる」
「残す?」
「ああ」
ミレアはノエルの分を取り分けると、冷めても食べられるようにして置いた。
「これでいい?」
「助かる」
「起きたら温める?」
「その時考えよう」
いつもなら七人揃っている食卓に、一つだけ空いた場所がある。
フェルナは何度かそこを見ていた。
「変」
「何が?」
「ノエルいない」
「寝てるだけだ」
「分かってる。でも変」
ラグナも頷く。
「静か」
「ノエル、そんなに騒がないだろ」
「でもいる」
「いないと分かる?」
「うん」
普段。
七人揃っていることが当たり前すぎる。
一人寝ているだけで。
家の中の形が少し違って見えるらしい。
◇
食事を終え。
それぞれが仕事へ向かう。
今日はノエルがいないからといって、大きな問題が起きるわけではない。
朝の鶏の世話は終わった。
昼までに必要な仕事も、残りの六人と俺で十分できる。
それでも。
リシェルは仕事分けの板の前で考えていた。
「ノエルの名前」
「ああ」
鶏の印の横に。
ユラとノエル。
二人の名前が書いてある。
「消す?」
「今日だけなら消さなくてもいいだろ」
「でも今日、ノエルしない」
「じゃあ横に何か書く?」
リシェルは少し考え。
ノエルの名前を消さず。
その横へ。
『やすみ』
と書いた。
そして。
下へ。
『ゆら』
『らぐな』
『ふぇるな』
と足す。
「これなら?」
「分かりやすい」
「仕事変わっても、名前消えない」
「ああ」
「休んだだけ」
「そうだな」
それが。
妙に大事なことのように。
リシェルはしばらく板を見ていた。
◇
昼前。
ようやく。
ノエルが起きてきた。
髪は少し乱れ。
まだ寝ぼけた顔。
でも。
朝よりずっと目は開いている。
「おはよう」
俺が言うと。
「……おはよう」
「よく寝た?」
「うん」
「まだ眠い?」
「ちょっとだけ」
「腹は?」
「すいた」
「なら飯にしよう」
すると。
ノエルは。
先に鶏小屋の方を見る。
「鶏」
「終わった」
「誰が?」
「ユラとラグナとフェルナ」
「…………」
少し。
表情が変わる。
「ノエル、しなかった」
「ああ」
「仕事」
「今日はな」
「…………」
「気になる?」
ノエルは頷いた。
「自分のだった」
「昨日まではな」
「今日も」
「仕事分けの板にはそう書いてあったな」
「でも、しなかった」
責められると思っているわけではない。
ただ。
自分が決めた仕事を。
自分でできなかったことが。
引っかかっているらしい。
◇
「ノエル」
「なに?」
「鶏、困ってると思う?」
「……思わない」
「餌も食った。水もある。卵も取った」
「うん」
「じゃあ家としては大丈夫だ」
「でもノエルは?」
「ああ?」
「ノエルの仕事、なくなった?」
「今日一回誰かにやってもらっただけで?」
「…………」
考える。
「明日は?」
「やりたいならやればいい」
「またユラと?」
「ああ」
「じゃあ」
少しだけ。
安心した。
それでも。
完全ではない。
「休んだら、だめ?」
「何で」
「仕事あるから」
「昨日、七人で夕飯作った時に何話した?」
ノエルは。
少し考える。
「できても、全部自分でやらなくていい」
「そう」
「でも今日は、できなかった」
「同じだよ」
「同じ?」
「できる日でも頼っていいし、できない日はもっと頼ればいい」
「…………」
「家の仕事は、誰か一人だけが必ずやらなきゃいけないものじゃない。今日ノエルができなかったなら、できる人がやればいい」
「明日、ラグナができなかったら?」
「別の誰か」
「ユラも?」
「できる範囲で」
「お父さんも?」
「俺もだ」
「みんなできなかったら?」
「その時は仕事そのものを変える。急がなくていいなら後にするし、絶対必要なら八人でどうにかする」
ノエルは。
ようやく。
少し笑った。
◇
「ノエル起きた!」
フェルナが家へ飛び込んできた。
「走るな」
「外からだから!」
「家に入ってから走ってる」
「……歩く!」
途中から急に歩きへ変わる。
そして。
ノエルの前へ。
「鶏やった!」
「聞いた」
「卵二個!」
「見たい」
「見せる!」
「割るなよ」
フェルナが両手で慎重に卵を持ってくる。
「これ!」
「きれい」
「一個フェルナ見つけた!」
「ありがとう」
「うん!」
それだけで。
フェルナは満足そうだった。
ラグナも来る。
「水も入れた!」
「重かった?」
「大丈夫。でも一回こぼしそうになった」
「こぼした?」
「ちょっと」
「じゃああとで見る」
「もう拭いた!」
「誰が?」
「ユラ」
「じゃあユラにもありがとう言う」
「うん!」
誰かが自分の代わりに仕事をした。
それを。
取られたと思うのではなく。
助けてもらったと思えばいい。
◇
昼飯のあと。
ノエルは仕事分けの板を見つけた。
『やすみ』
の文字。
「これ」
「リシェルが書いた」
「休み」
「うん」
「消す?」
「今日は残す」
「なんで?」
「今日ノエル休んだから」
「…………」
「悪いことだからじゃない」
リシェルは。
自分で書いた三人の名前を指差す。
「誰が代わったか分かる」
「じゃあ」
ノエルも。
板へ文字を足した。
『ありがとう』
「これも残す?」
「うん」
「明日は?」
「新しい板」
「また増えるな」
俺が言うと。
リシェルは。
当然のように。
「必要なだけ」
と答えた。
「その言葉便利になりすぎてないか」
◇
午後。
ノエルは元気になったのか。
いつものように家の周りを見ていた。
「お父さん」
「ん?」
「昨日の鳥」
「夜に聞いてたやつ?」
「うん」
「何だった?」
「分からない」
「見えなかったのか」
「うん。でも三回鳴いた」
「それで待ってた?」
「もう一回聞きたかった」
「聞けた?」
「聞けなかった」
「それで夜更かしか」
ノエルは。
少しだけ。
反省したように俯いた。
「今日も聞きたい」
「駄目とは言わない」
「いい?」
「ただし、明日眠くなるまで起きてるのは考えろ」
「なんで?」
「今日分かっただろ。眠いと朝起きられない」
「うん」
「夜の鳥を見るのが大事なら、次の日の仕事を誰かに頼んでから遅くまで起きる方法もある」
「先に?」
「ああ。あるいは、今日は早く寝て別の日にする」
「…………」
「興味あること全部、今すぐ最後までやらなくていい」
「また待つ?」
「また待つ」
ノエルは。
少し笑った。
「フェルナ嫌いそう」
「何でそこでフェルナなんだ」
◇
夕方。
鶏の世話の時間になると。
ノエルは。
ユラと一緒に向かった。
「朝できなかったから?」
俺が聞くと。
ノエルは首を振る。
「今はできるから」
「そうか」
「朝の分までいっぱいする?」
「それは必要ない」
「うん」
「いつもの分だけでいい」
「必要なだけ」
「お前まで使い始めたか」
隣のユラが。
小さく笑った。
◇
夜。
自分の寝床へ入ったノエルは。
昨日と同じ壁際だった。
「場所変えないのか?」
「ここ好き」
「また鳥聞こえるぞ」
「うん」
「寝られる?」
ノエルは。
少し考えてから。
「三回聞いたら寝る」
「回数で決めたのか」
「うん」
「鳴かなかったら?」
「寝る」
「じゃあ最初から寝ればいいんじゃないか」
「聞きたい」
「そうか」
本人なりに。
昨日と今日の間で。
折り合いをつけたらしい。
◇
灯りを落として。
しばらく。
静かな時間が流れる。
外から。
風が。
木の葉を揺らす音。
遠くで。
小さな鳥の声。
「一回」
ノエルが。
小さく呟く。
少しして。
もう一度。
「二回」
「数えてるのか」
「うん」
「三回目来なかったら寝ろよ」
「分かってる」
その後。
なかなか。
鳴かない。
「ノエル」
「なに?」
「まだ起きてる?」
「……ちょっと」
「眠い?」
「うん」
「なら寝たら?」
「あと一回」
「明日でも聞けるかもしれないぞ」
「…………」
長い沈黙。
「じゃあ寝る」
「それでいい」
「明日のノエルにする」
「フェルナみたいな言い方になってるな」
「未来だから」
「そこまで移ったか」
やがて。
壁際から。
静かな寝息が聞こえ始めた。
◇
次の朝。
俺が起きると。
ノエルの布団は。
もう空だった。
外へ出れば。
ユラと二人で。
鶏へ餌をやっている。
「今日は起きたな」
声をかけると。
ノエルは振り返った。
「うん」
「鳥は?」
「二回で寝た」
「三回待たなかったのか」
「眠かったから」
「正解」
すると。
ユラが聞く。
「きょう、わたしねぼうしたら?」
ノエルは。
少しだけ。
考えたあと。
「ノエルやる」
「ひとり?」
「重いのは誰か呼ぶ」
「じゃあだいじょうぶ」
「うん」
二人で。
また鶏の世話へ戻る。
◇
仕事を分けるのは。
誰が何をするか決めるため。
でも。
決めたからといって。
その人が。
毎日。
必ず。
一人でやらなければならないわけではない。
眠い日もある。
疲れる日もある。
失敗する日もある。
やりたくない日だって。
きっとある。
そんな時。
誰かが代わる。
元気になったら。
今度は自分が誰かを助ける。
それで。
家はちゃんと回る。
「お父さん!」
フェルナが。
向こうから走ってきた。
「今日は何だ」
「フェルナも明日寝坊する!」
「宣言してするものじゃない!」
「そしたら誰か仕事してくれる!」
「そういうための話じゃない!」
「じゃあ明日休み!」
「元気なのに?」
「うん!」
「仕事したくないだけだろ!」
「ばれた!」
笑いながら逃げるフェルナを。
ラグナが追いかける。
その二人の声を聞きながら。
ノエルとユラも笑っていた。
休めると分かることと。
毎日休みたがることは。
どうやら。
別の問題らしかった。




