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第51話 背が伸びた分だけ、壁に名前を残しておく



 朝。


「お父さん!」


 珍しく、俺より先に起きたフェルナが壁際で何かしていた。


「何してる?」


「見て!」


 指差した先には、一本の細い線。


 壁の柱へ炭で引かれている。


「……落書きしたのか?」


「違う!」


「じゃあ何だ」


「フェルナ!」


「見れば分かると言いたいところだが、線一本じゃお前には見えないな」


「背!」


 フェルナが柱へ背中をつけた。


「ここ!」


「ああ」


 ようやく分かった。


 頭の高さに、自分で印をつけたらしい。


「昨日より大きい?」


「一日じゃ分からん」


「でも伸びてるかもしれない!」


「昨日測ってないだろ」


「じゃあ今日から!」


 なるほど。


 文字を覚えたことで、また新しいことを思いついたらしい。


「名前も書く!」


「それなら誰の印か分かるな」


「うん!」


 フェルナは炭を握り、自分の線の横へ慎重に名前を書き始めた。


「……あ」


「どうした?」


「入らない」


「大きく書きすぎだ」


「名前長い!」


「昨日から名前のせいにするな」


     ◇


 フェルナが柱に自分の名前を書いていると、当然のように六人が集まってきた。


「何してるの?」


 セレス。


「背!」


「測ったの?」


「今!」


「どうやって?」


「壁にくっついた!」


「それだけじゃちゃんと測れないよ」


「じゃあセレス姉やって!」


「私?」


「お父さんでもいい!」


「俺がやる」


 俺は平らな板を一枚持ってきた。


「壁へ背中つけろ」


「こう?」


「踵も」


「はい!」


「上向くな」


「なんで?」


「頭の位置変わる」


「じゃあ前!」


「そう」


 頭の上へ板を当て、その位置に印をつける。


「さっきより」


 フェルナが見る。


「下……」


「最初のは自分で描いたからな」


「小さくなった!」


「なってない。最初が間違ってただけだ」


「じゃあこっちが本物?」


「今のところは」


「むう」


 自分で描いた高い線をしばらく見たあと。


「これは消す?」


「残してもいいんじゃないか」


「なんで?」


「最初に自分で測った跡だろ」


「間違いなのに?」


「ああ」


「間違い、残す?」


「前にも話しただろ。後で見た時、何が違ったか分かる」


 フェルナは少し考えた。


「じゃあ」


 高い方の線の横へ、小さく文字を足す。


『じぶん』


 正しい方には。


『おとうさん』


「……俺の背丈みたいだな」


「違う!」


「せめて『お父さんが測った』まで書け」


「長い!」


「勉強だと思え」


     ◇


「私も測る」


 次に来たのはセレスだった。


「いいぞ」


「フェルナより高い?」


「測れば分かる」


「別に勝負じゃないから」


 そう言いながら。


 少しだけ。


 フェルナの印を見ている。


「気にしてるじゃないか」


「ちょっとだけ」


 壁へ立つ。


 板を当てる。


 線を引く。


「セレス姉高い!」


 フェルナ。


「やっぱり」


「お姉ちゃんだから?」


 ユラ。


「年上だから、その分はな」


「ずっと?」


「何が?」


「セレス姉が一番高い?」


「それは分からない」


 ラグナが反応した。


「ラグナ追いつく!」


「まだ測ってないでしょ」


「でも追いつく!」


「何の勝負なの」


「背!」


「やっぱり勝負になった」


     ◇


 ラグナは。


 壁へ立つ前から胸を張っていた。


「これで高くなる?」


「胸張っても頭は伸びない」


「じゃあ背伸び!」


「駄目」


「なんで!」


「正しい高さ測れない」


「でも高くなる!」


「測る意味がなくなる」


「むう」


「踵つけろ」


「はい」


 測る。


「どう?」


「セレスより少し低い」


「少し!?」


「少し」


「じゃあすぐ!」


「何が?」


「追いつく!」


「相手も伸びるぞ」


「…………」


 そこまで考えていなかったらしい。


「セレス姉」


「なに?」


「伸びないで」


「無理だよ」


「じゃあラグナだけいっぱい伸びる!」


「どうやって?」


「いっぱい食べる!」


「食べすぎても急には伸びないぞ」


「牛乳!」


「山羊乳ならある」


「飲む!」


「普段から飲んでるだろ」


「もっと!」


「腹壊すからやめろ」


     ◇


 ミレアは。


 自分の番になると。


 柱の前で少しだけ迷った。


「嫌なら無理に測らなくてもいいぞ」


「嫌じゃない」


「じゃあ何だ?」


「みんなと比べるの、ちょっと変な感じ」


「ああ」


「高いとか低いとか」


「気になる?」


「少し」


「でも」


 俺は柱を見る。


「勝ち負けじゃない」


「うん」


「今どのくらいか残しておくだけだ」


「あとで見るため?」


「ああ」


「大きくなった時?」


「そうだな」


 ミレアは。


 少し考え。


「じゃあやる」


 測る。


 線を引く。


 その横へ。


 自分で名前を書く。


「ミレア」


「読めるぞ」


「ちょっと曲がった」


「壁に書くの難しいからな」


「でも残る?」


「消さなければ」


「じゃあいい」


 指先で。


 自分の名前の線を。


 そっとなぞった。


     ◇


 ノエルは。


 自分を測るより。


 他の六人の線へ興味を持った。


「セレス姉とラグナ」


「ああ」


「近い」


「そうだな」


「フェルナとミレアも近い」


「ああ」


「でも同じじゃない」


「当然だろ」


「毎日変わる?」


「毎日少しずつは変わってるかもしれないけど、目で分かるほどじゃない」


「じゃあ」


「ん?」


「いつ測る?」


「毎日やってもいいけど」


「意味ない?」


「大きな変化は分かりにくい」


「一月?」


「それくらいなら少し分かるかもな」


「季節ごと?」


「もっと分かりやすい」


 ノエルは。


 すぐに柱の上へ。


 小さな文字を書こうとする。


「何書く?」


「春」


「今が?」


「うん」


「いいな」


「次は夏?」


「ああ」


「その次秋」


「ああ」


「冬」


「ああ」


「また春」


「そうなるな」


「じゃあ」


 ノエルの目が。


 少し明るくなる。


「同じ場所でいっぱい見られる」


「背の変化を?」


「うん」


「気に入ったか」


「面白い」


     ◇


 ユラは。


 自分の印より。


 セレスの線を見上げていた。


「たかい」


「ああ」


「おとうさんは?」


「俺?」


「はかる」


「俺も?」


「八人」


 出た。


「お父さんも測ろうよ」


 セレスまで言う。


「俺はもう大して伸びないぞ」


「でも今の残す」


 リシェル。


「なんで?」


「あとで比べる」


「俺の場合、縮む方かもしれないぞ」


「ちぢむ!?」


 フェルナが驚く。


「ずっと先だ」


「お父さん小さくなる!?」


「今すぐじゃない」


「どれくらい!?」


「何十年も先の話だ」


「じゃあ今測る!」


「話聞いてたか?」


「今大きいの残す!」


 七人に押し切られた。


     ◇


「お父さん、壁!」


「はいはい」


 俺が柱へ立つ。


「踵!」


 セレス。


「ついてる」


「上向かない!」


 フェルナ。


「分かってる」


「胸!」


 ラグナ。


「何だ」


「張って!」


「張っても変わらないってさっき言っただろ」


「お父さんなら変わるかも!」


「変わらない」


「板」


 リシェルが持つ。


「私する」


「届くか?」


「椅子」


「乗るなら俺が支える」


「うん」


 七人が。


 妙に真剣だ。


 リシェルが板を頭へ乗せ。


 セレスが線を引く。


「できた!」


 ユラ。


「おとうさん」


 自分たちの線と。


 俺の線。


 かなり離れている。


「高い!」


 ラグナが叫ぶ。


「絶対追いつく!」


「お前、俺まで競争相手にするのか」


「うん!」


「俺は伸びないぞ」


「じゃあ勝てる!」


「何年後だよ」


     ◇


 ユラも測る。


 七人の中では。


 今のところ。


 一番低い。


「…………」


 線を見る。


 少し。


 顔が曇った。


「どうした?」


「ちいさい」


「ああ」


「いちばん?」


「今はな」


「…………」


「嫌か?」


 ユラは。


 少しだけ。


 考えた。


「みんなみたい、おおきい」


「そのうちなる」


「ほんと?」


「ああ」


「おとうさんくらい?」


「それは分からない」


「なりたい」


「どうして?」


「いっぱい、できる」


「大きくなったら?」


「うん」


 薪も。


 料理も。


 畑も。


 前に。


 大きくなったら。


 俺と半分ずつすると言った。


 きっと。


 今も覚えているのだろう。


「じゃあ」


 俺は。


 ユラの線の横を指差す。


「ここ、覚えとけ」


「ここ?」


「ああ」


「今のユラだ」


「…………」


「大きくなった時」


「ああ」


「ここ見たら」


「ああ」


「小さかったって分かる」


「うん」


「悪いことか?」


「…………」


 ユラは。


 自分の箱へ入れた。


 小さな木の匙を思い出したのかもしれない。


「わるくない」


「そうか」


「ちいさいのも、わたし」


「ああ」


「じゃあ」


 自分の名前を書く。


「のこす」


     ◇


 最後。


 リシェル。


「測るぞ」


「待って」


「何だ?」


「先に予想する」


「予想?」


「どこくらいか」


 壁に並んだ線を見る。


 自分。


 姉妹。


 年齢。


 普段並んだ時の感覚。


 考えて。


 一本。


 指を当てる。


「ここ」


「じゃあ測るか」


「うん」


 実際に。


 板を当てる。


 線を引く。


 予想との差。


 ほんの指一本分。


「惜しいな」


「違った」


「ああ」


「なんで?」


「髪の分とか、姿勢とか。普段見てるだけじゃ正確には分からないからな」


「じゃあ」


 予想した場所にも。


 小さく線を書く。


『おもう』


 実際の場所には。


『はかる』


「また両方残すのか」


「うん」


「間違いも?」


「どれくらい違ったか分かる」


「楽しそうだな」


「楽しい」


     ◇


 昼になる頃には。


 柱一本が。


 随分賑やかになっていた。


 八人分の線。


 七人の名前。


 俺の名前。


『春』


 という文字。


 間違えて高くつけたフェルナの線。


 リシェルの予想。


「これ」


 セレスが柱を見上げる。


「消さない?」


「家を直す必要がなければな」


「ずっと?」


「できるだけ」


「じゃあ」


 セレスが。


 自分の線を見る。


「次測る時、ここより上?」


「普通ならな」


「どれくらい?」


「それはその時のお楽しみだ」


「楽しみ」


 ミレアも。


 自分の名前を見る。


「私も」


     ◇


 その日の昼飯は。


 妙な話題になった。


「何食べたら伸びる!?」


 ラグナ。


「何でもちゃんと食え」


「肉!」


「野菜も」


「肉いっぱい!」


「野菜も」


「パン!」


「それも」


「全部!」


「それが一番近い」


「じゃあおかわり!」


「食える分だけな」


「いっぱい寝たら?」


 フェルナ。


「寝るのも大事だ」


「じゃあ今日いっぱい寝る!」


「昼から?」


「うん!」


「夜寝られなくなるぞ」


「じゃあ走る!」


「話が戻ったな」


 ノエルは。


「動物も背伸びる?」


「育つ間はな」


「鶏も?」


「ああ」


「虫も?」


「種類による」


「木は?」


「伸びる」


「ずっと?」


「生きてる間かなり長く育つものもある」


「お父さんより?」


「山の木なんて俺よりずっと高いだろ」


「じゃあ木勝ち」


「だから勝負じゃない」


     ◇


 午後。


 フェルナが。


 柱の前へまた立っていた。


「何してる?」


「もう伸びたかなって」


「伸びてない」


「測って!」


「朝やった」


「でもご飯食べた!」


「それで一気に伸びない」


「寝たら?」


「明日の朝でも分からん」


「いつ!?」


「待て」


「また待つ!」


「成長は大体待つものだ」


「畑と同じ!」


「そうだな」


 すると。


 フェルナは。


 柱の自分の線をじっと見る。


「じゃあ」


 炭を取る。


『まつ』


 横へ書いた。


「何だそれ」


「伸びるまで!」


「毎日見て騒ぐなよ」


「見る!」


「騒ぐのは?」


「……ちょっとだけ!」


     ◇


 夕方。


 俺が道具の手入れをしていると。


 セレスが来た。


「お父さん」


「ん?」


「昔は?」


「何が?」


「私たち」


「ああ」


「もっと小さかったよね」


「ずっとな」


「どれくらい?」


「覚えてるけど、正確には分からないな」


「壁に残してないから?」


「ああ」


 セレスは。


 柱を見る。


「もったいない?」


「少しな」


「…………」


「でも」


「うん?」


「残ってないから、なくなったわけじゃない」


「覚えてる?」


「ああ」


「私が小さかった時?」


「ああ」


「どんな?」


「飯食うの遅かった」


「それ?」


「眠くなると俺の服掴んで離さなかった」


「……覚えてない」


「俺は覚えてる」


「ラグナは?」


「何でも持ち上げたがった」


「今もだね」


「フェルナは?」


「走って転んだ」


「今も」


「ミレアは?」


「誰かが泣くと一緒に泣きそうになってた」


「ノエル」


「虫見つけると動かなくなった」


「今もだ」


「ユラは?」


「大体抱っこ」


「リシェル」


「何でもじっと見てた」


「…………」


 セレスが笑った。


「みんな、あんまり変わってない」


「変わってるよ」


「どっち?」


「変わったところもあるし、変わらないところもある」


「また両方」


「ああ」


     ◇


「じゃあ」


 セレスが。


 自分の線へ触れる。


「これからは残る」


「ああ」


「春の私」


「ああ」


「次は夏の私」


「そうだな」


「でも」


「ん?」


「名前同じ」


「ああ」


「背は変わるのに」


「そうだな」


「髪も変わる」


「ああ」


「できることも」


「ああ」


「でもセレス」


「お前が変えなければな」


「…………」


 少し。


 嬉しそうに。


「それ、いいかも」


     ◇


 夜。


 七人が布団へ入ってからも。


 柱の話は続いた。


「ラグナ、夏までにセレス姉追いつく!」


「無理だよ」


「なんで!」


「私も伸びるから」


「じゃあもっと伸びる!」


「どうやって?」


「食べる!」


「また」


 フェルナも。


「お父さん追いつく!」


「お前まで?」


「いつか!」


「好きにしろ」


「追いついたらおんぶする!」


「俺を?」


「うん!」


「腰壊すぞ」


「強くなるから大丈夫!」


「それラグナの役目じゃない?」


「二人でする!」


「やめろ」


 ノエルが。


 暗闇から。


「次測る時、線いっぱい増える?」


「八本な」


「その次も?」


「ああ」


「ずっと?」


「続けるならな」


「柱いっぱいになったら?」


「その時考える」


「また棚作る?」


 フェルナ。


「柱の線を棚にするな」


     ◇


「お父さん」


 ユラが。


 眠そうな声で呼ぶ。


「何だ?」


「おとうさんも」


「ああ」


「つぎ、はかる?」


「俺も?」


「八人」


「そうだったな」


「おとうさん、のびない?」


「たぶんな」


「じゃあ」


 少し考え。


「おなじでも、のこす」


「同じなのに?」


「うん」


「なんで?」


「いっしょに、はかった」


「…………」


 そういうことか。


「分かった」


「やくそく?」


「ああ」


「よかった」


 満足したのか。


 すぐに声がなくなる。


     ◇


 柱には。


 八人の今が残った。


 ほんの一本の線。


 名前。


 季節。


 それだけだ。


 でも。


 次に測る時。


 少し上へ線が増える。


 その次は。


 もっと上。


 いつか。


 七人の誰かが。


 俺の肩に届く。


 目線が近くなる。


 俺を追い越す者だって。


 いるかもしれない。


 その頃。


 今の線を見れば。


 こんなに小さかったのかと。


 笑うのだろう。


 そして。


 その時の七人には。


 今はまだできないことが。


 もっとたくさん。


 できるようになっている。


「……大きくなるんだな」


 誰にも聞かれないよう。


 小さく呟いたつもりだった。


「なる!」


「うおっ」


 フェルナ。


 まだ起きていた。


「フェルナ、すっごい大きくなる!」


「寝ろ」


「お父さんより!」


「はいはい」


「山より!」


「それは無理だ」


「なんで!」


「人だからだ!」


「じゃあ木!」


「それも無理!」


「熊!」


「背の高さなら種類による!」


「勝てる!?」


「勝負から離れろ!」


 結局。


 成長を静かに見守るには。


 まだ。


 我が家は少し。


 騒がしすぎるらしかった。


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