第46話 髪を切るだけなのに、七人いると一日かかる
朝飯を終えたあと、俺は食器を片づけながら、向かい側に座っているユラを何となく見た。
正確には、ユラの顔ではない。
髪だ。
「ユラ」
「なに?」
「前、見えてるか?」
「みえる」
「本当に?」
「うん」
そう答えた直後、ユラが椀を持ち上げようとして、前髪が目に入ったらしい。顔をしかめて、ふるふると頭を振る。
「…………」
「見えてないだろ」
「みえる」
「今、髪が目に入ったぞ」
「ちょっとだけ」
意地を張るところではない。
考えてみれば、そろそろ七人とも髪を整えた方がいい頃だった。冬の間は多少伸びても邪魔にならないよう結んで済ませていたが、暖かくなって動き回る時間が増えると、長すぎる髪は枝にも引っかかる。
「今日は髪を切るか」
何気なく言った。
その瞬間。
食卓が静かになった。
「…………」
七人全員が俺を見る。
「何だ?」
「切る?」
ミレアが、自分の髪に触れながら聞いた。
「ああ。少し整えるだけだ」
「短くする!?」
フェルナが勢いよく立ち上がる。
「少しって言っただろ」
「ここまで!?」
自分の耳のあたりへ手を当てる。
「短すぎる」
「じゃあここ!」
今度は顎。
「お前、切りたいのか切りたくないのかどっちなんだ」
「分かんない!」
元気よく答えるな。
◇
七人を家の前へ並ばせる。
椅子を一つ。
布を一枚。
髪を切るための鋏。
「最初、誰?」
俺が聞くと、誰も手を上げなかった。
「さっきまで騒いでたのに」
「だって」
ラグナが鋏を見る。
「失敗したら戻らない」
「髪はまた伸びる」
「すぐ?」
「すぐではない」
「じゃあ嫌」
「切らない選択肢はないぞ。前が見えないほど伸ばすな」
「お父さんが切る?」
ユラが聞く。
「ああ」
「まえも?」
「前も俺だろ」
「…………」
ユラは自分の髪を触る。
「じゃあいい」
「信用されてるのか?」
「うん」
「それなら一人目やるか?」
「…………」
急に目を逸らした。
「そこは嫌なのか」
◇
「じゃあ私から」
最初に出てきたのはセレスだった。
「いいのか?」
「誰かやらないと始まらないでしょ」
「お姉ちゃんだから?」
「……半分くらい」
「残り半分は?」
「みんなが怖がる前に終わらせたい」
「俺の腕を何だと思ってる」
セレスが椅子へ座る。
長くなった髪を手に取りながら、俺は聞いた。
「どのくらい切る?」
「お父さんが邪魔じゃないと思うくらい」
「自分では?」
「分からない」
「自分の髪だぞ」
「じゃあ……」
セレスは少し考え、肩より下へ伸びた髪を指でつまんだ。
「これくらい残したい」
「理由は?」
「結べるから」
「なるほど」
生活に便利かどうかで決めるあたり、セレスらしい。
「じゃあそのくらいにする」
「うん」
布を肩へ掛け、鋏を入れる。
しゃき。
その音に。
「切った!」
後ろでフェルナが叫んだ。
「切るために座ってるんだから切るだろ」
「いっぱい落ちた!」
「騒ぐな。セレスが動くだろ」
「私、動いてないよ」
「偉い」
「子供じゃないんだから」
「俺から見たら十分子供だ」
「……そういうの、ずるい」
「何が?」
「何でもない」
◇
長さを揃え、前髪も少し整える。
「終わり」
「ほんと?」
「ああ」
布を外すと、セレスはすぐに自分の髪へ触れた。
「軽い」
「切ったからな」
「変じゃない?」
「変じゃない」
「ほんとに?」
「ああ」
すると六人が一斉に近づく。
「セレス姉!」
「見せて!」
「後ろ!」
「触っていい?」
「一人ずつ!」
セレスが笑いながら妹たちを押し返す。
「どう?」
ミレアが聞いた。
「いい」
ノエル。
「前より短い」
「切ったんだから当たり前でしょ」
「でもセレス姉」
フェルナが真顔になる。
「セレス姉のまま!」
「髪切ったくらいで別人にならないよ」
「……そっか」
どうやらそこが心配だったらしい。
「じゃあフェルナ!」
「急に勇気出たな」
「セレス姉のままだったから!」
「お前もお前のままだよ」
◇
フェルナは椅子へ座った瞬間から落ち着かなかった。
「動くな」
「動いてない!」
「足ぶらぶらしてる」
「髪は動いてない!」
「体が動けば髪も動く」
「じゃあ止める!」
五秒。
「お父さん」
「何だ」
「まだ?」
「まだ何も切ってない」
「長い!」
「始まってもいない」
「どれくらい切る?」
聞くと、フェルナは自分の髪を持ち上げた。
「走っても顔に来ないやつ!」
「結べばいいだろ」
「結ぶの忘れる!」
「それは知ってる」
「あと木登る時、枝に引っかからない!」
「じゃあセレスより短めだな」
「でも短すぎるの嫌!」
「難しい注文だな」
「かわいいの!」
「……それを俺に求めるのか?」
「お父さんできない?」
真っ直ぐ聞かれる。
「できる」
答えるしかなかった。
◇
結果。
フェルナは肩につくくらい。
走っても邪魔になりにくく、ぎりぎり結ぶこともできる長さにした。
「終わったぞ」
「ほんと!?」
「ああ」
椅子から飛び降り、すぐその場を走る。
「おい!」
「試す!」
家の前を一周。
戻ってくる。
「顔に来ない!」
「だから走るなって」
「成功!」
両手を上げる。
「木も!」
「今日は登らない」
「なんで!」
「髪型の確認に木登りはいらない」
「いる!」
「いらない」
◇
三人目はミレアだった。
「私は、あまり切らなくていい」
「長い方が好きか?」
「うん」
ミレアは髪を胸元へ寄せる。
「これ、好き」
「なら毛先だけ整えるか」
「いいの?」
「邪魔にならないように自分でまとめられるならな」
「できる」
「じゃあそれでいい」
後ろから。
「ずるい!」
フェルナの声。
「何が」
「フェルナいっぱい切った!」
「自分で短くしたいって言っただろ」
「ミレア長い!」
「ミレアは長い方が好きなんだ」
「同じじゃない!」
「同じにする必要ないだろ」
そう言うと。
リシェルが少し反応した。
「髪も?」
「髪もだ」
「七人、違っていい?」
「当然」
リシェルは自分の髪に触れながら、何か考え始めた。
◇
ラグナは。
「短い!」
迷いがなかった。
「どのくらい?」
「すっごく動きやすいやつ!」
「フェルナより?」
「短い!」
「結べなくなるぞ」
「いい!」
「後で後悔しないか?」
「しない!」
横でセレスが確認する。
「本当に?」
「うん!」
「明日『やっぱり長い方がよかった』って言わない?」
「言わない!」
「三日後は?」
「言わない!」
「一週間後」
「言わない!」
「一月後」
「それは分かんない!」
「ほら!」
「でも今は短い!」
自分で決める。
それなら。
「分かった」
肩より上まで。
思い切って切る。
ラグナは。
切られた髪が落ちるたび。
「軽い!」
と喜んだ。
「まだ終わってないぞ」
「もっと切って!」
「切りすぎると寒い」
「春だよ!」
「頭は冷える」
「お父さんみたいにすれば?」
「俺と同じにする必要ない」
「強そう!」
「髪型で強くならない」
「じゃあ今のでいい!」
決断が早い。
◇
ノエルは。
椅子へ座ったまま。
落ちた髪を見ていた。
「動くなよ」
「髪って」
「ん?」
「切っても痛くない」
「ああ」
「どうして?」
「髪そのものには痛みを感じるところがないからな」
「爪も?」
「似たようなものだ」
「じゃあ」
切った髪を一本拾う。
「これはもうノエル?」
「難しいこと聞くな」
「ノエルから生えてた」
「ああ」
「でも今は離れた」
「ああ」
「ノエルじゃない?」
「髪は髪だろ」
「…………」
考え込む。
「ノエル」
「なに?」
「今それ考えると首が動く」
「分かった」
「終わってから考えろ」
「うん」
珍しく。
素直に思考を後回しにした。
切り終わったあと、落ちた髪の中から一本だけ拾う。
「持って帰るのか?」
「見る」
「箱に入れる?」
「まだ分からない」
「好きにしろ」
「うん」
◇
ユラは。
俺の前へ来ると。
少しだけ不安そうだった。
「こわい?」
「ちょっと」
「痛くないぞ」
「わかってる」
「じゃあ何が?」
「へんになる?」
「ならない」
「ほんと?」
「ああ」
「おとうさん、へんにしない?」
「……頑張る」
「ほんと?」
「任せろ」
そこで。
ミレアが笑った。
「お父さん、さっきより自信なくなってる」
「七人続けて切ると慎重になるんだよ」
「つかれた?」
ユラが心配そうに俺を見る。
「まだ大丈夫」
「やすむ?」
「ユラ終わったらな」
「じゃあ、じっとする」
「助かる」
本当に。
ぴたりと動かなくなった。
「そこまで固まらなくてもいいぞ」
「じっと」
「息はしていい」
「してる」
◇
ユラは。
目にかかっていた前髪を短く。
後ろも少しだけ整えた。
「終わった」
「みえる」
「前も見えてたって言ってなかったか?」
「いま、もっとみえる」
「やっぱり見えてなかったな」
ユラは。
自分の前髪を何度も触る。
「おとうさん」
「ん?」
「わたし?」
「何が?」
「まだ、わたし?」
フェルナと似たことを聞く。
「もちろん」
「かみ、へった」
「ああ」
「でも、わたし?」
「ああ」
「そっか」
安心したように笑った。
◇
最後。
リシェル。
「決まったか?」
「まだ」
「ずっと考えてたのに?」
「考えるほど増えた」
「何が?」
「選ぶの」
リシェルは。
指を折る。
「短いと楽」
「ああ」
「長いと結べる」
「ああ」
「ミレアみたいに残すのもいい」
「ああ」
「ラグナみたいに短いのもいい」
「ああ」
「フェルナくらいもいい」
「ああ」
「セレス姉くらいも」
「ああ」
「全部いい」
「じゃあ決まらないな」
「うん」
「なら今日は切らない?」
「それも選べる?」
「前髪だけ整えれば、後ろはまた後で決めてもいい」
「…………」
リシェルの顔が。
少し明るくなる。
「今決めなくていい?」
「ああ」
「髪でも?」
「何で髪だけ特別なんだ」
「切ったら戻るまで時間かかる」
「そうだな」
「じゃあ」
少し考え。
「今日は前だけ」
「分かった」
「後ろは、もっと考える」
「好きなだけ考えろ」
◇
七人全員。
終わった頃には。
昼をかなり過ぎていた。
「……髪切るだけでこんなにかかるか」
俺は。
家の前に散った髪を集める。
「七人だから!」
フェルナが言う。
「一人ならすぐ!」
「お前一人でも結構かかったぞ」
「いっぱい話したから!」
「動いたからだ」
「それも!」
認めるのか。
「お父さん」
セレスが。
俺の横へ来た。
「疲れた?」
「少し」
「じゃあ片づけ、私たちやる」
「髪は風で飛ぶからちゃんと集めろよ」
「うん」
「畑には――」
「お父さん」
「何だ?」
「教えるのも今日は終わり」
「…………」
「休んで」
「分かったよ」
◇
少し離れたところへ座り。
七人を見る。
セレスは切った髪を気にしながらも。
妹たちへ指示を出す。
ラグナは頭を振って。
「軽い!」
と何度も喜んでいる。
フェルナは走るたび。
髪が顔にかからないことを確認する。
ミレアは。
残した長い髪を結び直す。
ノエルは。
拾った一本を日に透かして見ている。
ユラは。
前髪が短くなったせいか。
いつもより顔がよく見える。
リシェルだけは。
ほとんど長さが変わっていない。
七人。
同じ日に。
同じ俺が。
髪を切った。
それなのに。
終わってみれば。
やっぱり。
七人とも違った。
◇
午後。
「お父さん!」
フェルナが。
また何か思いついた顔で来る。
「何だ?」
「誰が一番似合う!?」
「始まったな」
「誰!?」
「全員」
「それ駄目!」
「何で」
「一番!」
「ない」
「じゃあ一番短い!」
「ラグナ」
「やった!」
なぜかラグナが喜ぶ。
「一番長い!」
「ミレア」
「うん」
「一番かわいい!」
「全員」
「また!」
「そこは順位つけない」
「なんで!」
「好みが違うだろ」
「お父さんの好み!」
「お前たちが自分で気に入ってるなら、それでいい」
「…………」
フェルナが考える。
「フェルナ、気に入ってる」
「ああ」
「じゃあ一番?」
「フェルナにとってはな」
「やった!」
それでいいらしい。
◇
夕方。
水面代わりに。
桶へ張った水を。
七人が順番に覗き込んでいた。
「私、ちょっと大人っぽい?」
セレス。
「前も同じ」
ノエル。
「そこは何か言ってよ」
「大人っぽい」
「今言われても……」
ラグナは。
自分の短い髪を両手でぐしゃぐしゃにする。
「すぐ戻る!」
「何が?」
「寝ても!」
「寝癖の話?」
「たぶん!」
ミレアは。
ユラの前髪を整えてやる。
「目、よく見えるね」
「うん」
「かわいい」
「えへへ」
フェルナが。
すぐ横から顔を出す。
「フェルナは!?」
「かわいいよ」
「もっと!」
「すごくかわいい」
「やった!」
褒めてもらうのも全力だ。
◇
夜。
布団へ入ってからも。
七人は。
自分や姉妹の髪を触っていた。
「ラグナ、ほんとに短い」
セレス。
「楽!」
「朝、結ばなくていいね」
「やった!」
「フェルナもあんまり結ばなくていい?」
「動く日は結んだ方がいいかも」
「じゃあ考える!」
「そこまで考えること?」
「リシェルみたいに!」
「私は髪まだ考えてる」
リシェルが答える。
「いつ決めるの?」
ノエル。
「分からない」
「夏?」
「それまでに決めるかもしれない」
「決めないかも?」
「うん」
「じゃあ伸びる」
「それも考えてる」
「考えること増えてる」
「うん」
何だか。
楽しそうだった。
◇
「お父さん」
ユラが。
暗くなってから呼ぶ。
「何だ?」
「かみ、のびる?」
「ああ」
「またきる?」
「伸びたらな」
「そのとき」
「ああ」
「ちがうの、していい?」
「違う髪型?」
「うん」
「もちろん」
「セレス姉みたいも?」
「ああ」
「ラグナみたいも?」
「ああ」
「ミレアみたいも?」
「好きなの選べ」
「…………」
少し考え。
「いまは、これ」
「気に入った?」
「うん」
「ならよかった」
◇
髪は。
また伸びる。
今選んだ形が。
ずっと続くわけじゃない。
来年は。
違う長さを好きになるかもしれない。
今は長い方が好きでも。
いつか短くしたくなるかもしれない。
逆もある。
七人の好きなものは。
これから。
何度も変わるのだろう。
変わっていい。
昨日まで好きだったものを。
明日も好きでいなければならない理由なんてない。
「お父さん」
フェルナ。
「今度はお父さん!」
「何が?」
「髪!」
「俺はまだいい」
「フェルナ切る!」
「絶対嫌だ」
「なんで!」
「お前に鋏を持たせられるか!」
「じゃあラグナ!」
「もっと嫌だ!」
「なんでラグナの方が嫌なの!?」
「力いっぱい切りそうだからだ!」
「必要なだけ使える!」
「髪で試すな!」
暗い家の中で。
七人の笑い声が重なる。
次に髪を切る頃。
七人が。
どんな髪型を選ぶのか。
今はまだ。
誰にも分からない。
それでいい。
大きくなるというのは。
きっと。
自分で選べるものが。
一つずつ。
増えていくことでもあるのだから。




