第45話 一人でいたい時も、家族を嫌いになったわけじゃない
七人それぞれの箱を作った翌日、朝の仕事が終わる頃には、家の中にまた一つ新しい習慣が生まれていた。
仕事へ行く前に箱を覗く者。拾ったものを帰ってすぐ箱へ入れる者。中身を一度全部出して並べ直す者。
使い方は七人七様だった。
「お父さん!」
朝からフェルナが箱を抱えて駆け寄ってくる。
「走るな。あと、昨日いっぱいになったって言ってただろ」
「減らした!」
「お、ちゃんと片づけたのか?」
「うん!」
感心して箱を覗くと、昨日あれほど詰まっていた石が半分ほどになっている。
「偉いじゃないか」
「でしょ!」
「何を減らした?」
「大きい石、ラグナの箱に入れた!」
「勝手に人の箱を倉庫にするな!」
「許可もらった!」
見ると、少し離れた場所でラグナが胸を張った。
「大きくて強そうだったから!」
「お前の箱もすぐいっぱいになるぞ」
「大丈夫!」
「何で?」
「その時考える!」
最近覚えた便利な言葉を、もう使いこなしているらしい。
そんな二人の横で、ノエルは箱の中の羽を一枚ずつ確認し、ユラは小さな木の匙を撫でてから蓋を閉じた。セレスは普段使うものと箱へ残すものを迷い、リシェルは昨日描いた家の絵に小さな線を一本増やしている。
そしてミレアだけが、自分の箱を抱えたまま、部屋の隅へ移動していた。
◇
「ミレア」
最初に気づいたのはフェルナだった。
「なに?」
「何してるの?」
「箱見てる」
「見せて!」
「今日はいい」
「え?」
フェルナが止まった。
昨日は七人とも、自分の箱ができた嬉しさから中身を見せ合っていた。ミレアも乾かした花や、小さな木の実を妹たちへ見せていたはずだ。
「なんで?」
「今は一人で見たいから」
「でも昨日見せてくれた!」
「昨日はね」
「今日も!」
「今日はいい」
声は穏やかだった。
怒ってもいない。
それでもフェルナには、その返事がどうにも理解できなかったらしい。
「……フェルナ、何かした?」
「してないよ」
「じゃあなんで見せてくれないの?」
「一人でいたいから」
「だからなんで!?」
少しずつ声が大きくなる。
台所にいた俺も、そこで手を止めた。
ミレアが困ったように眉を下げた。
「理由なくても、一人でいたい時あるよ」
「ない!」
「フェルナにはなくても、私はあるの」
「じゃあフェルナ嫌い?」
「違うよ」
「じゃあ一緒でいいじゃん!」
話が繋がっていないようで、フェルナの中では繋がっているらしい。
いつも一緒にいたい。
好きだから近くにいる。
なら、離れたいと言われたら嫌われたのではないか。
そう考えたのだろう。
「フェルナ」
俺が呼ぶと、今にも泣きそうな顔で振り返った。
「何もしないで、こっち来い」
「でもミレアが――」
「ミレアはそこで箱見てていい」
「…………」
納得していない。
それでも、昨日決めた「人の箱は勝手に開けない」という約束を思い出したのか、フェルナは渋々こちらへ来た。
◇
「お父さん」
俺の横へ座るなり、フェルナは小声で聞いた。
「ミレア、怒ってる?」
「怒ってないだろ」
「でも一人がいいって」
「ああ」
「フェルナと一緒、嫌?」
「それも違うって言ってたな」
「分かんない」
頬を膨らませて膝を抱える。
「フェルナは一人よりみんながいい」
「それは知ってる」
「お父さんも?」
「一人でいたい時もあるぞ」
「えっ」
今度は驚いた。
「七人嫌い?」
「何でそうなる」
「だって一人がいい!」
「好きでも、一人で静かにしたい時くらいある」
「…………」
「フェルナだって、みんなと遊びたい時もあれば、一人で何かしたい時もあるだろ」
「ない!」
「本当に?」
「ない!」
即答。
少し考える。
「……石探す時は?」
「みんなでもできる!」
「木登る時」
「みんなで登る!」
「昼寝」
「みんなで寝る!」
「強いな、お前」
ここまで迷いがないと、例に使えない。
すると、近くで聞いていたノエルが口を挟んだ。
「ノエルはある」
「一人がいい?」
「うん。虫見る時」
「なんで?」
「フェルナ来るとうるさい」
「ひどい!」
「『これ何!? 動く!? 触れる!?』っていっぱい聞く」
「聞く!」
「だから静かに見たい時は、一人がいい」
「……フェルナ嫌い?」
「好き」
「でも一人?」
「うん」
フェルナがまた難しい顔になる。
今度は、少しだけ考え始めているようだった。
◇
「セレスは?」
フェルナが聞く。
「一人になりたい時ある?」
「あるよ」
「いつ?」
「みんなに怒りすぎた時」
「なんで?」
「一回離れて落ち着かないと、もっと怒りそうだから」
それは俺も初耳だった。
「そんなことしてたのか?」
「たまにね」
「どこ行く?」
「家の裏とか。遠くには行かないよ」
「言ってくれればいいのに」
「お父さんにまで心配かけるほどじゃないと思ってた」
「心配くらいさせろ」
「……うん」
セレスが少し笑う。
「ラグナは?」
フェルナが次を見る。
「ない!」
「フェルナと同じ!」
「でも」
ラグナは腕を組み、少し考えた。
「負けた時は一人になりたい」
「なんで?」
「悔しいから!」
「みんなに言えばいいじゃん」
「言ったらもっと悔しい!」
「分かんない!」
「フェルナも分かんなくていい!」
似た者同士なのに、肝心なところでは違う。
「ユラは?」
「ある」
「ユラも!?」
「ねむいとき」
「それ一人になりたいじゃなくて寝たいだけじゃない?」
「しずかなほうが、ねれる」
「……そっか」
最後に。
「リシェルは?」
「いっぱいある」
「いっぱい!?」
「考えてる時」
「みんなと考えればいいじゃん」
「一人で考えたいこともある」
「なんで?」
「まだ人に言う形になってないから」
「…………」
「フェルナには難しいかも」
「難しい!」
堂々と言うところではない。
◇
しばらくして。
ミレアが箱を閉じた。
そして。
自分からこちらへ戻ってきた。
「もういいの?」
フェルナが聞く。
「うん」
「一人終わった?」
「終わった」
「何してたの?」
「見てた」
「何を?」
「中に入ってるもの」
「昨日も見てたじゃん」
「今日は」
ミレアが、少しだけ箱を抱き直す。
「二人で出かけた時の木の実を見てた」
「お父さんと?」
「うん」
「それならお父さんも一緒に見ればいいのに」
ミレアは俺を見て、それから小さく首を振った。
「一人で思い出したかったの」
「…………」
「お父さんと歩いた時のこと」
「ああ」
「その時どんなこと考えてたかとか」
「うん」
「一人でゆっくり思い出すの、好きだから」
フェルナは。
しばらく。
ミレアを見つめていた。
「……楽しかった?」
「うん」
「一人なのに?」
「うん」
「フェルナいないのに?」
「うん」
「お父さんもいないのに?」
「うん」
「でも、フェルナ嫌いじゃない?」
「大好きだよ」
「…………」
ようやく。
少しだけ。
顔が戻った。
◇
「じゃあ」
フェルナは、今度は自分の箱を抱えた。
「フェルナも一人する!」
「無理にしなくていいぞ」
「する!」
「何で?」
「分かりたい!」
「一人でいるのを?」
「うん!」
そう言って。
部屋の隅へ行く。
座る。
箱を開く。
「…………」
十秒。
「…………」
二十秒。
「…………」
三十秒。
「お父さん!」
「早い!」
「暇!」
やっぱり向いていなかった。
「一人、難しい!」
「無理して覚えるものじゃない」
「でもみんなできる!」
「できるできないじゃなくて、好きかどうかだ」
「フェルナは?」
「みんなといたいんだろ」
「うん!」
「ならそれでいい」
「でもミレアは一人」
「ああ」
「違っていい?」
「いい」
「七人なのに?」
「七人だからって、何でも同じじゃないだろ」
箱だって。
中身は全部違う。
好きなものも。
考えることも。
一人でいたい時間も。
違って当然だ。
「じゃあ」
フェルナは立ち上がり、ミレアのところまで行った。
「ミレア」
「なに?」
「また一人したくなったら」
「うん」
「言って」
「うん」
「フェルナ、邪魔しない」
「ほんと?」
「…………」
少し間があった。
「たぶん!」
「そこは絶対って言って」
「頑張る!」
「それならいいよ」
ミレアが笑う。
◇
その日の午後。
七人はそれぞれの仕事へ散った。
俺が薪を割っていると。
「お父さん」
背後からミレアの声がした。
「どうした?」
「少しだけ、一人で歩いてきていい?」
「どこまで?」
「家が見えるところ」
「ならいい。ただし森の奥は行くな」
「うん」
「何かあったらすぐ呼べ」
「分かった」
ミレアは家の前を横切り、少し離れた木のところまで歩いていく。
それを見ていたフェルナが。
ぴくりと動いた。
「…………」
追いかけそうになる。
止まる。
また動く。
止まる。
「頑張ってるな」
「すっごい頑張ってる!」
「何が?」
「追いかけないの!」
「そこまで大変か」
「大変!」
「じゃあ別のことしろ」
「何?」
「薪運ぶ?」
「それラグナの!」
「今日は一緒にやればいいだろ」
「じゃあやる!」
気を逸らせたらしい。
◇
少しして。
ミレアが戻ってきた。
「ただいま」
「おかえり!」
フェルナが真っ先に迎える。
「楽しかった?」
「うん」
「何した?」
「風見てた」
「風って見えるの?」
「葉っぱが揺れるから」
「フェルナも見る!」
「今度一緒に?」
「うん!」
そして。
「でも今日は?」
「今日はもう一人終わり」
「じゃあ一緒!」
「うん」
二人で。
家へ入っていった。
◇
夕飯のあと。
リシェルが。
昨日作った箱の底へ。
また一本。
線を増やしていた。
「今日は何だ?」
「一人」
「一人?」
昨日描いた。
家。
八つの丸。
その少し離れたところに。
小さな丸が一つ。
「誰?」
「決めてない」
「じゃあ?」
「一人でいる時」
「ああ」
「でも」
そこから。
家まで。
細い線を引く。
「帰る」
「…………」
「一人になっても」
リシェルが言う。
「家族じゃなくならない」
「ああ」
「遠くにいかなければ?」
「今はな」
「大きくなったら?」
「その時は、もっと遠くへ行くこともあるかもしれない」
「それでも?」
何を聞いているのか。
分かった。
「家族だ」
「…………」
「離れて暮らしても?」
「ああ」
「一人でいたくても?」
「ああ」
「喧嘩しても?」
「昨日覚えただろ」
「うん」
「全部同じじゃなくても?」
「それも昨日からだな」
「うん」
リシェルは。
細い線の先を。
もう一度なぞった。
「じゃあ覚える」
◇
夜。
七人が寝床へ入る。
いつもなら。
誰かと誰かがくっつき。
場所を取り合い。
狭いだの暑いだの騒ぐ。
今日は。
ミレアが少し端に寝た。
「ミレア」
フェルナが呼ぶ。
「なに?」
「そこ一人?」
「今はね」
「…………」
「どうしたの?」
「行っていい?」
ミレアが笑う。
「いいよ」
「やった!」
すぐ隣へ潜り込む。
「一人じゃなくなった」
「今は一緒がいいから」
「そっか!」
満足そうに。
フェルナが目を閉じる。
一人でいたい時。
誰かといたい時。
どちらも。
その時の自分が決めていい。
いつも一緒にいることだけが。
家族ではない。
離れたい時には離れ。
戻りたい時には戻る。
そして。
戻ってきた時。
当たり前みたいに。
「おかえり」
と言える。
そんな家であれば。
きっと十分なのだろう。
「お父さん」
暗闇の中。
フェルナの声がした。
「なんだ?」
「フェルナね」
「ああ」
「明日は一人しない!」
「好きにしろ」
「ずっとみんなといる!」
「それも好きにしろ」
「お父さんも!」
「俺まで決めるな」
「なんで!」
結局。
フェルナが一人の時間を好きになる日は。
かなり先になりそうだった。




