第31話 迷った時は、勝手に遠くへ行くな
春になって。
山を歩ける場所が。
かなり増えた。
雪は。
日陰に少し残っているくらい。
木々には。
新しい葉。
地面には。
花。
鳥の声も。
冬よりずっと多い。
「お父さん!」
「なんだ?」
「遠く行こう!」
朝飯の途中。
フェルナが突然言った。
「どこへ」
「遠く!」
「場所を聞いてる」
「まだ決めてない!」
「それは遠くへ行くとは言わない」
「じゃあ」
窓の外。
山の上を指差す。
「あっち!」
「雑だな」
「何かある?」
「あるぞ」
「なに!?」
「山」
「それは見える!」
その横。
リシェルが。
少し興味を示した。
「上の方」
「ああ」
「何がある?」
「小さい湖」
「湖?」
七人。
また。
一斉にこっちを見る。
「水がいっぱいあるところだ」
「海?」
フェルナ。
「海よりずっと小さい」
「飲める?」
ノエル。
「場所によるけど、そこの水は煮れば使える」
「魚いる?」
ラグナ。
「いる」
「魚!」
フェルナ。
「食べる!」
「お前は何でも食うな」
「ノエルよりまし!」
「木苺がいい」
「張り合うな」
セレスが。
少し笑いながら聞く。
「遠い?」
「子供の足なら」
少し考える。
「昼前に出て、ゆっくり行けば昼過ぎには着く」
「帰れる?」
「ああ」
「暗くなる前に?」
「ああ」
「じゃあ」
セレスが。
妹たちを見る。
「行ってみたい」
「私も!」
「フェルナは最初からだろ」
「うん!」
◇
というわけで。
その日は。
昼飯を持って。
八人で。
山の上へ行くことになった。
「お弁当!」
ユラが。
小さな包みを抱えている。
「落とすなよ」
「ユラの?」
「みんなの分が少しずつ入ってる」
「じゃあ」
大事そうに。
両腕で抱える。
「おとさない」
「重かったら言え」
「もてる!」
「無理するな」
「もてる!」
三歩。
五歩。
十歩。
「おとうさん」
「なんだ?」
「ちょっとおもい」
「よく言えた」
半分。
俺が持つ。
「これなら?」
「もてる!」
「じゃあ頼む」
無理だと分かった時に。
ちゃんと言える。
それだけでも。
前よりずっといい。
◇
山道。
先頭は。
俺。
そのすぐ後ろ。
セレス。
ミレア。
ユラ。
少し後ろに。
リシェルとノエル。
最後。
「フェルナ待って!」
「ラグナ遅い!」
「あなたが速すぎるの!」
フェルナとラグナ。
「二人とも!」
振り返る。
「離れるな!」
「はーい!」
返事だけは。
素晴らしい。
「お父さん」
リシェルが聞く。
「どうして離れたら駄目?」
「迷うから」
「道ある」
「途中で分かれる」
「目印は?」
「あるところもある」
「なかったら?」
「慣れてない奴には分かりにくい」
フェルナが。
追いついてくる。
「フェルナ匂い分かる!」
「それでも」
「帰れる!」
「絶対?」
「…………」
少し考える。
「たぶん!」
「それなら離れるな」
「むぅ」
「迷子になったら困るだろ」
「迷子って?」
ユラ。
「帰る場所が分からなくなること」
「…………」
ぴた。
ユラが。
俺の服を掴んだ。
「おうち、わからなくなる?」
「俺から離れなければ大丈夫」
「はなれない」
「そうしてくれ」
◇
しばらく歩く。
途中。
雪解け水で。
小さな沢ができていた。
「水!」
フェルナ。
「飛ぶ!」
「待て」
「これくらいなら!」
幅。
俺の歩幅で。
二歩ほど。
「飛べるかもしれないけど」
「ああ」
「滑るぞ」
「大丈夫!」
「フェルナ」
「なに?」
「昨日畑の横で転んだ」
「…………」
「一昨日も」
「…………」
「その前も」
「いつまで覚えてるの!」
「渡れる場所探す」
「ええー!」
「急がない」
「向こうすぐなのに!」
「すぐだから落ちていいわけじゃない」
少し上流へ。
石が並んでいる場所。
「ここ」
「ああ」
「一個ずつ」
「うん」
セレスが。
先に渡る。
「ユラ」
「なに?」
「手」
俺が。
片方。
セレスが。
反対。
「いく」
「ゆっくりな」
一歩。
二歩。
三歩。
「できた!」
「できたな」
フェルナは。
それを見て。
「フェルナなら一回で!」
「飛ぶな」
「…………」
「聞こえてたぞ」
◇
山道を。
もう少し登ったところで。
フェルナが。
急に止まった。
「お父さん」
「ん?」
「何かいる」
「どこ?」
「あっち」
藪。
黒い耳が。
ぴくぴく。
「大きい?」
「小さい」
「匂いは?」
「……知らない」
「じゃあ近づくな」
「見るだけ!」
「見るだけでも驚かせるかもしれない」
「…………」
すると。
藪から。
小さな鹿が。
顔を出した。
「鹿!」
フェルナ。
「小さい!」
ラグナ。
「子供だな」
俺が言う。
「捕まえる?」
フェルナ。
「捕まえない」
「なんで?」
「今日は狩りじゃない」
「でも食べられる!」
「子鹿だぞ」
「…………」
「それに」
周りを見る。
「親が近くにいるかもしれない」
「じゃあ」
ミレアが。
小さな声で。
「そっとする?」
「ああ」
七人。
珍しく。
誰も動かない。
子鹿は。
しばらく。
こちらを見て。
やがて。
藪の奥へ消えた。
「行った」
ユラ。
「ああ」
「ばいばい」
小さく。
手を振る。
◇
「お父さん」
ラグナ。
「なんだ?」
「取れるのに」
「ああ」
「取らない時ある」
「ある」
「お腹すいてても?」
「今日の飯は持ってる」
「…………」
「必要ないのに何でも取ったら」
俺は。
歩きながら言う。
「山からなくなる」
「木と同じ?」
「そう」
「木苺も」
ノエル。
「そうだな」
「鹿も」
「ああ」
「…………」
ノエルが。
少し真面目に。
藪を見る。
「残す」
「そうしてくれ」
◇
昼を。
少し過ぎた頃。
木々の向こうが。
急に明るくなった。
「もうすぐ」
「何が!?」
フェルナ。
「湖」
「どこ!」
「前」
そして。
木々が途切れる。
「…………」
七人が。
止まった。
山の中。
青い水。
風が吹くたび。
きらきら。
光っている。
「わあ……」
ミレア。
「いっぱい」
ユラ。
「海?」
フェルナ。
「だから湖だ」
「向こう見える!」
「ああ」
「海は見えない?」
「場所によるけど、もっとずっと広い」
「これより!?」
「ずっと」
「…………」
フェルナが。
湖を見て。
その向こうを見て。
「海こわい」
「まだ見てもないだろ」
◇
湖のそば。
平らな場所。
「ここで昼飯にする」
「やった!」
敷物を広げる。
「ユラ」
「うん!」
持ってきた包みを。
開く。
「おにく!」
「ああ」
「パン!」
「ああ」
「木苺」
ノエル。
「ちゃんとあるぞ」
「いっぱい?」
「一人三つ」
「…………」
「何で残念そうなんだ」
「湖だから四つかと思った」
「湖と木苺の数は関係ない」
◇
「いただきます!」
八人。
湖を見ながら。
昼飯。
「お父さん」
セレス。
「ん?」
「こういうの」
「ああ」
「よく来てた?」
「昔はたまにな」
「一人で?」
「ああ」
「楽しかった?」
「静かだった」
「…………」
セレスが。
周りを見る。
フェルナとラグナは。
魚を探して。
水面を覗いている。
ユラは。
パンを持ちながら。
波を見ている。
ノエルは。
木苺を。
一個ずつ。
ゆっくり食べている。
「今は?」
「何が?」
「静か?」
「…………」
俺は。
七人を見る。
「全然」
「…………」
「嫌?」
「いや」
パンを食う。
「これはこれでいい」
セレスが。
笑った。
「うん」
◇
「魚!」
フェルナが叫ぶ。
「どこ!?」
ラグナ。
「そこ!」
「捕る!」
「待て」
二人。
止まる。
「昼飯食い終わってから」
「食べた!」
「ラグナは?」
「まだ!」
「じゃあ待て」
「フェルナだけ!」
「一人で水に入るな」
「泳げる!」
「本当に?」
「…………」
「泳いだことある?」
「ない!」
「じゃあ泳げるって言うな!」
「犬みたいに!」
「お前狼だろ!」
「似てる!」
「そういう問題じゃない!」
◇
結局。
魚は。
俺が。
簡単な釣り糸を出した。
「釣る」
「これで?」
リシェル。
「ああ」
「魚が食べる?」
「餌をな」
「食べたら?」
「針にかかる」
「…………」
「痛い?」
ミレア。
「少しはな」
「かわいそう?」
「食べるために捕るからな」
「…………」
「嫌なら見なくてもいい」
「見る」
ミレアは。
俺の横へ座った。
「食べるなら」
「ああ」
「ちゃんと食べる?」
「もちろん」
「残さない?」
「できるだけ」
「じゃあ見る」
◇
最初の一匹。
釣れたのは。
小さい魚だった。
「きた!」
フェルナ。
「お父さん!」
「ああ」
糸を上げる。
ぴちぴち。
「小さい!」
ラグナ。
「食べる?」
「これは戻す」
「なんで?」
「小さすぎる」
「でも魚!」
「大きくなったらまたな」
「…………」
針を外す。
水へ。
魚が。
すぐ泳いでいく。
「逃げた!」
「返したんだ」
「また会う?」
ユラ。
「同じ魚かは分からない」
「おっきくなる?」
「たぶんな」
「じゃあ」
水面へ。
手を振る。
「おっきくなってね」
「ああ」
◇
次は。
もう少し大きい。
「これは?」
ラグナ。
「持って帰れる」
「食べる?」
「ああ」
「じゃあ」
フェルナ。
「もっといっぱい!」
「必要な分だけ」
「また!?」
「まただ」
「八人分!」
「一人一匹もいらない」
「なんで!」
「他の飯もある」
「魚だけいっぱい食べたい!」
「腹壊すぞ」
「…………」
「何でも限度がある」
「ちょうどいい」
ラグナが。
ぼそっと言う。
「またそれ」
「ああ」
「難しい」
「お前、本当に苦労してるな」
◇
魚を。
三匹だけ。
持ち帰ることにした。
残りは。
また今度。
「お父さん」
フェルナ。
「帰り」
「ああ」
「フェルナ先行っていい?」
「駄目」
「道覚えた!」
「本当に?」
「たぶん!」
「駄目」
「じゃあちょっと先!」
「見える範囲」
「うん!」
走る。
「フェルナ!」
「見える!」
「俺から見えない!」
「戻る!」
戻ってくる。
「これくらい?」
「それくらい」
「分かった!」
◇
帰り道。
問題が起きたのは。
沢を越えた後だった。
「……ん?」
俺は。
後ろを見る。
「ノエル?」
いない。
「止まれ」
全員。
止まる。
「ノエル?」
セレスが。
振り返る。
「さっきいた」
リシェル。
「沢のところ」
「フェルナ」
「匂い!」
「待て」
俺は。
まず。
声を出す。
「ノエル!」
返事。
ない。
「お父さん」
ミレア。
「探す?」
「ああ」
「みんなで?」
「全員一緒」
「分かれない?」
「絶対分かれるな」
セレスが。
すぐユラの手を握る。
「ユラ、離れないで」
「うん」
◇
少し戻る。
沢。
そこにも。
いない。
「ノエル!」
フェルナが。
耳を立てる。
「…………」
「聞こえる?」
「待って」
ぴく。
「……あっち」
道の脇。
少し離れた木の向こう。
「動かないで!」
俺が叫ぶ。
一拍。
「……ここ」
小さな声。
「ノエル!」
いた。
木の根元。
しゃがんでいる。
「何してる?」
「…………」
見る。
足元。
「木苺?」
小さな。
野生の木苺。
まだ。
実はない。
「葉っぱ見えたから」
「ああ」
「ちょっとだけ見に来た」
「それで?」
「戻ったら」
辺りを見る。
「みんな分からなくなった」
「…………」
「怖かった?」
少し。
黙る。
「……ちょっと」
「そうか」
◇
「ノエル」
「ん」
「勝手に離れるな」
「ごめんなさい」
「木苺見つけたかった?」
「うん」
「なら」
「ああ」
「『見てくる』って言え」
「…………」
「俺が駄目って言うかもしれない」
「うん」
「でも」
しゃがんで。
目線を合わせる。
「何も言わずにいなくなる方が困る」
「…………」
「みんな」
後ろを見る。
六人。
全員。
心配そうだ。
「お父さん」
セレス。
「もし」
「ああ」
「迷ったら?」
「まず動き回らない」
ノエルを見る。
「さっきここで待ってたのは正解」
「ほんと?」
「ああ」
「探す人と」
地面へ。
指で線を描く。
「迷った人の両方が動いたら」
「ああ」
「余計見つかりにくい」
「…………」
「安全な場所なら」
俺は続ける。
「まず待て」
「お父さん来る?」
「ああ」
「…………」
「必ず探す」
「ほんと?」
「ああ」
「約束?」
「それは約束できる」
ノエルが。
小さく頷いた。
◇
「でも」
フェルナが聞く。
「場所危なかったら?」
「そこにいる方が危険なら動く」
「どっち!?」
「だから」
俺は。
少し考える。
「迷わないのが一番」
「…………」
「勝手に離れない」
「ああ」
「離れる時は言う」
「ああ」
「もし迷って」
「ああ」
「安全なら待つ」
「そう」
「危なかったら?」
「近くの安全なところまで」
「むずかしい!」
「全部一つの決まりで済むわけじゃない」
「…………」
「だから」
頭を撫でる。
「まず勝手にいなくなるな」
「それなら分かる!」
「頼むぞ」
◇
家へ戻った頃。
日が。
山の向こうへ。
傾き始めていた。
「つかれた!」
フェルナ。
「でも楽しかった!」
ラグナ。
「湖きれいだった」
ミレア。
「魚」
リシェル。
「今度もっと観察したい」
「木苺」
ノエル。
「お前は反省した?」
「した」
「ほんと?」
「勝手に行かない」
「よし」
ユラは。
俺の手を。
ずっと握っている。
「おとうさん」
「ん?」
「ユラ、まいごじゃない?」
「ああ」
「おうちわかる?」
「もうそこだ」
家。
煙突。
畑。
いつもの場所。
「ほんとだ」
嬉しそうに。
笑った。
◇
夕飯は。
今日釣った魚。
三匹を。
八人で分けた。
「少ない?」
フェルナ。
「足りない?」
「他に芋も肉もある」
「じゃあちょうどいい?」
「そうだな」
「…………」
一口。
「おいしい!」
「なら十分だ」
ノエルも。
魚を食べる。
「木苺より?」
「木苺の方」
「聞くまでもなかったな」
◇
夜。
「お父さん」
ノエルが。
寝る前。
珍しく。
自分から近くへ来た。
「なんだ?」
「今日」
「ああ」
「ごめんなさい」
「もう聞いた」
「でも」
少し。
俺の服を掴む。
「みんな、いなくなった」
「お前が離れたんだ」
「…………」
「責めてるんじゃない」
「ああ」
「怖かったんだろ」
「……うん」
「じゃあ覚えとけ」
「勝手に離れない」
「そう」
「迷ったら」
「ああ」
「安全なところで待つ」
「そう」
「お父さん探す」
「ああ」
「…………」
「どうした?」
「お父さん」
「ん?」
「だっこ」
「珍しいな」
「だめ?」
「別に」
抱き上げる。
ノエルは。
ユラより。
少し重い。
「重い?」
「まだ平気」
「……よかった」
首へ。
少しだけ。
腕を回す。
「お父さん」
「なんだ」
「木苺見つけても」
「ああ」
「今度は言う」
「そうしてくれ」
「一緒に見る?」
「時間があればな」
「うん」
◇
山は。
俺にとって。
慣れた場所だ。
でも。
七人にとっては。
まだ。
知らない場所の方が多い。
見たいものがあれば。
近づきたくなる。
気になるものがあれば。
追いかけたくなる。
それ自体は。
悪くない。
けれど。
自分がどこにいるか。
分からなくなるほど。
一人で遠くへ行く必要はない。
見たいなら。
言えばいい。
一緒に行けるなら。
一緒に行く。
もし。
それでも迷ったなら。
慌てて。
もっと遠くへ行かなくていい。
誰かが。
探しに来ることだってある。
少なくとも。
俺は。
娘が一人いなくなったら。
見つかるまで。
探すつもりだ。
……もっとも。
「お父さん!」
寝室から。
フェルナ。
「なんだ!」
「次は海!」
「遠いって言っただろ!」
「じゃあ明後日!」
「日数の問題じゃない!」
「その次!」
「だから遠い!」
今のところ。
一番迷子になりそうなのは。
ノエルより。
好奇心だけでどこまでも走っていきそうな。
フェルナの方だった。




