第20話 お父さんが寝込んだ日
朝。
目を覚えた瞬間。
「……まずいな」
分かった。
頭が重い。
喉が痛い。
体も妙に熱い。
起き上がろうとすると。
ぐらり。
視界が揺れた。
「風邪か」
昨日。
少し雨に濡れた。
そのせいだろう。
大したものじゃない。
水を飲んで。
飯を食って。
一日寝ていれば治る。
問題は。
「……朝飯」
七人いる。
俺一人なら。
食わずに寝る。
でも。
あいつらの飯は。
そういうわけにもいかない。
壁に手をつきながら。
寝室を出る。
◇
「お父さん!」
居間へ出たところで。
フェルナが走ってきた。
「おはよう!」
「ああ……おはよう」
「今日のごはん――」
そこで。
黒い耳が。
ぴくっ。
と動いた。
「お父さん?」
「ん?」
「変」
「何が」
「声」
「喉がちょっと痛いだけだ」
「ほんと?」
「ああ」
「セレス姉!」
「呼ばなくていい」
「お父さんが変!」
「その言い方やめろ」
寝室から。
ばたばた。
七人が集まってきた。
「お父さん?」
セレス。
「どうしたの?」
ミレア。
「顔赤い」
ラグナ。
「目も変」
リシェル。
「ごはん食べられる?」
ノエル。
「おとうさん?」
ユラ。
「だから」
俺は。
台所へ向かおうとする。
「少し風邪ひいただけだ」
一歩。
ぐらっ。
「お父さん!」
セレスに腕を掴まれた。
反対側。
ラグナ。
「危ない!」
「大丈夫だ」
「嘘」
セレス。
「…………」
「今のは完全に見えた」
「便利な目だな」
「そういう話じゃない!」
珍しく。
セレスの声が強い。
「寝て」
「朝飯作ってから」
「私たちがやる」
「七人だけで?」
「できる」
「刃物と火は――」
「私とラグナがやる」
「でも」
「お父さん」
セレスが。
俺を見る。
「できない時は」
「ああ」
「できる人に頼るんでしょ」
「…………」
言った。
確かに。
俺が言った。
「今日は」
セレスが続ける。
「お父さんが、できない日」
「…………」
「だから」
少しだけ。
得意そうに。
「私たちがやる」
まいった。
「……分かった」
「寝て」
「はい」
◇
寝室へ戻される。
本当に。
戻された。
「水」
ミレアが持ってくる。
「ありがとう」
「飲んで」
「ああ」
「全部」
「全部?」
「いっぱい飲んだ方がいい?」
「まあ」
「じゃあ全部」
「はいはい」
飲む。
「熱」
リシェルが。
何かを持ってきた。
「何だそれ」
「布」
「見れば分かる」
「濡らした」
「ああ」
「頭に乗せる」
「誰に教わった?」
「本」
「そうか」
額へ。
冷たい布。
「気持ちいい?」
「ああ」
「じゃあ正解」
「その本、結構役に立つな」
「うん」
ノエルが。
今度は。
木苺を三つ持ってくる。
「お父さん」
「ん?」
「食べて」
「ノエルの分じゃないのか」
「今日はいい」
「…………」
「病気だから」
驚いた。
「本当にいいのか?」
「うん」
「後で返せって言わない?」
「……一個は返して」
「やっぱりか」
「でも二個はあげる」
「十分だ」
一個。
口へ入れる。
「うまい」
「ほんと?」
「ああ」
「じゃあもう一個」
「お前が食え」
「でも」
「俺は二個もらった」
「まだ一個」
「一個は後で食う」
「…………」
納得したらしい。
◇
「おとうさん」
ユラが。
ベッドの横に。
椅子を持ってきた。
「どうした?」
「みる」
「何を」
「おとうさん」
「見ても治らないぞ」
「みる」
「…………」
座る。
じーっ。
「そんな見られると寝づらい」
「ねて」
「見てるだろ」
「ねて」
「はい」
目を閉じる。
十秒。
「おとうさん」
「ん?」
「ねた?」
「寝てない」
「まだ?」
「そんなすぐ寝られるか」
「ねて」
「…………」
もう一度。
目を閉じる。
今度は。
「おとうさん」
「何だ」
「ねた?」
「お前が起こしてる」
「…………」
「ユラ」
「なに?」
「黙って座っててくれ」
「うん」
五秒。
「おとうさん」
「ユラ」
「…………」
「何だ」
「だいすき」
「…………」
怒れない。
「俺もだ」
「ふふ」
「今度こそ静かにな」
「うん」
◇
台所から。
音が聞こえる。
「ラグナ、切りすぎ!」
「これくらい!」
「大きい!」
セレス。
「フェルナ、そっち触らない!」
「何もしてない!」
「今鍋見てた!」
「見るだけ!」
「見るだけならいいけど手出さないで!」
「むぅ!」
「リシェル、塩どれくらい?」
「本には――」
「本じゃなくて昨日お父さんが入れてたくらい!」
「昨日は……」
「ノエル!」
「なに?」
「味見して!」
「任せて」
「それだけは速い!」
…………。
「大丈夫か?」
起き上がろうとする。
「おとうさん」
ユラ。
「なに?」
「ねて」
「でも」
「ねて」
「…………はい」
小さいのに。
強い。
◇
しばらくして。
匂いがした。
焦げている。
少し。
かなり。
「…………」
俺は。
黙っていた。
今行ったら。
たぶん。
余計に焦らせる。
さらに。
しばらく。
「できた!」
フェルナの声。
「本当に?」
ラグナ。
「たぶん」
セレス。
「お父さんに持っていく」
ミレア。
「待って」
リシェル。
「なに?」
「味」
「ノエル?」
「…………」
沈黙。
「ノエル?」
「…………食べられる」
その評価。
不安しかない。
◇
「お父さん」
セレスが。
盆を持ってきた。
「朝ごはん」
「昼じゃないか?」
「…………」
窓を見る。
太陽が高い。
「結構寝てたみたいだな」
「うん」
「少し楽になった」
「ほんと?」
「本当」
セレスが。
金色の目で見る。
「……ほんと」
「毎回確認するな」
盆を見る。
スープ。
パン。
木苺。
「作ったのか?」
「みんなで」
「ああ」
「ちょっと」
「うん」
「失敗した」
「何を」
「最初の鍋」
「…………」
「焦がした」
「やっぱり」
「分かってた?」
「匂いした」
「…………」
「誰か怪我した?」
「してない」
「火事になった?」
「なってない」
「じゃあ大丈夫だ」
「でも」
「鍋は?」
「洗った」
「なら終わり」
セレスが。
少し笑った。
「お父さんが言った通り」
「何が」
「失敗したら」
「ああ」
「片づけて、またやった」
「そうか」
「二回目はできた」
「じゃあ食わせてもらう」
◇
一口。
「…………」
七人。
全員。
見ている。
「どう?」
フェルナ。
「どう?」
ラグナ。
「おいしい?」
ミレア。
「塩、多い?」
リシェル。
「木苺はおいしい」
ノエル。
「それはお前らが作ってない」
「おとうさん」
ユラ。
「どう?」
俺は。
スープを飲み込む。
「うまい」
七人。
固まる。
「ほんと!?」
フェルナ。
「ああ」
セレスを見る。
「…………」
「どうだ?」
「嘘じゃない」
「ほら」
実際。
少し塩が多い。
芋も。
切り方がばらばら。
肉は。
一部。
硬い。
でも。
「うまいよ」
それは。
本当だった。
「やった!」
フェルナが跳ねる。
「フェルナ、静かに!」
セレス。
「お父さん寝てるんだから!」
「今起きてる!」
「病気なの!」
「でも!」
「静かに!」
俺は。
笑ってしまった。
「お父さん?」
「いや」
スープをもう一口。
「お前ら」
「ああ」
「結構やれるな」
ラグナが。
胸を張る。
「お父さんが教えたから」
「そうか?」
「うん」
「でも」
ミレアが言う。
「お父さんほど上手くない」
「最初から上手かったら俺の立場ないだろ」
「何回やったら?」
「そのうち抜かれるかもな」
「ほんと?」
「ああ」
リシェルが。
すぐ言う。
「じゃあ記録する」
「何を」
「何回でお父さんより上手くなるか」
「競争じゃない」
◇
飯を食べ終えると。
「寝て」
セレス。
「もうちょっと起きてても」
「寝て」
「はい」
娘が七人いると。
病人に権利がない。
「お父さん」
ミレアが。
ベッドの横へ座る。
「治す?」
「俺を?」
「うん」
手に。
白い光。
「風邪も治せるのか?」
「分からない」
「じゃあ無理するな」
「でも」
「大した熱じゃない」
「…………」
「必要な時に使えって言っただろ」
「うん」
「今は寝れば治る」
「ほんと?」
「たぶん」
「…………」
「セレスに見るなって」
金色の目が。
こっちを向いていた。
「今は?」
「たぶんって言ったから嘘じゃない」
「便利な判断だな」
「でも」
ミレアが。
俺の手を握る。
「苦しくなったら」
「ああ」
「言って」
「分かった」
「絶対」
「ああ」
それで。
納得した。
◇
午後。
目を覚ます。
今度は。
部屋が。
静かだった。
「…………?」
誰もいない。
起き上がる。
熱は。
だいぶ下がっている。
水を飲む。
その時。
扉が。
少し開いた。
「おとうさん」
「ユラ」
「おきた?」
「ああ」
「げんき?」
「だいぶ」
「ほんと?」
「本当」
「……セレス姉!」
「呼ばなくていい」
呼んだ。
結局。
全員来た。
「熱は?」
セレス。
「下がったと思う」
「触る」
ラグナ。
額へ。
手。
「熱い?」
「分からない」
「比較がないからな」
「ミレア」
「うん」
今度はミレア。
「……朝よりいい」
「そうか」
「じゃあ」
フェルナ。
「治った!?」
「まだ」
「なんで!」
「風邪は一日で全部治らないこともある」
「じゃあ夜ごはん作る!」
「お前らが?」
「うん!」
「今度は焦がさない!」
「宣言すると不安だな」
「大丈夫!」
「それも不安だ」
◇
その日の夕飯は。
昼より。
少しだけ。
上手くできていた。
「今日は焦げてない!」
フェルナ。
「塩も少ない」
リシェル。
「肉も同じくらいに切った」
ラグナ。
「野菜も」
ミレア。
「味見した」
ノエル。
「ユラは?」
「まぜた!」
「そうか」
「セレスは?」
俺が聞く。
「全部見た」
「それ一番大変だっただろ」
「……うん」
七人で。
笑う。
「いただきます」
八人。
食べる。
「お父さん」
セレス。
「ん?」
「今日」
「ああ」
「私たち、役に立った?」
「またそれか」
「…………」
少し。
昔の顔に戻る。
俺は。
匙を置いた。
「役には立った」
「…………」
「でも」
続ける。
「役に立ったから娘なんじゃない」
「…………」
「今日は」
七人を見る。
「俺が困ってたから」
「ああ」
「家族が助けてくれた」
「うん」
「それだけだ」
セレスが。
少しだけ。
笑う。
「じゃあ」
ラグナ。
「今度私が病気になったら?」
「俺たちが看病する」
「フェルナが?」
「する!」
「余計うるさそう」
「なんで!」
「リシェルは?」
「薬草調べる」
「ミレアは?」
「必要なら治す」
「ノエル」
「木苺あげる」
「二個?」
「一個」
「お父さんより少ない!」
「ラグナは木苺好きじゃないでしょ」
「そうだけど!」
「ユラ」
「だっこ!」
「病人を潰すな」
「…………」
また。
笑い声。
◇
夜。
七人を寝かせてから。
俺も。
早めに寝ることにした。
「お父さん」
セレス。
「なんだ?」
「今日」
「ああ」
「できない時は、頼っていいんだよね」
「そうだな」
「お父さんも?」
「俺も」
「…………」
「どうした?」
「いつも」
セレスが。
少し言いにくそうに。
「お父さんが、全部やるから」
「…………」
「私たちばっかり助けてもらってる」
「子供だからな」
「でも」
「今日みたいな日は頼る」
「ほんと?」
「ああ」
「無理しない?」
「…………」
セレスの目。
見ている。
「できるだけ」
「今ちょっと嘘」
「厳しいな」
「お父さんが教えた」
「そうだった」
俺は。
笑った。
「分かった」
「うん」
「無理な時は頼る」
「約束?」
「ああ」
「約束」
◇
その日。
七人は。
俺がいなくても。
飯を作れた。
失敗して。
焦がして。
洗って。
もう一度やった。
俺が教えたことを。
ちゃんと。
自分たちで使った。
そして。
俺自身も。
一つ。
教えられた。
できる奴が。
できない奴を手伝えばいい。
そう言ったのは。
俺だ。
なら。
俺ができない時くらい。
娘たちに。
頼ればいい。
家族というのは。
たぶん。
一方だけが。
ずっと守るものではない。
守られる日が。
あってもいいのだ。




