第15話 姉妹喧嘩は、仲直りするまでが喧嘩だ
それから。
我が家では。
俺の名前を聞く回数が、急に減った。
代わりに。
「お父さん!」
「なんだ」
「フェルナが!」
「ラグナが先!」
「朝から喧嘩するな!」
お父さん。
「お父さん」
「今度は何だ、リシェル」
「この本のここ」
「飯食ってから」
「まだごはんじゃない」
「じゃあ持ってこい」
お父さん。
「おとうさん」
「ユラ?」
「だっこ」
「さっきしただろ」
「もういっかい」
「……少しだけな」
お父さん。
一日中。
七人の誰かから。
そう呼ばれる。
最初こそ。
何となく落ち着かなかった。
だが。
数日もすれば。
俺も慣れた。
慣れたのだが。
「お父さん」
「ん?」
ノエルが。
木苺の皿を持って立っている。
「これ」
「三つまでだ」
「まだ何も言ってない」
「四つ目欲しいんだろ」
「…………」
「図星か」
「お父さん、すごい」
「お前が分かりやすいだけだ」
「じゃあ」
一個差し出してくる。
「半分こ」
「そう来たか」
「お父さんが半分食べたら、ノエルは三つ半」
「駄目だ」
「なんで」
「計算の仕方がおかしい」
「むぅ」
呼び方が変わっても。
やることは変わらなかった。
◇
その日の昼。
俺は家の裏で。
新しい物干し竿を作っていた。
八人分の洗濯物。
今まで使っていたものでは。
どう考えても足りない。
「この辺でいいか」
木を削る。
支柱を立てる場所を決める。
その時。
「返して!」
家の中から。
フェルナの声。
「嫌!」
ラグナ。
またか。
「今度は何だ……」
工具を置く。
家へ入る。
居間では。
フェルナとラグナが。
一枚の布を。
両側から引っ張っていた。
「返して!」
「私が先に見つけた!」
「フェルナの!」
「名前書いてない!」
「お父さんにもらった!」
「私だって使いたい!」
「二人とも」
俺が呼ぶ。
「何してる」
「お父さん!」
フェルナが。
布を握ったままこちらを見る。
「ラグナが取った!」
「取ってない!」
「取った!」
「落ちてた!」
「フェルナが置いたの!」
「じゃあ片付けなさいよ!」
「後で使うつもりだった!」
「なら言えばいいでしょ!」
「言う前に取った!」
「だから知らないって!」
「一人ずつ」
二人とも止まる。
「まず」
布を見る。
俺が昔使っていた。
小さめの赤い布だ。
「これは何に使ってた?」
「フェルナのくま!」
「熊?」
見る。
暖炉の横。
木彫りの熊。
「首に巻く!」
「…………」
「何で?」
「かっこいいから!」
「そうか」
よく分からないが。
本人がいいならいい。
「ラグナは?」
「私の剣」
「剣?」
壁。
先日。
ラグナが自分で削って作った木剣がある。
「柄に巻く」
「何で?」
「かっこいいから」
「…………」
理由同じじゃないか。
「じゃあ」
俺は二人を見る。
「二人とも欲しいんだな?」
「欲しい!」
「うん」
「一枚しかない」
「フェルナが先!」
「私が先に拾った!」
「話が戻ってる」
頭が痛い。
「半分に切れば?」
リシェルが。
本から顔も上げずに言った。
なるほど。
「それでいいんじゃないか?」
「やだ!」
「嫌」
二人同時。
「どうして?」
今度はミレア。
「ちっちゃくなる!」
フェルナ。
「巻けなくなる」
ラグナ。
「じゃあ」
セレスが言う。
「交代で使えば?」
「くま、毎日使う!」
「剣も毎日使う!」
「木剣に布を巻く必要、毎日あるのか?」
「ある!」
即答だった。
「困ったな」
普段なら。
話し合え。
で済ませるのだが。
今回は。
二人とも譲る気がない。
◇
「お父さんが決めて!」
フェルナが言った。
「なんで俺が」
「お父さんだから!」
「便利な時だけ使うな、その言葉」
「でもお父さん!」
「ラグナもそう思う?」
「……うん」
俺は。
赤い布を見る。
どちらに渡しても。
片方が不満になる。
「じゃあ」
少し考える。
「じゃんけん」
「それ!」
フェルナがすぐ構える。
「待って」
ラグナが止める。
「何で?」
「負けたら?」
「フェルナの!」
「ずっと?」
「うん!」
「……嫌」
「じゃんけんしないの!?」
「嫌!」
「ずるい!」
「何がずるいの!」
また始まった。
「二人とも!」
声を少し強くする。
止まった。
「じゃんけんも嫌」
「半分も嫌」
「交代も嫌」
「なら」
俺は布を取った。
「今日はどっちも使うな」
「ええっ!?」
「なんで!」
「二人で決められないから」
「お父さん!」
「話し合って決まったら返す」
布を棚の上へ置く。
「いつまで?」
「決まるまで」
「今日中?」
「知らん」
「明日まで?」
「知らん」
「ずっと決まらなかったら?」
「ずっとそこ」
「…………」
二人が。
棚の布を見る。
「それ嫌」
フェルナ。
「私も」
ラグナ。
「じゃあ考えろ」
「お父さん考えて」
「嫌だ」
「なんで!」
「お前らの喧嘩だからだ」
「…………」
「自分たちで始めたなら、自分たちで終わらせろ」
二人とも。
黙った。
◇
それから。
一時間。
フェルナは。
木彫りの熊を抱えて。
部屋の端。
ラグナは。
木剣を抱えて。
反対側。
見事なくらい。
口を利かない。
「……面倒だな」
俺は物干し竿の作業へ戻った。
セレスがついてくる。
「お父さん」
「ん?」
「いいの?」
「何が?」
「二人」
「ああ」
「仲直りさせなくて」
「そのうちするだろ」
「しなかったら?」
「その時考える」
「…………」
セレスが。
少し不安そうにする。
「家族でも」
「ああ」
「嫌いになることある?」
「あるんじゃないか?」
「…………」
「俺にも分からん」
正直に言う。
「でも」
木を削りながら。
「腹が立つことと」
「ああ」
「ずっと嫌いになることは」
「違うと思うぞ」
「どう違う?」
「今ラグナに腹立ってるフェルナだって」
家を見る。
「ラグナが山で怪我したら?」
「……助けると思う」
「だろ」
「ラグナも?」
「たぶんな」
「…………」
「姉妹なら」
少し考える。
「喧嘩くらいする」
「していい?」
「しない方が楽だけどな」
「…………」
「でも」
工具を置く。
「喧嘩したから家族じゃなくなるわけじゃない」
セレスが。
少しだけ笑った。
「そっか」
「ああ」
◇
夕方。
問題は。
まだ解決していなかった。
「いただきます」
「いただきます」
八人で夕飯。
いつもなら。
「ラグナ、それ取って!」
「自分で取りなさいよ!」
「遠い!」
「腕伸ばせば届く!」
だの。
「フェルナ、それ私の!」
「違う!」
だの。
騒がしい二人が。
今日は。
「…………」
「…………」
無言。
静かだ。
静か過ぎる。
「……食いづらい」
俺が言う。
「お父さん?」
ミレア。
「何でもない」
フェルナの前。
芋の皿。
ラグナの前。
肉の皿。
いつもなら。
お互いに取り合う位置にある。
でも。
二人とも。
相手へ頼まない。
フェルナは。
芋ばかり食う。
ラグナは。
肉ばかり。
「…………」
見てられない。
「フェルナ」
「なに」
「肉食わないのか?」
「遠い」
「ラグナに取ってもらえ」
「いらない」
「ラグナ」
「なに」
「芋は?」
「いらない」
「好きだろ」
「今日はいい」
意地張ってる。
すると。
「フェルナ」
ノエルが言った。
「なに?」
「肉ほしい?」
「……ほしい」
「ラグナ」
「なに?」
「芋ほしい?」
「……ほしい」
「じゃあ」
ノエルは。
自分の木苺を一個。
テーブルの真ん中へ置いた。
「これあげるから仲直りして」
「…………」
「…………」
俺も。
何で木苺なんだ。
とは言わなかった。
ノエルにとっては。
かなり大きな譲歩だ。
「ノエル」
フェルナ。
「これ大事じゃないの?」
「大事」
「食べたい?」
「食べたい」
「じゃあなんで?」
「静かすぎる」
「…………」
「ごはん、おいしくない」
それだけ。
フェルナが。
ラグナを見る。
ラグナも。
フェルナを見る。
「……フェルナ」
「なに」
「肉」
ラグナが皿を取る。
フェルナの前へ。
「食べる?」
「……うん」
「はい」
「ありがと」
今度はフェルナ。
芋の皿。
「ラグナ」
「なに?」
「これ」
「……ありがと」
小さい。
本当に小さい。
でも。
何かが。
少し戻った。
◇
夕飯の後。
「お父さん」
ラグナが来た。
隣には。
フェルナ。
「どうした?」
「あの布」
「ああ」
「返して」
「決まった?」
「うん」
俺は棚から。
赤い布を下ろす。
「どうする?」
ラグナが言った。
「フェルナの熊に使う」
「いいのか?」
「うん」
フェルナが。
今度は言う。
「でも」
「ん?」
「ラグナの剣にも使う」
「一枚しかないぞ」
「だから」
フェルナが。
木彫りの熊を持ってくる。
首。
そこへ。
赤い布を巻く。
「昼はくま」
「うん」
ラグナが続ける。
「私が木剣使う時だけ借りる」
「毎日って言ってなかったか?」
「……毎日はやめる」
「フェルナは?」
「貸す」
「本当に?」
「うん」
「何で?」
二人が。
顔を見合わせる。
「だって」
フェルナ。
「ラグナも欲しかったから」
「…………」
ラグナも。
「フェルナも」
「そうか」
俺は布を返した。
「じゃあ二人で管理しろ」
「うん」
「なくすなよ」
「なくさない!」
「たぶん」
「ラグナ!」
「フェルナすぐ物なくすでしょ!」
「なくさない!」
「この前櫛なくした!」
「ラグナが持ってた!」
「落ちてたの!」
「…………」
また始まりそうだ。
「お前ら」
二人が止まる。
「今、仲直りしたんじゃなかったのか?」
「した!」
「した」
「じゃあ?」
フェルナが。
少し考える。
「これは別の喧嘩!」
「増やすな!」
◇
夜。
寝室。
「ラグナ」
「なに?」
「ごめん」
フェルナの声が聞こえた。
「何が?」
「昼」
「……私も」
「何が?」
「布取った」
「うん」
「ごめん」
「うん」
「…………」
「…………」
「明日、木登る?」
フェルナ。
「登っていいの?」
「お父さんに聞く」
「たぶん駄目って言う」
「じゃあ低い木!」
「それならいいかも」
「明日聞こう!」
「うん」
俺は。
扉の外で聞いていた。
盗み聞きするつもりはなかった。
声が大きいだけだ。
「お父さん」
急に。
セレスが呼んだ。
「聞いてる?」
「…………」
ばれていた。
「今通っただけだ」
「嘘」
「便利な目だな」
扉の向こうから。
笑い声。
「お父さん!」
フェルナ。
「なに?」
「明日木登っていい!?」
「低い木ならな」
「やった!」
「ラグナも!」
「落ちない高さまでだぞ」
「分かった!」
そして。
「お父さん」
セレス。
「ん?」
「喧嘩しても」
「ああ」
「仲直りしたら、終わり?」
「終わりだ」
「また喧嘩したら?」
「また仲直りしろ」
「何回でも?」
「何回でも」
「…………」
「家族なんて」
俺は。
扉にもたれて言った。
「たぶん、そういうもんだろ」
完璧に分かり合って。
一度も腹を立てず。
何も揉めない。
そんなのは。
俺にも無理だと思う。
嫌だったら言う。
言い過ぎたら謝る。
譲れるところは譲る。
どうしても駄目なら。
一度離れて。
また話す。
姉妹喧嘩は。
したところで終わりじゃない。
仲直りするまでが。
喧嘩なのだ。
「じゃあ」
フェルナの声。
「明日も喧嘩していい?」
「する前提で話すな!」
寝室から。
七人分の笑い声が響いた。
今日も。
この家は。
まだしばらく。
静かにはなりそうになかった。




