『麻雀』
「友達から聞いた話なんだけどね」
大学生の頃の話だ。
人の骨で出来ている麻雀牌を買った、と言っている友人――Rとしよう――がいた。
元々不気味で凝ったデザインをしたものを集めるのが好きな友人で、件の牌も、旅行の際に見つけて購入したものらしい。
麻雀の材料のひとつに牛骨があるのは知っていたが、人骨でも同じように作れるものだろうか。友達としては、店主が友人の趣味に合わせて、売り文句として言っただけではないか、と思ったそうだ。
ただ、Rが購入を決めただけあって彫りのデザインも凝っていて美しく、独特の色味もあって、そんな話も信じてしまいそうな雰囲気があるのは確かだった。
「そんな面白いもの、せっかく買ったなら使ってやらなきゃ。置いとくだけじゃ可哀想だって」
話を聞いて割り込んできたのは、賭け事が好きなGという友人だった。カードや競馬、パチスロはもちろん、仲間内でも何かとあると賭けをしようと言い始める人間である。
単に賭け事がしたいだけなのは明白だったが、何度も誘われている内に、Rの方も少し気になってきたようだった。どうせなら使ってみたい、という思いもなかった訳ではないのだろう。
「分かったよ。でも金じゃなくて、飯な」
「いやいや、せっかくならさあ」
「お前は金が絡むとダメな奴すぎるんだって」
Gの過去のやらかしを笑いつつ予定を決めて、もう一人追加で誘って四人でRの家へと集まった。
三人麻雀でもよかったが、友達もRも、麻雀に強い訳でも詳しい訳でもない。まともに点数計算が出来て、適度にGを諫めてくれる人間が必要だと考えたし、それは実際、正しい判断だった。
自分以外の三人分の夕飯として考えたとしても、Gにとっては避けたい出費だったらしい。彼は少なくとも数回いかさまを働いたし、自分が負けそうだとなるとごねにごねた。
結局、あまりの振る舞いに呆れたRが早々に切り上げて、Gに夕飯を奢らせることにしたそうだ。その際にもあんまりな態度だったので、回転寿司屋でGが呻くほど食べてから解散した。
異変が起こったのは、帰ってからだった。
自宅のアパートに帰った友達は風呂に入ってすぐ就寝したものの、夜中に奇妙な気持ち悪さを覚えて、胃を押さえながら起き上がった。
ベッドを降りたところまでは少し気持ち悪いくらいだったが、トイレに入った途端、猛烈な吐き気が湧いてきて、友達はそのまま吐いてしまったらしい。
生ものだったこともあって、何かに当たったのか心配したようだが、心当たりはなかったそうだ。貝類は元からあまり好きでもないし、変な臭いがしたものもない。
何か別の病気だったらどうしようか、と不安に思いつつも、吐いた後には幾分楽になったので、夜間に病院に行くほどでもないと判断して、寝直したそうだ。
翌朝になると体調はすっかり問題なくなっていた。長引かなかったことに安心しつつも、少し妙に思ってRに連絡を取ったところ、どうやら彼も同じような状態だったと聞いた。
夜中、ちょうど友達と同じような時間帯に吐き気を催してシンクに吐いてしまったそうだ。折角勝ったのに災難だったな、と互いを労るつもりで言った友達に、Rは少し言いづらそうに尋ねた。
吐いたものが動いていなかったか、という問いだった。
『気分が悪くてよく覚えてないし、見間違いだとは思うんだけど……』
口をすすぐために水を流した際、シンクの中の吐いたものが、蠢いているように見えたのだという。
それ自体が一つの生き物であるかのような動きだったが、『 流したらすぐに動かなくなったそうだ。
同じものを見なかったか、と聞かれたが、友達の記憶にはなかった。そもそも吐いた場所がトイレだったので、元から水に溶けていたのかもしれない。
その後、Rは同席した別の友人にも同じことを聞こうとしたらしいが、彼はあの賭け以降、Rを避けるようになってしまって、何も聞けなかったそうだ。
一方のGの方は、何事もなくいつもの調子で、また何か賭けないか、と懲りた様子もなく持ちかけてきていたらしい。
Gに何の影響もなかったのが、何も食べなかったからなのか、それとも負けた側なのかは分からなかった。
Rはそれきり、Gからの誘いに乗ることはなかったそうだ。
少しして、Rから例の麻雀牌を処分することにした、と聞いた。少なくない金額を出して購入したと聞いていたし、実際、Rが好むような不気味な品だったのだから置いておくくらいいいのではないか、と思ったが、聞いてみると、どうも事情が違うらしい。
四人で使ったあの日から、夜中にふと目を覚ますと、耳の端に何か擦れ合うような音が聞こえてくるそうだ。
ある時には、起きたら箱から牌がはみ出ていたこともあったのだという。
極めつきは、臭いだった。購入当時は何も感じなかったのに、いつからか脂っぽい、妙な獣臭さが漂うようになったそうだ。
Rにとっては最後の臭いが一番堪えたらしい。生活する上でも不快だし、賃貸だったので壁に臭いが染みついたりしたら困る、と原因である牌を手放すことに決めたと話していた。
「なんだよ勿体ない。俺そういうの気になんないし、譲ってくれたらよかったのに」
後で話を聞いたGは不満そうにしていた。貰えるものはなんでも貰いたがる気質なのもあるし、何より、彼だけ妙なものを吐いたりした経験もなかったからだろう。
Gのことだから、譲ってしまえば、いつか本当に不味いものまで賭けてしまうに違いない。
処分してしまって良かった、と心から思ったそうだ。
「怖かった?」
「ああ。まあ、怖かったよ」
材料となっているらしい謎の骨も、起こった現象も怖かった。
もしも金を賭けていたらどうなったのだろう。賭けに買った結果得たものが害になるとすれば、勝ち得た金を使おうとした時点で何か起こるんじゃないだろうか。
負けた側ではなく、勝った側に障りがあるのも、何だか嫌な話だった。
「とりあえず、変なもの賭けなくてよかったよな」
「たとえば?」
「たとえば……」
いや、別に、例えとかはないけど。何を出してほしいんだ? 命とかか?
当たってそうで嫌だな……と思いながら視線を逃がしたところで、ひょい、と宙を掻くように六本指の内のひとつが伸びてきた。
「タカヒロ、じぁんがしようよ」
「まあ、いいけど」
気温が上がってからというもの、ジェンガもリバーシもしばらく出番がなかった。暑さならまだ我慢できるが、暑さは本当に耐え難いので、わざわざ屋外でやる意味がないのだ。まさか、部屋に来るかとは言えないし。呼んでもいいとも、思わないし。
今日くらいの気温なら構わないか、と思って了承したところで、隣から怖いくらいに軽やかな問いが投げられた。
「賭ける?」
「ええ……嫌だよ」
声にも嫌さが現れていたのか、仕切り板の向こうでは笑い声が響いた。でも、嫌だろ。普通に。嫌だと分かっていて聞いてくるところが特に嫌だろ。
「面白いのに」
思ったよりも残念そうな響きだったが、そこまで強い提案ではないようだった。賭け事をするよりも怪談をする方が余程楽しいので、優先順位が低いだけだろう。
そもそも、ある意味では、怪談を聞くという行為そのものが賭けだとも言える。信じるかとか、信じないかとか。
「死ぬか、死なないか、とか。どう?」
どう、と言われてもな、とまず思った。
それは俺の話か? それとも、……それとも、祖母の話だろうか。
突如として始まった物騒な賭けの主語が定まらないのが不気味で、視線が宙に留まる。
物騒な賭けを持ちかけられるのは御免だ。普通にジェンガで遊ぶだけで満足してもらえないだろうか。
「うーん、じゃあイノヒラが戻ってくるか、来ないか、とか」
ただ、ジェンガの勝敗にも賭けの要素が持ち込まれたら避けようがないよな、と室内を振り返っていた俺は、予想もしていなかった言葉に、引き戻されるように視線を向けていた。
くにゃりと曲がった管状の身体が此方を見下ろしている。
「どう?」
だから、どうと言われても。
何を対象にされたとしても、こいつと賭けをするなんて真似をすることはないだろう。ただ、ここで持ち出された対象が伊乃平さんだというのは、気になるところはあった。
神藤さんからの連絡はまだ来ていない。ということは、伊乃平さんともまだ連絡はついていない筈だ。
問いかけの形こそしていたが、答えを求めていた訳ではないのだろう。隣人はさほど興味も無い様子で仕切り板の向こうへ引っ込むと、笑い混じりの挨拶と、からからと窓の開く音が重なった。
*
三日後。ファミレスで神藤さんと顔を合わせた俺は、まずは電話の際に浮かんだ予測を伝えた。
あの人が父を呪っていたらしい、ということ。父がお祓いだかを頼んで『解決』したようだ、ということ。その結果、どういう理屈か、祖母が迷惑を被っているらしい――とまで話したところで、対面に座る神藤さんの眉が下がった。
「高良くんのお祖母さんまで被害に遭っているとなると、心配だね」
心の底からそう思ってくれているらしい神藤さんを前に、俺はややぎこちなく頷いた。心配ではある。単に、『高良君のお祖母さん』という響きを他の人から聞くと、どうも非現実的な響きになるな、と思っただけだ。
多分、俺の祖母として、というよりは、『あの人の母』として捉えているからかもしれない。
「どうも、隣のあいつは事情を知っているみたいなんですが……そもそも、祖母の居場所が分からないのに変に深入りしても、とも思って」
あるいは、隣人であれば居場所すら知っている可能性はある。居場所までは知らなくとも、呼ぶことは出来るのかもしれない。以前、あの人を連れてきたら怖いかどうか、聞いてきたことがあるくらいだ。
「母方のお祖母さんなんだよね? 戸籍から辿ってみるのはどうなんだろう」
そう言われて、そういえば、と思い出した。直系の親族ならば戸籍から住所を辿る手続きが取れるのだ。俺自身、あの人に探されないためにと役所で手続きをした覚えがある。まあ、覚え、と言っていいかは微妙だ。あの頃はとにかく安全な場所を確保して生活を成り立たせたいと焦っていたし、言われるままにこなした手続きの意味を正しく理解していたとも言い切れなかった。
何より、俺にとっては探されないための手続きだった訳で。探す側としても使える、という発想が抜けていた。
「詳しいことは役所の人に聞くのが一番だと思うけど、試してみてもいいんじゃないかな」
神藤さんの言葉に頷きを返しつつ、別の懸念も口にする。
「居場所が分かったとしても、結局俺だけじゃ何も出来ないんですよね……もう一度あげるって訳にもいかないみたいですし」
娘になった、というからには、もうあの人は俺の母ではない、ということになる――のだろう。怪異側の法則なんてものは理解しようがないのだろうが、隣人の言葉をそのまま信じるのならきっとそうなる。
だとしたら、初めに澄江由奈に譲った時のようにはいかない筈だ。祖母の元にあの人が行ってしまったなら、それは娘ということになっていて、「あげてもいいよ」であげられるものでもないのだろう。澄江由奈が欲しいのは母であって、娘ではないのだし。
「それこそ、兄が戻ってきたら対処してもらうのがいいだろうね。早く連絡がつけばいいのだけど……」
神藤さんは既読にならないらしいトーク画面を見下ろして、少し力ない様子で呟いた。元々は皆村さんと会う約束があった上で連絡がつかなくなっているのだから、普段の音信不通とは異なる理由だと感じているのかもしれない。
「あの、実は、伊乃平さんが戻ってくるか来ないか賭けないか、とも言われたんです」
「それは、……彼に?」
少し慎重な声音で投げられた問いかけに、頷きを返す。
「何か、戻って来られないほどに大変な仕事をしている、ってことはあるんでしょうか?」
この一年、隣人の言葉には意味の無いからかいや冗談も多く含まれていた。全てを深く捉えすぎるのは逆に危ういとも言えるかもしれないが、このタイミングで触れられることに意味を見出さないでいるのは、ちょっと俺には難しかった。
ちなみに、意味の無い言葉だろうと害にはなり得るのが一番の問題ではある。
「何か特殊な状況に巻き込まれていたとしても、『来られない』って状態になるのは想像がつかないな。『来るつもりがない』ってことはあり得るかもしれないけどね。ついでに言えば、つもりがない方が厄介かもしれない」
神藤さんは困ったように眉を下げたまま、口元を笑みの形に歪めた。それはどちらかというと、自分を安心させるために浮かべている笑みのように思えた。
「本当、こういう時に、僕が力になれるような人間だったらいいんだけど。ごめんね」
「いえ。俺の方こそ、毎度面倒ばかりかけていて、すみません。結局、まだお礼のために神社にも行けてないのに、次から次へと……」
「大丈夫だよ。その辺りは気にするような人じゃないから――――」
変わらず笑みを浮かべていた神藤さんは、途中、何処かはっとしたような顔つきになると、半端に言葉を切った。何か、記憶を辿るかのように目を伏せた神藤さんが、しばらくの間の後に、此方に視線を向ける。
「ごめんね、高良くん。急で悪いのだけど、その神社に一緒に行ってくれないかな。普通の連絡手段が全く通じないなら、普通じゃない連絡手段を一度試してみたくて」
神藤さんから頼まれ事をされるなんて、珍しいことだ。普通じゃない連絡手段、という言葉の意味は今ひとつ掴めなかったが、俺は疑問を口にするよりも前に頷いた。




