カラオケ
「どうせ外にも出てないんじゃないかと思ってさ~」
久しぶりに顔を合わせたハヤトは、すっかり日に焼けていた。極めて充実した夏を過ごしたのがよく分かる顔だった。
食べたいと言っていたラーメン屋に並んで、幾つか気になっていた店を回る間に聞いた話によると、夏季の短期バイトをこなし、海に行き、夏祭りを回り、旅行にも行ったそうだ。
とてもじゃないが、俺には真似できない生活をしている。尊敬に近い感心を抱いた俺が思わず「すごいな」と言うと、「何が」と笑いが返ってきた。
最後に入ったカラオケボックスで、入れる曲が見つからない間に流れ始めたアーティストの映像を眺めながら、ハヤトはふとした調子で尋ねてきた。
「そういや、マンションに住む仕事は続けてんの?」
「ああ、まあ。うん」
「あの変な奴って引っ越したんだっけ」
「変な奴?」
聞き返してから、年明けのハヤトとの通話を思い出した。隣人から貰った写真から呼びかけているらしい声が、機械越しに聞こえていた件だ。
年始の飲みの際にも『変な声』に言及された覚えがある。あれから半年以上経つのに未だに記憶に残っているあたり、多分、気にかける程には害のあるものに聞こえたのだろう。
実際、鏡餅の件で来てもらった時の伊乃平さんは、俺から告げた訳でもないのにあの写真を持って帰って処分してくれた。今更ながら、あのまま棚に放置しておくのはよろしくない代物だったのかもしれない。
「あー、あれな。もう大丈夫だから」
「ほんとか~?」
「ほんとほんと」
ハヤトが腑に落ちない顔をしているのは、俺がこういう時に肝心なことを話さないと知っているからだろう。隠している訳でも何でもないし、本当ではある。
何をどうして片付けてもらったのかは知らないので、説明のしようがないだけだ。結果として、もう解決したので本当に心配がない、と告げる他に言いようがなかった。
解決した、と口にした瞬間、つい最近聞いたばかりの声が脳裏に過った。それは凪宮さんのものであり、隣人のものでもあった。解決、という言葉のそぐわぬ響きを思い出して、少し眉が寄るのが自分でも分かった。
今回のこれは、放置しておいても問題ないもの、だろうか。写真と同じく、放っておいてはならないものなのだろうか。
近頃、七〇五号室の扉の下からは、黒い水のようなものが流れ出ている。涙かもしれないし、別のものかもしれない。たとえばそう、一塊になった筈の家族、だとか。
凪宮さんは確か、『君も入信者なのか?』と言っていた。君も、ということは、他にも入信者の心当たりがあるということだ。凪宮さんは、母が死んでからも自分に迷惑をかけている、と言っていた。死んだ後にも迷惑をかけるようなこととはなんだろうか? あの人は確か、なんとか様――たまぐす様?だとか何かに頼っていた筈だ。
そういえば、と思い出した。
「なあ」
「んー?」
「お前のばあちゃんの名前って、ミヨコであってる?」
画面に顔を向けていたハヤトが、此方に目を向ける。片手に持ち上げたグラスが中途半端な位置で固まった。
俺の記憶が確かなら、ハヤトからは彼の弟以外の家族の名前を聞いたことはなかった筈だ。だから多分、これが本当にハヤトの祖母の名前だと言うなら、あの人と、ミヨコさんは同じ人間を信じていたことになる。
「合ってるけど。なんで?」
「いや、別に。そうかなって」
口にしてから、もっと他に言いようがあったな、と思った。たとえば、初めにあの人からたまぐす様だとかいう人の話を聞いていて、そこにハヤトの祖母の話が出ていた、だとか、誤魔化す方法はあった筈だ。ただもう、口から出てしまったものは取り返しようもない。
万が一にもひっくり返したりしないようにか、ゆっくりとグラスをテーブルに戻したハヤトは、やや大袈裟な仕草で大きく息を吐いた。
「お前さー、電話のアレもそうだけど、普通にそういうの怖ぇからやめろよな」
「悪い」
謝る他に返答のしようもなかった。俺の言動に恐怖を抱かせてしまったとしたら、その怖さの由来は隣人なのだが、説明してみたところで、それこそ真に恐ろしい話でしかない。
「マジで、リストとか回ってんのかと思ったわ」
「リスト?」
「入信者リスト」
ハヤトにしては珍しく、心底うんざりしたような声音だった。溜息と共に軽く頭を掻いて、ソファの背に強く身体を預ける。
「やっぱり身内がそういうのハマってたってなると、情報とか回ってるみたいでさ。結構来るんだよね、変な勧誘」
「それは……大変だな」
「だろ? 二人とも思い出すのか、ちょっと空気ピリつくし」
勘弁だわー、と溢すハヤトの顔は少し険しいものだったが、声音はあくまで軽かった。重苦しく話すのを嫌っているのはいつものことだ。
「前にもさ、祖母ちゃんの話しただろ?」
「ああ」
「その団体から寄付金がどうとかの連絡が来ててさあ。なんか、資金繰りとか苦労してる感じらしくてしつこかったんだわ」
この時点で、ハヤトがカラオケに寄った理由をなんとなく察した。
あまり人に聞かれたくない話をするにも、話したくなるまで時間を潰すのにも向いている場所だ。
「なんかこう、終わったと思ってたのに後から色々出てくんのって、怠いよなー」
自分の方で問題があった時に、俺のことも思い出したのだろう。俺はハヤトにはあの人が『いなくなった』としか伝えていないが、事後処理だのなんだので面倒が起こることも十分にあり得るわけで。
そして大体、面倒が起こったとしても俺が自分から言うような人間ではないことを、ハヤトは知っている。
実際、俺はこの間『父親』と会ったという話を、ハヤトにするつもりはなかった。今この時までは。
色々と俺には訳の分からない状況になっていて、整理するためにも話し相手がほしかったのもあった。
前の職場に父親の知り合いが来たこと、職場の人が探してくれたので父親に会いに行ったこと、その際の話から、何やら面倒なことになっているらしいと分かったこと。
その面倒とやらがあの人に関係していて、そこから父も被害を受けているらしく、どうも宗教団体絡みのいざこざなのではないかと思って、ハヤトの祖母について聞いてみたのだ――と説明したところ、ハヤトは話の途中から大きく口を開け、最終的には深い溜息を落とした。
「はー、お前って、マジでいつもめんどいことに巻き込まれてんなあ」
もはや感心したような口振りだった。すげーな、と初めのお返しのように呟かれて、曖昧な笑みを返す。
「なんだろーな。タカヒロの親父さん?も、体調不良にかこつけて、変な儀式だのなんだのが必要だって言われて幾らか持ってかれたのかもな。先祖のなんたらだの、悪縁を切るだの幸運を呼び込むなんだの、祖母ちゃんも結構色々吹き込まれて金払ってたっぽいし。その辺は説明してくんなかったの?」
「ほとんど何にも。もうその団体とは関わらなくて済むようになったから、今更何も話したくなかった、ってことかもな」
ふうん、と呟いたハヤトは、少し首を傾げたまま、俺が伝えた凪宮さんの言葉を思い返しているようだった。
「たださー、そうなると最初にお前を探してたってのも、なんか変な話じゃね? だって、結局タカヒロがいなくても解決したってんなら、最初っからその方法で片付けておけばよかった訳だし?」
確かにそうだった。ハヤトには言わなかったが、凪宮さんは俺に生き霊?のようなものを飛ばす程には、此方を探すことに熱心だった筈なのだ。
顔を合わせた時には、話を聞きたくて探していたとは言っていたが、恐らく真実ではない、と思う。かといって、彼が語った言葉の中には真実に辿り着けそうな情報もなかった。
「向こうが俺に用があった筈なのに、会いに行ったら何も聞かされずに帰されたから、ちょっと変だなとは思っててさ」
「だよな~」
小さく唸り声を上げたハヤトが、後ろに伸びをするように両腕を持ち上げる。しばらく目を閉じたのち、ハヤトは此方に顔を向けた。
「あ。もしかしたら、電話番号残してるかも」
「番号?」
「寄付金の話で連絡しつこかった時にかかってきてた番号。着信拒否しても続いてたから、たぶん信者の人がローテでかけてきてたんじゃねーかな。こっちから掛けたら、なんか聞けたりするかもじゃん」
「……なるほど?」
「まあ、変なのと関わるのもよくないだろうし、俺としてはあんまおすすめはしないけど、訳分かんないまま済まされるのも気味悪いもんな~」
凪宮さんが警戒していたのが、あの人が関わっていた団体だというのなら、何かしら事情は知っているかもしれない。
少なくとも、あの人はたまぐす様とかいう人に俺の居場所を見てもらおうとしていた――実際、それによって俺の住まいを突き止めていたらしい――のだし、そういう不思議なことを起こせる人間がいるのは確かだ。
「後で送ろうか?」
「じゃあ、一応頼む」
「おっけ。あ、もし血迷って直で行くとかになったら呼べよー、ああいうとこって一人で行くと不味いらしいし」
「流石に行かないって」
とは言いつつも、頭の片隅で少しだけ浮かんだりはした。たとえば、たまぐす様とやらは、澄江由奈の問題を解決したりは出来るんだろうか?
それは隣人を頼ることと比べると、どちらが危ないのだろう。などと考えたところで、退室10分前の電話がかかってきた。
ところで。一つ気になったことがあったので、空気を変えるついでに、突っ込んでおいた。
「入信者リストが出回ってたとしたらさ、それ経由で知ってたとしたら俺はどういう立ち位置なんだよ」
「そりゃあ、とうとう道を踏み外したか?ってなるよな」
「闇バイト?」
「そう」
そんな訳ねーだろ、という思いを込めて軽く叩いておく。返ってきたのは笑い声だった。
「ま、その時は縁切る前に説得くらいはするから」
あくまでも軽い調子だったが、本気であることは分かった。本気、というのは、説得についてもだが、縁を切る方向に、でもあった。
他人を害してまで何かしようという人間を許せる性格はしていないので、至極当然の話だ。
「お前も俺が変な勧誘し出したら止めてくれよな~」
「ハヤトが? いや、無いだろ」
誰よりもそういうのは避けていて、嫌っていて、警戒もしている。この世にある中で一番縁遠いもののように思えた。
確信を持って断言した俺の前で、最後に飲み干してグラスを空けてから、ハヤトが言う。
「なんかさあ、あんまり嫌ってると、何かの拍子に逆にそっちに寄りそうな気がするんだよな。分かる? 変なこと言ってるかもだけど」
「あー……まあ、なんとなく」
人間、嫌なことばかり強く記憶するようになっているもので、意識しないで済むほどに遠くにあるものより、常に近くにあるものから与えられる影響の方が強い気がする。そういうことを言っているのなら、分からなくもなかった。
「そんなんで友達無くしたら最悪すぎるじゃん。俺も実際、友達少ないからさあ」
何も言わずにいたものの、俺の顔に『嘘を吐くなよ』と書いてあったのか、目が合ったハヤトはからからと笑った。




