『影』
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「友達から聞いた話なんだけどね」
中学生の時の話だ。
『変な影が出来る公園がある』という話を、同級生のHから聞いた。その公園はとある神社の前にあり、鳥居の手前側が小さな公園になっているらしい。
その公園で遊んでいると、時折影に妙な変化が起きるそうだ。
たとえば、足が一本増えていたり。お腹まで二つに裂けていたり。腕がやたらと長く見えたり。
見間違えではないのか、と聞いた友達に、Hはスマホの画面を見せてくれたそうだ。なんでも、神社の口コミを載せているサイトがあるらしく、すぐ前にある公園のことも書かれているのだという。
「たまに、『影で遊ばないでください』って口コミがついてるんだよ」
正しく言えば、『影遊びをしない方がいいです』『変な遊びに誘われますがやめた方が良いです』といったものがついているそうだ。そして、数日が経つと消されてしまうのだと言う。口コミサイトの仕様から考えるに、投稿者が自分で消しているようだ、とHは語った。
何が起こるのか気になって、友達はHを含めた同級生三人と件の公園を訪ねた。他二人はそれぞれ、MとEとしておこう。
その公園には柵で囲まれた砂場と、雲梯がつながった滑り台、そして座板が柔らかいタイプのブランコがあった。
時間帯の都合か、それとも例の口コミが関係しているのか、他に人気はなかったそうだ。
天気は快晴で、友達たちの影はくっきりと地面に映っていた。
「何にも変なこと起こんないな」
「ガセだよガセ。口コミも悪戯なんじゃん?」
「えーでも、一人が書いてる訳じゃなさそうだったけどなあ」
Hはレビューを見つけたのが自分だからか、少しこだわっているような様子で、腕を振りながら影を確かめていた。
どのくらいそうしていただろうか。日差しの強さに少しうんざりし始めた頃、「あっ」とMが声をあげた。
「今増えたよ」
ほら、と指を差した先で、振られているHの片腕が、確かに増えていた。振っている腕の他に、身体の横にもうひとつ腕がある。
最初は驚いて動画を撮ったりしたものの、変化はそれだけで、それ以上に面白いことが起こる訳でもない。
肝試しとして考えてみても、明るい場所で見なければ起きないようなことなので大した恐怖もなく、友達たちはすぐに飽きてしまった。
「呪われるかもよ」などと茶化しながら帰って、その後は公園のことなど忘れてしまった。
「影遊びの公園ってあったじゃん? 変な遊びに誘われますってやつ」
一週間ほど経って、浮かない顔をしたEからそんな風に切り出された。
「あれさあ、公園で誘われるんじゃないっぽい」
聞けば、公園での一件があってから、家の中で何かに声をかけられるのだという。
室内を暗くした時に、「あそびませんか」と誘われることがあるそうだ。状況的に、就寝時が一番多くなる。寝る前になって、部屋の明かりを落とすと、何処からか「あそびませんか」と誘われるそうだ。
例の公園で遊んだせいだと思ったが、家族の誰に相談することも出来ず、そのまま無視して寝る日々を過ごしているという。
「お前は?」と聞かれたので、友達は首を振った。友達のところにはそんな誘いは来ていない。Eはあからさまに落胆した様子になり、MもHもそんな声聞いてないんだよ、と愚痴をこぼした。
代わりに、というか、更に嫌なことに、Mからは、あの日撮った動画が真っ黒で見えなくなった、と教えてもらったそうだ。言われて確かめてみると、友達が撮ったものも観れなくなっていた。
どうせならHのところに現れるべきじゃないか?などと軽い調子で愚痴を続けるEに、確かにそうだな、とは思った。影に変化が起きたのはHだけだったからだ。
影が出来るには明かりが必要だと思ったが、その何かは、どういう訳か、暗くなってからやってくるらしい。
誘いに乗るつもりは一切無いが、断るのも逆に怖く、無視するしかないと無理して寝ているそうだ。
溜息を吐くEに、友達は少し考えてから提案してみた。
「電気をつけて寝れば?」
「俺もそう思ってやってみたんだよ。電気代が~って母ちゃんがうるさいけど、変なの来るよりマシだし」
そしたらさ、とEは更に困り果てたような顔をして言った。
「ブレーカー落ちちゃって」
両親は既に寝ていて、部屋でパソコンを使っていた兄だけが気づいたそうだ。慌てて上げ直したらしいが、もしも全員寝ていて誰も気づかなかったら、と思うと、もう一度試すつもりにはなれなかった、とEは語った。
その後、しばらく寝不足気味だったようだが、更に二週間ほど経った頃にはEは調子を取り戻したようだった。
「無視してたら帰ったっぽいわ」
帰った、と聞くとなんだか変な感じがしたが、確かに公園にいたのがやってきたのだから、いなくなったなら、戻ったのだろう。
サイトに書かれていたのも、『遊びをしないでください』と『やめた方がいいです』といった文言だ。
Eから話を聞いたHも、もっと直接的に『呪われます』だの『やってきます』だの書かれていたのなら危なかったかもしれないが、誘いに乗らないだけで対処可能だから、あの程度の内容で済んでいたのかもしれない、などと語った。
「遊んでたらどうなってたんだろうな、試してみてくれりゃよかったのに」
Hの言葉に、Eは冗談交じりに彼の頭を叩いた。友達も少し呆れたが、無事だったからこそ言える冗談だった。
そこでふと、Mが思いついたように言った。
「もしかして、止められないように消してんのかな」
不思議そうにするEに、Mは続ける。
「ほら、電気も消せるような奴だし。止められないように、口コミ消すとかもしてそうじゃん? 本当に危ない目に遭った人はそもそも書き込めてないのかもね」
Mは何気なく言ったつもりだったようだが、そこで全員が、撮った動画がまったく真っ黒で何も見えなかったことを思い出したそうだ。動画に干渉できるような存在なら、そういったことをしていてもおかしくはない、と全員が思ったのが、お互いの顔を見れば分かった。
その後、その公園に行くことは二度となかった。ただ、思い出した時にサイトを見ると、今でもたまに更新があるのだという。
変わらず、『影遊びをしないでください』と書かれているそうだ。
「怖かった?」
「ああ、怖かったよ」
サイトに影響してくるのも怖いが、何より、物理的に干渉してくる存在は特に怖い。取り憑かれておかしくなる、みたいな話だって怖いに決まってるが、得体の知れない存在が現実的な迷惑を起こす状況になった方が怖い気がする。だって、ブレーカーが落とせるなら、別のスイッチだって弄れるかもしれないからな。電化製品を壊されたりするのには、別の恐怖がある気がする。まあ、こいつが与えたい恐怖とはベクトルが違うんだろうが。
「そもそも、影自体が結構怖いもんだしなあ」
夜更かししている時はもちろん、深夜のコンビニバイトなんかでも、ふとした時に予測しない形で動く影を見ると、少しぎょっとする時がある。見間違いでも怖いのだから、実際に得体の知れないものがいるとなれば、更に怖いだろう。
そういえば。
このマンションにも短期入居関係のレビューサイトがあるのだが、こいつはあれを認識しているのだろうか。
会員登録無しでも見られる範囲に並んだ、『ありがとうございます』の文字が頭に浮かぶ。
サイトの存在には、入居してしばらく経ってから気づいた。入居当初はそれどころではなかったというのもあるが、短期入居者向けのサイトだったので、俺には直接関わりがなかったというのもある。
初めに見た時から幾度か覗いてみたこともあるが、特別変化はなかった。レビューの数も、特に増えることも減ることもない様子だ。
削除されていないということは、直接的な害があるものでもないのだろう。ただ、居住者が能動的に知ろうとした時にどうなるのかまでは予測できないので、わざわざ覗きに行くつもりもなかった。
注意事項はいくつかあるが、入居者に対し求められるのは基本はひとつだけだ。『隣に住んでる友人と必ず仲良くしてください』。これがある限り、隣に住んでいるあいつは俺の友人だし、俺もあいつの友人である。そして、必ず仲良くしなければならない。
何度見ても、変な文言だな、と思う。普通は、仲良くなるから友人になるのであって。順序がめちゃくちゃだ。
なんだかな、と思いながら、俺は引っ込んでいこうとする〝友人〟に向けて、軽く放るように言葉を投げた。
「そういや、行ってきたよ」
「どこに?」
「凪宮さんのところ」
「ああ」
自分で提案した割に、すっかり忘れているようだった。丸く開いたままの口が僅かに上を向いて、管状の身体が斜めに曲がる。
「どうだった?」
「どうもこうも、って感じだな。なんだっけな、もう解決したから、って言われて、何も聞けなかった」
よって、澄江由奈の問題は何一つ解決していない状態である。もはや手紙も来なくなった。扉ももう何日も開いていない。開いているのも恐ろしいが、困ったことに、閉じ切っているのも逆に不気味に映った。
ぼやくように零した俺に、隣人はそれまで上向きに逃していたのだろう視線を、此方へと落とした。少し上から見下ろしてくる管状の口が、くにゃり、と曲がる。
「解決」
明確に、笑い混じりの声だった。そのまま、名残が残る声で続けて呟く。
「解決かあ」
隣人はそのまま、しばらくの間、ひとりでくふくふと笑っていた。どうやら余程面白く思っているようで、きっと、それは俺だとか、凪宮さんだとか、あと多分、澄江由奈なんかにとっては、あまり面白くないことなのだろう、とは思った。
「……違うのか?」
「うーん? うん、ううん」
「…………」
「まあ、死ななかったからね」
随分とあっさりとした響きだった。隣人の中では、納得がある結論らしい。いつぞやに聞いた、早く死ぬといいね、とほとんど同じ温度の声音だった。そして、それきり、特に言葉を続ける様子もない。
早く死ぬとよかったね、などと言い直される気配もない。まあ、いざ顔を見た後にそんなことを言われたりしたら、流石に居心地が悪いので、言われなくてよかったな、とは思った。
黙り込んだ俺の表情をどう捉えたのか、隣人は六本指を軽く折り曲げながら、軽い調子で言った。
「大丈夫だよ。タカヒロは困らないよ」
「……俺以外には困っている人がいる?」
「そう」
「……澄江由奈?」
「人?」
…………。まあ、澄江由奈は、もう、人ではないか。
続けるべき問いが見つからず、中途半端に口を開いたまま何度か目を瞬かせた俺に、隣人は聞かせるでもない声で告げた。
「ジュリナは母をやり、妻になり、娘に戻った」
「…………」
「解決だね」
結局、さっぱり分からなかった。あの人は元から、母であり、妻であり、娘でもある。それがなんの解決になるのだろう。
つい、答えを求めて視線を向けた先で、丸い目玉と目が合った。
「タカヒロは親にならないの?」
一瞬、何を聞かれたのか分からず固まってしまった。これまでの会話のほとんどを忘却した俺の視界には、つるりとした目玉があるだけだった。目は口ほどに物を言う、なんていうが、口だけがあるよりも更に無機質に見えるのは何故なのだろう。
何をそんな、親戚みたいなことを突然に。いや、俺は言われる機会なんてないんだが。完全にドラマか何かのイメージである。
なんと答えようか、と考えるだけの余裕すら払う程の、奇妙な焦燥が胸を支配していた。
「な、りたくはないな」
考えを詰めるよりも先に、素直な気持ちが口から零れ出ていた。別に、なりたくはない。なったところでどうしようもない気がする。なれるとも思っていない、と言えば更に正確である。
たとえば俺は、自分が神藤さんのような父親になれるとはちっとも思えない。そもそも神藤さんのように立派な人間ではない、という前提をさておいたとしても、俺は自分が父親になる、という状況そのものが欠片も想像できなかった。
仮に、という想像を置こうにも、その想像を組み立てる基礎すら建たないような有様だった。なんたって、親と聞いて、あったばかりの本当の父親より、神藤さんの顔が浮かぶくらいだ。
謎の疲労感が胃に溜まっていくのを感じて、知らず胸元を摩る。
「じゃあ、息子のままだね」
「そう……なの、か? いや……?」
そう言われれば、言われたで、此方としては困惑するところはある。まあ、そうか。母であり妻であり娘である話をしていたのだから、俺は何にもならず息子のままある、という話になるのかもしれない。
ところで。あの人の息子でなくなった場合、俺はこいつにとっては子供でもなくなるのだろうか? 年相応に見えていると同時に、五、六歳に見えている、とは言われていた。その理屈に繋がるものが、今回の捉え方にも繋がっているように思える。
もしかすると本当は、それこそ、本物の子供が住む方が向いている、のかもしれない。向いている、というだけで、実際に許されることはないだろうが。
それ以上何を言うでもない隣人を見送ったところで、ポケットに入れていたスマホが小さく震えた。
画面を見ると、表示されていたのは、ハヤトからのメッセージだった。
『遊び行こうぜ~』




