第三話:第15軍の3個師団
「ミリタリーコンカフェ『Tactical Maids & Armory Cafe — Bullet & Lace』、本日空き席ございます! 銃火器に囲まれた隠れ家アジトで、美味しいお酒はいかがですかー?」
秋葉原のメインストリートから一本入った路地裏。雑居ビルの1階入口前で、レナは手作りのビラを手に声を張り上げていた。
黒フリルの短丈メイドドレスに、実物のマルチカム・ブラックのプレートキャリア。通りかかる歩行者の視線をチラチラと集めはするものの、今日は週の半ばの平日ということもあり、週末のような賑わいにはほど遠い。客足はかなりまばらだった。
(うーん、今日はちょっと静かだなあ……)
そんなことを考えていたその時、右耳に装着したインカムからプチッというノイズと共に、先輩キャストの声が飛び込んできた。
『レナちゃん、レナちゃん。今表にいる? 今日出勤キャスト少なくて手が回りそうにないから、一度戻ってチェンジに入ってもらえる?』
「了解です! ただちに帰還(帰店)します!」
レナはビラを丁寧にポケットへ収めると、重厚な木製ドアを押して2階の店内へと戻った。ほのかなガンオイルと香ばしいコーヒーの匂いが鼻腔をくすぐる。
「レナちゃん! 奥のボックス席……さっきのサラリーマン三人組のお客様のところ、お願いね!」
「はいっ!」
指示されたのは、本日最初の20分を担当した商社勤務の同期三人組――藤堂、桧山、鈴木のテーブルだった。
「ご主人様方、戦線へ戻ってまいりました!」
レナが笑顔でテーブルに近づくと、豪快にビールジョッキを傾けていた藤堂が「おお!」と声をあげた。
「あ、おかえり! 早いな!」
「今日は平日で出勤キャストが少なくて……また私で申し訳ございません!」
レナがぺこりと頭を下げると、眼鏡をかけた桧山が笑いながら手を振った。
「いやいや、レナちゃん大歓迎だよ! 最初の20分、よかったからさ」
「ありがとうございます! 補給物資(追加ドリンク)のオーダーはよろしいですか?」
「おう、ビール追加で! レナちゃんもSサイズの乾杯ドリンク、もう一杯飲みなよ!」
「本当ですか!? ありがとうございますっ!」
手際よくドリンクを運んできたレナが「プロースト!」と乾杯を交わすと、それまで静かにグラスを傾けていた鈴木が、意を決したように眼鏡のブリッジを指で押し上げた。
「……あの、レナさん」
「はい! 鈴木様、なんでしょうか?」
「さっき、僕が『少しだけ戦史に興味がある』って話をしたの、覚えてるかな?」
「もちろんです! 続きを聞かせてくださる約束でしたもんね!」
鈴木は少し照れくさそうに、しかしどこか強い熱を孕んだ瞳でレナを見つめた。
「実は……ずっと気になっていたことがあってね。もし良かったら、少しだけ戦史の話をしてもいいかな?」
「はい! ぜひ聞かせてください!」
レナが身を乗り出すと、鈴木は深呼吸をひとつ置き、静かに、だがはっきりとその言葉を口にした。
「インパール作戦の……日本軍について、レナさんはどう思う?」
その単語が出た瞬間、となりの藤堂が吹き出しそうになった。
「ぶっ……! おいおい鈴木、インパールってなんだよ! 随分とマニアックな話題だなー!」
桧山も苦笑いを浮かべながらツッコミを入れる。
「コンカフェの可愛いメイドさんに振る話題じゃないだろ! 普通はおすすめのアニメとか、美味しいスウィーツの話とかさあ……」
しかし、レナの反応は彼らの予想を大きく裏切るものだった。
「――インパール作戦、ですか!」
レナの瞳がパッと輝き、まるで獲物を見つけた猛禽類のように前傾姿勢になった。
「1944年、旧日本陸軍がビルマ(現ミャンマー)からインド作戦領域への侵攻を図った、あの『史上最悪の作戦』と呼ばれる補給無視の無謀な大攻勢ですね! 牟田口廉也中将が指揮をとった、あの作戦ですか!?」
「なっ……!?」
藤堂と桧山が同時に目を見張る。まさかコンカフェのメイドから「牟田口中将」なんて固有名詞が即座に飛び出すとは思ってもみなかったのだ。
鈴木は驚きと歓喜が混ざり合ったような表情を浮かべ、大きく頷いた。
「そう! まさにそれだ! 補給線を無視した『ジンギスカン作戦』……牛に荷物を運ばせて最後に食料にするという計画が頓挫し、白骨街道と呼ばれる惨劇を生んだ……。でも、僕が特に語りたいのは、そこに投入された『3つの師団』の運命なんだよ」
「第15師団(祭)、第31師団(烈)、そして第33師団(弓)ですね!」
レナは暗唱するようにスラスラと師団名と兵団文字符を口にした。
「まさにその3つだ! 特に佐藤幸徳中将率いる第31師団……『烈兵団』のコヒマ攻略戦と、その後の『兵術の常識を覆す師団独断撤退』について、君はどう評価する?」
「わあ……そこに来ますか!」
レナは胸の前で手を合わせ、感嘆の息を漏らした。
「一般的には『抗命撤退』として批判されることも多い佐藤中将ですが、私は究極の現場主義だったと思っています! 補給も弾薬も途絶え、飢餓と病魔で部下が次々と倒れていく中、大本営や軍司令部からの『死守せよ』という精神論だけの命令を突っぱねて、部下の命を守るために独断で退却を開始した……。司令官としての責任と、人間としての倫理の狭間で苦しんだ末の苦渋の決断だったはずです!」
「その通り! 僕も全く同じ意見なんだ!」
鈴木の顔がパッと華やいだ。普段、会社では控えめで静かな鈴木が、まるで少年のように目を輝かせ、早口で熱弁を振るい始める。
「特にあの苛烈なコヒマの英印軍との陣地戦……弾薬が底をつき、負傷兵を抱えた状態での防衛戦は悲惨を極めた。にもかかわらず、ビルマ方面軍司令部は『なおも攻撃を継続せよ』の一点張りだった。佐藤師団長が『軍司令部には補給の観念がない』と激怒して打電した気持ち、すごく理解できるんだよ!」
「分かります! そして、山県武光少将率いる第33師団(弓兵団)の激闘も見逃せませんよね! インパール南方のシュネルを目指して、一番の激戦区で死力を尽くして戦い抜いた……。柳田元三中将から作戦途中で師団長が交代するなど、凄惨を極めた戦況の中でも、将兵たちの粘り強さは凄まじいものでした」
「そうなんだよ! そして第15師団(祭兵団)も、山内正文中将が病に侵されながらも中央からインパールへと迫った。しかし、どの師団も限界を超えていた……。結局、指揮系統の機能不全と、現場を無視した無理な作戦立案が、取り返しのつかない悲劇を生んだんだ」
「はい。兵器や弾薬のスペック以前に、『ロジスティクス(後方支援・補給)』を軽視した組織がどう辿るかという、歴史上もっとも痛烈な教訓ですよね。うちのオーナーも元PMCのロジスティクス担当ですから、『補給のない戦いは殺人と変わらない』ってよく言ってるんです!」
二人の会話は止まることを知らなかった。
31師団の撤退ルート、コヒマの戦いにおける英第2師団との戦闘規模、補給線の重要性、そして悲劇の作戦が現代の組織運営に与える教訓まで――。レナと鈴木は弾丸のようなスピードで専門用語を飛び交わせ、20分という時間をフルに使って熱く語り合った。
その横で、藤堂と桧山は呆気にとられたようにポカンと口を開けていた。
「……なあ桧山」
藤堂が呆れたようにポツリと呟く。
「俺たち、今どこにいるんだっけ? アキバのコンカフェだよな?」
「さあな……。俺には今、ここが防衛大学校の校舎に見えるよ」
桧山が苦笑しながら、ビールグラスをあおる。
しかし、二人とも決して嫌な顔はしていなかった。普段は会社で提出書類のチェックやデスクワークを淡々とこなし、飲み会でも聞き役に回ることが多い鈴木が、これほどまでに生き生きと、情熱的に自分の好きなことを語っている姿を初めて見たからだ。
「まあでも……鈴木があんなに楽しそうに話してるの、入社以来初めて見たかもな」
藤堂がニッと笑う。
「だな。いつも大人しいから心配だったけど、あいつ、こんなマニアックな引き出し隠し持ってたんだな。おもしろいじゃん」
桧山も満足そうに頷き、楽しそうに酒を重ねていく。レナと鈴木のディープすぎる戦史トークは、三人組のテーブルに思いがけない最高の酒の肴を提供していたのだった。
ピピッ、ピピッ、ピピッ――。
やがて、レナの腰につけられたタイマーが、ごく小さな電子音を鳴らした。同時に、店内全体を管理する60分のタイムアップを知らせるランプが、テーブルの端で静かに点滅する。
レナは胸元の名札を整え、深々と一礼する。
「さてお時間ですが延長しますか?」
レナが笑顔で尋ねると、藤堂が満足そうにお腹を叩いて笑った。
「いやー楽しかった! でも、もう帰るからチェックで」
「かしこまりました! ただちに『戦果報告書(伝票)』をお持ちいたしますね!」
レナは手際よくお伝票を準備し、テーブルへと差し出した。基本エントリー料金と、追加のビール、キャストドリンク代を合わせた明朗な会計だ。藤堂が代表してスマートに支払いを済ませる。
「鈴木様、今日はお話しできて本当に楽しかったです! 補給の大切さ、改めて勉強になりました!」
「僕もだよ、レナさん。こんなに深く語り合えたのは初めてだ。またぜひ来させてもらうよ」
鈴木は眼鏡の位置を直し、どこかすっきりとした晴れやかな笑顔を見せた。
「おう、また来るわ! 次は俺にも分かりやすいミリタリーの話頼むな、レナちゃん!」
「ありがとね、楽しかったよ!」
藤堂と桧山も上着を羽織りながら、楽しそうに手を振る。
お会計を済ませ、3人は「作戦完了!」とばかりに満足げな表情で店を出て行った。ドアが閉まり、真鍮のベルがカラリと涼やかな音を立てる。
自分の好きな知識でご主人様に最高の時間を届けられた満足感に、レナは胸のプレートキャリアをポンと誇らしく叩いた。そして、次の「ご主人様」を出迎えるため、軽やかな足取りで静かな店内へと戻っていくのだった。




