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第二話:居眠りご主人様の作戦行動

「レナちゃん、次は奥のカウンター、工藤様の席お願いね」

先輩キャストから声をかけられ、レナは「はい!」と元気に返事をして胸元の名札を整えた。

藤堂、桧山、鈴木のサラリーマン三人組との賑やかな20分間を終え、次に向かうのは店内奥の静かなカウンター席。そこに座っているのは、この店で少し特別な有名人――常連の工藤(くどう)だった。


壁一面に無可動実銃やリアルなエアガンが並び、ほのかにガンオイルと挽きたてコーヒーの香りが漂うこのディープな空間において、工藤という男の存在感はひときわ異彩を放っていた。

工藤は、いつも決まった時間に来店する。 キャストの指名は一切しない。 注文するのは決まってウイスキーのロックをグラスで一杯だけ。 そして――ドリンクが運ばれてくると、一口ちびりと口に含んだ後、すぐにカウンターに突っ伏して眠ってしまうのだ。

キャストたちの間での彼の通称は、『居眠りご主人様』。


20分ごとにキャストがチェンジし、新しいメイドが「ご主人様、お飲み物いかがですか?」と声をかけると、工藤は薄目を開けてパチッと目を覚ます。そしてグラスのウイスキーをまた一口だけちびりと飲み、満足そうに吐息を漏らすと、吸い込まれるように再び夢の中へと戻っていくのだ。

そして60分の基本システムが終了する頃になると、まるで体内に正確な腹時計でも仕込まれているかのように自然と目を覚まし、お会計を済ませて風のように去っていく。


言葉を交わす機会が一切ないため、店の誰も工藤の詳しい素性を知らない。 昼間は何をしている人なのか。 純粋にお酒が好きなのか。 このミリタリーな空間の何が気に入っているのか。 それとも、単に家ではないどこかで安全に昼寝をするためだけに毎夜通っているのか。 その真意は、キャストの誰も掴めずにいた。

(工藤様か……どんな方なんだろう)


レナはカウンターを挟んで工藤の冷えたウイスキーグラスの水滴を拭いた。

「工藤様、キャスト交代しました、レナです。」

声をかけると案の定、工藤はゆっくりと体を起こした。年齢は40代半ばから50代手前といったところだろうか。使い込まれたシックなスーツを身に纏い、短く整えられた髪には少し白髪が混じっている。目元には深い疲労の影が見えるが、その立ち振る舞いにはどこか凛とした静けさがあった。

工藤は声を出さず、ただ静かに一度だけ頷いた。 そして、琥珀色の液体が満ちたグラスを手に取ると、丸氷がカラリと涼やかな音を立てる。一口だけ、慈しむようにちびりとウイスキーを口に含み、喉を鳴らした。

グラスをカウンターに戻すと、工藤の瞼が吸い寄せられるように重くなっていく。 わずか数十秒の出来事だった。彼は再び腕を組み、カウンターに深く突っ伏して、規則正しい小さな寝息を立て始めたのだった。


(本当に……一瞬で寝ちゃった)

レナは思わず目を丸くした。

店内には、ガンラックに飾られたアサルトライフルやハンドガンの重厚な質感、他のテーブルから聞こえるキャストたちの華やかな声やグラスの触れ合う音が満ちている。お世辞にも「静かな寝室」とは呼べない環境だ。それなのに、工藤の周りだけは不思議なほど穏やかな静寂が保たれているように見えた。

レナは起こさないよう息を潜め、カウンター越しにそっと工藤の寝顔を観察した。

(お仕事、すごく大変なのかな……。でも、ここって居酒屋でもないし、静かなバーでもないのに。なんでわざわざミリタリーコンカフェで寝るんだろう?)


ふと、レナの頭の中に幼い頃の記憶が蘇った。 父親の書庫で読み漁った、古今東西の戦史本やミリタリーの知識。

軍隊における「休息」とは、単なる怠惰ではない。激しい戦闘や過酷な任務の合間、いつ敵の襲撃を受けるか分からない緊張状態の中で、兵士たちが心身を維持するために行う最も重要な「作戦行動」の一つ――それが休息( bivouac )だ。

そして、兵士が本当に深い眠りにつけるのは、ひとつだけ条件がある。 そこが「絶対に安全な陣地(セーフハウス)」であると、本能が確信している時だけだ。

(……あ)

レナは店内の光景を見回した。 シックなダークウッドのインテリア、壁一面の頑丈な鉄の銃器、そして元PMCロジスティクス担当のオーナーがこだわり抜いた重厚なドアとセキュリティ。表向きは華やかなコンカフェだが、この空間全体が醸し出す「強固な砦」のような独特の空気感。

さらに、キャストたちは明るく笑顔でおもてなしをしつつも、常に店内の安全に気を配っている。

もしかすると、工藤にとってこの『Bullet & Lace』は、日常の過酷な「戦場」から逃れ、唯一警戒を解いて鎧を脱げる「最前線のセーフハウス」なのではないだろうか。

無骨な銃器に囲まれ、火薬とコーヒーの匂いが混ざり合うこの場所だからこそ、彼は心の底から安心して眠ることができるのかもしれない。

(そう思うと……居眠りも、立派な『作戦』なんだ)

レナの唇に、自然とやさしい笑みが浮かんだ。


時間が静かに流れていく。 やがて、レナの腰につけられた小さなタイマーが、ごく小さな電子音を鳴らした。同時に、店内全体を管理する60分のタイムアップを知らせるランプが、カウンターの端で静かに点滅する。

工藤の60分の「作戦時間」が終了した。

すると、それまで深く眠っていた工藤の身体がかすかに揺れ、すっと背筋が伸びた。夢と現実の境界線を一切感じさせない、驚くほど滑らかな目覚めだった。

「工藤様。60分経ちましたよ」

工藤はゆっくりと瞬きをすると、いつもと変わらぬ低く落ち着いた声で短く告げた。

「……会計」

「かしこまりました!」

レナはあらかじめ準備していた革表紙のお伝票――この店での名称『戦果報告書』を取り出し、工藤の目の前にそっと差し出した。

「本日の戦果報告書でございます。基本エントリー料金と、ウイスキーグラス一杯分となります」

工藤はポケットから素早く財布を取り出すと、ちょうどのお札を伝票に挟み込んだ。手際が無駄なく、非常にスマートだ。

立ち上がろうとする工藤の背中に向けて、レナはいつもの接客用スマイルではなく、心からの親愛を込めた笑みを向けて問いかけた。

「ご主人様、今日も癒されましたか?」

上着の裾を整えていた工藤の動きが、ほんの少しだけ止まった。 彼はゆっくりと振り返り、レナの目をじっと見つめた。その瞳には、先ほどまでの疲労の色が少しだけ和らぎ、静かな温かみが宿っているように見えた。

「……あー、よく寝たよ」

工藤は短くそう答えると、口元をほんのわずかに緩めた。

「また来る」

「はい! ご帰還をお待ちしておりますっ!」


重厚な木製のドアが開くと、真鍮のベルがカラリと涼やかな音を立てた。工藤は一度も振り返ることなく、秋葉原の夜の街へと静かに消えていった。

彼の背中を見送った後、レナはドアのガラスに映る自分の姿を見つめ、ポンと胸のプレートキャリアを軽く叩いた。

(やっぱり……ここに来るのは何かの作戦なんだ)

過酷な日常という戦場を生き抜くために、ほんの1時間だけ羽を休めにやってくるご主人様。 会話を楽しむわけでもなく、ただウイスキーを一口飲み、静かに眠りについて体力を回復させる。それもまた、この『Bullet & Lace』というアジトが果たすべき、立派な「後方支援」の役割なのかもしれない。

「ふふ、居眠り作戦、大成功ですね」


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