第四話 トブルク陥落
前回の「トブルク包囲」の死闘から引き続いてプレイされているシミュレーションボードゲームは、ついに最終局面を迎えていた。
「よし、トブルク陥落を目指して全軍突撃だ!」
鈴木がゲーム盤上のコマを勢いよく進める。ガザラ・ラインを破られた英軍守備隊は、すでに薄くなった地雷原しか頼るものがなく、有効な砲兵支援も届かず、戦車の大半も失っていた。マップ上に残された歩兵部隊は、凄まじい勢いで攻め込んでくるドイツ第15装甲師団と第21装甲師団の前に、ただ蹂躙されていくのみだった。
「うわぁぁ、私の歩兵連隊がまた一つ全滅……! 抵抗できるだけの戦力がどこにも残ってないですよ〜!」
「ふふふ、トブルク要塞は完全に陥落した! この輝かしい功績によって、ロンメルは50歳という若さで元帥の称号を賜ったんだよ!」
「元帥昇進ですか! それはノリノリにもなりますね……って、私の連合軍側はボロボロじゃないですかー!」
レナが頭を抱えて悔しがっていると、突然カウンターの方から「あ……」というかすかな声が聞こえた。
レナが慌てて振り返ると、グラスを拭いていたセリカが急に足をフラつかせ、カウンターのフチに手をついて倒れそうになっていた。
「ゆ、ユキ……さん……」
「セリカちゃん!?」
異変に気付いたチーフのユキが、素早い動きで慌ててセリカの華奢な肩を抱きかかえるようにして支えた。セリカの顔色はどこか蒼白で、まぶたが重たそうにピクピクと震えている。
「レナちゃん、ちょっとだけあとお願いね」
「あ、はい! 大丈夫ですか!?」
ユキはセリカに肩を貸しながら、静かに奥のバックヤードへと姿を消していった。
(セリカちゃん……大丈夫なのかな? やっぱり、さっきのジョッキをキャッチした時に無理な負荷がかかって、内部のCPUが熱暴走でも起こしたんじゃ……?)
胸の中に一抹の不安と疑念を抱えつつも、レナはプロとして目の前の仕事へと意識を戻した。他のテーブルからの注文コールをテキパキとこなし、ドリンクの付け回しを要領よく捌きながら、鈴木とのシミュレーションゲームの相手も並行して続けていく。
カランコロン——。
重厚なドアのカウベルが鳴り、一人の男性客が入ってきた。この店の常連であり、サバイバルゲームの経験も豊富な桐生だ。桐生はカウンター席に座っていた舞を見つけると、親しげに声をかけて隣の席に腰を下ろした。
「よお、舞。トレーニングはどうだ?」
「あ、桐生さん! お疲れ様です! 厳しい訓練ですけど、めちゃくちゃ面白いです!」 「へえ、ヴァルキリータクティカルアカデミーに行ってるんだって?」
「そうなんです! ユリさんと一緒に行き始めたんですよ」
「あそこは本物だからな。通っていれば間違いなく上達するよ」
「えっ、桐生さんはヴァルキリーのことを知ってるんですか?」
「ああ、あそこの代表インストラクターは、俺の自衛隊時代の教官だからな」
「ええっ!? 自衛隊時代の教官さんだったんですか! どうりで教え方がすごいはずだぁ……!」
二人が盛り上がっているところへ、レナが「桐生さん、いらっしゃいませ!」と冷えたビールを運んできた。
「はい、桐生さんのビールです。舞ちゃんったら、最近すっかりサバゲのトレーニングにハマっちゃってるのよ。桐生さんが変な世界に引きずり込んだんじゃない?」
「おいおい、人聞きが悪いなレナちゃん。俺はきっかけを作っただけだよ」
「ふふ、まあ楽しそうだからいいんですけどね!」
レナが笑顔で離れると、鈴木の待つテーブル席ではトブルク陥落後の盤面整理が進んでいた。
しばらくすると、バックヤードのドアが開き、ユキが一人で戻ってきた。
「レナちゃん、店内のカバーありがとう。あとは大丈夫よ」
「ユキさん! セリカさんはどうしたんですか……?」
レナが心配そうに尋ねると、ユキは困ったような笑みを浮かべて答えた。
「ちょっと目まいがしたらしいから、奥のベッドで少し横になってもらってるわ。心配いらないわよ」
「目まい……ですか」
レナは顎に手を当てて、前々から気になっていた素朴な疑問をユキに投げかけた。
「そういえばユキさん、セリカさんって、お客様から『キャストドリンク』を頼んでもらうところを一度も見たことがないんですけど、何でですかね?」
この店のようなコンセプトバーでは、キャストがお客におねだりして一緒にドリンク(キャストドリンク)を注文してもらうことで、キャスト側にバック(手当)が発生するのが普通だ。しかし、セリカがドリンクを飲んでいる姿を見た者は誰一人としていなかった。
「さあ? 『お酒は飲めない体質なんです』って言ってたから、そのせいじゃないかしらね」
ユキは軽く肩をすくめながら、何でもないことのようにグラスを洗い始めた。
(お酒が飲めないからって、ソフトドリンクだってあるはずなのに……一度も飲まないなんておかしいわ。やっぱり……液体を摂取すると内部の精密回路がショートしちゃうからなんじゃ……!?)
レナは一人で深まる謎にゾクゾクと寒気を覚えていた。やはりセリカには、絶対に人に言えない大きなヒミツがあるに違いない。
テーブルに戻ったレナだったが、シミュレーションゲームの戦局は完全に詰んでいた。英軍側にはもはやドイツ装甲師団の進撃を食い止めるだけのコマが残っておらず、ダイスを振るたびに一方的にユニットが壊滅していくだけの作業となっていた。
「う〜ん……もう全滅を待つだけの消化試合になっちゃいましたね……」
「そうだねぇ。トブルク陥落のシナリオは、史実通りDAK側が気持ちよく勝てるように作られてるから、連合軍側は耐えるしかなくてちょっと一方的すぎるかもな」
「これなら、昔からある名作の『ドイツ装甲師団』っていうシミュレーションボードゲームをやった方が、お互いに駆け引きがあって面白いかもしれないですね!」
「あはは、確かに! 今度はそのゲームを引っ張り出してきて、フラットな条件で勝負しようか」
惨敗に苦笑いしつつも、鈴木は満足そうに最後のビールを飲み干した。
店内には相変わらず心地よいガンオイルと珈琲の香りが漂い、カウンターでは舞と桐生が戦術論議に花を咲かせている。バックヤードで静かに横になる完璧なメイドの存在に思いを馳せながら、秋葉原の夜は静かに、そして深々と更けてゆくのであった。




