第二話 大釜の戦い
お会計を終えたレナがパタパタと可憐な足音を立てて戻ってくると、セリカは「では、私はカウンターへ戻りますね」と静かに立ち上がり、すれ違いざまにレナへ優しく微笑んだ。
「お待たせしました、ご主人様! セリカちゃんに何吹き込まれてたんですか?」
レナがビールジョッキの結露を拭きながら尋ねると、鈴木はニヤリと笑いながらグラスを傾けた。
「いやね、ロンメルのチュニジア作戦についてセリカちゃんの意見を聞いていたんだよ。でさ、レナちゃんにも同じ質問をしてみたいなと思って。レナちゃんはどう思う?」
「えっ、チュニジア作戦ですか!?」
不意を突かれたレナは、「う〜ん」と可愛らしく首をひねった。頭の中のミリタリー知識の引き出しを必死にひっくり返し、うろ覚えの記憶をかき集めて言葉を絞り出す。
「そうですね……あの、米軍のパットン将軍とかと挟み撃ちになっちゃって、カセリーヌ峠の戦いでは勝てたんですけど、やっぱり補給が途絶えちゃってたのが痛かったんですよね! ウルトラ暗号で解読されて船が沈められちゃったりして……。結局、どれだけ戦術で勝ってもロジスティクス……補給が届かないと戦略的には破綻しちゃう、みたいな……!」
言い終えて「どうですか!?」と胸を張るレナ。だが、それを聞いた鈴木の表情は、感心というよりもどこか不審そうな色を帯びていた。
「……あれ?」
「え? 私、何か間違ったこと言いましたか?」
「いや、合ってる。合ってるんだけどさ……言う順番も、使ってるキーワードも、なんなら『戦術的勝利と戦略的破綻』みたいなニュアンスまで、さっきセリカちゃんが言ったこととまったく同じなんだよ」
「えっ!? まったく一緒!?」
「うん。まるで同じテキストデータを読み上げてるみたいだ。二人って……実は生き別れの姉妹か何か?」
鈴木がじーっと怪しむような視線を向けてくる。デジャヴどころではない、まるで同じAIモデルに同じプロンプトを入力したかのような一致ぶりに、鈴木の探偵心がくすぐられているようだった。
「し、姉妹だなんてそんな! 私とセリカちゃんは血も繋がってませんし、出会ったのもこのお店が初めてですよ〜!」
レナは手をブンブンと振って否定しながらも、ふと不思議そうな顔になり、カウンターの奥でグラスを磨いているセリカへと視線を向けた。
(待って……私、セリカちゃんがご主人様に話してる内容、離れた場所から聞いてなかったよね? なのに何で全く同じ解説になっちゃうの……? もしかして、あの娘……本当に人間じゃなくて、AIなんじゃ……?)
記憶を同期されたかのような不気味な一致に、レナの頭の中に小さな疑念の種が芽生える。しかし、目の前の常連客を放っておくわけにはいかない。レナはハッと我に返ると、いつもの笑顔を取り戻して鈴木に問いかけた。
「あ、それよりご主人様! ロンメル将軍の戦いの中で、ご主人様が一番お気に入りの合戦……じゃなくて、作戦ってどれなんですか?」
「お、聞いてくれる?」
鈴木の顔が途端にパッと華やいだ。ミリタリーオタクのスイッチが完全にONになった瞬間だ。
「俺が一番好きなのはね、断然『大釜の戦い』なんだよ!」
「おおがま……の戦い? なんか美味しそうな名前ですね。お鍋の料理ですか?」
「ははは! 料理じゃないよ。ガザラの戦いの中で繰り広げられた、絶体絶命の危機からの大逆転劇のことさ! 完全な窮地に陥った状態から抜け出すロンメルの機動戦指揮が、とにかく凄まじいんだ」
「へぇ〜! 窮地からの逆転劇ですか! どんな戦いだったんですか? ぜひ教えてください!」
レナが身を乗り出して興味津々に尋ねると、鈴木は満足そうに深く頷き、熱っぽく語り始めた。
「1942年5月、ガザララインに固く陣を敷くイギリス第8軍に対して、ロンメルは南側から大迂回して背後に回り込むという大攻勢を仕掛けたんだ。だけど、英軍の抵抗は想像以上に頑強でね。さらに英軍が新投入したアメリカ製のグラント中戦車の重装甲と大火力に阻まれて、ロンメルの進撃はピタリと止まってしまった」
鈴木はテーブルの上にナプキンとコースターを広げ、戦局を見立てて配置していく。
「しかも悪いことに、砂漠を大きく迂回したせいで補給線が途切れ、枢軸国軍の戦車は燃料切れと弾薬不足を起こした。前には強力な英軍陣地、後ろや側面からも包囲され、広大な敵の陣地群の真ん中で完全に孤立しちゃったんだ。この包囲されたポケット状の地域を、イギリス軍は『大釜』と呼んだのさ。『この大釜の中でロンメルを茹で上げて全滅させてやる』ってね」
「ひやぁ……絶体絶命じゃないですか! 補給もないなんて、どうやって助かったんですか!?」
レナが思わず息をのむ。鈴木はニヤリと笑って、コースターを勢いよく移動させた。
「ここからがロンメルの真骨頂よ! ロンメルはただ防御に徹するんじゃなくて、自ら最前線に立って指揮を執り、英軍のMinefield(地雷原)を強行突破して西側に自力で補給路を開口させたんだ。そして、大釜の中にガッチリと対戦車砲陣地——あの有名な88ミリ高射砲を配置して徹底的な迎撃態勢を整えた」
「ははあ、罠を張ったんですね!」
「そう! 6月5日、英軍は大軍を投じて『大釜』の中のロンメルを潰しに全軍突撃をかけてきた。だけど、ロンメルの精密な火網に誘い込まれた英軍戦車隊は、88ミリ砲の猛砲撃を浴びて次々と蜂の巣にされたんだ。そして敵の攻撃が頓挫した絶妙なタイミングで、ロンメルは装甲部隊を一気に解き放ち、逆包囲を仕掛けた!」
「わあ……! 囲まれていたはずなのに、逆に敵を包囲し返したんですか!?」
「その通り! 結果として英軍は数百両の戦車を失う大敗北を喫し、大釜の戦いに勝利したロンメルは、勢いそのままに難攻不落と言われたトブルク要塞を攻略。この功績で若干50歳にして元帥に昇進したんだよ。完全な敗北の淵から、一瞬の機動と決断力で勝利を捥ぎ取る……これぞロンメル戦術の真髄さ!」
「すごーい! まさに映画みたいな大逆転劇ですね……! ロンメル元帥、かっこいいです!」
鈴木の熱弁に、レナは静かに耳を傾け、絶妙なタイミングで「うんうん」「それでどうなったんですか!?」と相槌を打つ。店内には楽しげなミリタリートークが心地よく響いていた。
◇
一方その頃、少し離れたカウンター席では——。
「でねでね! ドアエントリーの技術にも色々あって、ステルスエントリーとダイナミックエントリーがあるんだって!」
舞がカウンター越しに、身乗り出してセリカに語りかけていた。サバイバルゲームのトレーニングを始めて以来、すっかり目覚めてしまった舞の目は輝いている。
「ステルスは足音を立てずに静かに侵入する方法で、ダイナミックは『バン!』ってドアを蹴り開けて、相手の度肝を抜くスピード重視の侵入方法なの! ヴァルキリータクティカルアカデミーのインストラクターさんが実演してくれたんだけど、もう本当にかっこよくて!」
セリカは磨いていたグラスを静かに置くと、微笑みを絶やすことなく黙って舞の話を聞いていた。
(概念整理:CQB(近接戦闘)におけるエントリー要領。ステルス(隠密侵入)=静寂性および脅威の事前排除を優先。ダイナミック(強行突入)=衝撃とスピード(Speed, Surprise, Violence of Action)による敵行動の抑止を優先。既知のデータベースと100%一致。応答ログ:共感を示しつつ傾聴を継続)
セリカの内部システムでは瞬時に詳細な戦闘マニュアルが展開されていたが、それを口に出して舞の熱量を削ぐような真似はしない。あくまで「初めて聞く素晴らしいお話」として、頷きながら耳を傾ける。
「私さ、サバゲがこんなに奥深いとは思ってなかったよー!」
舞はアイスティーのストローを弄びながら、実に生き生きとした表情で言った。
「ただエアガン撃ち合うだけだと思ってたのに、チームの連携とか、部屋に入るときのクリアリングの角度とか、覚えることがいっぱいでさ! でも、練習した通りに体が動いてターゲットをヒットできた時、めちゃくちゃ脳汁出るんだよね!」
「舞様がサバイバルゲームの魅力に深く引き込まれているご様子、とても素晴らしく思います」
セリカは洗練された動作で舞のグラスにカラスコで冷水を注ぎ足した。
「技術や理論を学ぶことは、安全性の向上と同時に、戦術的な選択肢を広げることに繋がります。舞様の努力は、きっと次の大会で素晴らしい成果となって結実するはずですよ」
「セリカちゃん、ありがとう! なんかセリカちゃんに励まされると、絶対に勝てる気がしてくるよ!」
無邪気に喜ぶ舞の姿を横目で見ながら、レナは鈴木との会話の合間にチラリとカウンターへと視線を向けた。
(やっぱりセリカちゃん、舞ちゃんのお話の先が全部分かってるみたいな顔してる……。それに、さっきのチュニジア作戦の解説……私、セリカちゃんと全く同じことを言わされてたような気がする……)
オイルと珈琲の香りが漂う賑やかな店内で、レナの頭の中に浮かんだ「セリカ=AI説」は、消えるどころか静かにその確信を深めていくのだった。




