第六章 ドイツアフリカ軍団 第一話 ロンメル将軍
重厚なオーク材のドアが開くたび、静かなカウベルの音が「Tactical Maids & Armory BAR — Bullet & Lace」の店内に響く。無機質なコンクリート打ちっぱなしの壁面には、職人の手によって整然とオイルアップされたエアソフトガンやカスタムパーツが並び、ほのかにガンオイルと挽きたての珈琲の香りが入り混じる、どこか秘密基地めいた独特の空間だ。
「おはようございます、ユキさん」
「おはよう、今日もよろしくね、セリカさん」
開店前の静けさの中、店長のユキと、どこか完璧すぎる立ち居振る舞いが特徴的なメイドのセリカが視線を交わす。セリカの瞳が一瞬だけ細かく光を反射したように見えたのは、ただの照明のいたずらだろうか。
今日は連休前の日曜日。暦のページは飛ぶように過ぎてゆき、店には続々とキャストたちが集まり始めていた。
「みんな、おはよう!」
元気な声とともにカウベルを鳴らして飛び込んできたのは、キャストのレナと同級生の舞だった。大型のガンケースを背負った舞は、今日も今日とてサバイバルゲームの帰りだ。
「舞、お疲れ様。今日はどうだった?」
「聞いてよレナ! こないだ紹介してくれた桐生さんと五人チームを結成したんだ。でね、ユリさんと一緒にもっと上達したくて『ヴァルキリータクティカルアカデミー』に通い始めたの!」
「トレーニング? そんなの受けないとサバゲってできないの?」
「ううん、楽しく遊ぶだけなら必要ないよ。でも、全日本エアガンサバイバルゲーム大会で勝ちたいなら必須なんだって。基本射撃からCQB(近接戦闘)の足さばきまで叩き込まれてるよ。ユリがめちゃくちゃ本気で勉強してるから、私も置いていかれないように必死なんだから!」
レナと舞が熱っぽくサバゲ談義に花を咲かせている間に、開店時間を迎えた店内は瞬く間にミリタリー好きの常連客たちで賑わい始めた。
カランコロン——。
「いらっしゃいませ、ご主人様!」
「レナちゃん、今日も遊ぼう!」
手を振って入ってきたのは、これが3度目の来店となる常連の鈴木だった。
「はい、ご主人様。まずは補給物資(ご注文)は何にいたしますか?」
「とりあえずビールで!」
「はい、了解いたしました!」
キンキンに冷えたジョッキを運ぶと、レナは笑顔で鈴木の向かいに腰かけた。
「それでご主人様、今日のお題は何ですか?」
「今日はね、アフリカ軍団(DAK)!」
「あら、ロンメル戦車軍団ですね」
「相変わらず話が分かるねぇ、レナちゃんは!」
「ふふ、でも実はあまり詳しくはないんです」
「おや、レナちゃんでも知らないことがあるのか?」
「ざっくりとした概要程度しか分からないですわ」
鈴木は得意顔になると、砂漠の狐が北アフリカの地に降り立つまでの歴史的背景を、かいつまんで語り始めた。
1940年、イタリア軍は英領エジプトへの侵攻を開始したものの、イギリス軍の猛反撃に遭い、壊滅的な打撃を受けた。北アフリカ戦線における枢軸国の足枷となりかけたイタリアを救援するため、ドイツ軍最高司令部は急遽、一個軽師団と一個装甲師団からなる派遣部隊を編成。その指揮官として抜擢されたのが、フランス戦線で「幽霊師団」を率いて猛威を振るったロンメル中将であった——。
「へぇ〜! イタリア軍のピンチを救うために呼ばれたんですね!」
レナが目を輝かせて感心していたその時、カウンターからチーフのユキが声をかけた。
「レナちゃん、あちらのお客様のお会計お願いできる?」
「あ、はーい! ご主人様、ちょっと呼ばれてしまったので行ってきますね。続きは後で!」
レナが慌ただしく去っていくと、鈴木はあからさまにテンションを下げ、肩を落とした。そこへ、滑らかな動作で新しいおしぼりを手にしたセリカがスーッと席についた。
「失礼いたします、鈴木様。レナの代わりに、私セリカが給仕を務めさせていただきます」
「あ、セリカちゃん。うーん、セリカちゃんはアフリカ軍団(DAK)のことって知ってるかい?」
鈴木が軽い気持ちで尋ねると、セリカは背筋をぴんと伸ばし、まるでディスプレイにテキストを出力するかのような、完璧で無駄のない口調で語り始めた。
「はい。ドイツアフリカ軍団(Deutsches Afrikakorps)、略称DAK。1941年2月11日、ロンメル中将はトリポリに到着し、翌12日に上陸を開始いたしました。本来、ヒトラーからの指示は『トリポリタニアの防衛』という限定的な防衛任務であり、本格的な攻撃は第15装甲師団の到着を待つ予定でした。しかし、ロンメルは到着からわずか数日後の2月14日には第5軽師団の先端部隊を前線へ展開させ、3月下旬には上層部の制止を振り切って電撃的な攻勢を開始。エル・アゲイラを奪還し、英軍をカイロ手前まで押し戻しました。この機動戦こそが『ロンメル伝説』の始まりです」
息をつく間もなく、年号、部隊番号、指揮官の心理状態までを極めて正確に暗唱するセリカ。その精密すぎる解説に、鈴木はポカンと口を開けた。
「……セリカちゃん、すごいね。なんか……まるでAIの回答を聞いてるみたいだ」
「ッ!?」
セリカの身体がビクッと跳ね上がった。その完璧だった表情が俄かに崩れ、瞳をパチパチと何度もまばたきさせながら、慌てて両手を振る。
「い、いいえ! そんなことはありません! わたしは、その、れっきとした人間です! 毎晩ちゃんと睡眠をとりますし、美味しい珈琲も飲みます! け、決してプログラミングされたデータベースを高速検索して出力しているわけでは……あっ!」
「あはは、冗談だよ! 焦りすぎだって。でもさ、セリカちゃんって完璧すぎてたまにロボットに見えちゃうんだよね」
鈴木がニヤニヤしながら顔を近付けて覗き込むと、セリカは自身の頬を両手で包み込み、ボッと赤らめた。人工皮膚とは思えないほど素直な反応だった。
「やっぱ人間だよね。こんなに可愛く照れるロボットなんているわけないか!」
鈴木は納得したように頷くと、冷えたビールを一口煽り、本題へ戻った。
「でさ、セリカちゃん。ロンメル戦車軍団のチュニジア作戦について、セリカちゃんはどう見る?」
問われたセリカは、即座に表情を切り替えた。先ほどの動揺が嘘のように落ち着いた声音となり、史実に基づいた冷徹かつ客観的な分析を提示する。
「チュニジア作戦、および北アフリカ戦線の終局についてですね。私の分析——いいえ、史実の観点から申し上げますと、あの作戦は『戦術的勝利と戦略的破綻の典型例』と言えます」
「戦術的勝利と、戦略的破綻……?」
「はい。1942年11月、米英連合軍による『トーチ作戦』によってアルジェリアとモロッコへ連合軍が上陸し、DAKは東からのモントゴメリー将軍(英第8軍)と、西からのパットン将軍らの狭撃に遭うこととなりました。1943年2月のカセリーヌ峠の戦いにおいて、ロンメル将軍は熟練の機動戦術を駆使し、初実戦となる米軍第1機甲師団を完の打ちのめす戦術的勝利を収めました。これはロンメル最後の輝かしい勝利です」
セリカはテーブルの上に置かれたコースターと小物を指で滑らせ、砂漠の盤面を再現するように配置していく。
「しかし、戦略的な勝敗はすでに決して居りました。枢軸国の最大の命脈である地中海の補給線は、連合軍の航空優勢と制海権、そして暗号解読によって完全に遮断されていました。弾薬も、そして何より戦車を動かす燃料すら届かない状況下で、どれほどロンメル将軍が戦術的な奇跡を起こそうとも、補給なき軍隊に未来はありませんでした」
セリカの指先が、孤立したドイツ軍を模したコースターをそっと叩く。
「1943年3月、病状が悪化したロンメル将軍はアフリカを去り、残されたフォン・アルニム将軍率攻する第5装甲軍とDAKは、同年5月にチュニスで降伏いたしました。約25万人の枢軸国兵士が捕虜となり、これは『アフリカのスターリングラード』と称される致命的な敗北となったのです。……補給というロジスティクスを軽視し、戦術的な勝利のみで戦略的劣勢を覆そうとした限界が、チュニジア作戦の真実でございます」
整然と、しかしどこか切なさを感じさせるセリカの解説に、鈴木は深く息を吐き出した。
「うーん……深い。ただロンメル格好良い! で終わらせないあたり、セリカちゃんの解説は本当に聞き応えがあるよ」
「恐縮です、ご主人様」
そこへ、お会計を終えたレナが「お待たせしましたー!」と笑顔で戻ってきた。
「ちょっとセリカちゃん! ご主人様を一人占めしないでよー!」
「ふふ、占領していたわけではありませんよ、レナさん。私はただ、北アフリカの砂漠における補給線の重要性について、ご主人様と『戦況分析』を行っていただけです」
「もう、難しいお話ばっかり! ご主人様、次は私に可愛い戦車のお話教えてくださいね!」
賑やかな声が店内に弾け、カウベルの音が再び鳴る。ガンオイルの香る穏やかな「Bullet & Lace」の日常の中で、セリカは人知れず胸をなでおろし、静かに自らの内部システムクロックを調整するのであった。




