第四話 反撃
角田機動部隊の空母は、すでに『隼鷹』ただ一隻が孤軍奮闘する惨状に陥っていた。 朝からのミッドウェー島第一次空襲、そして怒濤のごとく押し寄せる米艦載機群に対する凄絶な艦隊防衛戰——。搭乗員たちの決死の奮戦もむなしく、残された零戦の数は数えるほどとなり、反撃のための攻撃力はすでに微々たるものへと削ぎ落とされていた。
「くそっ、隼鷹の直衛隊はもう限界か……!」
3番ボックス席のボードゲームの前で、川田は眉間に深い皺を刻み、自陣のマップ上のユニットを見つめて呻いた。
米機動部隊による怒濤の第二波攻撃を受け、近藤信竹中将率いる輸送船団も壊滅的な被害を出していた。大型輸送船が次々と黒煙を上げて炎上し、太平洋の波間に傾いていく。しかし、ゲームのターンが夕刻へと移り変わるにつれ、猛威を振るった米軍の航空攻撃も潮が引くように収まりを見せ始めていた。
「よし……まだ終わっちゃいない! 機動部隊の航空戦力は削られたが、勝負はここからだ!」
川田聯合艦隊司令長官は気を取り直し、強い口調で盤上の駒を動かした。一旦後退させていた輸送船団を反転させ、再びミッドウェー島への上陸コースへと向かわせる。
「上陸部隊の一木支隊は海上で戦力の3分の1を失い、打撃を受けた。……だが! 主力戦艦部隊による46センチ砲の艦砲射撃で、ミッドウェーの敵陣地と飛行場は完全に壊滅している! 残存の一木支隊に海軍特別陸戦隊を合わせれば、今なら十分にミッドウェー島の占領は可能だ!」
川田の執念とも言える采配に対し、衝立の向こう側に座るセリカは、どこか楽しげに目を細めた。
その頃、ミッドウェー北方海域からは、南雲忠一中将率いる第一航空艦隊——『赤城』『加賀』『蒼龍』『飛龍』の空母4隻で構成された本隊が、全速力で南下を開始していた。
「南雲機動部隊、全速南下! 索敵機をミッドウェー南西海域へ重点的に配置! 敵機動部隊の位置を叩き出せ!」
川田の指令に応じるように、マップ上の索敵ラインが南西へと伸びる。そして数十分後、索敵機を務める九七式艦攻から、ついに電信の打電音が響き渡った。
『ワレ、敵空母1隻ヲ発見! 位置、ミッドウェー西……!』
「見つけたぞ! 敵の空母だ!」 川田がパンッとテーブルを叩いて身を乗り出した。報告の状況から見て、発見された敵艦は『ヨークタウン型』空母1隻と推測された。
しかし、時刻はすでに夕暮れ時。今から攻撃隊を発進させれば、攻撃は薄暮となり、未熟なパイロットでは夜間着艦による全滅のリスクを伴う時間帯であった。
「……どうしますか、川田ご主人様?」 セリカが妖艶な笑みを浮かべ、試すように問いかける。
「いま攻撃隊を送り出せば、暗闇の太平洋上へ母艦を捜して彷徨うことになりますわ。全滅の危険を冒して突撃させますの?」
川田は一瞬固まり、激しく葛藤した。だが、メガネの奥の目をギラリと光らせて断言する。
「……いや、出す! 精鋭中の精鋭、夜間飛行の訓練を積んだ選りすぐりのパイロットだけを集めて攻撃隊を編成する! このチャンスを逃せば、明日には敵の全戦力から挟み撃ちにされるんだ! 攻撃隊、発進ッ!」
川田の非情かつ果断な英断により、赤城・加賀・蒼龍・飛龍の各艦から、九九式艦爆と九七式艦攻あわせて38機近い精鋭攻撃隊が大空へと飛び立った。
◇
一方、米機動部隊の指揮を執るレナの空母『ヨークタウン』は、ちょうど第二波の攻撃隊を甲板上に収容している最中であった。
「あっ、セリカ提督! 日本軍の索敵機にこちらの位置が捕捉されました!」 レナが焦りの声を上げる。セリカは冷静な手つきで自陣の駒を滑らせた。
「慌てないで、レナさん。全機の収容を完了し次第、直ちに南下を開始しますわ。敵の薄暮攻撃の射程から逃れるのです」
セリカの指揮のもと、エンタープライズとホーネットもまた、第二次攻撃隊の収容を終えるやいなや速やかに全速で南下を開始した。しかし、日本の精鋭攻撃隊の追撃速度は、米軍の予想を遥かに上回っていた。
夕闇が太平洋を濃い群青色に染め上げていく中、雲の切れ間から突如として重苦しい爆音が響き渡る。
「……敵機、来襲! 方位30度、多数!」
九七式艦攻の超低空による挟み撃ちの魚雷攻撃と、九九式艦爆による急降下爆撃が、逃げ切りを図る『ヨークタウン』へ襲いかかった。
急降下する九九式艦爆の風切り音が空を切り裂く。選りすぐりの熟練パイロットたちが繰り出す攻撃は、驚異的な精度を誇った。
シュゴォォォッ! ズドオォォンッ!
『ヨークタウン』の左舷に向け、白体を描いて迫る魚雷が次々と命中する。ズシンと腹底に響く重爆音とともに、4本の魚雷が左舷水線下に深々と突き刺さった。巨大な水柱がいくつも立ち上り、海水を黒煙混じりに撒き散らす。
さらに上空からは、垂直に近い角度でダイブしてきた艦爆隊から投下された爆弾が、至近弾を含めて5発、甲板と艦首周辺で激しく炸裂した。
火柱と煙が『ヨークタウン』を包み込む。米軍側の優れたダメージコントロールと消火班の命がけの努力により、なんとか即座の轟沈だけは免れたものの、左舷への海水流入が止まらない。艦傾斜は増すばかりであり、もはや『ヨークタウン』が戦線を離脱することは不可避であった。
「ああっ……! 私のヨークタウンが……!」 レナが頭を抱えて悲鳴を上げる。
これにより、米機動部隊の稼働空母はセリカが直接率いる『エンタープライズ』と『ホーネット』の2隻のみとなった。 「空母2隻対4隻……。それに今日の激戦で、我が艦隊の弾薬と航空燃料も残りわずかですわね」
セリカは静かに自陣の残存戦力を確認すると、不敵に口元を緩めた。 お互いに主力を削り合い、満身創痍のまま迎える明日——。日米双方の指揮官は、翌朝の『最終決戦』を覚悟したのだった。
◇
日が変わり、朝もやが薄く漂う広大な太平洋上。
「1942年6月6日、黎明——ッ!」
川田の宣言とともに、最終局面のターンが始まった。
朝靄を切り裂き、日米双方の空母甲板から一斉に索敵機が飛び立つ。広大な海原をお互いに捜し求める索敵線が交錯し、そして——ほぼ完全に同タイミングで、双方の艦隊の位置が全開で捕捉された。
『敵機動部隊、発見……!』 『敵主力艦隊、発見……!』
両軍の空母から、残された全航空戦力が相次いで発進する。 青い空と白い雲が広がる上空で、日本軍の攻撃隊と米軍の攻撃隊が、互いに交差するようにすれ違った。機体の風防越しに見つめ合うパイロットたち。誰もが己の命を賭し、帰るべき母艦が攻撃を生き延びて無事であることを祈りながら、敵艦隊の待つ空へと突き進んでいく。
日本の攻撃隊の指揮を執るのは、あの歴戦の猛者・友永丈市大尉であった。
「全機、突撃! 目標、敵空母群!」
友永大尉率いる攻撃隊は、雲間から姿を現した米機動部隊に対し、鮮やかな手腕で部隊を二手に分けた。『エンタープライズ』と『ホーネット』の双方へ同時に襲いかかる、完璧な分散挟み撃ち攻撃である。
猛烈な対空砲火が空を黒い煙の果実で埋め尽くす中、友永機を先頭とする艦爆・艦攻隊が果敢に突き進む。
「急降下……放てっ!」
ドォォォン! ドォォォン!
『エンタープライズ』の飛行甲板に2発の500キロ爆弾が直撃し、装甲を撃ち抜いて格納庫内で大爆発を起こした。黒煙が竜巻のように噴き上がる。
さらに『ホーネット』に対しては、上空からの爆弾3発が直撃しただけでなく、超低空で肉薄した九七式艦攻から放たれた魚雷2本が右舷に炸裂。艦腹を大きく破られた『ホーネット』は激しい水柱に包まれ、速力が一気に低下した。
「くっ……! エンタープライズ、ホーネットともに甚大な被害! 全艦隊、これ以上の損害を防ぐため、直ちに後退を開始しなさい!」
セリカは苦渋の表情を見せ、米機動部隊に一時撤退の指示を出した。
しかし——南雲機動部隊もまた、無傷ではすまなかった。
すれ違った米軍のSBDドーントレス急降下爆撃機隊が、雲の切れ間から南雲艦隊の頭上へと急降下を敢行していたのだ。
「直衛の零戦、撃墜せよ! 艦隊、回避運動……ッ!」
川田の悲痛な叫びも虚しく、急降下爆撃のダイブ音が大気を震わせる。
ドガァァァンッ!
『加賀』の飛行甲板中央および艦尾付近に、3発の爆弾が連続して炸裂。滑走路は無残にめくり上がり、艦内に蓄えられていた燃料が引火して炎の柱が立ち上る。
続いて『蒼龍』の甲板上にも2発の爆弾が直撃。誘爆の嵐が艦内を駆け抜けた。
さらに旗艦『赤城』に対しては、米雷撃機の放った魚雷1本が右舷舵付近に炸裂。舵を固定された『赤城』は、グルグルと円を描くように迷走を始める。
「加賀、蒼龍、大破炎上! 赤城、舵故障により航行自由を喪失!」 レナが盤上の損害を報告する。
日米双方の空母群が、互いに致命的な打撃を掛け合い、水煙と黒煙の中で喘いでいた。両軍ともに轟沈こそ免れたものの、もはやこれ以上の航空戦を継続する余力は残されていない。
「……双方、後退せざるを得ないか……」
川田は自陣の傷だらけになった駒を見つめ、静かに呟いた。
太平洋の波間には、炎上する両軍の空母と、ミッドウェー島へ向かう決死の上陸船団の影だけが残されていた。死力を尽くした「新ミッドウェー海戦」は、まさに凄惨な血の削り合いの果てに、凄まじい緊迫感を残して終局へと向かっていったのだった。




