第二話 出港、カクテルヴェルダン
「聯合艦隊、抜錨——ッ!」
川田の威勢の良い掛け声とともに、テーブル上の「新ミッドウェー作戦」のセットアップが完了していった。
川田聯合艦隊司令長官の命により、新ミッドウェー作戦が発動された。 角田機動部隊をミッドウェー制圧へ、南雲機動部隊は対米機動部隊へ、近藤艦隊は上陸船団護衛、そして長官直率の主力戦艦群も上陸支援として、桂島泊地から一斉に出港を果たしたのだ。
川田長官が描く作戦計画はこうだ。 まず、角田少将率いる第二機動部隊(空母『龍驤』『隼鷹』『瑞鳳』)がミッドウェー島への攻撃と制圧を担当し、上陸船団のための制空権を確実に確保する。さらに、戦艦群による凄絶な艦砲射撃で陸上陣地を打ち砕き、上陸を支援する。 そして本命となる南雲中将率いる第一航空艦隊(『赤城』『加賀』『飛龍』『蒼龍』)は、ミッドウェー北方海域に潜み、ハワイから出撃してくる米機動部隊(空母3隻)を待ち伏せして撃滅する。
「史実の失敗に鑑み、南雲機動部隊は二段索敵を行う慎重な構えだ! 筑摩4号機の遅延などという愚は冒さん!」
川田は熱っぽくグラスを掲げ、ミリタリーマニア特有の情熱で語り紡ぐ。
対する米機動部隊側を担当するのは、セリカとレナだ。 『エンタープライズ』と『ホーネット』をセリカが指揮し、『ヨークタウン』をレナが指揮する陣容である。
「ご主人様……ですが、私たち米艦隊も史実通りの動きはいたしませんわ」
セリカが妖艶な笑みを浮かべ、マップの『エンタープライズ、ホーネット』を静かに滑らせた。 「暗号解読により日本軍の大規模作戦を察知した我が艦隊は、史実とは違うラッキーポイントを設定し日本軍を待ち受けします」
「な、なんだと!? 新たなラッキーポイントだと!?」
川田が目を剥く。史実の知識だけに頼らない、セリカの柔軟で鋭い戦術眼に完全に翻弄されている。
「ええ、詳細は教えられませんが南雲機動部隊を翻弄させ、日本軍の作戦を頓挫させてみせますわ。レナさん、ヨークタウン隊の準備はよろしいですか?」
「はいっ、セリカ提督! ヨークタウン隊、準備完了です!」
レナもすっかりこのIFシミュレーションの世界に引き込まれ、笑顔で敬礼してみせる。
こうして、史実とはまったく異なる「新ミッドウェー海戦」の幕が切って落とされたのだった。
◇
「……ふう、盛り上がってるところ申し訳ないが、喉が渇いたな! レナちゃん、裏メニューの暗号オーダーで何かカクテルを頼むよ!」
戦況の急展開に喉を濡らしたくなった川田が、そう言って注文を促した。
『Bullet & Lace』には、客がミリタリー用語で注文すると、キャストがその言葉に応じたオリジナルカクテルを提供する裏メニュー「暗号オーダー」が存在する。
「承知いたしました、ご主人様! ミッドウェーの熱い戦いにぴったりのカクテルをお持ちしますね!」
レナがカウンターへ向かい、バーテンダー担当のキャストにオーダーを伝えた。 注文したのは『作戦コード:ヴェルダン』。激戦地ヴェルダンをイメージした、鮮やかな「赤」と「緑」の2層が美しい、フルーティーで甘酸っぱい柑橘系のカクテルだ。
しばらくして、フロア担当のキャストがトレーにミリタリーマグカップを乗せ、川田のテーブルへと運んできた。カクテルは覗かないと中身が見えないステンレス製のミリタリーマグに注がれており、ストローが添えられている。
「お待たせいたしました、ご主人様。『作戦コード:ヴェルダン』でございます」
「おお、きたきた! どれどれ……」
川田は期待を込めてストローで一口含んだ。しかし、次の瞬間——川田の顔が妙な形に歪んだ。
「……ん? ぶはっ! な、なんだこれ!?」
「えっ!? ご主人様、どうされましたか?」
レナが驚いて覗き込む。川田は首をかしげながら、マグカップの中身をテーブルのライトに透かして覗き込んだ。
「これ、赤と緑のヴェルダンじゃないぞ……!? 完全に『青』と『黄色』の2層になってる! それに味も、甘酸っぱい柑橘系じゃなくて、めちゃくちゃスパイシーでスースーするミント系だ!」
「えぇっ!? 青と黄色……!? 味もミント系!?」
レナは慌ててカウンターへ走り、バーテンダー役に確認した。
「ねえ、さっきのヴェルダン、何か間違えて作ったりした!?」
「えっ? まさか! レシピ通り、赤いシロップに緑のリキュールを入れて、ちゃんとヴェルダン(赤と緑)として作ったよ! 間違えるわけないじゃない!」
提供したキャストも「私もトレーに乗せてそのまま3番ボックス席に運んだだけです!」と主張する。
作っていたのは間違いなく「赤と緑のヴェルダン(柑橘系)」。 しかし、客のテーブルに届いた時には完全に「青と黄色のソムム(ミント系)」へと化けていたのだ。
「そんな……カクテルが移動する間に『変身』したっていうの……!?」
レナが頭を抱えそうになったその時、ずっと静かにマグカップを見つめていたセリカが、ふっとミステリアスな笑みを浮かべた。
「ふふ……レナさん、慌てることはありませんわ。これは魔法でも何でもなく、極めて科学的な『罠』と『混同』が引き起こした事故でございます」
「えっ……? セリカさん、理由が分かったの!?」
セリカは優雅に立ち上がると、川田のテーブルと、その「隣のボックス席」を交互に指し示した。
「まず、味と色が『ソムム』に化けた第一の要因は……純粋な『マグカップの取り違え』ですわ」
「取り違え!?」
「ええ。先ほど提供キャストがトレーで運んでいた際、隣の5番ボックス席のお客様からも『作戦コード:ソムム』の注文が入っておりましたの。どちらも中身が見えない同じ型のミリタリーマグカップ。提供の際、誤って隣のソムムを川田ご主人様のテーブルに置いてしまった……これが味の変化の正体です」
提供キャストが「あ……っ!」と青ざめて口を押さえる。
「だ、だけどセリカさん!」とレナが反論する。
「もしそれが隣の『ソムム』だったとしても、ソムムは『青と黄色』のカクテルよ! でも今、川田さんのマグカップの中身を見て……上層の青はいいとして、下層の黄色が……ううん、だんだん『ピンク色』っぽく変色してきてない!?」
そう、川田のマグカップの中で、底に溜まっていた液体が微かに色を変え始めていたのだ。
「ふふ、それこそが第二の仕掛け……『二酸化炭素によるpHの変化』でございます」
セリカは隣のテーブルを視線で示した。そこでは先ほど、派手な「手榴弾風スモーク演出」が行われたばかりだった。ドライアイスを満載した演出用弾から、白い煙(二酸化炭素ガス)がモコモコと溢れ出していたのだ。
「当店で提供している『ソムム』の黄色いシロップには、酸性度によって劇的に色が変化するハーブ……『バタフライピー』のエキスが隠し味として使われています。バタフライピーは通常は青や黄色を示しますが、酸性に傾くと『ピンク色』に変化する性質を持っていますの」
セリカは川田のマグカップを指差した。
「隣のテーブルで焚かれた大量のドライアイス演出……その重い二酸化炭素ガスが、運悪く川田ご主人様のマグカップ内に滞留いたしました。二酸化炭素がカクテルの水分に溶け込み、弱酸性の『炭酸』へと変化したことでpHが下がり、バタフライピーの色が黄色からピンクへと変色を起こしたのですわ」
「な、なるほど……! 手榴弾スモークの二酸化炭素が原因だったなんて……!」
レナはセリカの完璧な推理に思わず感嘆の声を漏らした。
マグカップの取り違えという「人間のミス」と、演出用スモークによる「化学反応」。 二つの偶然が重なったことで起きた、コンカフェならではのロジックミステリーだったのだ。
「いやあ……見事だ、セリカちゃん! 謎解きまでパーフェクトとはな!」
川田は感心しきりで、正しい『作戦コード:ヴェルダン』を改めて注文し直し、ご機嫌でグラスを傾けた。
「ふふ、お粗末さまでした。……さて、ご主人様。謎も解けたところで、我らの『新ミッドウェー海戦』の索敵戦へと戻りましょうか?」
セリカが妖艶な瞳を輝かせ、再びテーブルの上の「海」へと視線を戻す。
「我が米機動部隊の索敵機が、東進する日本軍の上陸船団を捉えるか……あるいは南雲艦隊の二段索敵が、我が艦隊を先に見つけ出すか……勝負はこれからですわ」
謎解きの余韻冷めやらぬまま、戦史オタクと美麗なキャストたちによる熱いIF海戦の索敵戦が、再び火蓋を切るのだった。




