第五章 ミッドウェー作戦 第一話 艦隊集結
「Tactical Maids & Armory BAR — Bullet & Laceへようこそっ!」 ミリタリーコンカフェの開店時間になった。 重厚な木製のドアが静かに開くと、心地よい重みを持ったカウベルの音が店内に響き渡る。無機質なコンクリートの壁面には手入れの行き届いたエアソフトガンやカスタムパーツが飾られ、ほのかにガンオイルと珈琲の香りが漂っていた。
セリカがこの店に入店してから3ヶ月が過ぎていた。 最初のうちは静かでどこか浮世離れした雰囲気を醸し出していた彼女だったが、今や指名の常連客もだいぶついている。売上成績でも、今ではあの高飛車な看板キャストだったカナを抜いてトップキャストになりつつあった。
セリカの魅力は、何と言っても一番には男性客を惹きつけてやまない色気ある容姿と抜群のプロポーションだ。しかしそれ以上に客たちを驚かせたのは、ミリタリーや戦史に関してパーフェクトと言っていいほどの膨大な知識を持っていることだった。 彼女がなぜこれほど豊富な知識を持っているのかは、未だにキャストたちの間では大きな謎のままである。
◇
「いらっしゃいませ、ご主人様!」
やってきたのは、メガネの奥の目を光らせた戦史オタクの川田だった。 川田は一年近く前からこの店に通ってくれている常連客だ。悪気はないのだろうが、知識を披露したい欲求が人一倍強く、特にレナの戦史知識に対して何かとマウントを取ってくるため、接客するには少々エネルギーを使う手のかかるお客様でもあった。
「やあレナ。今日も楽しませてくれよ?」
「はい、もちろんですっ。ご主人様、こちらへどうぞ」
レナは川田を3番ボックス席へと通した。 ソファーに深く腰掛け、店内のキャストたちを値踏みするようにぐるりと見回していた川田の視線が、ふと一箇所で止まった。店内奥でグラスを磨いていたセリカと、バチッと目が合ったのだ。
「おいレナ、あの新顔……いや、噂のセリカちゃんだな?」
「はい! 今や当店のトップキャストのセリカさんです」
「ふーん……ちょっと呼んでみようか」
「あら、川田さんの興味あるタイプですか?」
レナが少しからかうように尋ねると、川田は「べ、別にそういうわけじゃないがな」と不機嫌そうに咳払いをしてみせた。わかりやすい反応に、レナはクスッと笑ってしまう。図星のようだ。
「ユキさん、セリカさんを場内指名でお願いできますか?」
「はーい、了解!」
ユキの指示を受け、セリカが優雅な歩調で3番ボックス席へとやってきた。間近で見ると、やはり若いながらも独特の妖艶さがある。すらりと伸びた脚に引き締まったウエスト、男性客の目を引きつける抜群のプロポーションだ。川田も鼻の下を伸ばしそうになるのを必死で耐えているのがわかる。
「失礼いたします。ご主人様、お呼びいただきありがとうございます。セリカと申します」
「あ、ああ。座ってくれ。……お前、いくつなんだ?」
「21歳ですわ」
「へえ、21か。学生さんか?」
「いえ、高卒で働いております」
川田は腕を組み、ニヤリとマニア特有の嫌味な笑みを浮かべた。
「高卒の21歳ねぇ。じゃあ、ヒストリカルな歴史の話なんて、さっぱり分からんだろ? この店はミリタリーや戦史の知識がないと、客と話が合わんぞ」
(あーあ、また川田さんのマウントが始まっちゃった……)
レナがフォローに入ろうとしたその時、セリカは穏やかな微笑みを崩さぬまま、静かに首を振った。
「大丈夫ですわ、ご主人様。浅学ではございますが、多少の嗜みはございます」
「ふん、強がりを。じゃあ試してやろう。……大日本帝国海軍の山本五十六大将を知ってるか?」
川田は試すような視線をセリカにぶつけた。若くて色気のある女の子が、太平洋戦争の超有名提督の名前くらいは知っていても、せいぜい「真珠湾攻撃をした人」程度しか答えられないだろうと高をくくっていたのだ。
しかし、セリカの口から飛び出したのは、川田の予想を遥かに超える滑らかな暗唱だった。
「連合艦隊司令長官、山本五十六海軍大将のことですね。長岡藩士の家に生まれ、日露戦争の日本海海戦で左手の指二本を失う重傷を負われました。航空主兵論を唱え、日仏独三国同盟には最後まで反対姿勢を貫かれたこと、そして真珠湾攻撃を指揮し、最終的にはブーゲンビル島上空で戦死された……悲劇の名将でございますわね?」
「な……!?」
川田が絶句して目を丸くした。 横で聞いていたレナも、驚きを隠せずにセリカを二度見してしまう。ただの概要ではない。細かいエピソードまで自然に盛り込んだ、完璧な回答だった。レナの知識量と比べても全く遜色がない。
「セ、セリカさん……! どこでそんな知識を得たの!?」
レナが思わず尋ねると、セリカは少し目を細め、懐かしむような遠い目をした。
「私の祖父が、大日本帝国海軍の生き残りだったのです。幼い頃から膝の上で、当時の話をよく聞かされておりましたから……自然と覚えてしまいましたの」
「へ、へえぇーっ! 帝国海軍の生き残り!? それは凄いな……! 本物のリアルな歴史を聞いて育ったわけか!」
川田のテンションが一気に跳ね上がった。マウントを取ろうとしていた生意気な態度はどこへやら、川田の目は完全に憧れと好奇心に輝いている。セリカの持つミステリアスな雰囲気と、本物の歴史のバックボーンが、彼のオタク心を完全に打ち抜いたようだった。
「いやあ、素晴らしい! まさかこんな若くて綺麗な女の子と、そんな濃い話ができるなんてな!」
すっかりセリカを気に入った川田は、乗り出すようにして次の話題を振った。
「よし、なら本題だ! 太平洋戦争の最大の転換点といえば……そう、『ミッドウェー海戦(作戦)』だ! これについて語り合おうじゃないか!」
待ちかねたとばかりに、レナが身を乗り出して作戦の概要を整理する。
「ミッドウェー作戦ですね! 1942年6月、日本海軍が米軍の機動部隊を誘き出して一滅させようとした大作戦です。でも、暗号を解読されていたことや、索敵の遅れ、そして運命の『兵装転換』が重なって、第一航空艦隊は空母4隻(赤城、加賀、蒼龍、飛龍)を全て失うという大敗北を喫してしまったんですよね……」
「そう! その通りだレナ!」
川田はパンッと手を叩き、熱弁を振るう。
「だがな、日本のパイロットたちの戦いぶりは凄絶だったんだよ! 九九式艦爆で敵空母に壮絶なダイブを敢行した者や、九七式艦攻の名手たち! 命を賭して突撃した彼らの勇姿……あれこそがミッドウェーの真髄なんだよ!」
川田の話はどんどん熱を帯びていく。レナも「確かに、現場の搭乗員たちの奮戦には胸が熱くなりますよね」と頷く。
二人の熱い戦史トークを一通り静かに聞いていたセリカが、ふっと妖艶な笑みを深め、優雅に人差し指を唇に当てた。
「……ご主人様。史実の悲劇を悼むのも素晴らしいですが……それなら今夜は、私と一緒に『新ミッドウェー作戦シミュレーション』をしてみませんか?」
「し、新ミッドウェー作戦シミュレーション……!?」
川田がゴクリと唾を飲み込んだ。
「お店にブラインド式ボードゲームがあるのでプレイしてみませんか?」
「もしもの『IF』を、このテーブルの上で再構築するのですわ」
セリカの絶妙で魅力的な提案に、川田の興奮は最高潮に達した。オタクにとって、「ミッドウェーのIFルート検証」ほど心をくすぐられるテーマはない。
「面白い……! 面白すぎるぞセリカちゃん! よし、乗った! すいませーん! 一番いいシャンパン、ボトルで一本ちょうだい!」
「わ、シャンパン! ご主人様、ありがとうございますっ!」
レナが歓声をあげる。セリカは「ふふ、ありがとうございます、ご主人様」と優雅に頭を下げた。
冷えたシャンパンがテーブルに運ばれ、グラスに黄金色の泡が注がれる。
「大日本帝国海軍の勝利と、我らが『新ミッドウェー作戦』の成功を祈って……乾杯!」
川田の音頭でグラスが鳴らされた。
セリカが棚からずっしりと重みのあるボードゲームの箱を運んできた。 ブラインド式なので、お互いの視線を遮る仕切りを挟んで、ミッドウェー島周辺の海域が描かれた専用マップがそれぞれセットされる。衝立の向こう側が見えない状態で、お互いに艦隊のユニットを配置していくゲーム構成だ。
「もし、アリューシャン攻略作戦をやめて、角田少将率いる第二機動部隊の空母龍驤、隼鷹をミッドウェー制圧にして、南雲機動部隊は米機動部隊攻撃に専念させるんだ」
川田は「俺の考えるシナリオはこうだ」とブツブツ言いながら、自陣のマップ上に聯合艦隊のユニットを並べていく。
対するレナとセリカは衝立の反対側で米機動部隊のコマを配置し、頭を寄せてヒソヒソと作戦を相談している。
米軍側は史実通り事前に暗号解読で聯合艦隊の規模と大まかな編成を掴んでいたというルール設定のため、セリカが「ご主人様、史実に従ってそちらの編成と艦隊規模をお聞かせいただけますか?」と尋ねる。
川田が自信満々に答えると、セリカとレナは不敵な笑みを交わし合った。川田はハッと気づいたように苦笑いを浮かべる。
「ふむ……編成がバレたらなんか強襲攻撃になるな、大丈夫かな……」
川田は気を取り直すように自分の駒を見つめ、つぶやいた。
「米機動部隊は史実通りだから空母エンタープライズ、ホーネット、ヨークタウンの3隻だよな、それに沈まないミッドウェー基地か……」
こうして、『Bullet & Lace』の夜は、熱く長い「新ミッドウェー作戦」とともに、静かに更けていくのだった。




